モノが溢れた先進諸国では、モノ(製品)が内在する機能的水準は比較的高度なレベルで平準化していることや、消費者センスの多様化・個性化によって、専らモノ(製品)のデザイン性が重視される傾向が強い。PC分野で言えば、差がつきにくいPC機能に加えて、デザイン性でユーザーを掴んだマッキントッシュの動向が思い起こされる。決してマックの例だけではなく、デザイン性による差別化で消費者の心を掴んでいるモノ(製品)は少なくない。
こうした傾向が、消費文明が爛熟したいわゆる先進諸国のみでの特徴だと見なされてきたように思うが、必ずしもそうでもなさそうなのである。貧困から猛スピードでテイクオフしているインドにおいても、既にそうした傾向が立ち上がりはじめているのだそうである。これを一体どう理解するべきか、気になった。
昨日に引き続き、TV番組、NHKスペシャル『インドの衝撃』の第ニ回目『11億の消費パワー』を観ての感想である。
<第二回は地球最後の巨大市場とも呼ばれるインド市場に迫ります。インドでは今、「中間層」と呼ばれる旺盛な購買意欲を持つ人々が急増、その数は実に年間2千5百万人とも言われ、マレーシア1国分の消費パワーが毎年生まれる計算になります。消費の喜びに目覚め、大量の「もの」を買い始めた彼らが巻き起こす「消費革命」。伝統的な個人商店に変わってスーパーチェーンが急速に広がり始め、人々のライフスタイルも様変わりしています。将来性豊かな市場の争奪戦も激化、いち早く現地に適応した商品を開発し先行する韓国企業を、日本企業も追い上げようとしていますが苦戦を強いられています。
猛烈な勢いで出店するスーパーチェーンの開発部隊、日韓企業の市場争奪戦に密着取材、インドの歴史始まって以来の「消費革命」の実態と、インド社会にもたらす影響を探ります。>(サイト/NHKオンライン より)
冒頭の件は、エアコンの販売戦略において、日本の「日立」の現地法人が、「LG」などの韓国勢力に押され気味となっている現実が紹介される過程で提起されていた事実であった。
「日立」現地法人は、「日立」らしいといえばそうなのだが、高い技術力を背景にしたまさしく高性能で、ハイ・プライスのエアコンをリリースする戦略を採ってきたようなのだが、今ひとつ伸び悩む現状を迎えている。
そして、消費者動向をサーチするためにとある中間層の家を訪問して、あることに気付いたそうなのである。つまり、その家の内部は、内装といい、備えられた家電製品や家具など、いずれもがハイセンスなものばかりであり、先進諸国の生活様式やセンスによって設えられた雰囲気と何ら変わらなかったのだ。要するに、高度なデザイン志向、生活センスという点においては、先進諸国の最先端に何ら引けを取らない現実があった、つまり、先進諸国とリアルタイム的であったというのである。
そこで、「日立」の経営者は、日本の「美」的センスを前面に打ち出しながら高性能エアコンのシェアを伸ばすという戦略に転じたというのである。
インドのような分厚い貧困層と同居するかたちでの中間層の消費動向といえば、どちらかといえばデザイン性なぞよりも安さ、そして次に機能にこだわるのではないかという推測がされがちであろう。「衣食足りて礼節を知る」の言葉にも共通した推測である。
それに、日本の終戦後および高度成長期の生活様式の変化、推移は、そうした推理と同様な段階的移行をしてきたのではなかったかという気もする。
ところが、現在のインドでの消費動向は、その猛スピードで急激な水準上昇という特殊な推移にも原因があろうかとは思われるが、要するに、一気に先進諸国の爛熟した消費文明の特徴に飛び込んでしまっているわけなのである。
この事実が示すことは次の点だと思わざるを得なかった。すなわち、世界的な広がりでのIT環境の飛躍的な発展とこれと平行したグローバリズム経済のうねりは、人々の生活様式、センスをまで一気に変えてしまい、わずかなタイム・ラグをも生み出さず、先進諸国との「同時」空間に仕立て上げてしまう、ということなのであろう。世界の「フラット」化、「同時性」とはまさにこの事を言うのだと痛感させられた思いであった。
ここからは、あたかも、伝統文化との軋轢なぞ皆無のようにさえ見えるのだった。物質的貧困が、ハイエンドなモノの溢れによって塗り替えられていくのはわかるとしても、ヒンズー教文化などの伝統文化までが、このようにいとも簡単に押し黙らされてしまうものかと……。
溢れるモノとそれらへの欲求の喚起と平行して、強力なIT環境における各種メディアが人々の感覚、意識を日々洗脳するならば、文化を文明に置き換えてしまうことも十分にあり得るのだと考えさせられたものだった。
こうして、グローバリズム経済の猛進撃は、インドのみならず、ブラジル、ロシア、中国("BRIC"="BRAZIL","RUSSIA","INDIA","CHINA")を、米国を凌ぐ21世紀の経済大国へと押し上げていくのだそうである。
「有力な」予想としてそんなことが想定されるようであるが、ただそれは「有力」であるとしても決して確実であるとは言い切れないのかもしれない。現に、中国経済にもバブル要素や公害などの負の遺産も指摘されているし、インドにおいても、華やかな市場経済の発展の側面とともに、伝統文化の一翼から「ガンジー」再評価の動きも広まりつつあるとかである。
もし確実な気配という点であれば、"BRIC"の動向はさておいて、ここへ来てさまざまな面で急速に「行き詰まり」傾向を見せている、この日本という国の惨めな将来ではなかろうか。このまま行けば「アメリカの51番目の州」と成り下がったり、そうではなくとも「黄金の国・ジパング」ならぬ「往年の国・ジパング」になるのかも…… (2007.01.30)