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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2007年04月の日誌 ‥‥‥‥

2007/04/01/ (日)  何でも、「〜力」という新造語で仕掛ける風潮(その2)「力」の源泉は外なのか?
2007/04/02/ (月)  何でも、「〜力」という新造語で仕掛ける風潮(その3)「力」信仰と「強さ」願望
2007/04/03/ (火)  「勝ち組・負け組」の視点を超えていた『あしたのジョー』の世界
2007/04/04/ (水)  「勝ち<続ける>」組と「負け<続ける>」組とが、「固定化」?
2007/04/05/ (木)  「格差社会」と、<「である」ことと「する」こと>
2007/04/06/ (金)  一つのケーキを上手に二人の子たちが分けるには……
2007/04/07/ (土)  満開桜の「夢幻」と「狂おしさ」、人間社会の「醒めて狂った」「くそリアリズム」?
2007/04/08/ (日)  「リーダー・シップ」は、「専制的」スタイルと同じなのか?
2007/04/09/ (月)  あの『鬼平犯科帳』、唐突に、只今参上!
2007/04/10/ (火)  記憶の強度をめぐるニ、三の問題……
2007/04/11/ (水)  巣作りのスズメたちが教えたこと……
2007/04/12/ (木)  松坂(レッドソックス)対イチロー(マリナーズ)の対決もいいけれど……
2007/04/13/ (金)  「ハゲタカ縄張り世界」と「生活感覚改造」運動!
2007/04/14/ (土)  「麦茶」の香ばしい香りを忘れたくない……
2007/04/15/ (日)  情の世界の達者な役者たちが不可欠……
2007/04/16/ (月)  「国字」というものは、お仕着せの「漢字」に対する抵抗か?
2007/04/17/ (火)  「セロテープ」やトイレット・ペーパーの端っこ折り返しシステム?
2007/04/18/ (水)  悲惨な痛みと傷口の皮膚下には化膿した病巣が……
2007/04/19/ (木)  「ファースト温泉気分」というものが有難がられる?
2007/04/20/ (金)  日常生活の場での暴力を見逃すと……
2007/04/21/ (土)  自転車修理と何とも歯切れの悪い気分……
2007/04/22/ (日)  「手仕舞」なぞ言っている場合ではなさそうだ……
2007/04/23/ (月)  今日はやたらにカラスたちが飛び交っている……
2007/04/24/ (火)  時代の激変の波を被るのは弱者層だけでもなさそうだ……
2007/04/25/ (水)  <男性、温厚なほど長寿 神経質は寿命左右>……
2007/04/26/ (木)  「ゴールデン・ウイーク」はいいのだけれど……
2007/04/27/ (金)  人間は、とかく「まっつぐ」であることにこだわるものだ……
2007/04/28/ (土)  饒舌で虚しい「言葉」と、寡黙で充溢した「感情」……
2007/04/29/ (日)  昭和26年鋳造の「十円玉」に耳を傾けてみると……
2007/04/30/ (月)  作業完了に大きく貢献したのは実は「道具」様……






 先日は、何でも、「〜力」という新造語で仕掛ける風潮は、中身が無いから「奇を衒う」ことで有利になろうとする、実にさもしい戦術だ、と書いた。
 今日は、どうして「力」というニュアンスに頼りたがるのかなあ、という点について書こうかと思う。抽象的で掴みどころがない人間の属性や状態を、「〜力」というかたちで括(くく)ろうとするやり方は、ある意味でコミュニケーションの上では便利だと言えるかもしれない。だから、便利さ至上主義的な現代においては、そうしたやり方が当然の成り行きだとも言えそうだが、今一歩踏み込んで考えてみたい。現代という時代のより大きなうねりと何か密接に関係を持っていそうな予感がするからである。
 「力」という言葉が秘めたニュアンスを何かというと引き合いに出したがる風潮の足元には、「それ」をゲットしたり、装着しさえすれば望みが叶うという具合に、何か外在的な「それ」を想定してみたり、また「それ」の内部取り入れというようなことを暗黙裡に思い描く発想が広く行き渡っていそうである。
 そのような考え方というのは、「ロード・オブ・ザ・リング」の指輪を例にするまでもなく、しばしば童話や、子ども向けドラマのキー・コンセプトとして見いだすことができる。「それ」をゲットするならば、俄かに高度な技を成し遂げることが可能になる、というふうにである。
 なぜ、「それ」を、人間「内在的」なものとして捉えようとしないのかと疑問を持つのである。つまり、人間に何かを達成させる元になるものというのは、実はもともとその萌芽は内在していたのであって、それを何らかの試行錯誤によって発展させること、それがすべてだと、なぜ考えないのかということなのである。

 これはちょうど、人間の身体が何らかの「不具合」に遭遇した際の状況を例にとるとわかりやすいかもしれない。こうした時、現代のわれわれはその「不具合」の除去、解消のために、クスリという外在的なものを、まるで「ロード・オブ・ザ・リング」の指輪のように手に入れ、そしてそれを「内在化」(=服用)して、「不具合」を乗り越えようとする。
 しかし、よくよく考えてみるならば、それでもし「不具合」が乗り越えられたと仮定したとして、果たしてそれを達成したものは、クスリだけのお陰であったなぞと言い切れるのかということである。そんなはずはないと言うべきであろう。体内の自前の治癒傾向とでもいうものが大いに奮闘したはずなのであり、むしろクスリはそれを支援する効果を発揮したというのが真実なのではなかろうか。
 決して、外在的なクスリを「内在化」(=服用)する意義を否定するわけではないのだが、目を向けるべきは、「体内の自前の治癒傾向」であることに着目したいわけだ。

 このクスリに頼るような姿勢というのは、クスリ以外にも、われわれ現代人にとっては大いに覚えがあることではなかろうか。「知識」(加えて「情報」)万能的な風潮のことを言おうとしているのである。
 この「知識」万能的な風潮とは、人間が何かを達成するためには、自身には内在せず、外在的にしか存在しない「知識」を取り入れること、記憶すること、つまりクスリのように外部にあるモノを脳の内部に「内在化」することだと信じ切っている、そんな風潮のことを指しているのである。
 しかも、この風潮は、外在的な「知識」を偏重するばかりか、いつの間にか、「知識」こそが「力」なのだと早合点する誤りまで犯しているようである。
 かつて、フランシス・ベーコンは、「知は力なり」と言ったそうだが、おそらく真意は「知識は力なり」ではなく「知性(悟性)は力なり」だったのだろうと察する。だが、現代では、「知識は力なり」と端的に誤解されているように見受けられるし、「知識を得ることは力なり」ならまだしも、外在的に存在する「知識」それ自体が「力」ででもあるかのような転倒した思い込みがあるのかもしれない。
 まあ、それは言い過ぎだとしても、外在する「知識」こそが、「力」の源泉だと思い込む姿勢だけは否定できないのではなかろうか。そして、まるで「ロード・オブ・ザ・リング」の指輪さながら、「力」の源泉はいつも自身の外部にある、即ち外在的だと思い込みがちな習性を身につけてしまっているのではなかろうか。
 このことは、情報化社会と称される現代では、さらに駄目押しされて、知識や情報という「力」の源は、いつもネットの向こう側にある、いや、向こう側にしかないという決め付けにまで至っているのかもしれない。

 ところで、こうした風潮こそが、<何でも、「〜力」という新造語で仕掛ける風潮>の底流となっているのではないかと、わたしは目しているのである。
 もし、何にせよ人間の「力(能力)」の源泉はあくまでも、人間内部にあって「まどろっこしい」プロセス、「辛気臭い」プロセスを踏まなければ形成されないと、額面通りに了解されていたならば、「〜力」がどうのこうのというような言い草は歓迎されないはずではなかろうか。それに対して、「〜力」と銘打たれるならば、あたかもクスリを服用するように、「まどろっこしさ」を省いて事が達成される印象を与えるがゆえに、「〜力」という「言葉の魔術」が威力を発揮するのではないか、と推測するのである。
 要するに、時代の悪しき風潮の上に乗っかって、「言葉の魔術」でたぶらかしているのが、「〜力」という新造語によるアプローチなのではなかろうか。
 「言葉の魔術」という点を再度見つめるならば、土台が、「〜力」という表現がなされる「〜」という部分は、実際、定義不能なほどに「曖昧模糊としている」と思われる。
 「鈍感(力)」、「老人(力)」、「女性(力)」、「中年(力)」、「授業(力)」、「現場(力)」、「患者(力)」、「言語(力)」etc.(これらはみな、「〜力」の新造語としてマス・メディアに登場したサンプルである)などは、いずれも何となく言わんとすることは了解できても、そのわかりやすい定義はしようがないものばかりでありそうだ。まともな教育理論からすれば、定義不能な能力は育成不能だということになるはずである。にもかかわらず、人前での繋ぎ話の際には、何となく通用しそうな「魔術」が働いてしまうのである。

 何だかここまで書いてくると、こんなことを目くじら立てて書くほどのことではなかったか、という徒労感がなくもないのを自覚したりする。
 ただ、この問題の根っこは決して浅いとは考えていない。と言うのも、人間は、神代の昔から、存在するのが自身たちとその内部に存在するもの以外には何もないにもかかわらず、そこに「力」の源泉を探ろうとはせずに、神であるとか、悪魔であるとかの外在的な存在に源を想定し続けてきたからである。その構造は、現代でも変わっておらず、キャスティングが変わっただけだと言うこともできる。つまり、神の代わりに、知識群や科学という役者が、「力」の源泉だと信じてしまい、「能力」への突破口が自身の内部にしかないことに視線を向けようとしていないようだからである。

 ということで一件落着に持ち込もうと思っていたが、どうもそうは行かない残件に気がついてしまった。
 そもそも、「力」という言葉にわれわれが引き寄せられてしまうのはどういうことなのか、本当に「力」という言葉で思い描かれるものだけが貴重なのか、とすれば、流布している「力」群を、ただただ低迷させて行く「高齢化」と「高齢化社会」という事態は、お先真っ暗なネガティブな地獄以外の何ものでもないということになってしまう。
 果たして、そうなのだろうか。それとも、ここには、「力」という言葉自体が、何か偏ったものの考え方と密着しており、この点を解き明かせないから世の中は袋小路に突入すると思えるだけなのか……。
 ここはどうしても、「〜力」という言葉の遊びを引き摺り降ろすだけではなく、「力」という言葉自体への「幻想」なり、「信仰」なりをも明るみに引き出さなければならないような気がしてきた。これは文明的価値観の転換にも関わりそうで、このくそ忙しい時に、そんな茫漠たることまで考えるのか? という自嘲じみた気分がよぎらないでもない…… (2007.04.01)


 「〜力」という新造語とその仕掛け人たちを貶し(?)続けている。その理由をいろいろと書いているが、気を取り直して改めて言うならば、不快であり不愉快だからということに尽きるのかもしれない。
 ではなぜそうなのかと自問自答してみると、少なくとも自分の場合、この種の事柄に対しては、ほとんど生理的次元で拒絶反応を起こしているかのようだからである。
 不快だ、不愉快だ、美しくないというような思いは、知性以前の生理的レベルで湧き上がる感覚的なものとしか言いようがなさそうだ。

 もともと、自分の美意識からすれば、「力」というものは決して美しいものではない。「力」というものは、しばしば「強さ」と同義的なものとして見なされるため、尚のこと美しいとは思えない。「じゃあ勝手にすれば?」「好きなようにやったらいいさ」と突き放したくなりこそすれ、感じ入って共感に涙するような美的対象なんぞではなかろう。
 まして、今のご時世では、実力だ、パワーだ、弱肉強食だ、格差社会だ、「強さ」や「力」の指標だけがすべてだ、と叫ばれ、美意識どころか羞恥心さえかなぐり捨てられていそうである。「力」や「強さ」は、美しさへの感覚を呼び覚ますどころか、醜悪なものとして立ち現れていそうな気がする。

 したがって、たとえ「〜力」の「〜」に当たる中身が何であろうと、それが「強さ」志向の「力」と称されるならば、たちどころに醜悪なイメージを引き寄せているようで、とても美意識に基づく賛同なぞできないというわけだ。そんなバカはいないとは思うが、もし「〜」の部分に「美」を持って来て「美力」なぞとハッタリをかましてきたって、自分は微動だにしないはずである。
 ところで、今、冗談で「美力」と書いたが、「〜力」という新造語をかます連中は、それはしないものと思われる。つまり、「〜」に当たる中身は、どちらかと言えば常識的には「弱い」ものと目されているもの、「ネガティブ」視されているものを持って来るのが常套手段のようだからである。「鈍感」しかり、「老人」しかり、「女性」しかりである。
 つまり、「〜力」という新造語をかます連中は、「奇を衒う」動機もあってか、「逆説的な意味合い」で「〜力」という造語を仕立て上げたいようなのである。だから、決して「敏感力」とか「青年力」なんぞは視野に入れないし、その道理で「美力」なんぞとも決して言わないはずである。

 だが、この「逆説的な意味合い」を弄する心根が、またまた醜悪で不快かつ不愉快なのである。なぜか?
 「逆説的な意味合い」というのだから、「〜」にあたる部分の、従来「蔑まれた」印象や「弱さ」の印象を湛えたものを応援し、その復権を図ろうとしているかに思われる。
 「鈍感」を例にとれば、「鈍感」であることは、望ましい形容である「敏感」であることの、その対極として「蔑む」形容の塊として判断されてきたはずであろう。誰もこれに価値を見出そうとはしなかったはずである。
 しかし、望ましい形容である「敏感」さが、度を越したり、終始それが要求され続ける状況は必ずしも好ましいものではない。そんなことは当たり前のことであろう。何においてもそうなのであり、「過ぎたれば及ばざるがごとし」のたとえ通りなのである。
 しかし、「逆説的な意味合い」を弄する連中は、この当たり前の部分を指摘して、さも鬼の首を取ったかのように騒ぐわけだ。
 まあそれはいいとしても、その騒ぎを大きくするために、「力」という接尾語をくっ付けてしまうから不快感が引き起こされてしまうのである。
 「力」という接尾語まで付けると一体どういうことになるかというと、どうも「開き直れ」とか「居直れ」ということになってしまわないかと懸念するのである。
 もし「鈍感」さ、つまり「敏感」ではないことに肯定的な意味合いがあるとするならば、「鈍感」さがあくまで副次的、結果的になし得ることなのではなかろうか。「鈍感」さが正面切って、「力」として本領が発揮されることではなかろうと思われる。にもかかわらず、「鈍感力」と銘打つならば、「鈍感」であることに「開き直れ」としかならないのではなかろうか。

 言いたいことがうまく表現し得ないでいる気がする。例を「老人力」に代えてみよう。「老人力」という造語が言わんとすることは十分に理解できる。しかし、その主旨を浮かび上がらせるために、果たして「力」という魔術的接尾語を付ける必然性があったかと疑問視する。
 先ず、円熟した「老人らしさ」を、このご時世では評価されなくなってはいても、自分は社会的に価値あるものだと評価したいし、また「美しい」ものだとも感じている。「弱々しい」相貌の中から滲み出て来る円熟したものは、まさに「美しい」という表現に値するだろう。
 しかし、それをもって「力」だと言ってしまうと、当を得ない。先ず、「美しさ」が帳消しになってしまう。それ以上に、「老人らしさ」の価値とは、「力」や「強さ」という言葉の磁場で括られるものなのであろうか。むしろ、その磁場を突き抜け、超越しつつあるからこそ、周囲に影響を与え、頷かせるものではないのだろうか。
 つまり、「老人らしさ」の価値というものは、「力」や「強さ」の基軸自体を別な基軸に置き換えつつあるからこそ生じているものなのではないかと直感するのである。もし、「力」や「強さ」という従来の基軸にそって「老人力」を想定するならば、老人のもっとも醜悪な「老獪さ」を避けることが難しくなりそうである。
 おそらく、「女性力」にしても同様なのではなかろうか。「女性らしさ」の価値が、「女性力」と称され、「力」のごり押しゲームの男社会と同次元での、そのカウンター、対抗馬でしかなかったとするならば、大したことにはならない。たぶん、現状の「フェミニズム」はその陥穽に落ち込んでいないとは言えないような気がする。

 現在という問題山積の時代で、薄々感づかれはじめている重要なテーマは、「力」や「強さ」を暗黙の基準とした文化で、人間社会を仕切る方式は果たして人類を存続させられるのか、ということではないか。いや、そんな予感がしている。
 核戦争もさることながら、地球環境のカウント・ダウン的危機は、どう考えても人間が「力」や「強さ」を暗黙の基準とした文化と密接な関係を持っていると思われてならない。もちろん、グローバリズム経済の雪崩れなぞは、地球を捨てて他の惑星への移住という奇想天外な選択肢を想定した連中が、後先省みず火事場泥棒の心境で暴走させているとしか思えないのだ。
 「力」や「強さ」の基軸から自由になって生きるスタイルを模索すること、これはとんでもなく難しいことのように思える。悟りとはそんな境地に入ることなのだろうか…… (2007.04.02)


 「格差社会」とか、「勝ち組・負け組」時代と呼ばれるこのご時世が「どこかおかしい」とは、誰もが感じているはずではなかろうか。たとえ、実力のある者が勝ち、そうでない者が負けるのは当然だという道理を主張する者とて、そうは言っても何かこの現実からは後味の悪いものを感じ取ったりしているのではなかろうか。
 自分が、この間、「力」や「強さ」という素朴なテーマに関心を持ち、またたまたま『あしたのジョー』というアニメ・ドラマの再注目に興味を持ったのも、そんなふうな「おかしな」ご時世の根拠を探りたかったからなのかもしれない。
 まあ、あまり物事を難しく考えないとするならば、このご時世は「アンフェア」なのさ、とただ単にそう言って済ますことも不可能ではないだろう。ただ、この視点からのアプローチは、問題の土俵をちょいと横にずらすに過ぎず、「では何が『アンフェア』なのか? 『フェア』とはどういう状態のことか?」を問題にしはじめることとなり、さらにまた隣に新たな土俵を作り、そしてまたさらに……というような無限の連鎖を形成するだけのような気がするのである。
 だから、もっとすっきりと素直に問えるアプローチはないものかと思案してしまうのである。

 最初に自分なりの他愛ないかもしれない「イメージ」としての土俵を、問題提起的に提示しておくと、『あしたのジョー』の「ジョー」は、あれほどに「力」と「強さ」とを競う闘いに命を賭けながら、結局、今風に言うならば「勝ち組」ではなく「負け組」で終わったことになるだろうという点。しかし、「ジョー」自身も、そして「ジョー」の生きざまを見せつけられたわれわれもまた、「負け組」なんぞという言葉にほとんど意味がなさそうではないかと納得させられただろうという点。さらに、「真っ白」になるほどに燃え尽きた生きざまそれ自体に、多くの者が「勝ち組」というようなランキング以上に価値あるものを見出したのではなかろうかという点。こうしたいくつかのイメージの諸点で構成される土俵なのである。
 いや、そもそも『あしたのジョー』のドラマ世界には「勝ち組」自体もまた存在しなかったのかもしれないと受けとめている。最終試合で「ジョー」にリングの上では勝利した「力石」にしても、いわゆる「勝ち組」として落ち着ける宿命にはなかったわけだ。「力石」もまた「勝ち組」で「あること」を渇望したのではなかったようだ。あえて言えば「勝ち組」と「なる」ことを志向しながら、やがて「なる」ことへ志向のみに自足しつつ、やがてターゲットの「勝ち組」で「あること」自体を放棄してしまうところまで行き着いたのではなかったかと思える。
 とするならば、このマンガは、「勝ち組・負け組」というまさにマンガチックな仕切り方なんぞを端っから寄せ付けない、そんな気位・気品の高さがあったと言うべきなのかもしれないのだ。

 だが、「ホセ・メンドーサ」(劇場版あしたのジョー2)の場合は、「勝ち組」で「あること」に執着し、「異次元の」強敵であるジョーとの悪戦苦闘の末、再度「勝ち組」にしがみつく結果として描かれた。
 しかしながら、「ホセ・メンドーサ」はリング上の悪戦苦闘の最中で、これまでに遭遇したことのないとてつもない「恐怖」に遭遇させられている。「勝ち組」として腕を高々と上げられた際の、まるで老人のようにやつれた顔と頭髪の白髪化が象徴的にに語るほどに、未知の恐怖に怯えることになったのだ。これは、映画『ロッキー』にもあったボクシング・ドラマの映像ではよく使われる論理、打たれ強い強敵の底知れないタフネスに恐れをなしたと、一応は言えよう。
 が、「ホセ・メンドーサ」を衝撃的に襲った恐怖の正体というのは、「ジョー」のように闘うために闘う、つまり「勝ち組・負け組」といった「状態」にはこだわらない者の場合は、いっさいの恐怖心から自由となって、それゆえにゾンビのごとくタフであり続けるという事実、それに対する底知れない驚愕だったのかもしれない。
 また、「勝ち組」で「あること」(「状態」)に執着する「ホセ・メンドーサ」には、その「勝ち組」ではなくなることで失ってしまうものの膨大さによって、恐怖が底なしに深まってしまうという、そんな必然的な心理構造もあったに違いなかろう。
 ここでは、かろうじて「勝ち組」らしきイメージが描かれたのではあったが、それはバラ色の「勝ち組」イメージなんぞではなく、不気味な恐怖によって脅かされるだけの「勝ち組」の姿でしかなかった。つまり、「勝ち組」という一般的にはポジティブな観念自体が揶揄され、退けられたに近い扱いを受けるのであった。

 「格差社会」とか、「勝ち組・負け組」時代と呼ばれるこのご時世が、グローバリズム経済、金融資本主義、急速に立ち上がったIT環境 etc. という舞台背景や大道具・小道具などの客観条件によって基礎づけられているのだということは想像しやすい。
 だから、『あしたのジョー』というようなアニメ・ドラマの、高がロマンでどうこうなるものなんぞではない、と訳知り顔で言うことはたやすいであろう。まあ、そのとおりかもしれない。だが、高がロマンと片付けてしまっていいのか、という気もしないではない。何かをヒントとして掴みたい気がしてならない。
 それで、自分が、この間、「力」や「強さ」という素朴なテーマに関心を向けていただけに、このテーマに引き寄せて『あしたのジョー』のロマンを反芻してみたかったのである。(「あした」に続く)…… (2007.04.03)


 昨日、『あしたのジョー』の世界では「勝ち組・負け組」というような「状態」を区別するごとき視点や基準が、蔑まれつつ退けられ、勝利しようと挑戦「する」ことが賛歌されていると書いた。「あした」にのみ生きようとする「ジョー」がその典型であり、「力石」もまた同様ではなかったかと……。
 それに対し、「勝ち組・負け組」というような「状態」用語基準で構成されていると思しき「格差社会」という現在状況は、まるで「おかしい」。
 「格差」是正を目指すと叫ばれ導入されようとしている方策が、「再チャレンジ」支援制度だというのだから、なおのこと「おかしい」ことになる。健全な社会環境にあっては、「再チャレンジ」なぞというのはあって当然の仕組みだが、ここに来て新たに導入されようというのだから、要は、既存の「格差社会」には「再チャレンジ」可能性が無いか乏しいという実に寂しい事実を裏書きしていることになるわけだ。

 「格差社会」の底辺には、一日の寝食にも困っている無職の人々や、ニート、フリーターたちが山積しているという。これらの人々にとって最も辛いことは何かといえば、空腹に耐えること、生命の危機にさらされていることなどいろいろとあろうが、何よりも、その「状態」から「這い上がれない!」という壁なのではなかろうか。「あした」がほとんどシャットアウトされた「状態」こそが、その人々にとっての最大の苦痛なのだろうと確信する。
 日銭の確保で奔走する者にとって、定職に就くということは「あした」を切り開くために不可欠な選択であろう。しかし、『ワーキングプア』( by NHK )で紹介された現実は悲惨に過ぎる実態であった。採用面談に向かいたいにもかかわらず、面談先の会社までの交通費がないために挑戦できないという事情、就職の話が進展しつつあっても保証人がいないために暗礁に乗り上げるという事情、さりとて生活保護を受けようと申請したならばハローワークへ通い続けて働こうとする意思を表明し続けなければいけない、というような現実に即さない対応が迫られる事情……。
 これらの事情は、現実の一端に過ぎないが、ここに来て急浮上してきたホットな用語、「ワーキングプア」という言葉の実態が示すものは、「再チャレンジ」が現実的には「封じられ」、「這い上がれない!」壁が張り巡らされている環境の苛酷さ、非人間性だと言わざるを得ない。こうして、「再チャレンジ」を「する」チャンスを削り取り、「格差」あるその「状態」を固定化しているのが現在の「格差社会」なのである。決して、どの階層とどの階層との間に所得などに関して「開き」があるというような単純な事実ではないのである。

 なお、「勝ち組・負け組」についても事情はまったく同様だと考えられる。本来、「勝つ・負ける」という事柄は、固定的なものではなかろう。だから、スポーツでもゲームでも、または賭け事でも人々が熱狂するのではなかろうか。「時の運」とはよく言ったもので、「勝負」は「未知数」以外ではないがゆえに、魅力があると言うべきである。
 ところが、「勝ち組・負け組」という言葉は、単に単発の勝敗で分かれたその双方を指しているわけではあるまい。そんなことは、いつでもどこでもあったことであり、ことさらこの時期に取り上げる道理はない。
 そうではなくて、現時点の社会での生存競争、生存闘争では、「勝ち<続ける>」組と「負け<続ける>」組とが、抗しがたく「固定化」してゆく傾向があること、この点に着目しようとしたのが、「勝ち組・負け組」という表現だったはずである。本来、「未知数」であるがゆえに挑戦「する」対象であったものが、固定化傾向の強い、維持され続ける「状態」へと転化しはじめたことを言わんとしているのであろう。
 これは、自由競争社会、民主主義社会を標榜している現代にあって、由々しい「病理」だと思えてならない。
 「病理」というのが誇張のように聞こえるかもしれないが、自由競争社会の発展可能性というものは、誰でもがチャレンジでき、また何時でも再チャレンジができる、そんな仕組みが社会に確保されていることに掛かっているはずである。
 ところが、人々のチャレンジ、再チャレンジの意欲が構造的に殺がれるとするならば、まるで八百長試合のスタジアムの末路と同様に、自由競争社会そのものが衰退して行くのではなかろうか…… (2007.04.04)


 すでに、「状態」として「勝ち組」で「ある」ことと、チャレンジ的に「勝ち組」になろうと「する」こと(行動すること)とは異なる、と書いてきた。また、「格差社会」の「病理」とは、本来、勝敗というものは「未知数」であり、そうであるがゆえに、「勝利」は明日の「敗北」可能性と一体化しており、決して「勝利」を「状態」として捉えることはできそうにない、というようなことも書いた。
 そして、にもかかわらず、「勝利」を「状態」視するかのような表現として「勝ち組」という言葉が流布していることについても触れた。「勝利」を「状態」視するということは、「勝ち<続ける>」可能性大という「状態」のことなのであり、それが成立しているのにはそれなりの背景や基盤がなければならないことになり、それこそが、「病理」的なインフラだと言うことができそうだ。

 ところで、「状態」を尊重し、「〜である」ことに重きを置くことと、チャレンジするなどの「行動」を尊重し、「〜する」を推奨することとの対比には非常に重要なテーマが潜んでいるようだ。昨日書いた自由競争社会の発展可能性というテーマもまさにここに位置するはずだと思われる。
 こうした重要な対比を見事に定式化したのは、<「である」ことと「する」こと>というふうに表現した思想家・丸山眞男(1914年 - 1996年)であった。
 丸山眞男は、『日本の思想』(1961年発行)における『「である」ことと「する」こと』と題された評論において、概ね以下のような立論を展開した。
 徳川封建時代のような「身分社会」を<「である」社会>とし、自由と権利を行使「する」ことで「近代化」を押し進める「近代社会」を<「する」社会>としたようである。たとえば、近代民法の観点からしても、法的権利というものは行使「する」ことによって実現されるのであって、法的には斯く斯くしかじか「である」としながらもそれを行使しない場合、つまり「権利の上に眠る者」を民法は保護しない、というような叙述を行ったのであった。そして、「である」社会から「する」社会への移行を説明するとともに、ひとつの社会の中にも「である」論理の側面と「する」論理の側面とが存在し、両者の関係の中で社会が発展すると分析したのだった。

 こうした丸山眞男の観点を参照するならば、現代民主主義社会は、明らかに「する」論理の側面が、公式的には優越した社会だと言わざるを得ないはずである。「である」論理の代表格ともいえる「身分の上下関係」なぞは否定されているし、一見、さまざまな自由な分野で、権利行使や参画、そして挑戦などが行われる「する」論理の側面こそが華やかであるかのような気配である。
 だから、公式的に喧伝される社会の表層だけを見ている分には、この社会はどこまでも自由で「開かれた」社会そのものであり、たとえ最下層の不運「である」者であっても努力を「する」こと次第ではいつでもシンデレラ・ボーイとして成功をおさめることができる、そんな社会だと見えなくもない。そう見ることを推奨するかのように、問題は個人努力次第なのだとか、個人責任だとかという言葉も繰り広げられている。
 事実的に、格差が乗り越えられずに劣悪な環境から抜け出せずに封じ込められる者が少なくない「格差社会」だの、「負け<続ける>」という「状態」の固定化(「負け組」)なぞは、まるで信じるに値しないかのような、そんな錯覚にとらわれてしまいそうである。

 だが、あえて言うならば、この国の現代社会は、「する」社会を標榜しつつ、「である」社会へと急旋回している気配が濃厚のようだ。その一つの表現が、「勝ち組<である>」と「負け組<である>」との分極化現象が指摘されている事実であり、その結果として生み出されている「格差社会」という事実なのだろうと推察する。
 ところで、この過酷で残忍な「格差社会」を方向転換させないならば、やがてこの「自由競争社会」は国内経済を根扱ぎ状態に食い潰すとともに、生活保護世帯を膨大な数に膨らませて国家財政をさらに圧迫させないとも限らない。「格差社会」というのは、その中の「負け組<である>」人々だけが苦境に立つわけがなく、社会それ自体が負のスパイラルを起動させはじめるものだと考えられる。簡単な例としては、相変わらず国内需要が伸びずにデフレの改善が思うように進展していない事実が注目されるべきかもしれない。
 ではどうすべきなのだろうか。
 多くの難問が立ちはだかっていそうだが、ここは、「格差社会」の貧乏くじを引かされようとしている一般市民、国民が、決して「負け組<である>」ことに諦念してしまわずに、「主権者<である>」ことを基点にした、その「権利を行使<する>」以外にはないのだろうと思う。時はあたかも、統一地方選挙があり、また参院選も控えている。
 まさに、この「タイトル・マッチ」を生かせないとするならば、国民にとっての「あした」は消え失せて、昨日、今日の苦境の生きざまが延々と続くのかもしれない。
 国民にとっての「あしたは、どっちだ?」…… (2007.04.05)


 最近は、運動不足解消のためにウォーキングの際には、両足首に1.5キロづつのウエイト(商品名:ソフト・アンクルリスト)を装着して歩いている。
 昔は、それに加えて、両手に鉄アレーまで携えてのウォーキングをしたものだったが、さすがにそれは腰への負荷が問題になりそうなので、今は足首だけの負荷で済ましている。といっても、決してラクラクというものでもなく、そこそこふくらはぎやら腿の筋肉が刺激されるようだ。
 事務所でも、朝と昼のウォーキングではそれを欠かさないようにしているから、これまでの土日のウォーキングと合わせれば、ほぼ毎日の日課ということになる。おかげで、夜、就寝する時には、脚に適度の疲労感を覚えるようになり、寝付きについても良い効果が得られているようである。
 また、喫煙に関しては、起床から午前中一杯の禁煙は今のところ継続しており、ほぼ二ヶ月が経過するところだ。以前にも書いたとおり、こんなかたちの「禁煙」がさほど良くないことは承知しているが、それでも喫煙本数が半減したのは確かであり、今しばらくこんなことを続けてみようとしている。

 とりわけ、我慢するというアクションを意識するようになったのは、決して悪いことではなかろうと思っているのだ。それも、自分の意志でする我慢というのは、ちょっとした「快感」かもしれない、なぞと能天気なことを考えている。
 外的条件や、他人さまの指図によっての我慢というのは、誰だって不平不満を持つものに違いない。わたしみたいな天邪鬼の場合は、特にそうした傾向が強そうである。
 ところが、自分で決めて抑制する自制というのは、気持に波風が立たず、その意味で極めて合理的な所作なのかもしれないと思わないわけではない。心に波風が立たないどころか、自尊心がくすぐられて、結構、自己満足感が湧き上がるようなので、これはこれで行けそうだと思ったりするのである。

 いや、何も些細なことである半日禁煙のことだけを言おうとしているのではない。人が物事を推進する際の原理としての、セルフコントロールとか、セルフサービスとか、自主運営とか、自治とか、そういった自身が参画するかたち一般が、ひょっとしたら非常に理に叶っているのかもしれないと再認識しているのである。
 「右肩下がり」としか言いようがないこれからの時代は、何かにつけて、「我慢」しなければならない事象が多くなりそうな気がする。個人、家庭、組織、社会などのさまざまなレベルで、財政難という言葉がどこからともなく聞かれはじめている時代である。そんな状況を打開するには、どっちにしても、従来どおりの欲求を質と量の両面で変化させなければならなくなるはずである。

 最もスマートな方法としては、人々の欲求の質それ自体が変革されることだろうとは思う。たとえば、食欲で言うならば、これまでは満腹感が最上だと見なされていた食欲の視点が、美味しさを腹八分という組み合せがベストだと感じられるようになったりすることである。ここでは量的視点が、質的視点に取って代わられており、しかも単に頭の中だけで了解されるのではなく、感覚自体がそうした方向へと変化しているはずであろう。
 多分、この食欲に関する変化は現在進行形なのであり、今後益々この傾向は鮮やかな足跡をたどることになると思われる。
 このように、さまざまな欲求が量的視点の条件付けから質的視点へのそれへと変貌を遂げて行くならば、我慢しなければならないかもしれないと予想される事態がいろいろと変わって行く可能性もありそうだ。
 ただ、「衣食足りて礼節を知る」ではないが、欲求というものが量的視点から質的視点へと変化していくことは並大抵のことではなく、時間も掛かるし、文化的なものの成熟も必要となり、そう簡単なことではない。

 そこで、またまた「我慢」という二文字が浮上してくるように思われるのである。その時、何か良い手立てはないものかと思うわけなのだ……。
 今、次のようなことを思い出した。
 二人の小さな子どもたちがいて、小さなケーキがひとつあるとする。そのケーキを、二人の子どもたちがどちらも不平不満で「我慢」することなくハッピーに分けるにはどうするか、という設問である。
 よく引き合いに出されたことがあるので、思い付く人も少なくないだろうが、答は、一人の子がそのケーキを二等分に切り、その後、もう一人の子にそれらの選択優先権を与えるということだったかと記憶している。確かに、こうした方法だと、文句や不満は出ようがなくなりそうである。どうもこの辺に、「我慢頻発時代状況」を打開する一つのヒントが隠されていそうな気がするわけなのである。
 これが仮に、二人のお母さんがケーキにナイフを入れたとすれば、たとえ均等な二分と見えても子どもたちは争い、ジャンケンをするにしても、結局、どっちかが「我慢」せざるを得なくなりそうだ。
 ところが、二人がそろって「均等分割作業」に積極的に参画する役を持ってしまい、なおかつその役というのが上手くバランスがとれていると、「我慢」という否定的なイメージが消失してしまうようなのである。

 もし、概ね「右肩下がり」の「我慢頻発時代状況」となる社会に、こうした聡明な運用方法が導入されていくならば、人々はずっと過ごしやすくなるのではなかろうか。これを考えるのが政治の役割りであり、そんな政治状況にたどり着くためには、「有権者」は現状の権利を精一杯発揮してこの泥沼政治にも参画せざるを得ないように思う…… (2007.04.06)


 あちこちの桜が綺麗に咲いている。ウォーキングコースを歩いていると、遊歩道の付近に植えられた桜をはじめとして、学校の庭の桜や民家の桜、そして近所の観音堂の桜など十分に目の保養となる。
 ただ、満開の桜がまるでテントを形づくり、その境内を覆わんばかりであった観音堂の桜は、今年は二本だけとなり、俄然寂しくなってしまった。境内にひしめいていた桜の古木は、この一年の間に大半が伐採されてしまったのである。
 あの狂乱じみた満開の光景とその雰囲気は、実に醒めたものに変貌してしまったようである。満開の桜の光景というものは、見る者をどこか夢幻へと誘い込み、多少とも、狂わせるような気配がありそうだ。だからその下で花見の宴会をするという慣わしは、結構、理に叶っていそうである。
 以前のような境内であれば、さしずめ天気も良い今日あたりは、町内の人たちが花見の宴会でも催すところであっただろうが、現状の寂しさでは今ひとつ盛り上がりに欠けそうだ。いかに飲兵衛の町内役員たちであっても、その醒めた光景の下で花見の宴会をやろうとは言い出せずにいるのではなかろうか。

 しかし、どうも現在の世相は、全体的に「醒めて」いるような気がする。だからと言って別に、あのバブル当時のような空騒ぎを懐かしんでいるわけではない。あれはまさに本物の空騒ぎであり、狂乱であったのだろう。
 「醒めた」現状をリードしているのは、一段と世知辛く、勘定ずくとなった世相なのだろうと思える。社会の隅々までもが、経営的なコスト計算で埋め尽くされているかのような雰囲気が漂う。
 伐採された桜の古木にしたところが、これは想像でしかないのだが、その木々が生み出す枯葉の清掃のコストが問題にされた気配がないではない。あるいは、縁(ゆかり)のある観音堂であるにもかかわらず、その土地の経済的価値が吟味されたのやもしれない。
 こうした想像を掻き立てるような世知辛い事例は、現在ではいたるところで目にするところである。当事者たちがどうこうというよりも、社会に張り巡らされた経済的原理の網の目が、当事者をしてそうせしめるのだと言うべきなのかもしれない。当事者が、自身の固有の想いを貫こうとすれば、経済的原理の網の目の方が、当事者に対して途方もない経済的負担を強いるのだろうと想像されもする。
 こうして、さまざまな価値観によって複合的に構成されていた生活環境全体、そしてその要素群が、ことごとく経済的価値指標で分解され、再構築され尽くされようとしているのであろうか。

 こんな現象とその原理については、何も今さら気づくことではないわけで、商品交換社会、市場経済が立ち現れた時からすでにそうした流れは出来上がっていたはずではあろう。
 だが、ここへ来て、その流れは急速に加速され、緻密化されたと感じざるを得ない。どうも息苦しいほどなのである。経済的原理が行き届きやすい都市空間であるからそうなのだとも言えようが、それにしても息苦しさが頂点に達していそうだ。
 そんな息苦しさの空間に、昔ながらに「夢幻」と「狂おしさ」とを漂わせながら咲き乱れる桜の姿は、やはり感動なくして眺めることはできそうにない。桜自体は、この「醒めて狂った」人間社会の「くそリアリズム」を、一体どんなふうに眺めているのであろうか。ひょっとしたら、哀れなことだと嘆き悲しんでいそうな気がしないでもない…… (2007.04.07)


 こんなことだろうと予想はしていたが、東京都知事選挙は、現職の石原氏に軍配が上がりそうだ。NHKの午後8時の報道によれば、出口調査などからのシミュレーションでは既に50%台の得票となっているらしい。
 わたしの身近な者たちは、とにかく石原氏には辞めてもらいたいという意向が強かった。都知事としての言動に、一言で言えば「傲慢さ」が満ち満ちており、社会全体が弱者に過酷さを加えはじめている現状にあって、「傲慢な」姿勢による荒っぽい行政はとても支持できないという思いのようであった。

 確かに、「格差社会」の現実がジワジワと強まっていそうな状況にあって、生活により密着する地方自治においては、目線を低くした観察、洞察に基づくきめ細かい行政が必要なのであり、そうした「旗印」や理念こそが求められていたはずではなかったか。
 だが、社会と時代に色濃く刻まれはじめた「格差」という現実の問題は、どうも投票行動に直には反映して行かなかったようだ。
 想像されるのは、今までと同様に、「格差」のような「割を喰っている」人々自体が、「格差」の現実で明らかに得をしている者たちの厚かましく傲慢な空気作りによって飲み込まれてしまったということであろうか。
 錯覚することや、事実誤認もまた自由の行使のひとつには違いないわけで、自らの身体に突き刺さってくる刃に、間接的に力を貸して加担して行く姿を想像することは、やはり切ない思いとなる。聡明さを欠落させた自由の行使を、確実に頼りにしている連中がいるのであり、そのことが情けない。

 「格差社会」というものは、何も、経済的に不利な条件のみが固定化していく傾向のことを言うのではなく、そのことをベースにしながら、さまざまな生活条件と身の回りの環境を劣化させて行き、思考や判断そのものにも足かせを形成する結果となりそうである。こうした事実はつぶさには知らしめられてはいないが、この国の近未来の手本である米国の現実には、こうした貧困層の全面的袋小路状況が現れているようである。これがまた、政治的な「固定化」を助長しながら、「格差社会」の壁をますます這い上がれない強固なものとするわけだ。
 経済的に下層であることを強いられた階層が、そうした社会の改革を望まないわけではもちろんないが、かと言って、自然に社会改革の流れを支持して行くわけでもなさそうである。従来の調査や研究結果からも、こうした階層がややもすれば現体制を強固に支持したり、さらには「右傾的」な強行政治を支持する側に回ったりすることが十分にあり得るようだ。その理由は、こうした階層に落ち込むならば、視野の広い冷静な判断が狂わされて、情動的な扇動にも乗りやすくなるからなのであろうか。

 こんなことを振り返ってみると、今回の都知事選挙についても、石原氏の「リーダー・シップ」という謳い文句が気になったものであった。本来、「リーダー・シップ」というものは、「フォロワー・シップ」という言葉と対になった言葉なのであり、リーダーの「リーダー・シップ」を上手く発揮させたり、コントロールしたりする被指導側の積極的な姿勢なり対処なりがなくてはならないものだとされているのだ。
 しかし、どうもわれわれは「リーダー・シップ」を単独で云々する風土に慣れてきたようであり、「お任せ」スタイルが罷り通っている嫌いがないではない。そんな風土では、「リーダー・シップ」というニュアンスは、勢い「専制的」スタイルと区別ができなくなったりするのであろうか。
 政治家は、少し「やんちゃ」な位がいい、それが強力な「リーダー・シップ」を発揮することになるから……、という「大きな誤解」が罷り通るその温床となっていそうである。
 石原氏のこれまでの「傲慢な」姿勢は、「お任せ」スタイルの都民の目からは、「やんちゃ」な「リーダー・シップ」だと大目に見られたり、いやいやそれが強力な「リーダー・シップ」というものだと勝手に誤解されたという背景があるのかもしれない。
 たぶん、石原氏や、自民・公明の権力者たちは、「お任せ」スタイルの民が未だに多いこと、さらにそうした民の若手層を助長することは今の社会体制ではそんなに難しいことではないと高を括ってきたし、いるに相違あるまい。嘗められたものである、有権者たちは…… (2007.04.08)


 先週金曜日、思いがけないTV番組が放映された。あの『鬼平犯科帳』である。しかも、再放送ではなくて新作、いやリメイク版であった。
 自分も時代劇ドラマには目がない方であるが、おふくろはわたしに輪をかけた時代劇ファンであり、先週、雑談をしていたところ、
「『鬼平犯科帳』がまたはじまるらしいね……」
と、とんでもないことを口走ったのである。自分は思わず、ええっ! と驚嘆したものだった。
 どうもおふくろは、フジテレビの予告でそれを知ったようなのだ。
「またはじまる、って、新シリーズがはじまるっていうの?」
と、自分はそんなことはあり得ないと思いつつも、おふくろに尋ね返したりした。

 というのも、TV放映の『鬼平犯科帳』は、池波正太郎の同原作をすでに全編の番組化を完了してしまっているし、聞くところによれば、後半に至っては、制作側が「役者の劣化(?)」に悩み、それを押してどうにかエンディングにこぎつけたらしいのだ。つまり、同番組の水準の高い制作側は、不本意ながら制作打ち切りとせざるを得なかった事情があったようだからなのである。
 「役者の劣化(?)」というのは自分もつくづくと感じていただけに、この期に及んで「箸にも棒にもかからない」ような若手役者たちを無理矢理「流用」して、新シリーズなんぞを手掛けるはずはなかろうと、自分は妙に納得していたものであった。
 そこで、確認をしてみると、やはり、おふくろの早とちりであり、「単発のスペシャル番組」の放映だということがわかったのだった。

 しかし、それにしても、10年、20年、いや中を取って十数年のご無沙汰ということである。懐かしくないわけがない。調べてみると、同TV番組は、89年7月12日〜98年6月10日の間に133作品が放映されたということである。
 自分はというと、放映当時の番組を欠かさず観たというわけでもなかったが、番組終了後ににわかに「再評価」の念に至り、結局、DVD版をすべて入手する「偉業」を成し遂げたのであった。以来、疲れや気分の落ち込んだ日は夜な夜な「鬼平鑑賞」で元気と正気とを取り戻したりしてきたものである。
 『鬼平犯科帳』は、もちろん、池波小説としての原作も十分に堪能できるものである。だが、やはり江戸の風情をビジュアルに楽しむことができるTVドラマは、ひとたび魅了されてしまうと、離れ難くなってしまう味を持っていた。上記「偉業」を成し遂げてしまったのもそれゆえにである。
 中村吉右衛門をはじめとして役者たちが実に上手い。それぞれの役どころが、役者たちの持ち味によって巧みに構成されていて、なおかつ自然さが醸し出され、全体として江戸の粋な空気を上手く再現している。手放しで観ていても、決して警戒心が呼び覚まされるところがないのだ。
 また、カメラ・ワークも実に達者だと感心してきた。
 時代劇の撮影というのは、時代考証もさることながら、実にいろいろと難しい点が少なくないと思われる。ロケでは、現代風景ではないスポットをロケ・ハンティングするのも骨が折れるはずであろう。鉄塔であるとか、電線であるとか、コンクリート壁などが不用意に画面に入ってしまっては本も子もないからだ。
 それでは、視界を狭めてしまえば良いかといえば、そうしてばかりいたのでは圧迫感に支配されてしまうし、観る者に時代の空気を生き生きと伝えることはできまい。
 その点、『鬼平犯科帳』のカメラ・ワークは無理のないかたちで情景を上手く切り取っていると、常々感じさせられてきたものだ。その手法のひとつは、当該人物たちが話していたり、争っていたりする場面を撮る際に、その場面をストレートに撮ることを避け、必ずといっていいほどに、その場面を遠景としながら、前景に時代を表す格子戸やら、灯篭やら、暖簾やらといった小道具をあしらうという手法なのである。この手法に意を向けて観ていると、この手法が実に効果的にかつ頻繁に採用されていることがわかるのだ。これは、作られた架空の舞台でありながら、そこはかとない現実感を生み出しており、観る者をリアルな舞台へと引き込んでしまうかのようでもある。

 さて、今回の十数年ぶりの作品であるが、「鬼平」通としては気になるところがなかったわけでもないが、先ずは無難に挑戦したと言えようか。
 無難という評価の基準は、ほかでもなく、「原本」とでも言うべきかつてのシリーズにどれほど近い世界が再現されたか、ということ以外ではないはずだ。今さら、どこか「新しい」「鬼平犯科帳」なんぞ誰も望んではいないに違いないのである。鬼平ファンたちの脳裏に焼きついた光景が、途方もない年月である十数年経った今、いかほどにリアルに再現されたか、という無茶苦茶な要求が今回の挑戦のすべてではなかったかと思われる。
 これはあたかも、よく雑誌の末尾に付属する「間違い探し」の二つの絵のようなものなのかもしれない。さて、どこが「違って」いるでしょうか、というふうにである。
 考えてみれば、出演者たちにとってはかなり残酷な仕打ちであったに違いなかろう。惜しくも亡くなった「彦十」役の江戸家猫八があの世から戻って来ることは不可能だったにせよ、まあ、さすがに名役者たちであり、きわめて上手に十数年前に立ち返り、そして当該舞台の江戸時代にタイムスリップしたかと思われる。これが、「無難」な出来だったという辛口評価の中身なのである。
 しかし、よくよく考えてみると、今なぜこうした「挑戦」がなされたのか、という点なのである。それが気になるといえば気になった。往年の鬼平ファンに応えようという「善意」の趣向はよくわかる。だが、今ひとつ「悪意」とまでは言わないにしても、「挑発的」な意味もないとは言えないのかもしれない。つまり、昨今、ますます「劣化に劣化を重ねる」時代劇ドラマとその出演者たちに、「喝!」を入れ、何らかの「覚醒」を及ぼさんと……。まあ、それはないかなぁ…… (2007.04.09)


 今朝は「寝覚めが悪い」思いをして起床した。
 といっても、文字通りの意味、つまり眠りからさめたあとの気分の悪さを引きずった(寝ぼけた)ということであり、世に言う「自分の行為を後になって気にして後味がよくない」(広辞苑)ということではない。
 家内がまた実家の母親のケアに出かけたため、ついつい夕べは気ままに酒を飲み、しこたま酔って寝入ってしまった。それで今朝は、目覚まし時計を無意識に切って寝過ごし、その後中途半端な時刻に飛び起きることとなってしまった。
 いわゆる「睡眠周期(90分)」が「満了」とならないうちに「強制終了」を掛けてしまったということで、それが災いしたのか「寝覚めが悪い」思いを背負ってしまったというわけであった。
 いつもならば、当然のことながら起床と同時に時間感覚が瞬時にフィードバックされるはずなのに、休日の夢でも見ていたからなのか、休みの日の朝のような印象があったりして、混乱気味となっていたのである。要するに寝ぼけた状態がしばし続き、昨夜の状況がすぐには思い起こせないという情けないボケ状態だったのである。

 そうこうしているうちに、無事、昨晩のことを順次思い起こすに至った。昨晩は、どうせ家内も不在だと思い事務所で遅くまで仕事をしていたのだった。帰りのクルマの中のラジオでは、確か桜にまつわるドラマ(坂口安吾の『桜の森の満開の下』を題材にしていたかのようだった)を聞くとはなく聞いていた。帰宅をしたのが10時近かっただろうか。空腹であったがとにかくビールを飲みはじめ、冷蔵庫から佃煮やら残り物を取り出して、いつしか酒も加わることになっていたようだ。だいぶ急ピッチで飲んでいたようである。TVでは、どんな脈絡なのか疑問なしとはしなかったが、松田聖子のドキュメンタリーなんぞが映っていた。
 それで、ほろ酔いになったところで、風呂に入ったはずである。入浴後、そのまま寝床に向かい、どうも居間のパネル・ヒーターをつけっ放しにしていたようで、その事について息子がメモに残し、注意を促してもいた。
 寝床で、再度、TVをつけた時、筑紫哲也の「多事争論」が映っていて、石原都知事の着任早々の発言(阪神淡路大震災では首長の決断が遅れたために2000人もの余計な死者が生じた……)は、石原氏独自の短絡的な判断であり、地震対策の環境整備が二の次にされてはならないだろうと冷静な見解を示していた。そして、TVを消していつの間にか眠ってしまった……。

 まるで、事情聴取を受けた者が、記憶を辿って前夜の足取りを語るような調子となってしまった。最近は「物忘れ」を気にしてのことか、思い出しにくいことがあると向きになって思い出そうとするかのようである。たとえば人名などの場合は、かなり執拗に追跡してしまう。で、こぎつけるとホッとしたりしているのである。
 まあ、人は誰でも加齢の結果、大なり小なり小さな「脳梗塞」の形跡が生じるらしく、それもあってか「物忘れ」という嫌な症状が生まれるようだ。脳科学者たちの意見だと、こうした症状に対してはやはり「抵抗」するのが正しいようだ。先ずは、何とか思い出そうと努めることが、脳内の血の循環を促進させ活性化させるからのようである。

 それはそうと、今ひとつ注意を向けたいのは、自身の行動スタイルに対してである。意識や記憶に残らないような行動スタイルを避けるということなのである。どうしても、歳をとると、ラクして物事を済まそうとしがちである。誰しも人は、あえて汗をかくような苦労をしないものだが、歳をとると経験的知恵が働いたりしてなおのこと「エコノミカル」なエネルギー消費を目指してしまうもののようだ。そうなると、ラクした分は、忘れ易くなるというものであろう。
 たとえば、単に道を歩く場合でも、周囲の環境の光景に注意を払おうとはしない。高を括ってしまいがちだ。この辺のことは全部承知しているし、変わったことなんぞ起きるはずもないんだから……、と。実は、本当にそうであるかどうかは別にして、そう決め込んだ方が、要するに気分的にも、身体的にもラクなはずである。つまり、ラクを目指して、観察力を放棄し、緊張感を不必要だとしているのかもしれない。とすれば、そうして周囲を黙殺して歩いた後で、周囲の光景や景色をありありと思い出そうとしても、土台ムリだということになりそうである。
 万事がこんな調子なのではなかろうか。しかも、これは、年寄りに限られたことでもなさそうである。子どもたち以外の大人たちは、大なり小なり、こんな行動スタイルを採用することによってエネルギー消費を抑制し、その結果、記憶量の抑制をも果たしながら、ひたすらラクであることに流れ込んでいそうではないか。

 その上、情報化時代の生活環境というものは、身体を動かしたり、対人関係に伴う緊張感を持つというようなラクではないことをどんどん追放している。人々はラクをしたがっているのだから、それを情報関連技術を駆使して肩代わりしてあげることは十分に商品価値を持つためである。居ながらにしてはもちろんのこと、寝ながらにして事を進めることが可能な時代環境だとも言えそうである。
 で、こうなると、日常生活のいろいろな行動が、どれほどにしっかりとした痕跡を記憶に刻むことになるのだろうか。そうした心配までしてしまうのである。
 ITによって、生活全体の現実に占める「仮想」的現実、この中にはTVやネットをはじめとするさまざまなメディア環境が含まれるが、これらがわれわれの生活行動と切り離せなくなってきている。この事実から、人々の意識の中で、「仮想」と現実との区別が曖昧となり、それが奇異な犯罪の原因だと言う人もいたりする。
 それはおくとしても、情報化時代の生活環境の中での人々の記憶というものは、かつての社会でのそれとはかなり異なった様相を持つようになったのではなかろうか。
 身体的実感を返してくる従来の「そのまんま現実」と、情報によって専ら脳への刺激としてのみ伝わってくる「仮想」的現実とは、人々の記憶にどんな差異をもたらすのであろうか。そんなことが気になった…… (2007.04.10)


 今頃がスズメたちの巣作りの時季なのであろうか。
 事務所の外階段と壁とのほんのわずかな隙間付近で、スズメたちがチュンチュンと騒いでいた。そこは、昨年の秋頃にも、スズメたちが巣作りをしていた覚えがある箇所であった。
 確かに、ビルの壁と鉄骨の階段との接合部に、3センチ幅で高さ10センチほどの隙間があり、その奥はどうなっているのかわからないが、どうも空洞になっている感触もある。人間の目からも死角に当たるし、カラスなどの獰猛な野鳥たちとてそんなに狭い箇所であれば手が出せないはずだ。そうした点では、スズメたちは安全な場所を探したということになるのかもしれない。
 ただし、ちょいと騒ぎ過ぎているのは迂闊だと言わなければならない。今朝も出勤して来た時に、大騒ぎをしていたのである。その当該箇所付近から、ニ羽ほどのスズメが鳴きながら飛びたち、そして一羽は隣の家のひさしに停まって、まるで「気づかれちゃったかな?」とでもいうような素振りでわたしの方を窺っていたようなのである。
 そりゃあ、そんなに騒いでいたんじゃ気づかないわけはないんじゃないの、とわたしはそのスズメの方を見ながら思ったものだった。
 「別にいいんだよ。精々がんばってみなはれ……」と励ましてやりたい気分でもあった。こんなスズメたちが何をしようといかほどのことがある。人間界の傲慢で厚かましい連中が、カネと権力の亡者となって、大掛かりな弱肉強食路線を欲しいままにしている実情に較べれば、高が知れているどころか、そんなに弱小な生きものとて元気に生きようとしているという姿が生み出す光景は、大いに意味のあることのように思えるのだった。

 それにしても、この時代環境は、カネと権力を笠に着る風潮が野放し状態となっていそうな気配である。言うまいと思えども、つくづくそう感じる。そして、もう片方のカウンターサイドが実に生彩さを欠いてしまっている。スズメたちのように騒がなくなっているのが実に情けない。で、またまた言うまいと思えども、貪欲な商業主義に徹し切っているマス・メディアのお為ごかしや、インテリジェンスを羞恥心もなく金儲けだけに注ぎ込んでいるかのごときエセ知識人たちのお粗末さに対して大いにストレスを禁じえない。
 まあ、こんな感情を露呈する自分も情けないとは思うが、正直言って、一体皆様は何を朦朧としておられるのかと居ても立ってもいられない心境にもなる。

 ひと昔前、いかがわしい宗教集団の企てが、「洗脳」という言葉を巷に持ち込んだが、現状のこの日常生活環境には、とっくに「洗脳」的仕掛けが張り巡らされてしまっているかのようである。決して、薬物使用なぞという物議を醸す手段の行使ではなく、人々の健全な気分をジワジワと腐らせることによってそれは仕掛けられているのかもしれない。もちろん、その風潮に多大に「貢献」しているのがマス・メディアであろう。
 いつも書いているように、現状のマス・メディアは、「不作為の作為」という犯罪的選択を重ねながら、人々から前向きな姿勢や希望を奪い去っていると言える。
 つまり、マス・メディアにおける罪とは、誤ったことを報道したりすることだけでは毛頭ないはずなのである。もっと建設的に、報道すべきこと、報道した方が良いはずのことを、リスクを負ってでも報道しなければならないところを、涼しい顔をして差し控えるという選択もまた、重罪だと言いたいのである。言うまでもなく、これは決して法的な犯罪ではないし、厳しい非難を受けるような類の不始末でもない。要するに、涼しい顔をして知らんぷりをすることが十分に可能なのである。そして、それにあぐらをかいているわけなのである。

 しかし、情報化時代の現況は、果たしてこうした「従前の寛容な常識」とマッチしていると言えるのであろうか。そんな疑問が沸々と沸き起こってくる。
 「知る権利」という言葉が知られてから久しいが、この言葉の意味するところをもっと時代環境に即して適切に考えてみる必要がありそうだ。
 ちょっとした例え話をしてみたい。われわれが、医者に行く場合のことを想定する。医者に診てもらおうとするのは、患者側に何か異変を感じるものがあるからだが、患者はもちろんその道のプロではないわけだから、アバウトな症状しか訴えられないし、病名なんぞは当てずっぽうにならざるを得ない。
 こうした場合、医者は、患者側の自覚症状や当てずっぽうな病名の近辺だけを診断して、それで済まして良いものであろうか。もちろん、全く関係のない病名を口にするような誤診ともなると医療責任が問われるのは言うまでもない。しかし、当該患者の真の病巣を突きとめられず診断を終えてしまう場合には、一体どういう責任が問われることになるのであろうか。患者が自己診断したことに直結する部分にのみ診断を下して、「ちょっと様子をみてみましょうか」では無責任過ぎるのではなかろうか。

 自分が仮に医者であるならば、患者の自己診断は自己診断として、それに関係するあらゆる周囲の部分の検査をも行い、言ってみれば「積極的」な診断に至るまで追及しなければ責任を真っ当することにはならないと思うだろう。
 現代の病は、社会の複雑化を反映し精神的な要素も複雑に絡み合って、簡単には病原を突きとめられない状況に至っているのかもしれない。だとすれば、求められている医療レベルは、より高度で複合的な検査と診断ということになるはずである。患者が目を向けている単純な自己診断に対応するだけではあまりにもイージーであろう。
 だが、患者の身体を、時代や社会に置き換えてみるならば、その場合のそれらの診断を担うもの一体だれであろうか。わたしは、知識人たちや、マス・メディアが相当するのではないかという見当をつけたい。
 とすれば、現代人の身体と同様に、複雑な条件下に置かれている現代の時代や社会の真の問題を探るには、絶対に、通り一遍のことでは済まないはずであろう。まして、お茶を濁す水準は犯罪的であり、また、時代の要求に沿うべく視野と深さとを兼ね備えた「検査と診断」とを行うことは、あればあったに越したことはないというおまけではなく、必須なことではないのか、それを怠れば責任が問われる筋合いのものではないのか、とそう考えたいのである。
 これが、国民の「知る権利」という視点が提起した現代的な水準なのだろうと考えるのである。決して理想論を言っているのではない。この水準に現実が追いついていないどころか、責任を放棄してえげつない商業主義に邁進しているからこそ、出口の見えない社会状況の悪化が進み、「絶望的な」社会風潮が繰り広げられているのではなかろうか…… (2007.04.11)


 今朝のTVは、米大リーグでの松坂(レッドソックス)対イチロー(マリナーズ)への注目で賑わっていたようだ。確かに、日本人にとっては、本場の大リーグで日本のヒーロー同士が対決するという状況は興味津々となるし、日頃のムシャクシャした気分を一瞬の間一掃して熱くもなるものだろう。自分としても、興味がなかったわけではない。
 だが、ちょっと驚いたのは、昨夜であったかあるニュース番組が、異例の場面を報じていたことであった。米政府報道官が記者たちの前で、のっけからこの「対決」のことを話題に取り上げていたのである。米政府は、現在そんなに余裕のある立場なのであろうか、イラク・イラン問題もあれば、北朝鮮の核問題との関係での金融凍結解除問題もあるはずである。何を呑気なポーズをとっているのかと訝(いぶか)しく思えたものであった。が、むしろ逆に、これが現在のエスタブリッシュメントによる「マス・メディア操作の定石」なのかもしれないと感じたりしたものだった。
 おそらく、こう書いたところでこんな感想に共感する人はほとんどいないだろうと想像している。どうしてスポーツの楽しいイベントに皆が熱狂したり、そのことに賛同するかのような政府側からのコメントがいけないの? というふうにである。
 もちろんいけなくはない。いけないと言おうとしているのではなく、よくやるものだと感じてみたり、こうやって人々が現実の不安に醒めた目を向けることをはぐらかすんだよなと思ったりしただけのことなのである。
 自分が若干気になっていたことは、今日あたり、この国の国民にとっては、ちょいと大きな政治的問題が懸案となっていたはずではなかったか、という点なのである。「憲法改正の手続きを定める国民投票法案」のことである。

<国民投票法の成立確実に 与党修正案、13日に衆院通過
 自民、公明両党は11日、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案について、12日の衆院憲法調査特別委員会で採決し、13日に衆院を通過させる方針を決めた。参院での民主党との修正協議は想定しておらず、安倍首相が目標とする5月3日の憲法記念日までの成立をめざす。これにより、同法の今国会での成立が確実になった。……>( asahi.com 2007.04.12 )

 この「法案」は「手続き法」だとはいうものの、当然のことながら「憲法改悪」の実現をし易くするための多くの「仕掛け」が盛り込まれている危険なものであり、その点は、良識ある有識者たちの多くが指摘するところなのである。だからこそ、現安倍政権(と米政府)が御執心となっているのだと言える。
 ところで今、括弧書きで米政府と書いたが、そもそも、今なぜ「憲法改正」なのか、そのための「国民投票法」なのか、というならば、要するに、「日米安保条約」から押し進められてしまった「新ガイドライン体制」という日米軍事同盟関係の最終的仕上げをしなければならないからなのであり、そのためには「非武装中立」を謳う憲法を是が非でも書き換える必要があるという、米国自体の理屈が働いているからなのである。これは、日本国民自身が今切望していることなんぞではないのだ。米国政府、米軍の戦略そのものが志向していること以外ではないはずである。

 ここではこの理屈の詳細を書く余裕はないが、日本の自衛隊が米軍と一体となって海外で軍事力行使を展開することや、そのために日本の国家機構、地方自治体、民間などの軍事行動への動員体制を確立するためには、現平和憲法は邪魔だと見なされているわけなのである。つまり、現在進行中の「憲法改悪」の動きの震源地は、米国自体だったと言うべきでろう。だから、冒頭での「米政府報道官」云々に注意を向けたのでもあった。
 これまで、現在の日本の政治・経済動向がことごとく米国によってシナリオが書かれており、自民党現政権が素直過ぎるほどにそれを履行している状況は公然の秘密とされてきた。もちろん、マス・メディアは、信じ難いことだが、保身一筋のためにこの点を完璧に伏せてきた。が、ようやく最近この辺のリアルな事情が明るみに出るようになってきたようであるが、片や、米国による「仕掛け」の骨組み作りの大半も完了しつつあると言えそうだ。「憲法改悪」の実現にまで至れば、ほぼパーフェクトに日本は日本でなくなることも予想されるのではなかろうか……。
 ではどうして、こうした事態にまで来てしまったのであろうか。いろいろと分析することはできるかと思う。その一つでしかないが、マス・メディアが国民の期待を裏切り続けてきたことは否定できないのではなかろうか。

 自分の直感では、現代の支配勢力によるマス・メディア操作の特徴は、「さり気なく有効に!」という点にあるはずだと見ている。つまり、真実を作為的に隠蔽したり、真実を明らかに歪めた報道を促したりという物議を醸す手法は極力抑制するのだ。バレたら命取りになるリスクもあるからだし、国民の意識操作においては、そんな強硬手段を講じなくとも有効な方法はあり得ると踏んでいるはずだからである。
 いわゆる「子ども騙し」の方法と言ってよいのだろう。小さな子どもが、何かに怯えたりした時、怯えの対象を取り除いてやれれば一番良いのに決まっているが、それができない時に大人たちがやることは、子どもの注意を逸らすことであるに違いない。その子どもが日頃興味を持っているものを、これ見よがしに、かつ矢継ぎ早に見せつけ続けるという対応である。この対応は、よほど意志が強いか、執着性のある子どもではない限り、大抵の子どもはいつの間にか怯えていた事さえ忘れてしまうものであろう。
 これと事情はさして違わないのではないかと思う。現代の支配勢力は、国民諸氏に対して何でも提供できる力を持ったマス・メディアをフル活用しながら、国民の注意をうまく逸らしたり、はぐらかしたりすることが可能だと推測される。
 これまでにも、こうした「逸らし、はぐらかし」の事例がなかったことはない。ただ、従来は、国民的関心を「有効に」逸らすほどのイベントやメディアに乏しかったためか、松本清張が関心を持ち続けたような「大事件」(ex. 偽装自殺、薬物大量殺人 etc. )などが引き起こされるといった物々しい仕掛けが伴っていた。
 しかし、現代という「豊かな社会」にあっては、国民の関心や注意を惹く対象は、溢れるばかりにあるわけだ。次から次へと新製品がリリースされる消費市場もあれば、飽きさせることがない娯楽、アミューズメント環境があり、そして人々がこぞって熱狂できるプロ・スポーツがある。しかも、これらと国民各位とを繋ぐマス・メディアは、まるでボリューム・コントローラーのように、影響力の増幅度合いを自在に調節できるかのようである。

 どうも、この辺の現代特有の事情を加味しなければ、目の前に展開している「奇妙な現実」は理解し難い。爛熟した情報化社会のただ中で起こっている人々の意識状況が、もっとさまざまな角度から分析、研究される必要を痛感する…… (2007.04.12)


 <米経済、軟着陸に向かう>とは、G7のためにワシントン入りした福井俊彦日銀総裁の発言だ。( NIKKEI NET 2007.04.13 ) 事実がそうだかどうだかはわからないが、日銀総裁としてはそう言うしかなかろう。<2月末から3月にかけて起きた世界的な連鎖株安>の正体は、今のところ誰にもわからないと言うべきなのかもしれない。

 ところで、ほぼ確実に言えることは、現状の市場原理主義経済にどっぷりと嵌ってしまい、米国の「パシリ」役を買って出ているこの国の将来は「どんなに危ういものか」ということだろう。
 政治・経済と文化で戦後半世紀にわたり「パシリ」役を務めてきた上に、図体が一丁前になってくると、親分だか兄貴だかは申し渡すに違いないわけだ。
「おめえも、いつまでも昔の過ちゆえにドスは持たねぇなんぞと綺麗事言ってちゃまずいぜ。組の看板も、今は安泰てぇところだが、この先はどうなってゆくかわかったもんじゃねぇのよ。昨今は新参の組があちこちに縄張りを張りはじめて、BRICsなんぞと息巻いていやがる始末さ。
 だからよ、ここいらでおめえも晴れてドスなりハジキなりを振り回す覚悟を決めて、組の隆盛のためにひと踏ん張りもふた踏ん張りもしてもらわねぇとな……。もちろん、おめえっちの骨はしっかりと拾わせてもらうつもりだぜ」
 ♪てなこと言われてその気になって……♪ という事情が目に見えるようだ。そして、その陰で、もっぱら、泣きと我慢の日々を強いられる者たちの悲惨さもありありと浮かんでこざるを得ないというところである。

 どっちにしても、庶民は、この「泣きと我慢の日々を強いられる者たち」に属することは避けられようはなかろう。もちろん、今からでも遅くはない、こんな前途のない「パシリ」路線に見切りをつけて、男一匹、お天道様に顔向けできる真っ当な生きざまを選び直そうと力むことも不可能ではなかろう。
 しかし、そうした腹を決めるほどには、つくづくと思い詰めていないのが、どうも「パシリ」人生が骨の髄まで染み込んでしまったこの国の実態であるように思われる。何だかんだと言いながらも、「パシリ」の旨みを有り難くもしっかりと享受してきた者にとって、この路線を今さら返上することは、頭ではわかったとしても、身体が納得できないという哀れなことになっていそうだ……。

 とまあ、あまり「自虐的」になり過ぎるのもどうかと思われるので、庶民としてはささやかな、新たな一歩を踏み出すべきなのであろう。
 今日、次のような文面に出会った。

<大切なのは、「幸せって何だろう」という考え方の転換です。ヨーロッパ大陸の人たちのレジャーって、なんにもお金使わない。家族でピクニックとかに行くんですよ。街角ではカフェのオープンテラスでおじいさんが、カフェオレ一杯でぼうっとしています。最近、それが幸せなんだということに、日本人も気づきはじめたんじゃないでしょうか。テーマパーク的な、高級レストランのフルコースのようなセッティングされた幸せもいいとは思います。でも、お金がなくても気のおけない仲間が集まって、家庭料理を持ち寄り、思わずにこっとほほ笑んでしまうような会話のある時間が本当のぜいたくだと思うんです。>( asahi.com 「どらく」より )

 とあるサイトでの経済アナリスト・森永卓郎氏の発言である。同氏は、華も実もないのが定石の経済アナリストの中では、低い目線の実感でものを言う評論家の一人であろう。 それで、意を強めるように思ったのであるが、今後の庶民のサバイバルは、この路線でしかなかろう、と。つまり、「生活感覚改造」、略して「生感改」、さらに略して「生改」、駄ジャレて言えば「正解」ということだ。
 要するに、市場原理主義経済だ、グローバリズム経済だと、物々しく張り巡らされてしまった巨大な縄張り世界でサバイバルするためには、先ずは、その縄張りに即して「勝ち組」に入ろうなんぞと微塵とも考えないことが肝要なのであろう。「ハゲタカ」縄張りの世界で「勝ち組」に成るということは、どう考えても「ハゲタカ」に与することとならざるを得ず、そればかりか「ハゲタカ・チルドレン」に成ることを辞さず、その結果より大きな同種の餌食に成り果てること以外ではない、と予想しなければならない。
 それでもいい、と納得できる者はもちろん自由である。だが、どうもちょっと違うなあ、と訝しげに感じる者は、可能な限りこの「ハゲタカ縄張り世界」に冷ややかな目を向け、冷ややかな対応を粛々と推進して行くのが、「正解」、「生改」、「生活感覚改造」の主旨だということになる。

 上記、<「幸せって何だろう」という考え方の転換>が、スムースに推進できる者は、「幸せである、天国は汝らのものなればなり」ということになるが、これがなかなか難しいと想像される。それが、上述した「『パシリ』の旨みを有り難くもしっかりと享受してきた者」すべての宿命のはずだと思われる。
 だからこその「生活感覚改造」運動というような国民的運動がクローズアップされなければならないわけである。どうしたら、もはや厳然としてでっち上げられてしまった「ハゲタカ縄張り世界」にあって、素知らぬ顔、涼しい顔をして人間らしく生き抜いて行くのか、そのハウトゥと手練手管とを何としても見出し、一刻も早く達人となって行かなければならない。自分も、このサバイバル路線の掘り起こしに意を傾けたいと思っている。
 いや、現にそうした運動を自然にかつ地道に進めている人々もいることなのだろうと想像する。そうした人々のヒューマンな姿勢から改めて学ぶ必要があろう。
 定年退職をする団塊世代は、わずかに手にする退職金を間違っても、利殖・投資というような言われているほどには割りに合わないことで、賞味期限の過ぎた頭の脳みそを使うのではなく、この「生活感覚改造」運動にこそ身を投ずることを推奨してみたい。それが御身のためでもあると…… (2007.04.13)


 初夏を思わせるような日であったからということもないが、夕食後、「麦茶」を沸かして飲んでいる。
 相変わらず家内が実家の母親のケアのために不在なため、夕飯も近所の店で簡単に済ませた。家に戻ってきたが、あまりに所在がなさ過ぎるため、お茶でも飲もうかと台所に向かってみた。先ずは、戸棚の茶筒を探す。普段はコーヒーばかりを飲むため、お茶のありかも定かとは言えない。茶筒は見つかった。が、その脇に麦茶の包みが見つかったのだった。にわかに、「麦茶」を飲んでみようという気になった。
 たぶん、「麦茶」がそんなところにあったのは、自分が気まぐれに「麦茶」が飲みたいと、以前に口にしたからだと思えた。しかも、そんなことを口にしたのは、決して去年の夏場なんぞではなくて秋の頃か場合によっては冬場となってからだったかもしれない。
 それに、賞味期限に律儀にこだわる家内のことだから、去年の夏場の「麦茶」が残されていたというようなことは先ず考えられない。きっと、半年とは経っていないもののように思われた。

 麦茶は、何袋かの小袋が入っているらしいパッケージの袋が、ビニール袋に入れられてセロテープで「封印」がなされていた。確かに、こうしたものは湿気を寄せ付けないようにしなければ痛むだろうし、香りが命のその香りが台無しになるものだと頷かされた。
 一度開封された形跡のあるパッケージ袋が出てきたが、それも開封口が折って畳まれてセロテープで「封印」されている。何とも厳重なことである。「封印」を解くと、麦茶特有のあの香ばしい匂いがふわーっと漂ってきた。よしよし、これだこれだと何だかうれしい気分となってきたからおもしろい。
 パッケージの中には、和紙で作られたような小袋がミシン目で区切られながら数珠繋ぎのかたちでかなりの数が入っていた。おそらくは一袋でやかん一杯ほどの麦茶になるはずなんだと思えた。で、一袋をミシン目で切り離す。
 とその時、不意にあることを思い起こした。自分は、よくこんなふうに封印されていた「おせんべ」袋などを、空腹にまかせて食べ散らかして、挙句にろくに「封印」をせずにいて家内から小言を言われがちだったのである。そんな小言のことをふと思い起こしたのであった。自分はたった今夕食を済ませたばかりであったので、当然気分にはゆとりと落ち着きがあり、二箇所のセロテープ跡を元通りに直し、まるで泥棒が家人に気取られないよう後工作をするかのごとく始末して元通りの場所に返したのであった。

 ところで、自分はどういうものか「麦茶」が好物である。ひょっとしたら、お茶類の中ではこれが最も愛着を持っているものなのかもしれない。そう、美味いとかどうとかいうよりも「愛着」があるというのが、この場合は適していそうである。
 「麦茶」の香ばしい香りと味の中には、自分にとっての掛け替えのない記憶が宿っているかのようである。いや確かに、この香ばしさへの好感の正体は、フィジカルなものというよりも、メンタルなもの、あるいはマインドなものでありそうだ。それらが、フィジカルな香ばしさそのものに特有の感覚的意味をもたらしているものだと思われる。

 先ず、自分にとっての好ましい「麦茶」の、その原初的刷り込みは、遥か3〜4歳頃に遡る。大阪の生家で暮らしていた頃のこと、当時は、内風呂がなく、銭湯通いをしていた頃の事だ。徒歩で10分程度の銭湯が二箇所あったのだが、その片方、確か「針中野温泉」と言ったはずだが、そこへ行く時は何となく楽しみであった。
 当時の銭湯には、その後のような牛乳や清涼飲料水などの販売なぞはなかった。いや、あったのかもしれないが、経済的にゆとりのない家庭にとっては銭湯代に加えての出費なんぞは論外だったに違いない。だから、そんなものは無いと同じであったのだろう。
 その代わり、お湯で火照った身体と乾いた喉に取って置きのものがあった。脱衣場の片隅に、「麦茶」が出てくるタンクが備え付けられてあったのだ。直径30センチほど、高さ数十センチほどという金属性のタンクがあり、その下の方に小さな蛇口が付属していて、自由にその「麦茶」を戴くことができたのだった。
 幼い自分と姉とは、湯上りの後、衣類をつけるとその「麦茶」を備え付けの湯飲み茶碗で飲むのがうれしかった。縁台のような椅子に座って、フーフーと吹きながら飲んだ覚えがあるから、きっと熱かったはずである。だから、湯飲みに注ぐのも自分ではできずに、母親に入れてもらったのだろう。
 その時の「麦茶」の香りと味、そう言えばほろ苦さとともに、何とも言えない裏塩のようなしょっぱさがあったも記憶に留まっている。湯上りのさっぱりとした感触や、幾分眠ささえ漂って来るような朦朧とした気分……、とにかく何の不安も不満もない至福のひと時だったのであろう。そして、これらの至福感が、そのままわたしの「麦茶」観に畳み込まれたに違いないのである。

 このほかにも、その後の自分のヒストリーの中で、「麦茶」は奥ゆかしい役割を果たし続けてくれたような気がしている。きっと、それは、「麦茶」の香ばしさという素性が、何となく「慎ましさ」の本質を芳しく漂わせるからではないかと思ったりしている…… (2007.04.14)


 外猫たちは、家内がいないと、もっぱらわたしを頼りにせざるを得ない。
 朝は、わたしがウォーキングに出かけるために表に出るのを、玄関付近で今か今かと待っている。もちろん、餌にありつくためである。玄関付近で二匹の猫たちがうろうろしているのが、玄関のドアの擦りガラス部分から透けて見えるのだ。
 かわいいと言えばかわいいものである。外猫たちにしてみれば、この時期は夜明けが早くなっているため、明るくなって一日の行動を開始してから朝食に相当する餌時までがえらく長いのであろう。所在なくうろうろする姿からは、もはや大いに腹を空かしている様子が良くわかる。それでも、親猫のクロの方はおとなしくしているが、もう一匹のグチャの方はニャオニャオとうるさくする。「遅いじゃないの。もうお腹ペコペコなんだからあ……」とでも訴えている模様である。

 そんな様子を見ていると、災害地の炊き出しの現場をちょいと想像したり、あるいは、もうずっと昔、学生時代に日銭を稼ぎに時々向かったことがあった高田馬場の早朝のことを思い起こしたりする。日雇い労務者たちが、仕事の手配師が来るのを広場で待っている光景である。いわゆる「立ちんぼ」というものである。あぶれてしまうと大きく一日の計算が狂ってしまうため、労務者たち皆が何がしかの期待感を込めていそいそとしている光景である。
 きっと、外猫たちも、そんな心境でいるのかもしれない。いつも、決まった頃に餌をもらってはいるものの、それがゼッタイに繰り返されることだとは信じ切れないのかもしれない。時間は決まっているようでそうでもなく、また時として、主人たちが不在の日だってないことはない。このドアを開けて、餌皿に餌を盛って出てくるまでは予断を許さないものだと心得ていたりするのだろう。
 もし、朝の餌にありつけない場合には、急遽どこかに回らなければならないけれど、そうそうまともな餌になるものを得られるわけでもない。夜の餌まで空腹を我慢しなければならないことだってあり得る。それだから、ドアの外でしっかりと番をしていなければ危ない。ドアの内側で、ご主人の誰かがごそごそする気配を悟ったら、すかさず鳴き声をあげて「ここで待ってんだからね!」と注意を喚起しておくべし、とでも考えていそうである。

 朝はこんな調子であるが、この調子は、夜もまた同じである。わたしが外出から戻り、門扉の前あたりに近づくと門扉の中の方から、十分に聞こえる調子でニャオニャオと鳴いている。そして、中に入ると、餌皿の置いてあるところへとわたしを誘うのだ。
 昔、飼い犬のレオが健在だった頃には、夜、どんなに遅く帰宅した時にもそのレオが門扉まで出迎えてくれたものだった。門扉の内側に上から手を差し入れて鍵を外す時、必ずわたしのその手に鼻っ面を押し当てて、匂いで主人だと判別しているようだった。その冷たい鼻っ面の感触が今でも忘れられない。そして、レオもまた、玄関口まで先導してくれたものだ。時々、ビスケットなどをあげたりするので、何がしかの期待感を持っていたりしたのであろうか。
 そんなレオも、もう何年も前に逝ってしまった。そして、レオと入れ替わるように、外猫たちが登場し、その後の帰宅時の、何とはなしの静けさと物寂しさとを、外猫たちはしっかりと埋めてくれていることになったのである。
 だから、家内が不在だとわかっている時などの帰宅時には、その出迎えに応えるべくできるだけ迅速に餌の段取りをしてあげることにしている。
 内猫たちも同様であり、外猫たちとて、別に番犬代わりになるわけでもなく、つれない表現をするならば何の役に立っているわけでもない。しかし、主人たちの心の中にどっかりとその場を占めてしまっている。きっと、そうした情の世界の達者な役者たちが、このうすら寂しい現代にあってはなくてはならない存在なのであろう…… (2007.04.15)


 「木偏(きへん)」に「知」と書いて(「椥」)、「なぎ」と読むらしい。この字は「漢字」ではなく「国字」と分類されるようだ。「国字」とは日本で作られた独自の文字であり、多くは地名に残されているらしい。( asahi.com 2007.04.16 「漢字にも「方言」 早大教授が100以上の地域文字発見」)
 「凪(なぎ)」(風がやんで波が穏やかになること)という字があるため、上記の「国字」は、そうした穏やかな気象状態は「木」がいち早く「知る」からなのだろうかと勝手に想像してみた。そう思うと、気になり出して、ちょいとネット検索で調べてみようかという気になってしまった。

 すると、「椥」の字がつく地名は、京都の山科区に、「椥辻」という地下鉄の駅名のあることがわかった。おまけに、<椥辻という地名は、かつてナギ(梛)の大木があったことに由来するという>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)こともわかった。ちなみに、「梛(なぎ)」の木とは、マキ科の常緑高木で高さが15メートルにもなるらしい。また「熊野地方で神木とされ、竹の葉に似る葉は古く鏡の裏や守り袋に入れて災難除けにした」(広辞苑)という。
 ところで、「椥辻」という地名の、「辻」という字も実は「国字」のようなのである。<「辻」は、道を表すシンニョウと交差する意味の「十」の組み合わせだ>( 前述 asahi.com 2007.04.16 の記事より)とある。そうすると、どうも、かつて京都山科という由緒ある地域に住んだ者たちは、なかなかやる連中だったのかと想像してしまうのだ。

 また、『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「椥辻」というような常用漢字にはない多くの難読地名の一つとして「杁中(いりなか)」というサンプルがあがっていた。
 自分はここでまた「国字」というものに引き込まれるはめになったのである。その「杁中」とは、何を隠そう、自分の30年以前の記憶の層に埋もれた地名だったからなのである。
 名古屋大学の大学院にチャリンコで通っていた頃、自分はその「杁中」のバス停をいつも通過しており、また帰り道にはそこにあった比較的大きな書店を覗いたりしていたのだ。当時は、さして「杁中」という地名にこだわることもなかった。なんせ、名古屋市のその辺りには由緒がありそうな地名がごろごろとしていたからかもしれない。大学の所在地は「千種(ちくさ)」、住んでいたのが「御器所(ごきそ)」、隣の区に「瑞穂(みずほ)」があったりした。
 で、「杁中」とは一体何に由来しているのかに今頃関心を向けてみるのだが、「杁」という字は「えぶり」とも読むようで、「えぶり」と読む字は別にも存在する。それも、「杁」と紛らわしく、つくりの方が「入」ではなく「八」なのである。そして、その意味は<農具の一。穀物の見などを掻き寄せ、また水田の土をならすのに用いる>(広辞苑)であるらしい。
 あくまで私見なのであるが、もともとは「杁中」ではなく「えぶり中」だったのかもしれない。というのもその方が農業地域としてのこの地区のことを想像しやすいからだ。
 そして、せっかくとある御仁によって国字を使った「えぶり中」と名づけられた地名であったと想像されるものが、なんせ大雑把な農民たちの間を流通する過程で、いつの間にか「杁中」へと変化してしまったのではなかろうかと……。

 何でこんなことをくとくど書いているのかである。別に大それた意味があるわけではない。ささやかな意味がありそうに思えただけである。
 先ずその一点は、「漢字」という外来文化でなおかつ時代のエリート達が独占していたに違いない文字の「漢字」に対して、在野の「なかなかやる連中」(知識人?)が、せめて自分達の馴染んだ郷土には固有の「ロゴ」を付けたいではないかと考えたとするならば、それはそれであっぱれだと思えるのである。「漢字」に対して、DIYの「国字」をでっち上げて行ったその心意気に先ずはエールを送りたいと思うのである。
 また、その「国字」創造の動機が、自分たちの郷土の名称であったということは重要なことだと思える。それが二点目である。いつの時代でも、郷土に心を寄せる者は、現時点で人々が一体化できることを切望するだろうし、また、それを後世に伝えたいと考えたとしても自然なはずである。その時、「漢字」や「国字」という象形文字が、伝承させたいコンテンツを包含してくれる機能を持つことがありがたかったに違いなかろう。これは、現在でも親たちが最愛の子どもの名前に頭を使ったり、起死回生を図ろうとしてスナックをはじめる経営者が店名に凝ろうとすることに名残があるとも言えそうだ。
 現在では、日本中の地域が、地形や風光の均一化の波を被ったとともに、地名までが味気ない識別上だけの記号へと変換させられてしまった。東京の各地に残された含蓄のある地名も数少なくなっている。ここでも、現代という時代環境が、効率を重視するあまり、人々の生活の歴史を軽んじるという悪い傾向が滲み出ているように見える。

 そして、これが最も強調したいことなのであるが、人々にとって掛替えのない生活文化というものが、お仕着せのかたちで与えられるのではなく、当事者たちの手と頭とによって創られ、そして継承されることが、こんな時代であるからこそもっと見つめられていいと思うのである。
 詳しい事情はわからないが、「漢字」に対する「国字」というものは、何か生活者たちの下からの積み上げ的な営為であったように思われてならないのである…… (2007.04.16)


 「セロテープ」というのは、袋や箱の「封」をするのに便利である。だが、一度「封」をしたものをずっとそのままにしておくということは滅多にない。大抵は、その後にそのテープを剥がして袋なり箱なりを開ける場合が多いはずである。
 先日、「麦茶」のことを書いた際に、家内がポリ袋に、食べかけの菓子類やら、使いかけの乾物類を入れていることを書いた。そのポリ袋には「チャック」の仕掛けがあり、中に入れたものを密封するようになっている。そのアイディアは捨てたものではないと評価する。
 しかし、そのポリ袋の密封機能をさらに高めようと、家内は、一度開封された菓子だとか茶だとかのパッケージ袋の口を折り曲げて、そこへ「セロテープ」を貼っている。確かに、その厳重さがあれば湿気ることが極力避けられるはずである。
 ところが、ここまで厳重にやると、「開封と再梱包」が、結構、面倒な作業になりかねないのだ。とりわけ、イライラしてしまうのが、パッケージに密着してしまった「セロテープ」を剥がす時なのである。透明な「セロテープ」は、どんな格好でくっ付いているのかが見にくいし、その端っこを爪で引っ掛けるのにもやや骨が折れてしまう。
 しかも、そういう作業をしなければならない時というのは、ちょいと小腹が空いていたり、あるいは大腹が空いていたりすることが多かったりする。となると、その「セロテープ」剥離作業というのは非常に不愉快なものと思えてくるのである。この「セロテープ」を貼った当人は、これを剥がそうとする者の状況心理を何も考えていない薄情者だ! と思わないわけでもなくなるのだ。

 このことを最も強く感じたのは、外のショップでお弁当を買ってきた時である。最近は、その必要がなくなるようなプラスチック・ケース、つまり、蓋が、しっかりと固定するような容器のお弁当箱もあるが、そうした仕掛けのものではないフワリと蓋が乗るようなケースの場合には、蓋と本体の箱とが複数箇所にわたり「セロテープ」で固定されていることも少なくない。こいつなのである、腹が立つのは! まだ、輪ゴムを使った固定程度であって欲しいわけだ。
 大体、わざわざ弁当を買う者で、満たされた心境にある者は先ずいないはずであろう。やや大袈裟ではあるが、空腹という苦痛を背負って、不満げな心境となっている場合が多かろう。そんな時に、決してラクラクではない「セロテープ」剥離作業を強いられるというのは、ショップの店員も状況認識が当を得ていないのではないかと感じたりするのである。先日なぞは、ご丁寧に、7、8センチもの長さの「セロテープ」が蓋の両側にくっ付いていて、剥がすのにえらく苦慮したものであった。こんなことは腹を立てるほどのことではないと理性は命じたものの、欲しいなあ、心遣いというものが……、と思ってしまったのである。

 ところで、何でこんなことを書いているかというと、またまた大したことではないのである。ほんのちょっとした心遣いとその手間とがあれば、不快な思いをする者はなくなるはずだと考えるからである。
 いや、それでこうした類の精神論を繰り返そうとしているわけではなく、ちょっとした「具体策」(?)を書こうとしたまでのことなのである。実に簡単なことなのである。要するに、「セロテープ」で何かを固定する際には、大体がいずれそれは剥がされる宿命にあるわけだから、剥がされ易くしておくべし、ということなのである。
 で、その方法はというと、片方の端を数ミリ折り返して「ベロ」を作って貼り付けるということなのである。そう言えば、気の利いたトイレに入ると、トイレット・ペーパーの端の部分が、まるで「鞍馬天狗の頭巾」のように小綺麗に折り込んであったりするものだ。あれは、美的感覚という面もあろうが、むしろ機能的なことでの心遣いだと言えるのかもしれない。つまり、上記のような「セロテープ」の端っこが見つかり難いことに伴うイライラと同様のことがトイレット・ペーパーで生じないようにということだ。
 付着した「セロテープ」に「ベロ」があったり、丸まっているトイレット・ペーパーに「鞍馬天狗の頭巾」の端があったりすると、所定のアクションをする者が、その心遣いで気分が満たされるとともに実に快適に事をなすことができるというわけなのである。

 まあ、薄らくだらないことを書いたが、凝り性の自分は今、「セロテープ」の端っこを折り返す手作業が、「セロテープ」台の方の仕掛けによって自動化されるというアイディアを考えつつある。この仕掛けのアイディアは、ひょっとすれば、発明特許か実用新案に相当するやもしれないと「取らぬ狸の皮算用」なんぞをしている。これが成功したならば、次は、トイレット・ペーパーの端っこの「鞍馬天狗の頭巾」折り自動化装置に挑戦してもよいだろうとささやかな夢は膨らむ…… (2007.04.17)


 昨日は、悲惨な事件が重なって起きた。「米大学乱射事件」と「長崎市長銃撃事件」のことだ。
 そして、自分が率直に感じたのは、これらが米国と日本の国内に煮詰まっている社会矛盾の徒花(あだばな)ではないかという思いであった。残念ながら、これらは、矛盾を極める両社会の現実の悲惨な反映のひとつなのであって、決して社会的現実の大勢からかけ離れた個人の病理現象なんぞではなかろうと思われる。
 もちろん、何の躊躇いもないかのごとく人間を銃撃する行為は病的、狂的である。当該個人に潜む病的、狂的な根拠も合わせて凝視されなければならない。だが、そうした個人還元的な原因究明で事の根深い原因を見過ごすべきではない。
 いやむしろ、こうした事件が繰り返される可能性を注視して、こうした事件を生み落とす社会的現実の危なさにこそより関心を向けるべきではないかと思う。

 先ず、「長崎市長銃撃事件」であるが、文明国にとってあるまじきこんな「野蛮なこと」が起こってしまうこの国の現在の社会的体質の異常さには厳しい視線が向けられるべきであろう。この文明国の政府は、こんなデタラメな事件の発生を許した事実を大いに恥ずべきであろう。治安を維持するだけではなく、民主主義を堅持することに責任を持つ政府が、このような時代錯誤の暴挙をむざむざと許してしまった事実は、もっとシビァな当事者姿勢を持って受け止めるべきではなかろうか。
 大体、最近の社会現象の特徴として、責任感覚が消し飛んでいるばかりか、当事者感覚さえ棚上げにされている情けなさがありそうだ。メンツというものさえ無くなってしまったのであろうか。自らが所轄するエリアで途方も無い事件が起こったとすれば、首の一つや二つを即座に差し出すくらいの律儀さと潔癖さがあってしかるべきではないのか。そうであることが、日頃の管理監督が十二分に行われていたことを証しするわけでもある。
 ところが、昨今の社会的な不祥事や事件の責任者たちときたらどうだ。民間企業のトップにしても、学校長にしても、省庁の大臣にしても、そして首相にしても、情けない対応しかできない。あなたたちが痛み入らなくて一体誰がそれを引き受けるのか、そんなふうに責任所在が曖昧だからこそ信じられない事件が発生してしまうのではないのか、とそう言いたい気がするのだ。

 今回の「長崎市長銃撃事件」もそうである。これは、たとえどんな状況であっても文明国にとって恥ずべき暴挙であるが、こともあろうに民主主義制度が実践されている選挙という最中に引き起こされたのである。この異様さは、民主主義政府のトップならば激怒するなり、泣いて恥じるなり、とにかく大騒ぎしても不思議ではなかった。まして、前首相の時から、バカの一つ覚えのごとく、「テロを許すな」、「テロ撲滅」を謳い文句に遠い中東の国イラクにまで自衛隊を派遣した国である。その国内の足元で起こった「テロ」は、対米関係がないから騒ぐに値しないとでも言うのか。
 いずれにしても、政府は馬脚を現してしまったかのようだ……

<首相「真相究明望む」 長崎市長銃撃
 安倍首相は17日夜、長崎市の伊藤一長市長が銃撃されたことについて「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」とするコメントを発表した。首相は同日午後8時3分、首相秘書官を通じて事件の報告を受けたという>( asahi.com 2007.04.17 )

 何という不甲斐なく涼しいリアクションであったことか。首相の口から<選挙期間中、選挙運動中の凶行は民主主義に対する挑戦>だと、まるで誰かに諭されたかのように出てきたのは、今日の朝10時のことだ。事の重大さに気づかれるのに随分と時間がかかるものだとあきれてしまった。
 ならば言いたい。この国の現在の社会風土、政治風土、まあひっくるめて文化風土には、「美しい国」がどうのこうのという少女趣味とは無縁の、「弱肉強食」、「力こそすべて!」、なおかつ「力」には区別がなく暴力、武力、軍事力の何でも許容するといった空気がみなぎりはじめているのではないのか。
 平和憲法の改悪、軍事力の是認を叫ぶ政府の姿勢に、民間暴力を制止させる説得力が実のところあるのか、と懸念するのである。世の中にはいろいろな人種がいるものだ。中には、ものわかりが悪く、早とちりをし、世相の空気の赴くままに命を投げ出す輩たち(暴力団関係者)だって歴然と存在する。単刀直入に言うならば、「右傾化」が顕著となれば勢いづく勢力のあることは歴史が示してきたところでもある。
 被爆地長崎市という視点から、世界に向かって核兵器廃絶を訴えてきた同市長が、無残に銃殺されたという事実を決して無駄にしてはならない。この無残さ、悲惨さが、この国の国民の前途を暗示するものではないことを証明していく必要がある。

 「米大学乱射事件」について書く余裕が限られてしまったが、要点は上記と同様であり、この事件もまた米国社会自体の現在の矛盾と病理とが炸裂させたものだと考える。
 あり地獄のような「銃社会」から抜け出せない米国の矛盾が大であることは指摘し尽くされている。だが、この問題の解決の困難さは、若く魅力的であった「ベンハー」役のチャールトン・ヘストン(米国ライフル協会会長)が、見る影もなく硬直化した表情の頑固な老人と化している、そんな姿が如実に言い当てているような気がしないでもない。
 時間が経つにつれて、韓国出身の容疑者周辺の事実が報道され、現時点では「不穏な空気」も指摘されはじめたりしている。

<乱射事件が在米コリアン社会に衝撃 一時帰省する学生も
 米バージニア工科大学で起きた韓国出身の学生による乱射事件は、130万人の在米コリアン社会に衝撃を与え、米国内で韓国系住民への風当たりが強まることへの警戒が広がっている。……>( asahi.com 2007.04.18 )

 問題の根源は、「銃社会」としての米国の矛盾、強さのみを志向する米国の基本姿勢にありそうだと思うのだが、願わくば、あの「9.11」直後のようなヒステリックなリアクションの渦を再現しないでほしいと…… (2007.04.18)


 誕生日の「バイオリズム」が最悪であることは知る人ぞ知る事実だ。従って、諸外国(ロシア?)の中には誕生日に休暇を取ることを公式的に(?)認めている慣行があるとか聞く。
 まあそんな言い訳をすることもないのだが、今日は「その日」に当たることもあり、リフレッシュ休暇を取ることにした。
 それでせっかく休暇を取ったのだから身体に良いことをと思い、いわゆる「スーパー銭湯」に向かうことにした。クルマで2、30分の郊外に、おふくろが気に入ってしばしば通っているそうしたものがある。単なる「スーパー銭湯」ではなく温泉だと言う人もいるようだ。
 かつて、自宅のすぐ近所に、「ラジウム」系の温泉があり、疲れがたまったかと思しき週末には出向いたものだった。効き目があると信じたからか体調の回復に効を奏した覚えがある。が、その温泉は経営状態が今ひとつとなってしまい、結局、閉じられてしまった。近場のそんな温泉がなくなってしまい非常に残念な思いをしたものだった。
 しかし、自分が定期的に通うことになった理由の一つに、概して「空いて」いるという点が挙げられたのだから、今思えば、当然の成り行きとして経営状態が問題であったに違いなかったのだろう。

 それに較べると今日出向いた「湯」は、ウイークデイだというのに、結構な数の入浴客であった。もとより、土日、祭日はかなり混んでいると聞いており、そんな日はごめんだと思っていた。それで、ウイークデイならば心地よく空いているのだろうと勝手に想像していたのだったが、これが認識不足であったことになる。
 そこに着いてみると、かなり広い駐車場はほぼ満車に近い状態となっていて、かろうじて並ばずに済んだ。先ずは、へぇー、こういう状況なんだと再認識させられたわけである。
 そして、温泉旅館風に設えられた建物内に入ると、決してウイークデイだとは思えないほどに人影が濃かったのだ。それも、容易に考えられる年配者たちだけという雰囲気ではなく、二、三十代と見える若い世代の客も少なくなかったのである。
 もちろん、比較的多いと思われた年代層は、やはり高齢者層である。露天風呂に浸かりながら、白日の明るさの中を行き交う裸姿を見るとはなく見ていると、失礼ながら、いかにも使用期限が過ぎたとしか見えない肉体が多かった。腹は異様に出ていて、そのくせ上半身は貧弱であり、皮膚は弛んで白っぽい……。明るい春の陽射しや周囲の新緑の緑には絶対そぐわないようなお身体の方々が、脱衣場で羞恥心までも脱ぎ捨ててきたという雰囲気で……。その代わりと言っていいのだろう。そうしたおじいちゃんたちの何人かは、はちきれんばかりの生命の塊と見える小さな身体のお孫さんを引き連れていたりした。それで何とかバランスある光景を作っているようだった。
 まあ、それはそれなのだが、二、三十代らしき若い兄ちゃんたちの姿もチラホラと目に入ったものである。湯の中でひまに任せて、考えたものだった。こいつらは一体どういった素性なんだあ? 今日はウイークデイだぜ、働いてないのかあ? なんぞと。
 しかし、よくよく考えると、昨今の経済は、サービス業の比率も高まり、何も土日だけが休日という世の中でもなくなっている。水曜定休、木曜定休なんぞという文字はあちこちで見かけるわけである。そーいうことなんだよなあ、と湯の中でひとり合点したりする自分なのであった。

 それにしても、この「湯」は、ちょいとした温泉旅館風の設備と雰囲気になっているからか、あるいはまた、入湯料700円という手頃感があるためか、あるいはビッグ・スーパーのように、やや郊外に立地してクルマが乗り入れやすい環境にあるためか、思いのほか客入りがよろしいのに驚いた次第であった。
 休憩所の窓から表を眺めると、この「湯」のこうした繁盛ぶりにあやかるごとく、すぐ近辺には、老人ホームの建物が複数立ち並んでいた。加えて、建設中の大型マンションの工事が二箇所も目に入った。この「湯」を付属施設のようにアピールして売り込もうという魂胆が見え見えの感じがしたものだった。
 いずれにしても、今のご時世では、時代と社会がいたぶる人間の心と身体を癒す施設、日本人にとっては馴染み深い温泉というものは、再評価されているようなニュアンスを感じさせられた。しかも、現代人特有の便利志向に沿った、「ファースト・フード」ならぬ「ファースト温泉気分」というものが有難がられるのであろうか…… (2007.04.19)


 このところ、町田や相模原でTVニュースとなるような事件が相次いでいる。
 今思い起こすだけでも、かなり頻度が高いかに思われる。衆目を集めたやや奇異な事件では、事務所近辺で発生した独居老人殺人事件があり、昨日は複数の焼死を伴ったマンションの火災、その前には境川に2、3百万円の札束が流されていた事件、そして今日は今日で、相模原で金融機関への強盗事件があったかと思えば、町田駅近辺で暴力団組員と見られる者によって「立てこもり発砲事件」が引き起こされている。
 また、先日のある報道によれば、相模原市内には、盗難車改造の工場のような場所が推定で200箇所もあるとかないとかだそうだ。とにかく物騒な気配の漂っているのが町田、相模原ということなのであろうか。

 この物騒な雰囲気はどこから来るのだろうか。
 今日の「立てこもり発砲事件」は、ほぼ暴力団絡みの事件だと目されているが、町田駅近辺に暴力団の影が濃厚だという噂はかねてから聞いている。確か大分以前にも発砲事件があったかに思う。
 また、相模原もそうした不穏さでは引けを取らない地域なのかもしれない。昨今の他の地域ではどうかはよく知らないが、相模原市内の事務所の近辺には、未だに右翼の街宣車が定期的にがなりながら走っている。それを見るたびに、この地域の野蛮さに気づかされる思いがする。
 ふと思い起こすのは、ひところ神奈川県警での不祥事が取り沙汰されたことである。こう言ってはなんだが、今や、警察関係は全国どこでも不透明さを抱えているようで、決して神奈川県警だけがどうこうという状況ではなさそうだ。が、それにしても、市民社会に公然と右翼の街宣車が不快な騒音を上げて走り抜け、おまけに白昼に発砲事件まで引き起こされるというのは、尋常ではなかろう。直感的に浮かぶのは、一体、警察は何を取り締まっているのかという思いではなかろうか。
 昨今の凶悪事件は、決して暴力団絡みばかりではなさそうで、青少年によるものもあれば、厳しい経済状況で追い詰められた者たちのやぶれかぶれ的なものも少なくない。だが、やはり暴力事件の根源が暴力団という組織にあることは誰も疑わないのではなかろうか。

 最近の調査では、巧妙になった暴力団は、かつてのように前面に出ることを極力控えて、準構成員をはじめとする別働隊を増殖することに精を出しているとかである。つまり、裾野を素人の市民層へと広げているらしいのだ。これが逆に危険だと思われる。こうした点をこそしっかりと睨んだ、そうした警察活動が望まれる。
 ただでさえ現在のご時世では、無責任な暴力賛美の風潮が蔓延り、暴力行為に対する妙な免疫が出来たりもしていそうだ。そして、国際的な戦争やテロ事件も相次いで報じられ、それに呼応するかのように軍事力賛美の風潮も日増しに増大している。要するに、気がついてみると、人々の荒んだ心境と歩調を合わせるかのように軍事国家是認への傾きが強まっていそうである。
 右翼の街宣活動が軍国主義のサウンドと一体となっているように、暴力を生業とする組織勢力が、どこかで社会の右傾化と密着していると言わざるを得ない。
 日常生活の場で発生させられる暴力事件や凶悪犯罪などが、人々の不安を増大させ、心の荒みを増幅させ、そして力への盲信の別名でもある軍国主義への道の露払いをしているのだと想像することは、果たして杞憂であろうか。
 そう言えば、いわゆるタカ派であることを隠さないとある政治家が、盛んに国内や首都の治安が乱れていることを強調していたのを思い起こす。が、その傾向への具体策が聞かされた覚えはない。直下型大地震への対応とよく似ている。まるで、庶民の不安の高まりが人々をどこへ連れて行くかを、涼しく見つめているような印象さえ感じないわけではない。

 ともかく、人々の日常生活の場が、経済的不安の坩堝にされたり、加えて暴力的恐怖の修羅場に化すことを合理的に潰して行かないと、パニックにも似た人々の情動が、冷静さを欠いた政治選択へと雪崩れ込まないとは言えないような気がする…… (2007.04.20)


 久しぶりにいろいろな工具類を並べ立てて、ちょいとした修理作業にのめり込んでみた。しかし、今日のそんな作業は「完敗」に終わった。ほとんど「徒労」という様に終わってしまった。が、まあ心地よい疲労感が残り、まんざら悪い気分に陥っているわけでもない。

 遅いウォーキングから戻り、晴れた天候でもあったため、かねてより気に留めていた自転車の修理をしようという気になった。電動自転車のほかに、十年来愛用してきた自転車のちょっと手間の掛かる修理なのである。
 その自転車は、もうタイヤのゴムが耐用年数を超えているようで、あちこちに亀裂が入り見るも無残な状態となっていた。前輪、後輪の双方共に傷んでいる。でも何とはなしの愛着が残り、廃棄する気にはなれない。そこでかなり前のことであったが、その自転車向けの新品タイヤを入手していたのである。いずれ、気の向いた時にタイヤの交換をしようとしていたのであった。
 だが、かつて経験した覚えがあるのだが、自転車のタイヤの交換とは以外と手間が掛かるものである。要するに、ホイールを一度外す必要があるからだ。前輪はさほどでもないのだが、後輪はちょいと複雑な仕組みになっているため手間が掛かる。

 先ずは、その複雑な方からこなしてやろうと挑むことにした。コンクリートの駐車場の隅にその自転車を転倒させて設置し、近くに必要となると思われる工具類をはべらせる。メガネレンチ、スパナ、ハンマー、潤滑剤スプレー、自転車用タイヤ修理工具などなどである。中腰では疲れるため、小さなパイプ製のチェアまで用意した。
 気にかけている時には面倒な作業という印象であり続けたが、いざこうしてはじめようとすると、何となくワクワクしないでもないのがおかしかった。
 そして、まずまず作業は進んで行った。古いタイヤも無難に取り外し、いよいよ新しいタイヤの装着作業に至った。が、この辺から若干の躓きが見え隠れしてきたのである。
 タイヤのパンク修理の際にも、中のチューブをあらわにするためには、タイヤをリムから外す必要があるものだ。そして、タイヤの縁というものは、リムの直径よりも小さくて内側に食い込んでいるものなので、タイヤ修理のためのヘラのような特殊な工具を使って処理することになる。
 今回、その作業が非常に難航したのであった。もう忘れてしまうほど以前に経験したことがあったのだが、こんなにきついものだったかと首を傾げつつ行い、それでも当該の工具を力任せで駆使して何とか格好をつけることができた。
 だが、その過程でも懸念したものであったが、かなり力任せで金属ヘラの特殊工具を使ったため、中のゴム・チューブを傷めてしまった気配があったのだ。しかも、外のタイヤが劣化していたくらいであるから、中のチューブとて耐用年数ゆえに弱っている模様で、過剰な力が部分的に加わると裂ける可能性は大いにあるものと思われた。
 こうした懸念は、とりあえずの作業終了後、空気入れを使った際に見事な結果となって現れてしまったのである。つまり、前輪、後輪共に惨めなパンク状態となってしまったのであった。おまけに、その空気の抜け方は、通常のパンクのようなある程度の時間をかけてのしぼみ方なんぞではなく、あっという間に抜けてしまうものであり、それはチューブがズタズタとなっていることを想像させたのである。もはやこれまで、万事休すだと思えた。

 そこで、自分が思い至ったのは、餅屋は餅屋のことわざどおり、本職の自転車屋に持ち込み、チューブ交換を依頼することであった。
 すでに、ドゥ・イット・ユアセルフの工数は4、5時間も掛けていたが、ここで作業を頓挫させることはできなかったため、近場のホーム・センターの自転車売り場に運び込んだのである。
 この時、何か不吉な予感がしないわけでもなかったのであるが、最悪の事態に至るとまでは思わなかった。
 電話予約をしていたため、若い男性店員は、わたしの自転車を気安く受け入れてくれた。所要時間は30分ほどだというので、自分は、ホーム・センターの他の売り場を覗いて時間をつぶすことにした。
 そして、30分後に自分はその売り場に戻ったのだった。そこには、不吉な予感が命中して最悪の事態が待ち受けていたのである。先の若い店員がうろたえているとともに、その売り場の責任者らしき年配の男性までが、どこから持って来たのか手に種々の工具を携えて、右往左往していたのである。そして、わたしの顔を見るなり、
「あっ、お客さんですね。いろいろと試みているんですが、何としてもタイヤがリムから外せないんです。タイヤのサイズに問題はないのですが、このフランス製だかのタイヤがどうも特殊なようで……」
 売り場責任者も、明らかにてこずっていた。わたしは、それはわたしが取り付けたのだから外せない訳はないでしょ、と説明してみたが、彼は、この通り無理ですと、外す手真似をして見せた。その時、わたしの脳裏をよぎったのは、つい先ほどそのタイヤを取り付ける際に結構苦労をした経緯であった。薄ら覚えであったかつての感触に照らしても何だか変かもしれないゾ、と感じていたその作業経緯なのであった。
 店員側の困っている様子はありありであった。となると、自分側が状況展開を促進させる以外はないように思われたのである。そこで自分は切り出さざるを得なかった。
「チューブだけじゃなくて、タイヤも取り替えるといくらになりますか?」と。
 もう、自分が費やした4、5時間の工数も、またそのタイヤのコストもきっぱりと度外視せざるを得ないと悟らざるを得なかったのである。というのも、店員たちは明らかに途方に暮れていたからである。そして、今ここで無理強いしたところで、何も始まらないように思えたのである。
 タイヤの値段は大したことはなかったため、自分は、現在取り付けられているタイヤ、いや、自分が取り付けたタイヤを工具で切断して破棄した上でタイヤ&チューブの交換という作業に切り替えてもらうことにしたのであった。
 店員たちの表情は、ホッとしたものに変わったようだった。そして、自分は再度30分程度の時間つぶしをしなければならず、渋々と他の売り場へと向かったのであった。この時間つぶしの際に、何と偶然にも、このホーム・センターと一体となったスーパーに買い物に来ていたおふくろと出会ったのが妙であった。ベンチに腰掛けて近所の知り合いの人と話している後ろ姿を発見したのだった。風で煽られている白髪頭が、後ろから見てどうも見覚えがあると感じ、前へ回ってみるとおふくろだったのである。まるで、自転車騒動はごくろうさま、と言っているようでもあった。

 とっぷりと日が暮れてしまった道を、修理された自転車に乗って帰りながら、自分はつくづくと振り返っていた。今日の半日は、一体何であったのかと……。
 日ごろさして使わない腕やら、手首やら、そして背中やらの筋肉がジワーッと痛んでいるのが、本日の有難い成果だということか、まあ、運動をしたと思えばそれでいいか、それに、何となく気になり続けていた古い自転車がカムバックしたことだし……、などと思いつつも、何とも歯切れの悪い気分が拭い切れないでいた…… (2007.04.21)


 「手仕舞(てじまい)」という言葉が、株取引の領域にある。
 <清算取引や信用取引で、売建玉と買建玉を反対売買によって決済すること>とあるが、広くは、取引を終了させることとして使われている。週末の取引などで、<休日を控えてか、午後は「手仕舞」の動きが顕著となった>などという具合である。

 この言葉に引っ掛けてちょっと考えてみようかと思っている。
 果たして、人生において「手仕舞」というようなことがあるのか、という点なのである。年配になると、「オレも歳だから、そろそろ『手仕舞』の準備をすべきかと思っている」とかというように使われたりするのではなかろうか。そうした口ぶりの意図はわからないわけではない。
 多額の借金を抱えた者や、そうではなくともいろいろな事でマイナス面が多い者にとっては、遺される周囲の者のためにも最低限の「手仕舞」はしておかなければならないだろう。それが人生の最小限のマナーだと言えるかもしれない。

 だが、当人の生きる姿勢に焦点を合わせると、どうも「手仕舞」という言葉は、簡単に口にしてはいけないいわば「禁句」ではないか、と思ったりする。
 というのは、人生における「手仕舞」というようなことを想像したり、念頭に置くだけですでに気力が萎えはじめるのではないかと思うからだ。
 確かに、人間である以上、いつかやってくる死というエンディングを無視するわけにはいかないはずだ。ある場合には、それを意識することでより一層生きる意欲が鼓舞されることさえありそうな気がする。
 しかし、幸いにも健康な身体が与えられている場合には、それにふさわしい前向きで旺盛な人生ビジョンをこそ育てるべきであって、勝手に「手仕舞」なぞを設定すべきではない、と確信する。

 大量の団塊世代が定年退職をする時期であり、そうした人々が今後どのような人生の後半を送るのかに、社会的関心も高まっている。まあ、団塊世代が保持するマネーの行方、その市場効果如何というような点が、大方の世の中の関心なのだろうとは思う。
 それはそれとして、団塊世代当事者たちにとっては、さてさてこれからの決して短くはないであろう人生終盤戦をどう生き抜くかという差し迫った課題に、自分なりの答を出してゆかなければならないはずだ。
 長年、走り続けてきた勤労生活がとりあえずは「手仕舞」となるわけで、その習慣的生活にもピリオドが打たれるという事実の持つ意味は、予想以上に大だと言えそうだ。決して、唐突に訪れるものではないわけだから可能な限りの心の準備のようなものがなくはなかっただろう。が、いざその時に遭遇した場合、やはり、小さくはないダメージを受けるのではなかろうか。そして、挙句の果てに、上記の「禁句」である「手仕舞」という言葉を思い浮かべるかどうかは別にしても、同様の心境にはまり込むこともないとは言えないような気配を感じるのである。

 いや、とは言っても、そんな心的事実をあからさまに表に出す者はそういるものではないだろう。先ずは、周囲の者たちに気取られないようなさまざまなポーズをとるに違いない。新しい職や職場かもしれないし、新しい事業かもしれない。あるいは、趣味の世界への自己投入であるかもしれない。そして、シビァな問いさえ抱かなければ、大きな変化を迎えたという実感さえ感じることなくやり過ごすことも決して不可能ではないのかもしれない。
 しかし考えてみると、こうしてやり過ごすことができる者というのは、もともとが、何が自分に起こっても一向に動じないという幸せなタイプなのではなかろうか。そもそも自分の人生は……、なんぞというヤバイことなどには一生涯無縁であり続けるのかもしれない。だからこそ、無難にサラリーマン生活を持続させ、定年退職というゴールのテープを切ったとも言えそうだ。

 それにしても、長い習慣的(惰性的)生活スタイルが急変させられるならば、一時はともかくとしても、長いその後にあっては何がしかの変調を来たさざるを得ないと思われる。
 こうしたことに注意を向けるのには、今ひとつ理由がある。定年退職者たちにとっては、とにかく定年退職という個人的変化の事実がクローズアップされているに違いないが、戸惑わなければならない変化は、決してそれだけに尽きるわけではないと思われるからなのである。経済状況はもちろんのこと、社会状況、文化状況も、とてつもない激変を迎えている。
 そんなことは、職場に所属していた時から熟知していたと言うに違いなかろうが、そうではなくて、やはり環境変化というものは立場が異なると見え方が異なると考えられる。職場組織に属していた際に見えていた変化と、職場組織から離れて実感する変化とでは大きな違いがありそうではないか。

 さてさて、在野に放り出された団塊世代がどんな生きざまを示すのかはまだまだ定かではない。ただ、埒外な当惑に陥った際、人生の「手仕舞」という想念に流れて行くことだけは避けるべきだと思うのである。
 これは何も、経済活動のことだけを言っているのではない。酷な言い方をするならば、これまでひょっとしたら職場組織の中にあって「思考停止」状態にあったかもしれない状態を「解凍」して、自身の思考をこそ先ずは回復させるべきではないかと思うのである。そして、その時に生まれるかもしれない新たな思考、想念をもって、人生再出発! というのが妥当かと思うわけである。人生の「手仕舞」などという奇麗事なぞ入り込む余地はないような気がするのである…… (2007.04.22)


 ようやく気温が上がってきたかのようだ。そう言えば、昨夜は寝付く時にやや蒸し暑さを感じ、毛布を外すことにした。それでも暑かったようで、夜中に目が醒めた際には、首まわりに汗をかいていた。
 日中も今日は暖かい。18度ほどまで上がっているようだ。食後のウォーキングでもたっぷりと汗をかいて下着のシャツを湿らせてしまった。
 季節というのはいつの間にか移り変わっているものだと、当たり前の事実に思いを寄せていた。

 ところで、この気温の上昇と何か関係があるのかないのか、今日は、事務所近辺でやたらにカラスたちの姿を見かけている。ウォーキングで歩道を歩いている時にも、視界に数羽のカラスが飛び交っていたようだ。
 そうした複数のカラスたちが蠢く様子は決して気持ちの良いものではない。一羽、二羽が目に入る分には、その仕草などに愛嬌があると感じ余裕の気分でいられるが、複数のカラスたちが黒い大きな翼と、いかにも武器を思わせるかのような無骨な嘴(くちばし)などを見せ付ける雰囲気は、やはり不気味だとしか言いようがない。

 鳥が人間を襲うという場面に接したことはないが、人間さまが何か食べ物を持っていたりすると、それを掠め取りに飛来するという危険な目に会ったことはある。
 いつであったか、江ノ島の海岸で弁当を開いている時であった。危うく手に持ったおにぎりがさらわれそうになったのである。その下手人は、トンビであった。天空を舞いながら、人間たちの様子をしっかりと観察しており、隙を逃さず低空飛行をして来ては、食い物を掠め取るという算段だったのである。
 ヒヤリとした思いとなったのは、おにぎりあたりが掠め取られることよりも、猛スピードで飛来してくるために、万が一、彼らが「操縦」の勘を狂わせて人間の手なり、腕なり、あるいは顔なりにその鋭い嘴を突き立てることになったら目も当てられないと危惧したことであった。
 昔観たディズニーのアニメだか何かで、猛スピードで飛ぶ鳥が、板塀か何かに衝突して、まるで矢が突き刺さるかのように、そこに嘴を突き立ててしまうという場面があった。大いにありそうな印象を受けたものだった。
 が、トンビたちは、さすがに飛行にかけてはその道一筋の「十年選手」なのであろう、そんなヘマはしないようである。近くに座って菓子を食べていた人の手から、それを掠め取って行く技をまざまざと目撃したものだったが、実にそれは巧みな身のこなしであった。職人技と言うか、神の技と言うか、一分の狂いもないと思われる精巧な技なのであった。
 しかし、そんなことに決して驚くことはないのだろう。彼らにしてみれば、その技の巧拙がそのまま自身の命に関わっていそうだからである。上手に餌を確保することや、ドジな身のこなしの結果、弱肉強食環境のピンチに立つことを避けることなどは、彼らにとってみれば生存の基本の基本のはずだからである。

 それで、今日のカラスたちも、生ゴミを狙ってか、ゴミ収集向けに積み重ねられたポリ袋の山を遠巻きにして待機していたようである。電線の上、ひさしの上、街路樹の枝の上に陣取って、人の気配がなくなると飛来して来ては乱暴にポリ袋をむしり破っていた。付近には、見捨てられたバナナの皮なんぞが散乱していたものである。
 それにしても、何か特別な事情でもあるのか、今日はやたらにカラスたちが存在を誇示しているかに思われた。つい先ほども窓の外に目を向けると、TVアンテナの上だとか、屋根のてっぺんだとかに留まっており、やはりいつもになくその姿が視野に入る。
 まあ、気に留めるべきは、多少不穏さを醸し出しているかもしれないカラスたちの高が知れた結集よりも、いろいろと追い詰められる事情があるからなのか、想定外の凶暴な犯罪へと走るある種の人間さまたちなのかもしれない…… (2007.04.23)


 以前は、「ネット・バンキング」なぞは危なくてしょうがない、という感覚が先立っていた。いや、現在でも安全であるわけがなかろう。銀行側におけるセキュリティを高める技術が向上している一方、そのセキュリティ・ホールを狙う連中の技術もまた上塗りされているはずだからである。
 だがそんな自分も、現在、「ネット・バンキング」も少額な口座についてはすでにはじめているし、通販でのショッピングの都合上、クレジット・カードも使うことになっている。ただ、何でもかんでもという無神経なことは避けようと思い、通販ショッピングも多くは「代引き」方式を採っている。手数料負担が惜しい気もしているが、安全を求めればそれもしょうがないかと納得している。

 ところで、今日は、とある銀行の口座をネットを介して開設する手続きをした。その銀行のメリットは、メジャーなコンビニのATMが24時間使えることと、ATM手数料が0円という点である。
 便利さがひとつと、日頃、ATMを使っていて毎度手数料が差し引かれる不快感を感じていたため、この際、財布代わりの口座を開いておいてもいいかと考えたのであった。貧乏人は貧乏人で、多少とも財布から小銭が漏れていくのを防がなくてはいけないと、思ったわけだ。
 その銀行は、明らかにネット時代の新しい路線を追求することで展開を図ろうとしているようだ。店舗数と、固有のATMは全国レベルでも数十店舗に満たない少なさである。その代わり、全国どこへ行っても目に入るメジャーなコンビニと郵便局のATMが使えることになっている。利用者から見れば、それで十分だという気がするわけだ。ムダな店舗やそれに伴う人件費などのコストが、結局は、手数料というかたちで跳ね返される現実を見ると、銀行業界にこうした新しい動きがもっと過激に展開されてもいいと思われてくるのである。
 それで、口座開設の手続きは、数少ない店舗にまで足を運ばなければならないのかと、サイトを探ってみると、オンラインの手続きではなくて書類作成の上での書類郵送というかたちではあるが、書類作りから、封筒作りまでがネットで賄えるという「賢さ」であった。この方式のスマートさにも、こうでなくちゃいけない、と溜飲を下げる思いとなったものだ。もちろん、「本人確認書類」については当然のことながら厳重さが求められていて、この準備に多少の手間が掛かるのはやむを得ないと言うべきだろう。

 「晴れている時に傘を貸し、雨の時に貸した傘を引っ手繰る」とは、従来の「殿様商売」的な銀行の実態であったのかもしれない。そればかりではなく、何かと政府とつるみながら、あの不良債権問題という自身の経営の不始末を、国民の税金を使うことで救済してもらってきた経緯、さらに、不自然さこの上ない「ゼロ金利」政策に便乗して、「漁夫の利」のように国民の貯金から不当な利益を掠め取ってきた経緯などをも思い起こすならば、嫌悪感が募りこそすれ、好感なぞ持ち得ないできた。
 だが、ようやく、銀行業界も特権的立場が侵食されつつある時代になろうとしているのかもしれない。当然の成り行きだと言うべきか。
 もっともっと業界内で過激なサービス競争が展開されてよいのである。そして、斬新な経営スタイルが推進されることで、いつまでも従来の特権的スタイルに甘えている経営体質が、ゴソッと殺ぎ落とされるべきなのであろう。
 企業による運用資金にしても、次第に株式市場からの調達という方式が高まりつつあるようだ。銀行からの融資に依存する比率は今後増える方向にはないのではなかろうか。そうなれば、各銀行は、主力業務である融資に関して、融資先確保のための過激な競争へと突入せざるを得ない。
 そして、冒頭のような、もう片方の業務である預金業務に関しても、顧客獲得のシェア争いのための経営努力の問題が急浮上してくるに違いなかろう。

 現在の経済情勢は、とかく中小零細規模の企業体や庶民が割りを食う事態を先ずは先行させてきた嫌いがある。格差社会と呼ばれる社会事象が物語っているのはその一端であろう。
 しかし、現在の経済情勢は、どうも、弱者層をいたぶるだけではなく、強者の身体に巣食う怠惰と惰性にも牙を剥きはじめているのかもしれない。それが経済論理の獰猛さというものなのかもしれない。この辺の動向にも偏りなく目を向けていく必要がありそうに思われる…… (2007.04.24)


 なるほどねぇ、と思わされる記事があった。以下のとおりである。

<男性、温厚なほど長寿 神経質は寿命左右 米大学調べ
 年をとるにつれて性格が円くなる人ほど長生きできる――。米国のパーデュー大とボストン大のグループが、私たちの性格のうち神経質な部分のレベルが寿命を左右していると、専門誌「心理科学」(電子版)の最新版で報告した。
 米国の中高年男性1663人(43〜91歳)の性格の変化について、最長12年にわたり追跡。調査を始めたときに比べて神経質になった群と穏やかになった群に分け、18年後の死亡率を比べた。
 両群の年齢構成や健康状態が同質になるよう統計処理をしたところ、「神経質群」の半数が死亡していたのに対し、「穏やか群」の生存率は75〜85%に達した。
 パーデュー大のダニエル・ムロザク准教授は「神経質な性格の度合いは、その人の寿命をはかる物差しとなる。血圧を下げようと心がければ心臓発作のリスクが減るように、性格を円くしようと考えれば死を避けられる」と説明している>( asahi.com 2007.04.24 )

 <私たちの性格のうち神経質な部分のレベルが寿命を左右している>、<性格を円くしようと考えれば死を避けられる>という所見は、いまさら言われるまでもない常識的な事柄でありそうだ。が、アカデミックな調査結果だとされると、今さらのように肝に銘じたくもなる。
 きっと、血圧に直接影響を与えるであろう怒りっぽい人も同じことになるのだろうと推測できそうだが、自分の場合、どちらかと言えば神経質で、かつ怒りっぽいという「二階級制覇」の性格のようだから尚のこと留意しなければなるまい。体型だけを円くせずに、性格自体をも円く温厚になるよう努めなければならない。かと言って、その努力目標にとらわれて神経質になっていたのでは話にならないが……。

 ところで、上記引用記事の主旨は十分によくわかるのであるが、今少し知りたいと思う点は、「死因」の分析はどうであったのかという点であり、もうひとつは、「神経質群」という中身がどういうものか、という点なのである。こんなことに言及するような者の性格を言うのです、と言われれば身も蓋もないが……。
 何を言おうとしているのかというと、神経質な者は、それが原因で何か身体的な疾病を誘発させ、それがもとで短命に終わったのか、あるいは、神経質な者(怒りっぽい者はなおさらである)は何かと人間関係において好ましいとは言えない関係を生み出してしまい、そのことが原因で命を失ったのか、とでは大分事情が異なってきそうだからである。
 たぶん、上記記事では疾病に因るものを含む「自然死」を指しているように推測されるが、考えてみれば「事故死」だってあり得るだろうし、もっと詮索するならば「自殺」や「他殺」だって含んでいても不思議ではないはずだ。
 つまり、性格における「神経質群」と疾病誘発のような身体的な因果関係が考えられるだけではなく、それらが当人の社会的行動を特徴あるものにさせ、そして命を縮める事態を招くといういわば社会的因果関係も十分に想定できると思われるからだ。もちろんこれらが入り混じったケースもあり得るに違いない。

 自分の関心は、確かに、性格における「神経質群」と疾病誘発のような身体的な因果関係の方に傾いているのは事実であるが、かと言って、まんざら後者の場合だって無視できないような気がしている。
 と言うのも、現代という時代の人間関係、社会的関係は、とにかく異常さに満ち満ちていると感じているからなのである。つまり、現代という時代は、とても「温厚な」人間関係、社会的関係が展開されているとは思えない、ということであり、そうした異常な社会のなかで、「事故死」「自殺」「他殺」といったかたちで不運な一生を終える者も、あるいは少なくないのではないかと思われるからである。
 そうした「不運さ」や「災難」に遭遇する人々は、まさしく当人に原因がなく偶発的に引き受けてしまう人々が多いとは思われる。
 だが、現代という危ない時代に生きる者にとっては、できれば知りたいと思うことがあるのではなかろうか。つまり、どういう性格であればいろいろな不慮の災難に遭遇する確率を下げることができるのか、という点である。
 一概には言えないかもしれないが、とかくぎすぎすして刺々しい時代環境にあっては、何かと寛容な性格であることが人的「災難」を回避する要件だと言えるのかもしれない。ただし、注意力も疎かにできないところが厄介なのかもしれない…… (2007.04.25)


 もうすぐ「ゴールデン・ウイーク」が始まる。新緑のもとで自然に親しむ時間が与えられることを喜ばない者はいないだろう。自分も、できれば健康のために自由時間を活用したいと願っている。
 ただひとつ気になるのは、この連休の最中にある「憲法記念日」であり、要するに自民党などの改憲勢力がこの日を睨みながら進めている改憲への動きである。今国会中に成立を目論んでいる巧遅拙速、ごり押し的な「国民投票法案」の国会審議状況にしても大いに気になるところだ。
 にもかかわらず、大多数の国民は「ゴールデン・ウイーク」をエンジョイしながら、政治の動きなぞを視野に入れるどころではなくなってしまうのだろうか……。しかし、これ幸いとばかりに、「改憲」勢力は、粛々と、かつ着々と事を進めようとしていそうである。
 現に、今日、以下のような記事が目についた。

<憲法観の違いにじみ出る 憲法60年式典で首相と議長
 衆参両院主催の「日本国憲法施行60周年記念式」が25日、東京・永田町の憲政記念館で開かれた。安倍首相と河野洋平衆院議長らがあいさつしたが、それぞれの憲法観の違いがにじみ出た。
 冒頭、あいさつした河野議長は「この憲法の下で、わが国の部隊が海外において一人たりとも他国の国民の生命を奪うことはなかった。この平和の歩みは誇ってよい実績であると考える」と指摘。改憲については「幅広い視野に立ち、謙虚に歴史に学ぶ心を持ち、国家と国民の将来に責任感を持って行われることを切に望む」と語った。
 一方、首相は国際社会への積極的貢献の必要性を強調。そのうえで「憲法を頂点とした行政システム、教育、経済、雇用、国と地方との関係などの基本的枠組みを時代の変化に対応させるため、改革が求められている。憲法のあり方についての議論が、国民とともに積極的に行われることを切に願う」と述べ、改憲意欲をにじませた。>( asahi.com 2007.04.25 )

 この記事の限りでは、どちらかといえば「河野議長」のあいさつに共感を覚えはする。それに対して、<国際社会への積極的貢献の必要性>とか、<基本的枠組みを時代の変化に対応させるため、改革が求められている>、そして<憲法のあり方についての議論が、国民とともに積極的に行われること>といった抽象的な言葉などの中身に関しては大いに理解に苦しむ。特に、<国際社会への積極的貢献>という綺麗事の表現は、色鮮やかな毒キノコのように危険でさえありそうだ。
 そもそも、なぜ、今、そんなに「改憲」の動きを急がなければならないのか? 何か、現憲法であるがゆえの国民的支障が発生しているのであろうか? どうも、腑に落ちないのである。
 片や、安倍首相は今日、ブッシュ米大統領との「日米首脳会談」を行うために訪米している。憲法解釈の拡大、改憲にリンクした「集団自衛権」の問題での「色よい返事」を携えて行ったのであろうか。小泉前首相の時にもそうであったが、この国の首相が米大統領と会談をするという事態に関しては、国民としては実に不安とならざるを得ない。昨今、国際的に孤立しがちな米国が、国際世論作りのためにオッチョコチョイなこの国をダシに使うのではないかと疑心暗鬼となるわけである。その好例は、今や国際的にも評判の悪い米国のイラク政策に沿って、この国は自衛隊の派遣まで約束させられてしまった事実が挙げられよう。
 こう考えると、現在、国内で自民党が中心となって展開している「改憲」の動向の震源地は、何を隠そう「対米関係」の中にありそうだと、気の利いた国民ならば想像するに違いなかろう。

 今、猛烈な勢いで始まろうとしていることは、米国が露払いをして制定させた「日本国平和憲法」をまで、米国自身が影響を及ぼしながら手直しをして、米軍の配下に自衛隊を置いてしまおうという、そんなドラスティックな動きだと言うべきかもしれぬ。
 こうした時点だからこそ、国の将来に責任を担うはずの政治家たちが、国民と国益とを尊重しながら深慮遠謀の知恵を絞るべきだと思われる。だが、現在の政治家諸氏は、軽口ばかりを叩き、何も見ず、何も考えてはいないかのような気がしてならない。
 少なくとも、現憲法が制定されることになった終戦時の政治家の中には、国の将来をしっかりと見据えた者たちもいたと言われている。「憲法九条」の導入が、単にマッカーサーの意図であっただけではなく、日本の将来を「レアルポリティック」(政治学用語。現実主義的権力政治。国益注進主義的政治。語源はドイツ語……<立花隆の「メディア ソシオ・ポリティクス」>より)の観点で見据えた日本の政治家による貴重な思案でもあったらしいのだ。この点については日を改めて書きたい。
 それにしても、政治、金融・経済、そして軍事の領域に至るまで、ことごとく対米従属的にリストラクチャリング(再構築)されて行くならば、一体この国はどんな国になって行くのだろうか。「51番目の州」へと限りなく接近して行くのか…… (2007.04.26)


 やはり、連休のメイン・イベントは、地味も地味な「片付け」作業なのかなぁ、という思いにとらわれ始めた。
 昨晩、ちょっと根を詰めて読書をしたら、脳内が引っ掻き回されたとみえて、いろいろな知的刺激が噴き上げてきた。そして、そういえばあの書籍はどこへ行った? あれはどうだ? と思うこと頻(しき)りとなってしまったのだ。
 そして、それらを自宅の書斎やら、事務所の自分の部屋やらを探すに至る。すると、まあまあ書籍類が乱雑な状態となっていること、と改めて気づくことになる。整理整頓とまでは行かなくとも、少なくともどこに何があるかがすぐに見当がつく程度には「片付け」なくてはなるまい、と観念したわけである。
 これは悪くない傾向なのである。万事、調子が優れない時には、何がどうなっていようとお構いなしで過ごすようで、その結果、身の回りのモノが乱雑極まりない状態となり果てる。なんとかしなくてはと感じながらも、まあいいか、となってしまうわけだ。

 学生時代とか若い時にも、こうした「片付け」衝動に襲われたことが時々はあったかと思い出す。そしてそれは気分が前向きな時に限って生じたようである。
 大体、大掃除のごとく単に物理的に整理整頓をしなくてはならないと思うのではない。いわば内面的なものに触発されてその衝動が湧き上がって来ることが多かったかと思い起こす。何か問題意識が明らかになりつつある時に、それを深めようという姿勢となり、それに関係する書籍やその他関係するモノ類を扱いやすい状態とするべく動き始めるという具合なのであった。
 「片付け」の対象は、やはり書籍類が多かったようで、念頭にある問題意識に沿って、それとの遠近感で書棚に収納し直す作業を黙々と深夜に至っても続けたような記憶がある。それは大変な作業というよりも、むしろ充実した作業であったのかもしれない。
 格好をつけた表現をするならば、要するに自分にとっての「片付け」とは、たとえそれらがモノ類ではあった場合でも、「情報整理」ということだったに違いない。対象類を整理することで、対象空間を整理するというよりも、自身の脳内を秩序付けていたはずなのである。

 今、バカバカしいことを思い起こした。志ん生の落語に「化け物使い」という噺がある。
 人使いの荒い者がいて奉公していた者たちも皆去って行く。そんなところへ、狸が化け物となって現れる。しかし、その男は一向に動じないどころか、狸が化けて出て来た一つ目小僧だの、大男などの化け物を、これ幸いとばかりにあごでいいように使うのである。「お前たちは、昼間、出てこれないのかい? 権助(ごんすけ)がいなくなったから用が足せないんだ」と、昼間からこき使おうとする始末なのである。
 いやこうしたことはどうでもいいのだが、化け物たちが使われて帰ろうとすると、
「布団をひ(し)いてくれ」と言い、化け物がしぶしぶ敷き終えると、
「まがってるじゃないか! お前たちはまげてひくもんなのか、まっつぐにひくんだよ、気持ち悪いじゃないか」と小言まで言うのである。
 この布団の敷き方を思い起こしたというわけなのである。モノ(布団)を対処するということが、空間的な問題だけであるならば、「まげて」敷こうが、「まっつぐ」敷こうがさほど問題のあることではないと思われる。が、男は、それにこだわる。
 まあ、それが人間の常識であるし十分にわかるのだが、考えてみると、人間というものは、秩序感(観)やら美意識やらと、もっぱら内的な観念や基準との関係をもとにして環境に対処する存在のようである。

 ということで、仮に部屋の「片付け」という些細なことにしても、まさに内的な事実との関係こそが重要なのだということなのである。「化け物」たちのように、モノが「まっつぐ」であろうがなかろうが無頓着というのは、さすがに情けないことであろう。
 そして、さらに言うならば、精神的な内的生活を見つめながらの生活環境整備こそは大事にすべきことなのだろうと…… (2007.04.27)


 こうやって毎日、言葉を使って何かを表現しようとし続けている。
 しかし、それでは言葉によって物事が表現し尽くせると思っているのかといえば、否であるとしか言いようがない。毎度、書き上げた文章が、自分のどんな真実を言い当てているのだろうかと振り返る時、それは部分的であるがゆえに納得できないもどかしさを感じるとともに、辛らつな言い方をするならば、これを書いた自分は自分らしい自分なのであるのかどうか、というような疑問を無しとはしない。これが自分だと心底納得できるような自分は、もっと違ったかたちで身を隠しているのではなかろうか、と、猜疑的な言い方をすればそんなことを思うことも無くはないからである。

 確かに、言葉や文章によって何かが表現され、逆に、表現された内容の何かが存在するのであろうという印象は抱くし、それらが虚構だとか絵空事だとまでは思わない。
 元来、言葉やそれを使ってものを考えたり、伝えたりする人間の言葉処理能力もそれほどあてになるものではなさそうではないか。にもかかわらず、人間がものを考えたり、他者にそれを伝えたりする手段は言葉以外になさそうだから、それだからやむを得ずそうしているという事情があるのだと思っている。
 自分の考えるところを言葉を選んで正確に述べなさい、なんぞとよく人は言う。いや、自分自身そんな紋切型口調を口にした覚えがないとは言えない。あたかも、言葉を使えば、あるいは上手に使えば、何でも表現できると盲信するところから、そんな紋切型口調が出てくるのであろう。しかし、正直に振り返ってみると、言葉という手段はそんなに万能ではないのではなかろうか。
 逆に、万能だと見なす者は、逆立ちした発想をしているからだと言っていいのかもしれない。つまり、この世には言葉によって指し示されるものしか存在しない、とそう決めつけるならば、言葉で指し示されないものや表現されないものは何もないということに落ち着くからである。
 何だか小難しい屁理屈を言っているように聞こえるかもしれないが、単純なことを言っているつもりである。むしろ、現代という時代や社会の方が、「この世には言葉によって指し示されるものしか存在しない」という狭い了見を益々徹底させてしまい、世の中や世界という存在を小さく切り取ってしまおうとでもしているように思われるのだ。

 昨日、いや一昨日であったか、ちょっとした興味深い光景に遭遇したものだった。それは、昼食時に事務所から出た際に、通りの反対側の歩道で繰り広げられていたのである。
 どこからか、幼児が泣き叫ぶ声が聞こえてきた。その猛烈さは、なぜか久しぶりに聞く懐かしささえあった。
 その鳴き声の主を探して視線をやると、三、四歳ほどの幼女が歩道の上でまさに地団駄を踏むような格好で、前方に向かって泣き喚いていたのであった。その激しさときたらなかった。
 多分、母親に対して何かを訴えてそうしているのだろうと思い、その幼女が向かう七、八メートル先に視線を移すと、買い物袋か何かを携えた母親らしき女性が、わざとその子の方を向かないで、反対方向を向いて仏頂面をして佇んでいたのである。
 そんな母親の様子を掌握しているからこそ、その幼女はさらに激しく泣き喚き、まるで喉から体内の臓物が噴き出さんばかりのありさまであった。
 仔細はわからぬが、二人の状況の概要は言うまでもなく了解できたのだった。いわゆる駄々をこねる子に対して、母親は甘やかすと頭に乗るとばかりに、指導教育を実践していたはずなのである。

 最近は、ここまで「利かん坊」な子どもはあまり見かけなくなったかと思えた。実際はそうではないのかもしれないが、昨今の自分の印象では、何かとものわかりの良い幼児が「指導増産」されているのではなかろうかと感じている。
 自分は、自慢じゃないが至って「利かん坊」な子どもであったそうな。上述の、歩道上での親子決闘場面なんぞはほとんど毎度のことであったとも聞く。おまけに、激しい泣き喚きは、大抵「引き付け」にまで上り詰めてしまうというから、舌を噛まないようにとしばしば手ぬぐいなんぞを口に押し込まれたという壮絶さであったらしい。
 自分の幼少時がそんなであったからというわけなのか、上述の場面でも、自分のシンパシーは明らかに泣き喚きの塊のような幼女の方に向けられていた。
 その時に自分が考えていたのは、決してスマートな教育的な観点なぞでは毛頭なかった。むしろ、文明と自然との小さな格闘・闘争のごとく受けとめていたようだ。つまり、「母親=文明=理性=言葉」軍と、「幼女=自然=感情=泣き喚き」軍との闘争である。もちろん、前者が漸次勝利に至るのは目に見えているし、まあそれしかないのであろう。
 しかし、言葉一般が持つ意味を、大人ほどには信じられない幼児にとって、自身の内側で実体をもって突き上げる感情以外に身を任せるに足るものはないのではなかろうか。この時、ちょうど言葉などは、「通貨」と同様で、「通貨」の価値なぞは幼児にはわかりっこないと思われる。一万円札と目の前のおいしそうなケーキとどちらがいいかと言えば、きっと幼児なら躊躇なくケーキに手を伸ばすことであろう。「通貨」(=言葉)よりも、「実体」(=感情)優先という自然感覚が幼児の特性だと思われる。

 明らかに自分は、子育てにおける血が滲むような苦労を脇に置いて勝手なことを言っているはずである。事実、まめな父親でもなかったに違いない。
 がしかし、現代という時代状況を本質的に、かつ大局的に見つめる時、ここまで遡って考えてみる必要もありそうだと思われてならないのだ。
 ちなみに、現代という時代はさまざまな問題を孕んでいるが、その中でも「(近代)文明」自体が諸刃の剣のごとく、薬と毒との両面を持っているらしいという点は重苦しい問題であるに違いない。エコロジー問題はもちろんのこと、昨今のグローバリズム経済驀進がもたらす大規模な矛盾にしても全体として見ると、まるで「出口なし」状況のように見えなくもないからだ。
 そして、問題の根源を遡り、遡り振り返って行くと、「言葉」で世界を定義することに始まり、「言葉」で自然世界を再構築し(科学と技術)、今や、世界は究極的には「言葉」によって律せられた「システム」世界へと置き換えられてしまったかに見える。まさしく、「言葉」によって指し示されたり、表現されたりできないものは何もない、という世界に置き換わったかのように思われる。これと、並行的に突き進んだ現象は、商品化され市場に登場しないようなモノは何もないという「汎・経済主義」、「市場経済主義」だとも言えそうだ。

 わたしは、前述の「歩道上での親子決闘場面」を目にした後、母親が脳裏に置いていた教育的な理性、「言葉」群は了解できたものの、それでは、幼女が身体じゅうで発していたエネルギーとは一体何なのかと思いを寄せてみたりしたものだった。
 勝手に解釈すれば、ひょっとしたら何かが欲しかったことを原点にし、それが母親によって拒絶されたのかもしれない。その時、欲しいものへの思いと、大事な母親との密着関係が壊れてしまったことの悲しさとが絡み、なおかつ空間的にも母親が自分に距離を置いたことへの不安と恐怖が襲いかかってきてしまい、どうしていいかわからなくなり、状況をすべて跳ね除けようとするエネルギーが、あのパニックのような「泣き喚き」となったのかもしれない。まさに、「言葉」発生以前の原始人によるアクションなのだろう。
 わたしは、決してそうした幼女を蔑視してこう書いているのではなく、人間なら幼少のころに誰にでもあったことだろうと再確認しつつ、そして、それらは合理的ではないからといって無下に否定されて然るべきものではないのではなかろうかと感じるのである。
 仮に、その幼女が成長して「言葉」の使い手となったならば、そして過去の感情の記憶まで鮮明に記憶していたとするならば、その感情のすべては「言葉」に置き換えられて、合理的に解消され尽くすものなのであろうか。そんなことはなかろうと思う。
 またまた勝手に解釈するならば、「言葉」に仕上がることのなかった、そうであるがゆえに「泣き喚き」というボディ・アクションに至った幼女の感情というものは、十年経っても、二十年経っても、いや五十年経っても、「言葉」に仕上がるどころか何も変わらないのではないかという気がする。
 何かを欲しいと思う切望の感情、大事な人と一体でありたいと願う感情、それが壊れることの寂しさ、悲しさ、別離感、孤独感……。今、こうしてあえて「言葉」に置き換えてはいるが、その実体は置き換え不能どころかその当事者以外にはほかの誰も知ることのできない固有なものであるに違いない。
 ひょっとしたら、その幼女は何十年もの後に、たとえば母親と死別するその時に、あの時とそっくりそのままの感情を突然にも再現させ、そして「言葉」自体の本来的無力さゆえに、再び「泣き喚き」という充溢したボディ・アクションを繰り返すに違いないのではないかと…… (2007.04.28)


 書斎の机の前に座り、何気なく机の上の片隅に視線を落とす。机の表面を覆う透明ビニール・シートを透して古い「十円玉」が見えた。そのシートの下の近辺には、記念切手やら伊藤博文の千円札やら、あの弐千円札などが無造作に挟み込まれている。
 そんな並べ方にとりわけ深い理由があるわけではない。気に入っているからというほどの根拠があるわけでもなく、他のモノと紛れてしまいそうだから、アテンション・プリーズという程度の理由なのであろう。
 だが、自分でそうしておきながら、この古い「十円玉」にどんな意味があったのだったかと怪訝に思えた。きっと、製造年が古いものだから避(よ)けておいたのだろうと思い、とりあえずシートの下から取り出してみた。
 随分と手垢で汚れており、おまけに円周にギザギサがある「十円玉」であった。年数を確かめると「昭和26年」とある。
 ひょっとしたら、「初版」ということだったかな? と気づき、関連サイトで確かめてみた。やはり、昭和26年版硬貨は「十円玉」が初めて製造、発行されたものであった。未使用であればプレミアがついてコレクターたちの間で高値で取引されるらしい。使用されたものでも「15円」の価値があるとかだ。また、この「十円玉」には地金の銅に微量ながらの金が混入しているとの噂もあるらしい。とにかく、単なる一般的な硬貨にプラスアルファが付随していることだけは確かなようである。
 そんなわけで、聞き覚えがある「ソースをつけて磨く」ことで、やや光らせてみた自分であったが、その後で上記サイトをじっくり読むと以下のようなことが書いてあった。
<素材が銅であるため、醤油やレモン汁にひたすと未使用硬貨のような光沢を放つため、古い硬貨をピカピカにするという子供の遊びがある。ただし、収集用とする際にこの方法を用いることは、却って酸化が早まるか緑青が発生したり、質量が減ったりなどし、著しく硬貨の質を落とすおそれがあるため厳禁である>(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 ところで、この昭和26年版「十円玉」を見ていたら、昭和26年とはどんな年であったのだろう、という関心がにわかに高まってきたものである。
 自分自身に関していえば、ようやく記憶が成立するかしないかの3歳児である。だから、以下はひょっとしたら4歳になってからのことかもしれない。
 当時は、大阪の生家に住んでいた。砂埃が舞い上がるバス通りに面した角の平家建てであった。向かいは広い空き地となっており、そこでよく遊んだものだった。隣家のことはまったく記憶にないが、その向こう隣には「タカヤ」さんとかいう画家が住んでいた。夜の海をよく感じを出して描いた小さなサイズのパステル画を貰った。その絶妙なニュアンスに覚えはあるのだが、それがどこへ行ったか今ではわからない。
 その「タカヤ」画伯に関してもうひとつ覚えているのが、奇妙な事実なのである。その画伯は、しばしば広い空き地に面した草むらで、薄暮の頃に立ちしょんべんをしていた。しかもビンの中に尿を入れ何やらセルフチェックをして、その後、そのビンを広い空き地の草むらに向かって放り投げていたのであった。どうも糖尿病であったとかいうことを後日聞いた覚えがある。ベレー帽を被り、スモックのような作業着を着たその「タカヤ」画伯が、広い空き地に向かって毎度ビンを投てきするその光景が、妙に脳裏に刻まれているのである。
 近所に、大人でも手におえない悪童兄弟がいたのも覚えている。自分はそいつらに負けてよく泣かされて帰ったようだった。目に余る仕業だと腹を立てた父がそいつらを怒鳴りに表に出ると、そいつらは、「オッサン、アホかぁ。悔しかったらここまで来いや」と詰り、広い空き地の奥へと犬のように逃げて行った。そういえば、そいつらの名を思い出しかかったが、「かっちゃん」と「ター坊」とかではなかったかと……。
 犬といえば、野放しにされた人のいい(?)白犬、タロウがいたことも思い出す。自分たち子ども連中が遊んでいるといつもそばにいて仲間のようになついていた存在だった。馬乗りのような悪ふざけをしても言うなりになっていたものだ。
 当時は、よく「野犬狩り」がやって来たようだったが、それがやって来るとタロウは一目散に広い空き地を駆け抜け、とある場所へと避難する。空き地の向こう側を程なく行ったところにあるお寺であり、その縁の下がタロウの隠れ家だったようなのである。やがて年老いたタロウが姿を見せなくなった時、誰かが、その寺の縁の下を探しに行った。タロウはそこで最期を迎えたということだった……。

 ところで、当時、先の「十円玉」を手にしたというそういった記憶はまったくない。
 昭和26年当時の「十円」というと、物価換算からすればひょっとすれば現在の「十円」の十数倍の価値だったのではないかと推測する。大阪ではまったく「納豆」を口にしたことはなかったが、その「納豆」が当時「十円」だったそうだ。
 3、4歳であったのだから、めったにお小遣いを貰うことはなかったようだが、せいぜい手にしたのは5円玉だったのではなかろうか。自宅の裏手側にあった駄菓子屋で、5円の籤つきの「インデアン・ガム」を買った覚えがないでもない。その時、「当たり」が二度続けて出たことがあり、それを見た店のおばさんが「もうこの当たりはなしにしとこ」とアンフェアなことを言ったようだった。それで、家に戻ってそのことを母に話したところ、まだ若かった母は自分をその駄菓子屋に引き連れて行き、抗議したのではなかったかとも……。
 いや、さすがに三、四歳くらいだとおカネに関する記憶は無いに等しい希薄さである。昨日も書いたはずだが、言葉とともに「通貨」というものもまた、社会経験が希薄な幼児にとっては見当のつきにくいものだったのであろう。

 ところで、この昭和26年とはどんな年だったのかということだが、その年の主な出来事としては、次のとおりである。

< 4月24日 - 国鉄桜木町電車火災事故(桜木町事故、国鉄63系電車などを参照)
9月1日 - 日本初の民間放送ラジオ局、中部日本放送と新日本放送(現・毎日放送)が開局
9月8日 - サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約締結
10月28日 - プロレスの力道山デビュー
12月24日 - リビアがイタリアから独立
12月25日 - ラジオ東京(現:TBS)が開局 >(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 単純に身近に感じるのは、やはり「力道山デビュー」ということになろうか。この一、二年あとくらいに、銭湯に設置されたTVでプロレス中継が黒山のような人だかりを作ったはずだ。父親と銭湯に出かけてそんな光景に遭遇したような記憶がある。
 ところで、昭和26年の重大事である<サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約締結>に関しては、まったく記憶の片鱗もない。3歳の幼児にそんな記憶が残りようもないわけだが、しかし、翻って考えるとこの時の「日米安全保障条約締結」が、60年改定安保、70年同条約延長へと連なり、今日ののっぴきならない日米同盟関係の皮切りとなっていたわけなのである。
 そんなことを思うと、祭日「昭和の日」(昭和天皇誕生日)の今日、そして、憲法改定が差し迫るほどに日米関係が上り詰めようとしているこの時期に、偶然とは言え、その発端の年に鋳造された硬貨「昭和26年」の「十円玉」に目を向けていることに、何か不思議な縁(えにし)を感じてしまうのである…… (2007.04.29)


 久しぶりに「チェーンソー」を使って庭の整理作業をした。といっても、庭の植木をあやめたわけではない。無用となっていながらそのままで朽ちていた仕切戸などを取り払い、ゴミ収集向けに出せるよう小さく裁断したのであった。
 その仕切戸は、犬を庭で放し飼いにできるように庭の一角を塞いでいたのだが、現在はその犬もいないし、年数が経った木製のそれらは容易に押し倒せるほどに傷んでいたのである。
 時々それを眺めては、取り外したいと考えるのだったが、その後の廃棄処理のことを思うと棚上げになってしまうのであった。が、今回は、連休 ――明日、あさっては暦どおりの出勤日ではある―― という余裕感があってか、よし、整理してしまおう、という強気になった。
 その仕切戸とそれを支える幅の狭い板塀は、二、三寸の木材を使って頑丈な作りではあるが、すでに根元の方は腐ってしまっている。押し倒せば……と書いたが、まさにそうしたところ、バキッという音とともに倒れ、脇の植木に寄りかかる格好となったものである。地面と接触し続けている木材というものが、いかに脆くなってしまうものかと思い知らされた。
 3、40キロはあろうかと思われる重量のそれらを、庭の奥の方へと運ぶことにした。それらを分解し、そして柱や板を数十センチ未満に裁断するためである。もちろん、和式ノコギリを引くような正攻法では、途中で嫌気が差してしまうことは目に見えていた。
 そこで、自分は当初から電動式「チェーンソー」で一気に片付けてやろうと目論んでいたのである。ただし、釘やビスで組み立てられている格好のままでは「チェーンソー」も活かせず、まずは角材や板へとバラバラに分解する必要があった。だがこれも、大型の鉄製バールを使いこなしてほどなく解体作業は完了した。
 そしていよいよ「チェーンソー」の出番となる。家の外に設置されたコンセントから延長コードを引いてきて、電源を確保できた。
 初めて「チェーンソー」を使ったのは、枝が伸び放題に伸びてしまった庭の梨の木の太枝を切り落とす時であった。その時は、長い梯子を使っての足場が悪い事やら、質量のある枝が不測の事態を招かないかとかの懸念があったため、かなり気を遣わざるを得なかった。
 が、今日の作業は、それに較べると明らかに気がラクであった。膝の高さほどの台を設え、その上に一メートルほどの角材や板を載せて、通常のノコギリを引く格好で裁断すればよかったからである。ただ、騒音の大きさだけは尋常ではないので、ダラダラと長引かせることがないように気をつけなければならないと思った。
 さすがに「チェーンソー」の威力は大したものであり、二、三寸の角材も2、30秒足らずで見事裁断できてしまった。こうして、バラされた木材はあっという間に4、50センチの長さのゴミ・サイズへと変貌したのである。
 最近は、何をするにしても心地よく事が運ぶということが少なく、「どーだい、ざっとこんなもんだい!」という快感にご無沙汰していた気配であったが、今日ばかりは、頼みにできる道具様のお陰で、ちょっとした快感を味わうことができたようであった。だからどうだということもないのだが、思い通りにスッキリと事が運び、伴う快感を味わうことがたまにはなくてはやってられない、という気がするのである。

 だが、冷静に見つめるならば、作業完了に大きく貢献したのは実は「チェーンソー」様であったわけで、それを操作した自分がまんまと「手柄横取り」をする格好でいい気分となっているのが真相ではある。しかし、翻って考えるならば、この「手柄横取り」パターンこそが、現代人に残された貴重なストレス解消策なのかもしれない。
 この連休で、クルマで遠出した人たちも多かったようだが、その立役者は実は高性能なクルマやカーナビ自体だったはずだが、ドライバーはそれらを操作することで「手柄横取り」の達成感をゲットしているはずであろう。
 さらに言えば、政府高官たちは、偉そうな顔をしたり、自身が世の中を動かしているつもりの「手柄横取り」の達成感をゲットしているのだろうが、実は、その背後にはこの国の肥大化した「官僚機構」が鎮座して機能しているわけである。
 ということになると、現代という時代にあっては、輝かしい場面というのは、大なり小なりその陰で黒子のようになって稼働する存在によって支えられているのであり、表に出ているものは「手柄横取り」的笑顔を振り撒いているのだと言えないこともなかろう…… (2007.04.30)