昨日は、安倍内閣の破たんぶりを、小泉前内閣の「続編、後編」(小泉前首相が撒いたタネの刈り取り?)だという位置づけで考察した。
その意味は、浅薄な「改革」という言葉でスローガン化された「構造改革」・「グローバリズム」路線をそのまま継承しているからという点が基本である。国民が NO! という意思表示をしたのは、何はさておいてもこの点であったはずであろう。
小泉前首相は、この路線を「痛み」を伴う(「痛み」しか伴わないと言わぬばかりに)、というたぶらかしの表現でお茶を濁したわけだが、その実態が、単なる「痛み」どころか生活破壊や自殺者増幅につながる凄まじいものであることを国民多数が「実感」したのだと思われる。
この「実感」について言えば、多数の国民は、これまでになかったほどの悲惨な生活を嫌というほど「実感」しているものと思われる。それにもかかわらず、安倍首相は、そのことに共感を示すどころか、今回の選挙においては、「(経済)成長を実感へ」と、小泉前首相に優るとも劣らない「はぐらかし」の言辞を弄している。
あたかも、国民にへばりついている現在の悲惨な生活「実感」は、ちょっとした事務手続き上のミスでたまたまそうなっているのであり、もうすぐ(経済)成長が「実感」されるようになるのだと強弁しているようなものである。
そんなことが起きるわけがないことは、明々白々である。それは昨日も書いたとおりであるが、「勝ち組」が得ている利得や恩恵を、どうして「勝ち組」は自ら手放すようなことをするであろうか。「勝ち組」は、意識的、無意識的に「負け組」がさらなる「負け組」へと墜落することを、いわば梃子にしながら肥え太るというのがリアルな現実のはずであろう。それが、市場原理市場主義の競争原理社会ということである。
また、もし、(経済)成長が大多数の国民に「実感」される可能性があるとするならば、それは政府による「所得再配分」の方向での公的政策以外ではない。つまり、不公正税制の是正であったり、社会福祉制度の充実ということである。
しかし、現行行われてきたことは、全く逆ではなかったか。実質的増税の政策が行われ、健康保険や年金その他の公的負担を矢継ぎ早で増加させてきたことは疑いようのない事実である。おまけに、それでも足らぬとばかりに、「消費税率アップ」を着々と計画している。
こうした、国民生活圧迫の「実績」を累々と積み重ねていながら、「もうすぐ、(経済)成長が大多数の国民に『実感』されるようになる!」と言い包めようとしているわけだ。よくもそんな「虚言」が口から飛び出すものだと感心せざるを得ない。
実は、この「虚言」癖も、「小泉『改革』路線?」の真骨頂だったわけである。この点でも、安倍内閣は、小泉前内閣の「続編、後編」だということになる。
この点については、書いているだけでも不快感が募るため、とあるサイトの的確な表現を、ちょっと長くなるが引用させてもらおう。
その筆者(中国出身)は、小泉・安倍による政治劇の全編・後編を、<政治バブル>という見事なタームで括り、それが今回の参院選で<終焉>しつつあるのだと主張している。
<参院選、政治バブルの終焉
……
外国から見た場合、今回の選挙結果は「予想外」の一言に尽きるのです。この「予想外」にはそれなりの理由があります。安倍内閣は明らかに小泉内閣の流れを継承しているのです。北朝鮮政策などに代表されるように、むしろ安倍氏こそが小泉内閣の人気を支えていたのです。その安倍氏にこれだけ厳しい判断が下されたことを、果たして年金問題や失言問題だけで説明できるのでしょうか。
■小泉内閣から始まった政治バブル
……、小泉劇場ではこのロジックが通らない台詞がまかり通ったのです。せっかくの解散総選挙でも郵政問題だけに観衆の視線を集め、「郵政改革一つできないならほかに何が改革できるか」との台詞に多くの「観客」が頷いたものでした。今に思えばあの時点ですでに年金問題は存在していたのです。
近年、日本の政治が非常に軽薄になっているような気がします。衆院選で大勝した結果生まれた「小泉チルドレン」の一群のはしゃぎぶりや元ライブドア社長の堀江貴文被告の立候補からも分かるように、選挙に勝てば誰でもいいようなムードがあります。
……政治にまったく関心のなかった堀江被告を自民党の幹事長が「弟です」と連呼して選挙に引っ張り出したのはその象徴的な出来事でした。
……
■政治は本来、地味な仕事である
「政治」という言葉には「正しい文人が水をオサメル」という意味があります。太古の中国では黄河流域に生息する人々の生活を一番脅かしていたのは洪水でした。政治とは堤防(台)を作り洪水から住民の生活を守ることでした。
政治家にはビジョンや理念も大事ですが、それは住民の生活を守ってからの話です。しかし、ここ数年来、日本の政治家はビジョンや理念を過剰に強調し、それを表現するための台詞とパフォーマンスに大切な時間と労力を注ぎすぎたような気がします。
古い政治スタイルを改革してほしいとの国民の要望に応えるのはいいのですが、「政治は住民の生活を守る」という基本を疎かにしているような気がします。
安倍首相が「美しい日本」や「憲法改正」に力を注ぐのはいいことです。若者に愛国心を植え付けようとすることも評価すべきです。しかし、政治とは最終的に一人ひとりの市民の生活を守る地味な仕事であることを忘れてしまったのだと思います。
安倍首相に欠けているとされるのは、閣僚の不祥事が相次いだことからわかるように、リーダーに必要とされる能力の基本的な部分である「人事力」だと思います。つまり人を見抜く力が欠けているのです。
この弱い部分と高邁なスローガンやビジョンとの大きなギャップを選挙前に国民にさらけ出してしまいました。その乖離の大きさが膨張した政治バブルの引き金を引いたのです。
■基本への回帰が始まる
戦後政治を全面的に否定する風潮がこの数年来ずっと続いていました。「改革」さえ言っておけば具体論から逃避できたものです。しかし、果たして戦後の政治はそれほどだめだったのでしょうか。
目標到達できない場合は潔く引退すると宣言し、地味に田舎や工場を訪ねて歩く小沢一郎民主党代表に多くの有権者が古き良き政治家の影をみたと思います。いつまでも改革をしか言わない自民党に対して「政治は生活だ」とはっきり言った民主党に有権者が投票したのです。
これは明らかに政治の基本への回帰の始まりであり、政治バブル崩壊の始まりでもあるのです。今回の選挙は間違いなくもう一つの歴史の転換点です。悪い方向ではなく良い方向への転換です。そうさせた日本の国民は真に羨ましいと思うのです。>(宋 文洲 ソフトブレーン "NIKKEI NET" より)
<政治は本来、地味な仕事である>とは卓見である。そしてこの点に関心も実力もない政治家こそが、ことさらに<高邁なスローガンやビジョン>をがなり立てて、<大きなギャップ>を埋めるために、誇張した<政治バブル>現象を引き起こすのだ、と筆者は見抜いているものと思われる。
小泉・安倍政治路線は、二つにしてひとつの<政治バブル>現象以外ではないということか…… (2007.08.01)