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【 過 去 編 】



※アパート 『 台場荘 』 管理人のひとり言なんで、気にすることはありません・・・・・





‥‥‥‥ 2007年01月の日誌 ‥‥‥‥

2007/01/01/ (月)  元旦早々、イマジネーションは膨張する……
2007/01/02/ (火)  やはりちびりちびりと酒を嗜む以外はないということか……
2007/01/03/ (水)  今年も社会的新事象が次々と登場して、ますます目まぐるしい時代環境に
2007/01/04/ (木)  通りの良い架空の代替物で済まされがちな「事実」というもの
2007/01/05/ (金)  やはり「積み残し」が生じてしまったおふくろの「手術」
2007/01/06/ (土)  ハンドルを持つ手に力が篭ったりする……
2007/01/07/ (日)  「正攻法」によるものが、着実に生き残っていくには……
2007/01/08/ (月)  「個人主義的生活スタイル」という幻想……
2007/01/09/ (火)  「REM」睡眠の最中に目を覚ますとマズイ!?
2007/01/10/ (水)  「引き算」という発想の復権……
2007/01/11/ (木)  「デラシネ」が限りなく「ダラシネェ」に接近する現状……
2007/01/12/ (金)  おふくろへの今日の「処置=手術」は「楽勝」であったようだ……
2007/01/13/ (土)  地球「温暖化」に対して、人の情けや心は「氷河期」寸前?
2007/01/14/ (日)  唐突な「気づき」をフォローするためにメモは必要……
2007/01/15/ (月)  「むく犬の尻にノミが飛び込んだような騒ぎ」?
2007/01/16/ (火)  どんなに最悪な状況下でも人間の聡明さを求めて……
2007/01/17/ (水)  「共苦」(Mitleid=ミットライト)とは……
2007/01/18/ (木)  「共苦」感が棹差す根源は……
2007/01/19/ (金)  「今」を通過してしまおうと見なすのはやはりよくない……
2007/01/20/ (土)  笑っちゃいけないおふくろのケータイ!
2007/01/21/ (日)  「バカヤロー、早く喰わねぇからだ」
2007/01/22/ (月)  「おぬしは商人(あきんど)やの〜」
2007/01/23/ (火)  「おめえは、お白州には行けねぇのだ。ここで終わることになる……」
2007/01/24/ (水)  「殺(あや)めず、犯さず、貧しき者から奪わず」の戒めから始めよ!?
2007/01/25/ (木)  高が凡ミスごときに腹を立てる理由……
2007/01/26/ (金)  酒だ、長湯だ、東海林さだおだという「フル・コース」?
2007/01/27/ (土)  「人に喜んでもらいたい」という願望の行方……
2007/01/28/ (日)  「大御所」の出番を作ってやらなければ……
2007/01/29/ (月)  インドの技術的衝撃に対してよりも、眼を向けるべきは……
2007/01/30/ (火)  再びインドと「黄金の国・ジパング」ならぬ「往年の国・ジパング」……
2007/01/31/ (水)  記憶力、サヴァン症候群、「若い研究者は世間知らず?」……






 この元日は、天候も穏やかであり正月らしい一日であった。何よりも明るい陽射しに恵まれたのが良かった。戸外の明るさは朝のウォーキング時から気分を支えてくれたが、その後も、カメラを持ち出して新春風景でも撮りにでようかと思わせるほどであった。

 つい先ほど、そんな陽射しが残っているうちにと、朝に加えて夕方にも行ったウォーキングから戻って来た。体調も悪くないし、正月というとどうしても余計なものを口にしてしまったりもするため、予防線を張って汗を流しに出たというところだ。
 帰り道、しばしばいつも立ち寄っているホームセンター兼家電量販店を覗いてみた。昨今は、元日から営業をはじめるショップが増えているものだが、そこも同様であり、かなり大勢の来店客で賑わっていた。
 「福袋」販売のような新春セールでも覗いていくかというような、正月ならではの暇にまかせた気分で立ち寄ったわけである。二、三、関心を惹くようなものが目に止まったが、なんせクルマではなくて徒歩であるため、パスすることにせざるを得なかった。その代わり、手提げ袋に収まるような小物(外猫たちへのお年玉としての袋入り煮干、水野晴郎CMの500円DVD『チップス先生さようなら』[これは、高校時代の英語の授業でサイド・リーダーとなった小説であり、以前から一度鑑賞しようと考えていた]、そして若干の菓子類)を仕入れて、何となく満足そうにブラブラ帰ってきた。

 今朝は、ウォーキングからの帰宅後に、「簡略式」の正月料理のおせちと雑煮を食した。毎年、おふくろが同席するのであるが今年はおふくろが入院中であるためと、家内の家の喪中という事情もあり、「抑えた形」になった。しかし、正直言って、正月料理というものも、この歳になったからか時代環境の変化からか、何となく間抜けた感じがしないでもない。多分、わが家に限っていえば今後もますます形だけのものへと移行して行きそうな気配が濃厚である。
 しかも、今朝は、例年の御屠蘇をはじめとした酒類も控えたのである。というのは、その後、入院中のおふくろをクルマで見舞いに行こうとしていたからだ。
 見舞いといえば、おふくろはすっかり普段のペースに戻っているごとくであった。もう点滴装置も外されて、自由に歩き回っていた。家内と病室に着いた時、ベッドに姿がなかったため訝しく思ったら、病室のすぐ前のトイレからパジャマを直し直し歩いて出てくる姿が見えたのだった。朝食後に、数十メートルほどの廊下を三往復する運動をしたと自慢していたほどである。これで、正月明けの5日に行う二度目の「処置(胆管結石除去)」が首尾よく終われば一安心ということになろう。

 今日ここに書いておこうと思ったことがひとつあった。
 朝のウォーキングの際、道路の脇の畑に霜が降りているのを目にした時、何か古い記憶を呼び覚まさんとしたが、途中で挫折してしまった。何か、子ども時代の記憶で、ちょっとしたワクワクするようなことのような感じであったが、結局それが何なのか掴めず仕舞いで消失してしまったのである。
 その時に考えたことなのだが、やはり、人間の記憶というものは、「二つの仕組み」から成立しているようである。ひとつは、まるでコンピュータのメモリにデータが格納されるように、記憶対象が保存されるという仕組みである。これは、ひょっとしたら、かなり精緻なものであり、過去に経験した感覚的事柄の大半が保存されているのではないかという推測をする。
 しかし、それらの保存がそのまま記憶として蘇るものではなさそうである。とりあえずそれらは無意識の層に静かに待機しているといった状態なのかもしれない。
 そこで、二つ目の仕組みなのだが、これもまたコンピュータの構造にたとえるならば、CPUが何らかのデータにアクセスする場合、それなりの手続きが必要となるわけだが、その典型的な形は、「検索」処理ということであろう。たとえば、データ・ベースからとあるデータを呼び起こす時、この「検索」処理を行うことになるが、その場合、当該のデータを抽出するための条件をキーワードのようなものによって限定していかなければならない。データ・ベースのシステムでは、このキーの設定のあり方が工夫のしどころとなる。

 人間の記憶云々という事実は、実は、この「検索」処理のことではないのかと考えるのである。記憶対象自体は、ある意味では自然に行われてしまうのかもしれず、問題は、それらを必要な時にどう呼び起こせるかであり、それが記憶の眼目だと思われるのだ。
 だから、記憶が無くなるとか、ど忘れとかというものは、記憶対象が消えてしまうことなのではなく、思い起こすプロセスの部分に不都合が生じるようになったということなのであろう。
 また、何かを見たり、何かの刺激によってとある記憶対象が蘇るというのは、偶然に前者が「検索」処理のためのキーの役割を果たしてしまうという結果だと解釈できる。
 とにかく、記憶というものの重要なポイントは、記憶対象の素材の方ではなくて、それらをどう効果的に呼び出すのかというプロセスの方だと思われる。
 そしてもうひとつ、これも予感でしか過ぎないのだが、実は、蓄えられてしまった記憶対象は自然に眠っているのではなくて、「眠らされている」のではないかという気がするのである。つまり、記憶対象は、勝手に自動的に意識化される、つまり思い出されてしまうことがないように何らかの「抑圧」が加えられている、とも考えられる。そして、あることを思い出すという仕組みは、実は、記憶対象全体にあまねくかけられている「抑圧」の一部を何らかの手立てによって「解除する」という働きを経るプロセスなのではないかと推測するのである。
 というのは、人間の脳は、可能性としては見たり聞いたり刺激を受けたりした経験のすべてを保持してしまえるのであり、ただ、それらのすべてがアクティーブになってしまっては、膨大な処理能力やエネルギーが要するために、現時点を生きて行動するために必要な最小限の情報に絞り込む必要が生じると推測できるからである。それで、あたかも記憶が無くなったかのような状態が「抑圧」によって作り出されるのではないかと思うわけなのである。

 したがって、記憶に関するプロセスの要諦は、無理やりアグレッシーブに呼び起こそうとするようなことではなく、どう「抑圧」を取り除いてやるのかという点なのであり、それこそが注視されるべきだと思うのである。
 忘れた状態にある事柄というのは、自然に薄れた結果というようなことではなく、忘れていた方が当人の現時点の行動に支障が出ないということを表しているのかもしれない。いや、むしろ極端に言えば、忘れていなければ現時点の精神的安定が保てないために、とさえ言えるのかもしれない。そうした「保護的」な役割を脳の自然はさりげなく遂行している可能性がありそうだと思えるのだ。
 この辺りに潜む事柄は、きわめてミステリアスでありいろいろと憶測を広げることができそうなので、また改めて考えてみたい…… (2007.01.01)


 冷え込んで寒々とした正月二日である。
 おまけに、家内は実家の義母さんの見舞いに出かけ、息子も早々と出かけ、自分一人が取り残されてしまった。こんな時は、寒さしのぎで一杯飲みながら寝正月を決め込む以外になさそうである。
 ただ、生活習慣を崩したくはなかったので、朝は所定の時刻に起床し、寒空の下のウォーキングだけは済ましてきた。さすがに一般道路も遊歩道も人影はほとんどなく、みな正月の朝寝を楽しんでいる様子であった。陽射しのない川原は、実に寒々としており、カルガモたちやコサギの姿だけがわずかに色を添えていた。

 午後になって、用事を済ませた家内が出かけてしまうと、家の中は静まりかえってしまった。猫たちも、こう冷え込むと起きて動くのは億劫とばかりに、二匹が身を寄せ合いボロ布の塊のようになって寝てしまっている。
 彼らは居間と台所を行動範囲としているが、人が不在の場合には、当然、暖房は切られてしまい、余熱の出るTVも切られると、その上に乗って暖をとることもできない。だから、籐で編まれた猫箱に二匹が「詰め合わせ」の恰好となって「冬眠」状態に入るしかないのである。
 昔は、居間の中央に設えられた掘り炬燵が猫たちのホームグランドとなっていた。しかし、毛だまを吐き出そうとして食べたものをよく戻すため、炬燵布団がすぐに汚されるにおよび、掘り炬燵は撤去することになってしまった。まあ、よく部屋の中で戻す猫を二匹も飼っていると、炬燵というのはやはりムリなのであろう。

 しかし、昨今はまあ慣れてきたものの、炬燵がないと確かに寒々とした部屋となる。
 子どもの頃には、冬の部屋には炬燵というのが定番である生活をしてきたため、エアコンによって天井ばかりに暖かい空気が集まってしまう部屋というのは居心地が悪い。
 家内は、畳敷きをやめてフローリングにして暖房カーペットか何かにしたいと望んでいるようだが、自分はどうも畳敷きの居間を潰してしまうことに踏み切れないでいる。
 いや、生活環境のいろいろなものが激変し、いまさら畳敷きだけが残されていたからといって何ほどのこともなくなっているのはわかっているのだが、さりとて、これまで撤去してしまうのは最後のアラモ砦を全滅させられてしまうようで首肯できないわけだ。
 といっても、最近は、居間の畳の上でゴロリと横になるようなことはほとんどしなくなった。どうしても猫の毛が衣服にまつわりついてしまうからかもしれない。二階の寝室の方では、時々、直に畳の上で昼寝をすることはある。夏場などは、窓を開けて涼しい風が流れ込んでくるそんな状態で手足を伸ばすのは実に気持ちの良いものだ。

 畳の話はともかく、さてさて、正月二日目の今宵、これからどう過ごすべきなのやら……。もちろん、これから冷え込む戸外へ出る気はさらさらない。となると、正月なのだから、やはりちびりちびりと酒を嗜む以外はないということか…… (2007.01.02)


 正月三日も、はや暮れようとしている。
 昨夜は久しぶりに酔って眠り、途中目覚めることもなく夜明けまで寝入っていた。多少酔っていると、トイレ休憩もなく朝まで目が覚めないようなので好都合だ。
 起きてしばらくしてから、確か昨晩からの眠りの夢が初夢であったのではないかと思い起こした。だが、いつもは見た夢を覚えていたりするのだが、すっかり忘れてしまっていた。何か夢を見ていたようにも思うのだが、グッスリと朝まで眠ったためだろうか、結局思い出せなかった。ということは、良くも悪くも大した内容ではなかったということなのであろう。

 今日はろくなことをせずに一日を終えようとしている。
 朝一番でやったことは、元日に立ち寄って知ることになった近くのショップの初売りのある品を買いに行くことであった。特に安いというほどでもないのだが、サイトなどで調べても見つからなかったやや古い世代のプリンターであったため、この際入手しておこうと思ったのである。
 現在、非常に重宝して使っているプリンターなのだが、使用頻度が高いため、いつ不具合が発生するかもしれず、予備が欲しいと思っていた。しかし、昨今のIT製品は、バージョンの改変が早くて、もはやそのプリンターは生産中止となっていたのである。
 元日に立ち寄った際は、徒歩であったことと、その商品の販売が今日、3日からと表示されていたため、今日わざわざクルマで出向いたというわけだ。
 ショップの駐車場には、開店時間の15分も前に着いてしまった。まだ誰もいない。何となくバカバカしい気がしてきた。正月早々、新発売のゲーム器をゲットするために並ぶ子どものごとく、ショップの開店を待つというのがである。がまあ、後で後悔しないために、おとなしく待つこととした。
 開店間近となると、結構大勢のひま人たちがのこのことやってきた。よくは知らないが、このショップはいつも大した目玉商品を出していないと思われる。なのに、ぞろぞろとやって来るというのは、ショップ側の吸引力というよりも、客側のひまさ加減の問題なのだろう。正月も3日ともなると、いや、正月そのものが所在なく退屈なのかもしれない。人のことを言えた柄でもないが……。

 しかし考えてみると、万事、外の環境の動きが人々の生活を引き回しているかのような現代という時代では、正月のごとく、さあ、それぞれが自由に好きなことをやりなさい、というようなセッティングになると、意外と皆が退屈をしてしまうことになるのであろうか。全員が全員そうだということにはならないだろうが、結構、大勢の人たちが大なり小なりそんなことになっているのではなかろうか。
 要するに、日々の生活というものが、個々人の内発的動機で進められているのではなく、外在的な流れで運ばれているようだから、その流れが何かの都合で滞ったり、緩やかになったりすると、自由が自由として生かされずに、退屈という落とし穴に落っこちてしまうのかもしれない。
 それもそうだろうと頷ける。自由な時間が寸暇を惜しむ形で活用されるためには、やはり個々人側での日頃の準備が不可欠だと思われる。つまり、いつでも、とあることに着手したり没頭したりできる環境整備をこそしておかなければ、時間だけがホイッと与えられても活かしようがないと言うべきなのかもしれない。まして、そうした時間は、心身ともに疲れた状態とセットで与えられたりするわけだからなおのことかと思われる。

 そんなことを考えていたら、今年から、団塊世代の大量の定年退職が始まることを想起した。多くの人たちが、再就職というスタイルで勤労生活を継続するらしいが、シビァな経済的動機も小さくはなかろうが、上記のような自由な時間を、しかも長すぎるほど長いそんな時間を内発的に埋めるというのは至難の業ではないかと推測するのである。
 わたしの冗談半分の推理では、団塊世代の定年退職者たちは、一年以内に、「五月病」もどきに陥るような気がしている。最悪の場合には鬱病と診断される人たちも出てくるかもしれない。と言うのも、「毎日が日曜日」というようなシチュエーションに耐えられるようには、団塊世代の仕事師たちは生きてこなかったと思うからなのである。
 自分なぞは、定年になりたくともなれない人種(退職金のない人種)になってしまったから、とりあえずは他人事である。結構大変なことですよ、とだけは言えるであろう。というのも、自分なぞはストレスも多いが、すべて自分の内発的振る舞いに掛かっている生活を継続してきたため、定年退職者たちのいわば大先輩だと言っていいのかもしれないからだ。

 いやはや、今年も社会的新事象が次々と登場して、ますます目まぐるしい時代環境となりそうな気配である…… (2007.01.03)


 今日は、社員たちよりも一足先の仕事初めとした。決して公務員がそうだからというわけではない。正月は三日で十分だと思えるからだ。確か去年も同じことをした。
 おそらくは8日までを正月休みとするケースが多いためだろうか、道路も空いているし、事務所近辺の建物も多くがシャッターを閉じている。まあ、そうやってずっと閉じてていいよ、と減らず口を叩きながら事務所に入る。
 確か、去年十日あまり入院して事務所を空けて戻った際には、なんだか妙に懐かしい気分となったものであったが、もちろん、6日ばかりの休暇では何の感慨も湧いてくるわけがない。とにかく今年初のコーヒーを飲もうと、ポットの準備を急ぐ。今日あたりはさほど寒いとは思えなかったが、暖房のスイッチも入れた。

 PCを起こし、新聞各社のサイトを覗こうかとしたが止めた。昨日のある新春TV番組を思い起こしていたからだ。
 それは、五木寛之と塩野七生の対談であった。二人とも評価したい著名人であったのでお付き合いした。その中で、五木氏が、現在のこの国は、史上まれにみる荒廃を極めていると嘆き、こんな酷い状態は未だかつてなかったのではないかともらしていた。毎日、新聞を読んでいると悲観的な気分に陥ると。
 それに対して、「豪傑」の塩野さんはやや視点を変えたことを述べていた。
 まず、新聞各紙は、悲観的過ぎるから、自分はあまり新聞を読まない、と。また、大変な時代環境だと人々は騒ぐけれど、その騒ぎ方はどうも「浮き足立っている」ようだ、もっと長い目で腰を据えて臨むべきではないか、と。
 あたかもその視点は、ホームポジションの「ローマ史」研究に棹差しているようで、ローマの勃興から滅亡にいたる長いスパンを視野に入れた者からすれば、目先のことに捕らわれ過ぎてはいけないということのようであった。

 塩野さんが新聞を読むことを貶したからというわけではないが、自分も、あまりデイリーの出来事、しかも決して実のある取り上げ方ができない現在のマス・メディアの報道によってそんな出来事に関心を奪われてはならないように思いはじめていたのである。
 確かに五木氏の指摘したように、現在この国で起きていることを、しかも新聞などを通じて毎日真に受けていたら、ほぼ確実に前途を悲観するか自殺志願者になりかねない。
 事実、悲惨な出来事は起きているのではあろう。また、時の政治や社会環境は褒められた形ですすんではいない。五木氏が、最大限のマイナス評価と、嘆きを与えるのもムリがないほどに時代は劣化していると共感する。
 だが、自分は以前からここにも書いているように、とにかく現在のマス・メディアというものを信用していない。ここでくどくどと書きたくはないが、ひとつだけ言っておけば、肝心なことを何もやっていないということだ。肝心なこととは、ジャーナリズムはヒューマニズムであり、時代の人間たちが人間らしく生きる支えにならなければならない。
 よく、事実を伝えるのがジャーナリズムだと利いた風なことを言うが、その「事実」というものを彼らは一向に深めて捉えてはいない。

 極端な面では、政治家などに張り付き、篭絡されて情報をもらっている「番記者」などは、その情報を「事実」だと勝手に決め込み、無責任に垂れ流している。自分たちが「御用提灯」にさせられていることを微塵とも疑わないのだから絵に描いたマヌケである。
 事実らしきものを、何でも収集すればよいというようなことを、プロと称される記者たちがやっていてどうなるのか。走り回る前に、そもそも「事実」とはなんぞや、の基本を思索してもらいたいものである。事実もどきこそが大手を振ってまかり通るいかさまな現実を知るべきである。批判的視点を通さずして「事実」なぞには至れない常識をわきまえるべきである。

 また、社会面でのさまざまな事件にしても、警察当局の発表した情報だけを事実だとして流している。いつも思うのであるが、三面記事の「主役」、犯罪者たちは、社会環境から隔絶されて生きてきたわけでは絶対にないはずである。ところが、警察当局発表の情報だけが活字となると、まるで事件の社会性が消し飛び、犯罪の個人的動機ばかりが表面化するのである。未だに記者は、容疑者の顔写真を必死になって集めようとしているとのことだ。顔に、犯罪の原因が書かれてあるとでも信じているのであろうか。
 とにかく、こんなバカな話はないと思われる。いま時、ドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフのように主役があくまでも強い個人であるような、そんな犯罪者なんてめったにいたものではない。いるのは、社会悪で押し潰されてしまい個人とはなりえなかった大衆の一人がいるだけのことではないか。
 にもかかわらず、毎日のように「個人」による殺人事件などが報じられ、庶民は、訳もわからず悪いヤツがただただ増え続ける不気味な時代だと感じてしまう。犯人周囲の社会環境などへの言及や問題視を「飛ばして」しまうから、原因への考察がいつも閉ざされて無用な不安ばかりが募らされてしまうのである。
 これはまるで、感染病の患者に対して、その個人固有の病的体質ばかりがいじり回され、感染病本来の、外部からやって来た病原体を探求しようとしない愚かさそのものとは言えまいか。

 つまり、現在のこの国の状況は、「事実」の一部分のかけらとしての悲惨な出来事は頻繁に報じられるものの、「事実」<総体>は伝えられてはいないと思われる。「事実」というのは、少なからず人々に「納得」の感情を与えるものではなかろうか。
 そこまでを、マス・メディアに期待するのは土台ムリなことであるかもしれない。だったら、中途半端な話題を撒き散らかさないことだ。むしろ、統計的事実を冷静に報道し、見方の異なる複数の識者の見解を伝えればいい。
 要するに、現在の荒廃した状況は、その素材的事実は確かにあるとしても、マヌケなマス・メディアの振る舞いによって奇妙に増幅させられているということのような気がしてならない。だから、塩野さんの言う「浮き足立っている」雰囲気が生まれてくるのかもしれない。
 ただ、人々にとっての「事実」というものを、軽薄なキャッチボールで済ましているのは、何もマス・メディアだけでもなさそうである。科学も含めて、現代という時代そのものが、「事実」というものを「扱い勝手を優先させる」ことによって、通りの良い架空の代替物で済まそうとしている可能性がありそうだ…… (2007.01.04)


 今日の「手術」で済めばありがたいと思っていたのだが、やはり「積み残し」が生じてしまった。おふくろの胆管結石除去のことである。すでに医者は、今日一回の処置だけでは済まないかもしれないとおふくろに伝えていたようなのであり、案の定、結石が大き過ぎたためか、半分ほどを残して来週の金曜日に再度行うことになってしまった。
 何となく気落ちがするのを隠せなかったが、まあやむを得ない。ムリな処置をして不測の事態を招いてはならないのでしょうがないと言うべきなのであろう。

 「手術」は午後からということで、午前中は事務所で仕事をし、昼過ぎに病院に向かった。「手術」といっても、内視鏡・カテーテルを使うもので腹部にメスを入れるものではないためさほど当人の体力が消耗することはない。今日のトライで除去できなかったとしても、次回があるかとは考えていた。
 要するに、なぜだか今回だけで済むような楽観はできなかったのである。もし、そこそこの大きさの結石であれば、第一回目でもトライが可能だったはずである。それを、応急措置で今回のトライへとつなげたのは、それなりの難易度が予想されたからなのであろう。しかも、オペ担当の医者も、年末・年始のスケジュールの都合であろうか若手に代わったのである。家内に言わせれば、まるでタレントのように可愛い感じの先生よ、とかなのであった。別に、姿で人を判断するつもりはないが、なおのこと、今日は一回では済みそうもないな、という予感がジワリと迫ってきたものであった。

 おふくろ自身は、入院ももう10日を超えていたためそろそろ飽きも出てきているようだった。まあ、重大な病気であれば長期入院も覚悟できようものの、この間はいたって経過もよく、あわよくば今日の「手術」で退院が間近となると考えていたようであった。
 だから、わたしが、今日一回じゃあ済まないかもしれないね、というと途端に顔を曇らせたりしていたものであった。
 自分が今日の処置で完了すればと望んだのはほかにも理由があった。再度の挑戦ということになると、まるまる一週間先にスケジューリングされてしまうことが予期されたからである。症状がどうこうというよりも、この病院での「手術」日程は「月曜」と「金曜」に限られており、次の「月曜」は祭日だから、ネクストは来週の金曜であろうと推定されたからなのである。ちょいと長いわけだ。
 まあ、担当医師がいないという昨今の医療状況の貧困化を片方に置くならば、これくらいの対応には目をつぶるべきなのではあろう。しかし、この間の流れに大満足するというわけにはいかなかった。

 しかし、今日の担当医から処置の経過報告を聞かせてもらったのだが、胆管を塞いでいる結石は予想以上の大きさであった。自分は、5ミリ程度のものかと想像していたが、10ミリ〜20ミリという数字を聞かされた。とんでもない大きさである。しかも、その「石」が落ちてきた胆嚢側の胆管の太さは、その「石」が押し広げてしまったらしく、通常よりも広がった太さにとどまっているそうなのである。こうなると、未だ胆嚢内に複数存在している「石」が、今回の「石」のように落ちてこないとは到底言えないわけなのである。こんな話を聞かされて、自分は、なおのこと苦い表情とならざるを得なかった。
 だから、胆石の症状でしばしば苦しむ人への抜本的処置というのが、胆嚢摘出だというのもわからないわけではないような気がしたものである。それも、最近では、「開腹手術」ではなく、腹部に三箇所ほどの小さな穴を開けて、そこからカテーテルなどを通して対処できるというから、当人の体力消耗もなく回復も早いらしい。今回の事態が収まった後に、再び胆石症状が出るようであれば、そんな「手術」も視野にいれなくてはならなくなるのかもしれない。

 今日は、姉も含めて三人が様子を見守っていた。皆一様に何となく気落ちした気分となっていたのは否定できない。われわれが病室から引き上げる際、おふくろは腹部の痛みと気分の悪さが隠せないようであった。この間の無痛と快適な状態が一気に取り消されてしまったかのような経緯に、釈然としないものを感じてもいたのであろうか…… (2007.01.05)


 朝一番に病院を覗いてみることとした。問題はなかろうとは思ったが、おふくろの昨日の「術後経過」を確認しておくためである。
 今日は朝から冷たい強めの雨が降る天気であった。気圧配置が急変したとの予報が前日より出ていたが、そのとおりの悪天候となっていた。
 病院まではクルマで15分であった。姉が調べた近道を辿った結果、思いのほか早く着くことがわかった。
 痛みが抑えられていつもどおりの暢気そうな顔をしているだろうと予想して病室を覗くと、やはりそうであった。
「大きな石みたいねぇ」
とおふくろは言いながら、内視鏡で撮影された取り残された結石周辺の写真を差し出した。
 ピンク色をした洞窟のような空間の片側に、まさしく岩のような形状をした黒っぽいものが写されていた。なんとも不気味な映像であった。
「20年間かけて作っちゃったんだねぇ」
と、ひょうきんな声で言い放っていたが、どこから「20年間」という数字を割り出したのか不明であった。ひょっとしたら、20年前に痛みを覚えたのだろうかと思ったが、深く詮索はしなかった。

「結局、一ヶ月間の入院生活ということになりそうね」
と、事の成り行きを万事素直に受け容れるがごとく呟いていた。こうやって点滴装置を付けられて寝かされていると、早く退院したいという片方の気持ちも押さえ込まれ、事態の推移を従順に受け容れることになるかのように感じた。
「一ヶ月もの入院になろうとは思えなかったよね。ただ、そんな大きな石が詰まっていたんだからしょうがないといえばしょうがないか……」
と、自分も、医者にしかわからぬ事柄をあれこれ勝手に想像しても意味がないかと思いはじめていた。
 が、まあ、「術後」の容態に問題はなさそうであったので、自分は安心して引き上げることにした。この後、姉も見舞いに来ることになっていたからでもある。
 病室に傘を置き忘れて再び取りに戻るというチョンボをしたものの、30分以内は無料という駐車場の制限をクリアすることになった。毎回300円を払うのもいまひとつの気分だったからである。

 4人部屋の病室で、見舞いがひっきりなしにやって来るのはおふくろだけだろうと思い至ったりした。薄暗い空の下、雨の降る道路をクルマで走っていいて、ふとそんなことに意を向けたのだった。
 おふくろが小声で話していた同室のある人なぞは、ほとんど身内の人が見舞いに来ないどころか、うちにいる時も煙たがられているとのことだそうだ。うーむ、そんなものかと思い姿を見かけたりすると、なるほどと言ってはなんだが、暗さが支配する雰囲気であり、言葉遣いにもやや気になる荒っぽさが感じられた。
 それはそれとして、こう度々おふくろを見舞うわれわれの姿が、その方にとっては鬱陶しいものと受けとめられてはいないかとやや危惧したのである。
 しかし、おふくろのような明朗な病人は幸せなのかも知れぬ。見舞に来た者にも気をつかわせなかったり、気分を悪くさせないから、結果的に「リピーター」を作ることになるためである。人柄というのは、結局、自分の周囲の出来事にある種の循環を作り出すのだろうかと妙なことを考えたりした。
 してみると、自分なんぞは、歳とって病院暮らしになろうものなら、家族、親族からも見放されかねないな、とすれば何としても病院なんかにお世話にならないような自力生活者であり続けなければいけないな、と思わずハンドルを持つ手に心持ち力が篭ったりするのだった…… (2007.01.06)


 皆、まるで「久寿餅」をいただきますと言わぬばかりに表に出ていた。
 わたしが川崎大師参詣から戻り、自宅のある袋小路へ入ると、先ず毎年おみやげとして差し上げている近所のご一家がたまたま通りに面したカーポートに出ていた。
「ああ、ちょうど良かった。川崎大師の帰りでして、いつもの久寿餅を買ってきましたので召し上がってください」
 自分は、年始の挨拶も忘れて久寿餅のことを話していた。いやぁ、いつもいつも気を遣っていただいて、と喜ばれていた。
 そして、自宅に辿りつこうとしたら、ちょうどお隣の奥さんが買い物にでも出かけるところか玄関口に立っておられた。それでまた、
「いやぁ、ちょうど良かった。今、川崎大師からの戻りでして、久寿餅をおみやげに買ってきましたので後で召し上がってください」
と手渡したのである。皆さん、どういうわけか好物だと聞いていたので、毎年、おみやげを差し上げていたのである。
 実を言うと、久寿餅をみやげとして持ち帰ることは、相手様は喜ばれるのだが、なんせ重量があるため結構厄介は厄介なのである。今日も、店で並んでいたらすぐ前の年配のご婦人が大胆にも、数箱の包みを二袋も買っておられたが、それで自宅まで辿りつけるのだろうかと心配したほどである。あたかも、文学全集10巻を両手に分けてぶら下げて帰るような姿に見えたからである。

 毎年、正月七日あたりに川崎大師参詣を行い、事務所と自宅双方の御札を頂いてくるのが年中行事となっている。もはや、行事となってしまっているから、外すに外せなくなってしまった。
 今回は、荒れ模様の天候や、今日七日が三連休の中日であるため、日取選びをちょいとためらったが、思い切って朝9時からの護摩焚きに間に合うよう早朝に家を出た。6時半からという熱心な信者向けもあるようだが、さすがに遠方の者にとってそれはムリである。しかし、どうにか間に合った朝9時からの場合でも、今までにない大混雑のようであった。
 もっとも、例年は、御札の額が一定額を越える形となり、その場合には、一般参詣者とは別扱いの「上客」として扱われ、別室の控え室へ案内されることになっている。しかし、今年は、別にケチるつもりはなかったが、結果的に一般参詣者ランクにとどまったため、寒いところで並ばされた上、ぎゅうぎゅう詰めの一般衆生席へと案内されたのだった。だからなおのこと大混雑のように感じられたわけでもあった。
 が、あえて御札の大きさに見栄を張って「上客」にしてもらえば良かったとは思わない。どんな宗教でもそうであるが、ご本尊の意とは別に現世的な宗教法人は、サービス産業丸出しの振る舞いをするものである。
 それはそれであり、現世的仕掛けで「上扱い」をしてもらったからといって特に意味のあることではなかろう。むしろ、衆生の一員として、長く並んだり、ぎゅうぎゅう詰めとなったり、スペースゆえに正座を強いられたりという一連の悪条件そのものが文字通りの修行の一環となると見なせると思えた。

 ところで、大師さまをさておいて、また久寿餅の話に戻ってしまうが、ここにも「現世的な、あまりにも現世的な」事情が垣間見える。
 いつぞや、ここにも書いたはずであるが、川崎大師の名物である久寿餅屋も厳しいビジネス競争があったのやもしれない。
 というのは、自分が気に入っていた元祖手作り久寿餅の「小倉屋」さんの形跡が、今日は見当たらなかったのである。まさか、松の内の今日あたりに休みをとることもなかろうとは思うので、ひょっとしたら……。
 「小倉屋」が久寿餅では元祖だと聞いており、またその手作り製法のためかモチッとした粘りが実に美味いのを覚えている。したがって自分は、山門を出てすぐ脇という地の利を得ている他の久寿餅屋を素通りし、仲見世も出て、郵便局の並びにある「小倉屋」まで買うのを控えることにしてきたのだった。
 今日も、山門すぐ脇で地の利を最大限に活かしたとある店に大行列ができていたものである。自分はどうも、そういった「ありがちな光景」には抗(あらが)いたくなるところがあり、そこを仏頂面をして通り過ぎたものだった。さしずめ「小倉屋」さんへ急ぐべし、という心境なのだった。
 ところが、どうもその「小倉屋」さんが見当たらなかったのである。なるようになってしまったものかとちょっとした失望に見舞われた。
 伝統を守り、本物の美味さを維持しようとする本来の立ち振る舞いが、現代的な趨勢に押し流されてしまったかのようで、寂しい気がしたのだった。これは、何も久寿餅に限られたことではなく、あらゆるものがそうした荒波を被っているに違いなかろう。「正攻法」によるものが、着実に生き残っていくにはどうあればいいのであろうか…… (2007.01.07)


 正月休みの後に三日も連休があると、せっかく戻った日常が再び浮き足立ってしまうかのようである。が、今日まで延々と休みだった優雅な人たちと較べれば、仮にも一度は日常生活を取り戻しているため、幾分気がラクというものか。「延々休み組」の人にとっては、さぞかし今夕あたりは気が滅入っていることなのだろうと推測したりする。
 そう言えば、気が滅入っている者たちの代表格は、何といっても子どもたちなのかもしれない。気ままで放縦な個人生活から、再び拘束感だらけの学校生活、社会生活に立ち戻らなければならないからである。

 個人優先、個人主義を最大の特徴とする現代の、そうした環境下での子どもたちにとっては、どうしても一人で遊ぶというのが通常のスタイルとなり、またそうすることが気楽で気持ちが落ち着くことになっているのかもしれない。仲間とはいっても大勢の中で過ごすことが苦手であったり、気を遣い過ぎたりするのかもしれない。
 だから、休日というとデジタル・ゲームなどに向かって「一人遊び」に熱中するというパターンになりがちなのだろうか。
 大勢の仲間たちと一緒に遊ぶというのは、慣れればこれほどおもしろく興奮できるものはないはずである。昔のわれわれが子どもの頃は、「一人遊び」のツールも乏しかったこともあるし、何でも皆でという時代環境と風潮もあったりして、皆で、大勢で遊ぶという形式がそれこそ通常の形であったと思われる。
 だが、今の子どもたちの環境はそれとはまるで異なっていて、皆で……というスタイルへの慣れもないところから、「一人遊び」こそが日常の常態となっていそうである。そして、そうあることに向けられた遊びの商品が溢れてもいるわけだ。
 だから、集団生活、社会生活としての学校生活は、どうしても、避けることができれば避けたいといったやむを得ぬ時間帯という位置付けになるのであろうか。その代わり、休日というのが、自分本来のスタイルとしての「一人遊び」に打ち興じられる時間帯と受けとめられているのかもしれない。これじゃあ、まるで内気なサラリーマンにありがちなウイークデイと休日の対比そのものであるかのようだ。
 もちろん、子どもたちのすべてがすべてこうだと決めつけているわけではない。ただ、現代環境のさまざまな特徴的条件は、こうした子どもたちを黙々と増殖しているかに思われるのである。

 だが、こうした過度の「個人主義的生活様式」への傾斜が目につくのは、なにも子どもたちばかりではなく、いや、その本家本元は、現代の大人たち自身だと言うべきなのかもしれない。
 端的な話、片方に個人主義的空間の象徴としてのマイカーがあり、もう片方に、嫌でも避けられない公共的空間としての毎朝、毎夕の満員電車がある。これが一般的なサラリーマンの休日とウイークデイという対比を見事に構成しているのだろう。もちろん、前者にこそ実感的なウエイトが置かれているのであり、後者は有り体に言えば仕方なくという位置づけなのであろう。
 こうした構図は、何も今はじまったわけではなく、昔からそうだと言えばそうであっただろう。だが、市場経済がピークに登りつめる現代にあっては、個人主義的生活を至れり尽せりで支援する商品が溢れ返り、またそうした商品への欲望が掻き立てられているため、前者の存在感が圧倒的であるのが現代の日常だと思われる。
 こうなってくると、ますます個人主義的生活こそが大目的となり、職業生活という社会生活は、そのための「手段」という位置づけが否が応でも濃厚となってきそうだ。そこへ持ってきて、職業生活という社会生活は、過激な競争傾向が強まり居心地悪さは頂点に達しているかのようである。

 いまさら、自由な休日と仕事に拘束されるウイークデイという対比をしてどうなるものかと思えるが、実はこの対比の中に潜む「個人主義的生活スタイル」と「集団・組織的仕事スタイル」との関係、なおかつ著しく前者にのめり込み、後者が忌み嫌われているかのようなそんな状況に視線を向けようとしているのである。
 どう考えても、後者が秘めている本来的な意義が軽視され蔑ろにされているようでならないのである。仮に、仕事に限らず、人間生活全般において後者の集団・組織性が無くなってしまうと「個人主義的生活スタイル」なぞというものの存立さえ危ぶまれるにもかかわらず、それがそうとは見なされない風潮が支配的となっていそうである。
 いや、そう表現するよりも、共同(協同、協働)的に事をなすことが実り多いこと、充実感の大きいことが、忘れ去られている、と言った方がよいのかもしれない。公共心がどうこうと言うよりも前に、人と人との共同的な関係が持つ魅力をどう復元させるのかという課題の方がはるかに重要なのであろう。しかし、それはただ単に大勢でお祭り騒ぎをすれば叶えられるというものでもなさそうだから、結構難しい課題のようではある。
 あとは、われわれ現代人がご執心の「個人主義的生活スタイル」という幻想が、実はかなり虚しいものでもあるということをどう会得するのかという課題も横たわっていそうな気がする…… (2007.01.08)


 「寝覚めが悪い」という慣用句がある。そんな「あくどいこと」をしていると寝覚めが悪いよ、とかと言うのであろう。
 今朝は、早朝にトイレのためか目が覚めてしまった。が、睡眠中の頃合いが悪かったようで、いつぞやも経験したことがある実に「寝覚めが悪い」状態となってしまったのだ。トイレから戻っても、眠りと覚醒の中途半端な状態が続き、その不快感といったらなかった。眠るに眠られず、起きるに起きられずという厄介な状態なのである。しかも、奇妙な不安感が込み上げてきたりするから手におえない。
 単に眠いということだけならば、いっその事起きてしまえばどうにかなるものだ。しかし、以前にも経験したことがあるのだが、この状態で起きてしまうと、眠りと覚醒の中途半端な状態が、結構長く尾を引くのである。下手をすれば午前中いっぱい奇妙な状態が継続してしまうことさえある。
 ここは、何とか眠気を誘いながら再度眠ってしまうことが無難だと思えた。そこで、妙に寒気がしていたため、風呂に入り直し身体を温め、若干のアルコールを摂取して床に戻った。それでようやく自然な眠りが戻ってきて寝入ることができたというわけである。

 どうしてこんな「寝覚めの悪さ」が訪れるのかはわからない。悪いことなんぞ金輪際していないと胸が張れるほどでもない自分だが、さりとて、「寝覚めが悪くなる」ような事まではしていないつもりである。
 いろいろと振り返ってみると、先ずは歳のせいか頻尿というような気配のあることが一つ挙げられそうだ。夜中に複数回目が覚めてしまうのが問題である。しかし、大抵は何ということもなく、その後床に戻ってすぐに眠ってしまうことが大半ではある。
 が、時として、やばいのは、頭が妙に興奮している場合のあることだ。そんな時は、本来は眠いにもかかわらず、自然な眠気が催さず、場合によっては妙に不安定な心境が立ち上がってしまうのである。それというのも、あの「金縛り」という不快な状態の仲間のような、実に気味悪い状態となるからである。
 頭脳は働いているようなのだが、すべての感覚が緩慢であり、挙句に通常の自分感覚というものがなくなってしまうのだ。どこか夢の中に取り残されているかのような、催眠術にかかってでもいるかのような気分となり、それならそれで眠ければ了解できるのだが、さほど眠気も覚えず、そうした奇妙な状態だけが切実に認識されてしまうのである。

 よくはわからないが、どうもこれは二種類ある眠りのうちの「REM」睡眠の最中に目が覚めた状態がもたらすものようなのである。
 ちなみに、「REM」睡眠とは、脳が覚醒状態に近く、筋肉などの身体の方が眠った状態であり、その特徴は次のごとくであるらしい。

@急速眼球運動があらわれること、
A脳波が入眠期から軽睡眠期に似たパターンを示すこと、
B身体の姿勢を保つ筋肉(抗重力筋、姿勢筋)の緊張がほとんどなくなること、
C感覚刺激を与えても目覚めにくいこと、
D脈拍、呼吸、血圧など自律神経機能が不規則に変化し、自律神経系の嵐とも呼ばれること、
Eこの時期に眠りについている人を起こすと80%以上の人が夢を見ているなどがあげられる。
Fその他、レム睡眠の役割として中枢神経系の発達に関連すると考える説があり、また、昼間に多く学習した日は、夜にレム睡眠が増加することなどから、記憶情報処理などに重要な働きをしていると考えられている。このように脳は働いているが、身体の筋肉がゆるんでいることから、身体の睡眠ともよばれている……。

 これらからも、この「REM」睡眠中に目を覚ますとちょっと厄介な状態になることが類推できそうである。
 「C感覚刺激を与えても目覚めにくいこと」というのも性質が悪い。覚醒している脳によって身体を覚醒させようとしても、多分、中枢神経系が休止状態にあるからなのだろうか、効き目がなさそうだからである。現に、身体の感覚は通常に較べてかなり鈍いという覚えがあった。
 また、「Dレム睡眠には脈拍、呼吸、血圧など自律神経機能が不規則に変化し、自律神経系の嵐とも呼ばれる」というのも、いやなものである。妙に、不安定な心理状態となるのはここに原因があるのかもしれない。

 発達してきた人間は、「REM」睡眠と「ノンREM」睡眠とを組み合わせることで脳の休息と身体の休息とを交互にとって外的からの安全を保持していると言われるのだが、この組み合わせに何の支障もないわけではない。「扱い方」によっては、ちょいとした不具合が生じる場合もあるということなのであろうか。
 とりわけ、自律神経機能を乱しがちなストレス人間にとっては、こうした事実にも目を向けておく必要がありそうだ…… (2007.01.09)


 昨日の「寝覚めの悪さ」とその後の気分不調には参ったが、今日は、前日とは打って変わった爽快な気分を手に入れた。睡眠の良し悪しで、こんなにも気分が異なるというのも不思議なものである。身体の各部の機能や状態が、昨日と今日ではいかほどの違いもないはずだが、脳とそこに依拠する心とが、まともな休息を得るならば、極端に表現すれば「世界が一変する」ほどの違いを見せるのだから何とも不思議である。
 ただでさえ性能が良くない脳や心を運用しているのだから、せめて、運用環境に手抜かりがないようにしてやって、内在していると思われる性能が100%発揮できるようにしてやらなくてはならない、と痛感したものである。

 時々、アプリケーション・ソフトを、我田引水の誤解で使ってしまい、何と使い勝手が悪いのかと嘆くことがあったりする。ところが、よくよく調べてみると、問題は自分側の使用方法の間違いであることがわかったりする。そして正規の方法どおりに進めてみると、見事な成果がアウトプットされ、「ウヒャー、これは凄い!」と叫び、そのソフトの優秀さに感嘆したりする。
 物事は、「水を得た魚」のたとえがあるように、それにふさわしい方法なり、使い方なり、運用なりをすることが如何に重要かということになりそうだ。

 こうした理屈で思い至ることはいろいろある。そんな中で最近、意を強めつつあるのは、人間の脳や身体に関することである。
 結論から言えば、人間の脳や身体の機能については、自然な状態へ向けて整備してやることがベストではなかろうか、という点なのである。言い方を変えれば、多くの不具合というものは、余計なものが「加わる」ことによって発生している場合が少なくないのではないか、ということにもなりそうだ。
 要するに、誤った「足し算」によってもたらされる不具合というものが意外と多いような気がしてならないのである。(「無添加」食品!?)だから、不具合の解決に向けては、さらに何かを「足す」ような愚をやってはいけないのであり、専ら、不要であり状況の撹乱をもたらしているだけの何かを「引き算」することこそが正解であるように思う。先ずは一般論的にそんなことを予感するのだ。

 今、実感を持って思い描いているのは、脳(や心)のありようについてである。
 この元旦に、次のようなことを考えたりした。

<そしてもうひとつ、これも予感でしか過ぎないのだが、実は、蓄えられてしまった記憶対象は自然に眠っているのではなくて、「眠らされている」のではないかという気がするのである。つまり、記憶対象は、勝手に自動的に意識化される、つまり思い出されてしまうことがないように何らかの「抑圧」が加えられている、とも考えられる。そして、あることを思い出すという仕組みは、実は、記憶対象全体にあまねくかけられている「抑圧」の一部を何らかの手立てによって「解除する」という働きを経るプロセスなのではないかと推測するのである。
 というのは、人間の脳は、可能性としては見たり聞いたり刺激を受けたりした経験のすべてを保持してしまえるのであり、ただ、それらのすべてがアクティーブになってしまっては、膨大な処理能力やエネルギーが要するために、現時点を生きて行動するために必要な最小限の情報に絞り込む必要が生じると推測できるからである。それで、あたかも記憶が無くなったかのような状態が「抑圧」によって作り出されるのではないかと思うわけなのである。>

 人の記憶に関しての自分なりの「推測(憶測)」なのであるが、ここで気になっていたのは、記憶なり、真理なりが立ち上がってくるというのは、それへの働きかけが必要であることはそうなのだが、むしろその働きかけに重大な意味があるというよりも、働きかけがなければ「覆い隠されている」その状態こそが興味深いと思われるのだ。
 記憶の場合には、勝手に想起されないようなメカニズム、それを「抑圧」と表現したわけだが、そうした構造がありそうだと推測した。したがって、その構造を知ることなく、滅多やたらに働きかけをしたところで「シールド(密閉状態にすること)」は解除されない。働きかけるとすれば、シールドの当該部分をどうしたら解除(=引き算)できるのかと意を尽くすことのはずである。
 今、奇妙なことを連想したのだが、植物の種子でも、おそらくは動物の卵子でも、言ってみれば「シールド」状態となっていそうではないか。保存された植物の種子を発芽へと導くためには、一日二日水に浸しておかなければならなかったように理解している。ここには種々のメカニズムがあるものとは思われるが、要するに、あたかも発芽環境を試すように種子には「シールド」がかけられていると理解できないだろうか。そして、この「シールド」を「引き算」することでしか新たな生命が動き出すということがないわけだ。

 今ここで書いていることは、脳にせよ、種子にせよ、自然界の事柄についてである。
 自然界の事柄に不思議なことがあったとしても、ある意味では何ら不思議ではないと言うべきか。と言うのも、そうしたメカニズムが、人智を超えた何十億年、何億年という試行錯誤の進化の過程で試されてきたのだ、と見なすならば十分に納得できるというものだからだ。
 ただ、自然界よりも別な分野を想定する必要はないのかもしれぬ。と言うのは、人間にとっての事柄は、いずれにしても人間の脳が把握するのであり、その脳という存在はまさしく自然史を根源としているからである。
 何か、分不相応に途方もないことを口走っているようだ。ただ、「足し算」「掛け算」が主流となった観がある現代という時代にあって、「引き算」という発想を復権させることは意外におもしろいことのように感じている…… (2007.01.10)


 何気なく「デラシネ」という言葉が浮かんできた。「ダラシネェ」ではない。まあ、わたしから言わせれば似たり寄ったりだという気もしないではないが……。
 「デラシネ」とは、フランス語で「故郷喪失者」「根なし草」さらには「流浪の民」という意味である。
 なぜこんな言葉が唐突に浮かんできたかは定かではない。が、現代のさまざまな問題の背景にこの言葉で言い表される寂しい実態が横たわっていそうな気がしている。

 「故郷喪失」と言う場合の「故郷」を、何も地理的なふるさとだけに限定してこだわる必要はないように思える。要は、自身が生まれ育った場所なり、親しみ馴染んだ事柄や対象だと、緩やかに定義しておきたい。
 当然、文字通りのふるさとが最適な例であることは言うまでもない。ただ、地理的なふるさととは何かと問うならば、その自然風土であったり、食べ物であったり、人々が構成する社会風土であったり、人々の方言であったり、あるいは個人体験と深く結びついた何かであったりとかなり複合的であることがわかる。
 その何が、ふるさとだと感じられるのかとなれば、かなり返答に困るはずだ。かつてと全く何も変わっていないかのようでありながら、あるものがひとつ見当たらないだけで、ふるさとは変わってしまったと落胆する人がいても不思議ではない。
 子どもの頃に、ちょっと俯き加減な気持ちとなった時、あたかもそんな自分を慰めるかのように、視野に飛び込んできた呑気そうな野良猫たちがめっきり姿をみせなくなってしまっただけで、ふるさとがふるさととしての資格を喪失してしまうことだってないとは言えまい。複合的な事柄から構成されている上に、きわめて主観的な事実にも彩られているのがふるさとというものなのであろう。

 かつて、この国(ところで、東海林さだおの本を読んでいたら、最近、「この国」という言い方をする者が増えているのを憤慨しているのに出会った。なぜ日本人なのに日本と言わないのかと……。わかるのだけれど、「この国」の現状に素直になれず、あえて「この国」と突っ放してみたいのが、「この国」表現者の心理なんですねぇ……)には、ちょいと大袈裟に言えば人口の数分だけふるさとというものがあったような気がする。明治以降の近代化過程から、昭和の高度成長経済過程において大都市に集結してきた膨大な数の地方出身者たちは、我こそは「ふるさと保持者」なりと胸を張り、ふるさとというものを持って当然だという空気を蔓延させたはずである。
 それはちょうど、歳がくれば結婚して女房を持って当然という空気とも似ていたし、この国の大晦日はNHKの「紅白歌合戦」をこぞって見て当然という空気にも似ていたかもしれない。
 が、現在では、これらの「当然」例にしたって見る影がない。結婚は、当然視から選択肢へと当然のごとく転変してしまったし、「紅白歌合戦」なんぞは右肩下がりに視聴率を下げまくっている。
 つまり、当然とされてきた事柄が打ち捨てられる時の勢いに混ざって、ふるさとという「ありがたきかな」の概念まで捨てられてしまい、それで寂しくないの? と問えば、別に「言ふことなし」とくる始末ではなかろうか。(c.f.「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」)

 しかし、どうもふるさとを蔑ろにする風潮、「デラシネ」風潮には問題があり過ぎるように思われてならない。このテーマについては追い追いに考えてみたいが、今日は、ひとつだけ「デラシネ」風潮は「ダラシネェ」結果を招くということだけを書き添えておこうかと思う。
 現代における特徴的な「デラシネ」事象をひとつ挙げろと言われたら(誰にも言われてはいないが……)、何はさておいても、ネット環境における「匿名性」を挙げたい。いわゆる架空の「ハンドルネーム」で言動する方式のことである。この「匿名性」は、身元を隠し、そのついでにアイデンティティをも見失ってしまうことによって、無責任になるかどうかは別にしても、根無し草的、「デラシネ」的感覚、発想になりがちなことは大いにあり得ると思われる。
 ネットの「匿名性」に意味がないとは思わない。しかし、とてもこれをバラ色賛美するつもりにはなれない。自分の身元を隠して善行をするのが良しと言われてきたものだが、多くの人々が目にしている現実は、自分の身元を隠すことで破廉恥なことを平気でしている現象でしかない。見つからなければ咎めもない、というまさに「ダラシネェ」アクションに身を任せているだけである。

 「デラシネ」という様式には、自由という人間にとってかけがえのないものへのトリガーが潜んでいるとは思う。しかし、「デラシネ」はまた、空中遊泳でもある。果たして、「デラシネ」スタイルが手放しで賛美できるほどに、人間自身も社会自体も「高度化」していると言えるのだろうか…… (2007.01.11)


 午後、病院に出向いた。入院中のおふくろが三度目の「処置=手術」を受けることになっていたからである。午後に行われるとは聞いていたがはっきりとした時刻は「未定」であった。
 これまでの「処置=手術」も、「午後に」とは言われていても、きわめてまちまちであった。これが、医療手術という人間自体が手を下さなければ進められない仕事のあり方なのだろうと思わざるを得なかった。
 昨今は、クルマの修理にせよ、家電製品の修理にせよ、同じく人間自体が手を下さなければ進められない仕事ではあっても、かなりスケジュールが立ちやすい環境となってきた。エンジニアの仕事から「チェンジニア」の仕事への変化が生まれた模様だからである。つまり、エンジニアが行う込み入った修理が不必要となるほどに、部品類がコンポーネント化されて、それらを取り替えてしまえば事が済むようになってきたようだからである。 しかし、時代がどう進んでも、人の身体の内部をコンポーネント化されたパーツにすることはできないから、医療手術というのはどうしても人間技で進められざるを得ない。まあ、その進展をサポートするツール環境の革新は画期的に進められているようではある。
 今日は、結局、二時間以上待たされ、それでもまだはじまらないという状況であった。病院には、常に「外来患者」が訪れていて、その中には緊急処置を必要とする者もいるのであろう。既存入院患者の「処置=手術」が押されていくという事情もわからないわけではない。
 姉と家内も立会いに来ており、その順番が来るまでベッドの脇に座って、おふくろの話し相手をしていた。自分はといえば勤務時間中であるため、二時間位が限度かと考えていた。「処置=手術」は初回ではなく、その推移もわからないわけではなかったため、引き上げることにさせてもらった。術後状況は二人に聴いておいてもらうことにしたのだ。
 おふくろは、わたしが医者から結果を聴いてもらいたかったようで、やや不満を感じていたようではあった。
「今日は戻るよ、明日また来るから」
と言ったら、
「明日じゃ先生はいないから結果はわからないわよ」
と言った。
 自分としては、予断を許さないと感じる一方、何となく今日の「処置=手術」でこそ、残存している結石が除去されるような気がしていたこともあった。

 6時過ぎに家内から電話が入った。それによれば、無事、残存結石が取り除かれ、順調であれば来週の日曜、月曜に退院できそうだということであった。思わずホッとしたものであった。しかし、わたしが戻った後、「処置=手術」がはじまるまでにはさらに長時間待たされたとのことであった。そして、「処置=手術」自体は20分足らずで終了したとのことである。
 きっと、病院側というか医者たちの判断では、おふくろへの今日の「処置=手術」は「楽勝」だと踏んでいたから、ほとんど最後に回したのではなかったか……。が、これで経過に問題が無ければ、ともかくニ、三日で退院ということになるのだから、よかったよかったと言うべきなのであろう…… (2007.01.12)


 今年は暖冬だとはいうものの、この時期はやはり朝晩はめっぽう冷え込む。
 今日、家内は例年の「味噌づくり」教室(?)に出かけた。近所の人と一緒に毎年恒例としているようだ。自分は「味噌づくり」についてはよくは知らないし、関心もない。ただ、この日にしばしば雪が降って、教室までの行き帰りに自分のクルマをチェーン装着で出動した覚えがある。毎年、今ごろは雪となっていたんだと思い起こすのである。

 朝晩のこの冷え込みで気の毒なのは、玄関脇に設えた猫小屋で暮らす「外猫」たちである。毎朝、晩、湯たんぽを取り替えて小屋の床に差し入れてやっているが、それが彼らにとっては頼みの綱であるに違いない。最近は、高齢の親猫クロちゃんだけでなく、その娘であるグチャもしっかりと潜り込んでいる。グチャには、別の小屋をあてがっているが、相変わらず「自立心」のないグチャは、窮屈でも母猫と一緒にいたいらしい。
 ただ、湯たんぽ暖房は、その上に乗っかったものだけが暖が取れるという類のものであり、小屋全体が暖かくなるわけではない。時として、グチャは、母猫が外出している間に小屋に潜り込み、ちゃっかりと湯たんぽの上のスペースを独占したりもしているようだ。そうすると、クロは、しょうがないと思ってか、小屋の外で丸まっていることがあるのだ。親を寒空に放置して、自分だけが暖かいところでいねむるというとんでもないヤツなのである。
 しかしまあ、人間世界では、さしたる理由もなく親に手をかけ、挙句に惨殺するという畜生道にも劣る者も現れているご時世であるから、猫たちの親子関係をとやかく言うこともできないか、と……。

 季節がもたらす寒さや冷え込み自体よりも、それらを身にしみさせるのは、人の世の情けの薄さの方ではないかと感じることがある。何でもカネに換算したり、カネ儲けだけにすべての関心を注いで憚らない風潮、だから人と人との関係の温もりなどに目を向ける余裕すら持たなくなってしまったかのような風潮、そして、ギスギスした風潮の中でただただ自分だけのことしか考えられなくなり、自分の身を守るためには他人のいっさいを奪ってしまうことにもやぶさかではなくなってしまった恐ろしい傾向……。
 そんな「サブイ」風潮の中で、時々、あの吉永小百合主演映画『キューポラのある街』のを思い出すことがある。「♪北風吹きぬく寒い朝も、心ひとつで暖かくなる……♪」という主題歌とともにである。
 当時は、自分も寒さ知らずの元気な子どもであったからということもあろうが、それに加えて、人の世に対する漠然とした信頼感やそれに基づく人と人との関係の温もりというものが、冬の寒さなんぞを物ともしない心持ちにさせていたように思えてならない。
 『キューポラのある街』のテーマとは、まさにそうした人間関係がしっかりと息づいていた時代における若者たちのエネルギーの輝きであったような気がしている。
 浜田光夫はともかく、吉永小百合の生き生きとした輝きはそうした時代環境での鮮やかさであったのであろう。そうした輝きを時代そのものが忘却されて希少価値となってしまったからなのだろうか、今や吉永小百合は茶の間の人気商品「液晶TV」のCMに引っ張り出されている。結局は寒々しいモノでしかないTVに、ヒューマンな温もりのイメージを擦りつけようという魂胆なのかもしれない……。

 地球自体は過度に温暖化しつつある時代であるが、人の情けや心はどういうものかのありさまだと言うべきか…… (2007.01.13)


 この日誌を書こうとする際、何か書くべきことがあったようにもかかわらず、いざ書こうとしてみると何も浮かばないことがしばしばある。
 何か書くべきことがあったようだというのは、日中に何気なく感じたり、考えたりして、うん、これについてはちょいと頭をひねってみてもいい素材だな、などと思う機会が何度かあるということである。ところが、最近は、そうしたことをサラリと失念してしまうようである。だから、再度、メモの習慣づけをすべきかと思ったりしている。

 一頃、アイディアというものに着目したことがある。そして、それらが思い浮かぶのは時と所を選ばず唐突な感じであることに気づき、これは後で思い出そうとしても困難であるため、その時にこそメモなりをしておかなければならないと思ったものだ。
 多少はそんなことを実践したこともあったが、概ね、習慣にするところまでは至らなかった。面倒さが先に立ってしまったことと、メモがそれほど役に立たなかったりしたことが原因かもしれない。
 アイディアが浮かんだ時というのは、何か特別な意識状態にあるかのようだ。狐につままれた状態というと大袈裟になるが、その時の意識状態をうまく言語化することは結構難しいかのようなのである。したがって、メモに残すといってもかなり厄介なものだ。何か、コアとなりそうであったり、キーコンセプトとなりそうな言葉を捜そうとするわけだが、狐につままれた状態にあっては、どんな言葉を選んでもそれでOKであるような気もしないではないのである。
 そして、それを後で読み返す場合、おおよその見当はつくものの、狐につままれた状態そのものを再現することにはならず、どうも精彩に欠ける印象だけが立ち上がってくるのだ。それで、役に立たなかったかと失望し、そんなことが重なると、結局メモを取ることが虚しくなったりするのである。

 今現在、自分が関心を寄せているのはアイディアというよりも、何かちょっと考えるに値するような「気づき」のようなきっかけであろうか。
 そういうものでもなければ、自分はというか人はというか、通り一遍の思いや紋切型の考えなどにしか目を向けずに実にイージーな意識生活しかしないようである。何も斬新な発想を何かのために追求しようとしているわけではない。強いて言えば、怠惰と老化に傾く脳のなすがままでは、そいつぁまずいと思っているのだ。
 歳をとってくると、とかく環境の変化を事も無げに眺めようとするようだ。自分が慣れ親しんだ過去の再現としてしか現状を見ようとしない傲慢さが生じる。いや、傲慢というよりも「新解釈」をしなければならないことに億劫さを感じてのことであろう。老化世代が組織の意思決定層に居座っていることの弊害は、とにかく環境認識のズレであることが多く、今なお社会的にも多くの事件事故を生み出しているように見える。現役でやり通したいならば、何よりも環境変化を環境の襞に分け入って察知する能力を衰えさせてはならないと言うべきなのだろう。

 物事に「気づく」という機会は、まさに時と所を選ばずやってくるようだ。そして、その時にフィックス(固定)しなければ、次はいつ訪れるかわからない。やはりメモは必要なのであろう…… (2007.01.14)


 「群れ」で行動する動物たちを見ていると、彼らにとって「個」とは一体どんな意味を持っているのだろうかと感じさせられる。
 別にほかの動物でもいいのだが、たとえばNHKの秀逸番組『プラネットアース』の第7集「海 ひしめく生命」に登場してくる小魚たちの「群れ」の「シンクロナイズ」な動きを見せつけられると、意地悪っぽく彼らに質問をぶつけたくもなる。そこまでするのならなぜ全体で「一体化」してしまわずに、「個々」の部分でいるわけ? と。「個」であることの意味が何もなさそうじゃないの、と。
 もちろん、彼らには人間のような「意識」なんぞはない。一匹一匹の個体には、ほとんど差異がないような「本能」と呼ばれる感覚機能がビルトインされているだけだ。「群れ」で生きるという行動様式さえ、その本能に従っているまでのことなのだろう。
 それでもそんな生存様式に意味があるとすれば、種の保存のため、進化のために、生態学的なわずかな優劣をもって適者生存の進化のレースに加わっているということなのであろうか。ほんのわずかでも生きる上で優れた「個体」が生き残り、繁殖を続けてより強い種を目指すために膨大な数の「個体」が出現することになっているのであろうか。

 何だかわけのわからないことを書きはじめているようでもあるが、関心を向けようとしているのは、人間の「個人」と「社会」との関係についてである。
 言うまでもなく、人間は、万物の生物の中でも特殊な能力である意識を持ち、またその分、自然決定的な本能の作用力が極めて抑制されてしまった存在となっている。
 そして、他の動物が本能に導かれ自然決定的に生きるのに対して、人間個人は、本能的な行動をとるだけではなく、社会が提供する文化を意識に反映させて社会とともに生きるという生存様式を選んできた。
 ということは、人間個人にとっては、社会やそこでの文化というものは、生存していく上で決して欠かせない不可欠な存在なのだと先ずは言える。かつて、この辺の話題でしばしば例に出されたのは、生後まもなく人間界から離れて狼の群れの中で育つこととなった「狼少年」であった。定かには覚えていないが、その少年は、人間界への復帰を試みられたものの「小野田さん」のようにはならなかったはずである。

 こんな「社会学原論」のようなこと引き合いに出しているのは、ほかでもない、現在のこの国における「個人」と「社会」との関係をゼロ・ベースで捉え直したいと思ったからなのである。
 昨今の社会風潮を見ているかぎり、どうもこうした関係がのっぴきならない状態にまで至っているのではなかろうかと杞憂するのである。もはや、何がどうこうと例示する煩わしさを省略してしまうが、あれだこれだと個々の原因を論う時期は過ぎてしまい、原理的な問題の憐れな骨格が、腐肉の下から覗いてしまっているかのように思われるのである。そうでも考えなければ、解せない犯罪や社会問題、社会現象が多すぎるからだ。
 直感的な思いを先に述べてしまうならば、今、現代の「個人」は「個人」としての存立条件の多くを掴み損ねてしまい、人間的にというよりも生物的にもかなり危うい状況で右往左往しているかのような気がする。
 また、「社会」に関しては、形や形跡はあるものの、「個人」を実体的に生存させる機能を十分には果たし切れなくなっているかのように思える。一言で言えば、「形骸化」に尽きる。また、この「社会」という言葉の中には、人々の生活様式から心理状態までを方向づけるさまざまな「文化」をも含ませているが、これとて人々の心底の行動原理を左右するような影響力を持ったものは存在していないかのごとくである。
 しばしば、経済事象に関しては、大きな変動を迎える際、「ランディング」のあり方が問題にされる。つまり、過激な突入である「ハード・ランディング」か、いわば穏やかに軟着陸する「ソフト・ランディング」か、というようにである。
 それにたとえて言うならば、そのいずれでもなく、勝手な造語で言うならば「バーチャル・ランディング」ではないかと思ったりもする。つまり、この国の社会変化対応にあっては、実に表面的な形式だけは次々と新形式を採用して対応してきたものの、決して根づいてはおらず、要するに仮想的(バーチャル)な域にとどまってしまっているかのようだ、と思わざるを得ない。
 明治からの近代化、そして終戦後の民主化、さらに現代化とグローバリゼーションなどの大半が、形式優先、内実貧困の状態となり、実質的な課題を積み残しに積み残してわけがわからなくなってしまっているかのようだ。

 こうした事態の推移を、この国の「個人」の成熟が難航したためだと紋切型調子で決めつけてもさほど生産的な議論にはなりそうもないが、それでも、どうもこの辺の問題が怪しいと思わざるを得ない。
 とりあえず言い添えておくならば、昨今の行き過ぎた「個人主義」云々というのは、個人主義でも何でもなく、単なる孤立主義、利己主義でしかない。
 欧米産の「個人主義」は熟すことなく、それでいてこの国の文化風土であった共同体的なものの破壊だけは急ピッチで進められてしまったというのが実情なのかもしれない。
 そして、何の洞察力も持ち合わせない烏合の政治家たちによって、IT環境構築とグローバリズム選択という仕上げがなされたのだから、「むく犬の尻にノミが飛び込んだような騒ぎ」(落語的表現)になってしまったというべきか。
 先週、<「デラシネ」風潮>を懸念したものだが、その風潮の足元には、こうした状況が横たわっていると思われる。

 なお、今現在のこの問題状況は、社会的問題というレベルに食い込んでいるのはもちろんのこと、もっとラディカルに、人々の「生理的問題」レベルにまで侵食しつつあるのではと、二番底への墜落を杞憂したりしている…… (2007.01.15)


 言葉と内実とがまったく正反対という実情が増えていそうだ。
 現在懸案中だとされる憲法「改正」も、「改悪」以外の何ものでもないはずだし、一頃、背筋を寒からしめてくれた「改革を止めるな」のスローガンもそれである。こうした状況が人々の不安と不信感を増幅させているのであろう。
 そんな中で、よく考えてみると「グローバリズム」という言葉もこれほど羊頭狗肉なものはないと言うべきである。寺島氏の論考を読み、ふと感じたものだった。

<誰もが「やはり地球は丸い星だ」ということを実感したのは一九六九年であった。米宇宙船アポロ11号のアームストロング船長が月着陸船イーグルから月面に降り立ち、月の地平線から漆黒の宇宙の彼方に昇る地球の映像を送信してきた。その瞬間、知識としてではなく、自分自身の眼で、我々が地球という宇宙空間に存在する一つの星に共生している生命体であることを納得した>(寺島実郎「新しい世界秩序への英知 グローバル化制御へ国際システム構築を」/朝日新聞2007.01.15 夕刊 「思潮21」より)

 つまり、本来を言えば「グローバリズム」とは、かけがえのない<グローブ(地球)>を<資源枯渇>や<環境汚染>から救う運動や潮流を意味して良かったはずである。
 現行のような国際経済活動のボーダレス化を意味するのであれば、従来から使われてきた「インターナショナリズム」で良かったではないか。まあ、「インターナショナリズム」という言葉はどちらかといえば社会主義的であるから、現代資本主義の国際的あり様を意味するものとしては別な表現を望んだのかもしれない。
 それにしても、「グローバリズム」という言葉は、かけがえのない<グローブ(地球)>を連想させながら、実のところは<資源枯渇>と<環境汚染>とを驀進させる過激な経済主義のことを言うのだからその欺瞞性は著しい。
 寺島氏は言う。

<地球全体を一つの市場に平準化していくダイナミズムとしての「グローバル化」が世界を席巻し、気がつけば「グローバル化が必ずしも世界を幸福にはしていない」という事実に我々は慄然としはじめている。……
 世界中が経済成長志向を強め、ニ一世紀に入っての世界は年平均四%前後の実質成長を続け、人類史上例のない高成長の同時化局面を続けている。昨今の一次産品市場の高騰をみていると「宇宙船地球号」は投機の賭博場と化した感さえある。>

 この<「宇宙船地球号」は投機の賭博場と化した感さえある>という表現には共感を禁じえない。この、恥も外聞も未来志向もかなぐり捨てているかに見える経済的動きが、かけがえなく美しく輝く「グローブ(地球)」を卑しめ、そこで生きる生命体の多くを、今苦悩へと追い込んでいる元凶となりつつある。
 この点を寺島氏は次のように指摘している。

 <グローバリズムの震源地であり旗手であるはずの米国が九・一一の衝撃に襲われて以降、歪んだ自国利害中心主義に回帰していることもあって、グローバリズムは制御の基軸を失い、混迷を深めている。極端なナショナリズムや宗教原理主義、さらにはその疾病ともいえるテロリズムが跋扈(ばっこ)するのも、グローバリズムが自立のシステムを見失っているからにほかならない。「イラクでの失敗」に象徴される米国の理念の敗北が、イランや北朝鮮などの偏狭な自己主張をする存在に力を与えていることに気付かねばならない>と。

 米国映画は、しばしば「エイリアン」のような、地球と人類とを侵略するSFを提供してきたが、今、制御機能を機能不全にさせてしまったかに見える「グローバリズム」というものは、あたかもそうした地球侵略者のようにもたとえられそうな気さえしている。
 こんな手のつけられないような混迷状況に対して、寺島氏は、「新しい世界秩序への英知」、「グローバル化制御へ国際システム構築」を、実に実直に提起されている。
 <知の細分化>(専門化)傾向を深めてしまい、地球規模の問題解決に必須な<全体知>から遠ざかって挙句の果てに無力化してしまっている現代の知性のあり方に警鐘を鳴らすとともに、地球規模での<経済と環境とエネルギー問題を総体として制御する新しいルール>づくりを示唆している。

 寺島氏による状況分析と実直な問題解決への考察を読むならば、どんなに最悪な状況下でも人間の聡明さを求めていくことが欠かせないと納得させられるのである…… (2007.01.16)


 今でもよく覚えている、苦々しくもおもしろい話がある。
 ある知人が、「とあること」があってからというもの急に親しげになってきたのである。それまでのわけのわからない攻撃的な言動が、手のひらを返したように変化してしまったのである。「とあること」とは、ほかでもない、自分の子どもの頃のこと、決して裕福ではなく、むしろ生活の困窮と闘わなければならないような貧困生活のことを何気なく話したに過ぎなかった。どんな経緯でそんな話をしたかは覚えていないし、そんな話が大の大人の心をコロリと変えてしまうなぞとはついぞ思いもしなかった。
 その話が、その男の心や意識をコロリと変化させてしまったわけだが、それはまるで欠落ページを補われた落丁本が、読者を不安と不信から解放するような、そんな効果を果たしたようでもあった。

 要するに、自分は、その男から誤解を受けていたようなのである。裕福な家庭環境で保護されてきた、鼻持ちならないエリート気取りのお坊ちゃんだとでも見なされていたのかもしれない。それが、必ずしもそうではなく、今流行りの社会階層タームで言えば「中の下」いや「下の中」とでもいう危ういステイタスを掻い潜ってきたのであり、その過去の経緯が、彼をして「ならば良かろう」とでもいう納得感を抱かしめたようなのである。
 そのことに気がつき、それはそれでわからないわけではなかったが、何と他愛もない幼稚な感覚なのだろうかと、今度はこちら側がちょっとした警戒心を持つに至ったものだった。

 人というのは、自分が被った苦労なり苦痛なりを、他者が同様に抱えていたり経験していたりすると俄かに気を許すもののようである。
 ただし、これはオールド世代に当てはまりこそすれ、現代の若い世代には通用しないことなのかもしれないが……。

 また、ついでにこんなエピソードも加えておこう。
 十年も以前には、ビジネス・セミナーの講師を仰せつかっていたものだが、その時に経験したことである。セミナーである以上、タメにならなくては意味がないわけで、そこから、話の内容は当然「理想型」を照らし出し、話に登場する人物も「優れた」SEや「やり手」の管理職の話に傾きがちとなる。
 しかし、セミナーに参加させられる受講生はといえば、そんな「優れもの」であるならば日がな一日教室に「軟禁」される必要などないわけで、そうではないがゆえに、「軟禁」もしくは「監禁」されるに値することになる。話に登場する者たちが眩しくて、また腹立たしくてしょうがない、というのが実感であり、ホンネなのかもしれない。
 セミナー後には、何らかの懇親会をすることが多かったが、その時、酒も入って和やかになったためかいろいろな者から、ざっくばらんな発言も飛び出したものであった。
 そんな中には、ビクッとさせられるような言い草も混じっていたりする。

「オレ、講習の最初の頃はやたら『ムカツイテ』いました。先生は、スーパーマンのようなデキのいい管理職のことばかりを話されていたからです。オレ、卓袱台を引っくり返すように、テーブルを蹴倒して教室から出ようかとも思ったくらいです。」
「オイオイ、そいつぁ穏やかじゃないねぇ」
「が、気持ちが収まったのは、ドラマ仕立ての教材に話が移って行った時です。あそこに登場する、どうしようもない『主任』像が出された時、あっ、この講師は良く現実の実態を見つめてる、って直観したんです……。なら、最後までお付き合いしようと思いはじめたんです」

 つまり、ここでも、どうしようもない自分の現実、実態と共鳴するものならば撃退しない、いやそれどころか、気を許して聞き容れようとする当然のロジックが息づいていたということなのである。

 昨今、今の時代環境には、「同情」、「共感」というものが無くなったと頻繁に聞くところだ。確かにそうだと思えるし、それどころか、やたらに他者に対して非寛容となったり、攻撃的となったりする者たちが多くなってしまった。
 とある新書に次のようなくだりがあった。

<テレビや雑誌、あらゆるメディアに「ムカツク」「許せない」という文字が躍る。本当に人々はみな、ムカツイテいるのだろうか。もしそうならば、どうしてなのだろう。
 例えば、「あいつが許せない」というなら、攻撃する理由が多分に明白である。ところが、昨今は特定の人物が許せないのではなく、なんだか自分でもよくわからないけれど、不愉快でイライラが募り、ムカツク。自分の周りの人間すべてが許せないというケースも非常に目立っている。つまり集合的な他者=世間が許せない。なぜか、自分だけ、不利益を被っている。自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組になっている。だから、自分は復讐してやるんだとなる。その対象は自分が住んでいる生活共同体の不特定の他者に向けられている。矛先は世間なのだ。だから、まったく接点のなかった人間が犠牲になってしまう>(正高信雄著『他人を許せないサル IT世間につながれた現代人』ブルーバックス)

 これは何も、最近起きた京都の大学生刺殺事件のことについて述べているわけではない。しかし、まるでそうででもあるかのような気さえする。つまり、ああした事件は、今の社会風潮にあっては一触即発で発生する可能性がありそうだということにもなる。
 それはおくとして、それではどうしてこんな「他人を許せない」サルが増えてしまったのであろうか?
 前著者は、「ケータイ」に依存する「IT世間」の問題と、「社会が階級分化し、下流社会の区分が露骨になったこと」などを注目しているようだ。が、今ひとつわかりづらい。
 わたしはむしろ、「自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組になっている」と感じる、そんな意識のあり様に着目したいと思っている。
 つまり、現代の環境、それを「IT世間」と呼んでもいいが、それは人々を孤立した「閉じた感覚」の中に閉じ込めてしまっているように思える。そうであることを個人が望んでいるのだからしようがないとも言えるが、いずれにしても、実感的に自分以外の他者を知り得ないとともに、もちろん他者の苦痛なぞ共に味わうことなど望むべくもないのである。この傾向が、余計なお世話であるIT環境によって支援、増幅されていることは言うまでもない。
 他者の苦痛というものは、ネットを通じて流されるどんなメディアによっても伝わりようがないのである。TVも然りである。こればかりは、苦痛にある者のその吐息が頬をかすめ、苦痛が空気の波動をとおしてぶつかってくるような、そんな至近距離で、苦悩を共有しなければ、決して、伝わるという奇跡は起きないに違いないだろう。
 そんなものは伝わらなくて結構だと言いたくもなるのだろうが、ところがそうではない。こうした他者の苦痛、苦悩を共有できないという事実は、そのまま、他者の姿が見えないことに直結し、そして、わずかな自分の苦労、苦痛が針小棒大に感じられてしまう地獄につながるのである。そして、「自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組になっている」という、病的な主観に嵌り込んでしまうに違いないのである。

 ある人が、今書いたようなことに関して、きわめて示唆的な言葉を記していた。これについてはまた後日書きたいが、その言葉とは次のようなものである。

<「共苦」(Mitleid=ミットライト)とは、やや聞きなれない概念であろう。 しかしながら、よくよく考えてみると、この言葉をつかうことがそうとうに深い意味をあらわすのかもしれないことが見えてくる。 われわれは自分の苦しみというものを、自分だけの苦しみだと感じていることが多い。けれども、多くの苦しみ、たとえば失意・病気・貧困・過小評価・失敗・混迷・災害などは、その体験の相対的な差異こそあれ、結局は自分以外の誰にとっても苦しみなのである。まして、自分の苦しみが相手の苦しみよりも強いとか深いということを、相手に押し付けることはできない。相手も同じことを言うに決まっている。 このとき、われわれは「共苦」の中にいることになる。誰だって「苦しみがない」などとは言えないはずなのだ>(松岡正剛『千夜千冊』 アルトゥール・ショーペンハウアー「意志と表象としての世界(I・II・III)」より抜粋)

…… (2007.01.17)


 幾分ヒヤッとする報道があった。つい先頃、おふくろが入院の上、同種の処置(手術)を受けていただけに他人事ではないと思えた。

<65歳女性が手術後に死亡、業務上過失致死の疑いで捜査
 東京都渋谷区千駄ケ谷の「○△×(by 引用者)病院」(○△×[同左]院長)で、15日に胆のう摘出の腹腔(ふくくう)鏡手術を受けた町田市の無職女性(65)が手術後に容体が急変し、翌日死亡していたことが17日わかった。病院側の届けを受けた警視庁は業務上過失致死の疑いで調べている。
 同病院や原宿署によると、副院長の男性医師(44)が15日午後2時10分ごろから腹腔鏡手術をした。過って総胆管を切断したことなどから、開腹手術に切り替え、午後5時50分ごろに終了した。だが、手術後に出血が増え容体が悪化したため、医師は16日午前1時半から再手術をしたが、約3時間後に死亡した。
 17日に会見した松永院長らは「出血は手術にともなうものだった」とし、再手術についても早い対応が必要だったとミスを認めた。>( asahi.com 2007年01月17日 )

 おふくろの場合は、「胆のう」関連ではあっても、その摘出ということではなかったため、「腹腔(ふくくう)鏡手術」(これは、「開腹」手術に代わって腹部に4〜5個の1cm弱の穴を開け、そこから「内視鏡」や「カテーテル」を通して行う手術だそうである)ではなく口から「内視鏡」と「カテーテル」を通してのリモート処置であった。
 しかし、「胆のう摘出」という案も出されていたのだった。ただ、年齢・体力の問題や、心臓の不整脈のため血液サラサラ化のクスリを服用し続けてきたこともあり、出血の多い手術は回避されたのだった。
 ただ、そんな状態であったから、「腹腔鏡手術」ではなくとも、「カテーテル」の操作にミスがあったりして内壁を損傷して出血を誘うことが警戒されたのだった。
 自分は心配性というか、根拠のない楽観をしない方なので、いくらベテランの医者とはいっても人間が行うことに絶対ということはないと考えていた。したがって、結構、取り越し苦労をしたものであった。まさに、上記の記事の「ミス」のようなことを最悪ケースとしては視野に入れざるを得なかったのである。ひょっとしたら、術後の「出血多量」で亡くなられた当該被害者も、年齢からいって「止血」しにくいクスリなどを服用し続けていたりしたのかもしれない。まあ、そんな点を見逃すほど杜撰な病院体制ではないとは思うが、杜撰は杜撰であろう。胆のう摘出では、胆のう側に近い、いわば路地に位置する「胆管」を切るところを、肝臓ともつながっている「総胆管」という本通りを切断してしまったというのだから、プロの技らしくない。

 上記記事での被害者は、誠に気の毒でならない。そして、昨日のキーワード「共苦」(Mitleid=ミットライト)を想起せざるを得ない心境となっている。おふくろの経緯で気を揉んでいたからなおのことそう感じるのであろう。また、偶然ではあろうが、当該の方が「町田市」在住であったことも「共苦」感情を妙に刺激したのであった。
 思えば、おふくろがとにかく順調な処置に恵まれ退院へとこぎつけたことと、上記の方が不測の事態を迎えてしまったこととは、実に対照的である。確かに、自分のおふくろが無事であったことを幸せに思うのではある。だが、それでいいのか、と自問すべきだと感じてもいる。
 二つの面でそんなことを感じるのである。
 ひとつは、患者側の不安が払拭し切れない現在の医療体制の貧困さである。生命に関るような手術を進める医者たちは、やはりプロとしての力量と経験とを持っているはずである。にもかかわらず、時としてミスを犯す場合があり得る。ここには、単なる医者個人の能力の問題だけではない、医療体制全体の歪みが潜伏しているのではないかと推測する。最も想定し易い事実は、昨今問題視されはじめた医者不足と、現行の医者たちの過重労働であろう。そして、さらにその背後には、国民の医療問題の深刻化を政治の重要課題とできない政治の貧困が横たわっているのかもしれない。
 こうした時代環境の下で、われわれは、その気になれば回避できる苦悩を共に背負い込まされて、「共苦」の環境を共有していることになる。

 もうひとつは、命を持つ人間である限り避けて通れない宿命に関る問題である。医療体制や手術の巧拙という問題以前に、心のどこかで気付いておかなければならない事柄は、次の点なのであろう。
 つまり、人間という命を持つ存在は、病に遭遇し、また老化して、そして死を迎えるという一連の冷厳な事実である。これは、「格差社会」であろうがなかろうが、先進国であろうがなかろうが、誰もが避けることのできない事実である。ここにこそ、「共苦」の小さからぬ源が存在することになる。
 この点に眼を向けて、みんなこぞって仏教徒になろうと言いたいのではない。そうではなくて、死という冷厳な事実を、有って無きがごとく扱っている現代文明は、やはり「病むこと」が避けられないのだろうな、と思うのである。死という冷厳な事実を生きるためのよすがとできないとなれば、「共苦」感は裏打ちされることがないであろうし、いや、生きること自体が精彩さを放てないのかもしれない…… (2007.01.18)


 最近は、事務所に来ている時にも、食後などに20分ほど散歩をしている。今週は、事務所に来るなり、始業前にも歩いてみた。身体が温まる上に、歩くことで身体が目覚めてシャキッとするように思われた。寒いとはいえ朝の冷たい空気を吸うのは実に爽快感がある。チャリンコ通勤がこのところ棚上げになっているため、ウイークデイにも多少はウォーキングをしなければと思い直したのである。

 土日早朝のウォーキングを欠かしてはいない。が、こうして事務所周辺を、しかもウイークデイに歩くと、眼に入る光景が異なり、ちょっとした新鮮さを感じたりする。
 土日早朝の場合は、コースをそうした意図で決めたこともあり、大したものではなくとも自然風景がいろいろと視野に入る。また、時間帯からいっても人通りが少ないため、もっぱら街中の自然光景に眼を向けることとなる。
 それに対して、事務所周辺のウォーキングでは人々の影が否が応でも濃い。しかも、ウイークデイであるため、人々は皆何らかの「仕事モード」である。それが新鮮だと言えるのかもしれない。
 人々の影なんぞ、日頃いつでも見ているじゃないかと思えるが、おかしなもので、何の目的もない姿勢、あえて言えばただ歩くために歩くといった姿勢でいると、眼に入る光景がちょっと違った意味を持つようなのである。
 買い物のためだとか、その他何らかの目的を持って歩いているとどうも眼に入るものが限定されるようである。何でもないことのようだが、言ってみれば「目的設定とプロセス無視(?)」というような日常の行動様式は、結構、問題なのかもしれないなぁ、とふと思ったものである。

 歩道の脇の一角に、幼児の靴の片方がチョコンと置かれてあった。ニ、三日前からそうなっており、そこを通る度に眼に入る。白い布地でできた7〜8センチのズックで、折り返しのベルトが着いており、そのベルトにピンク色の模様がある。やがてシンデレラへと育つのかもしれない小さな女の子が履かせてもらっていたものであろうか。それを見る度に、何度でもわたしの顔の表情はほころぶのであった。
「くっくない、くっくない」
と、家に帰ったその子は母親に訴えていたはずであろう。おぶわれていた子の靴が脱げたというよりも、自転車の前だか後だかの幼児用シートに乗せられていた子の靴が脱げてしまった、という想像の方が妥当なようである。
 どこで脱げてしまったかは、小さな子の記憶からは突き止めようもなく、また、母親も毎日忙しいため、片方のかわいいズックはいつまでも歩道の脇のブロック石の上に置かれてある。

 かなり大きな交差点に出ると、拡声器から野暮な声が聞こえてきた。若手の市議会議員であろうか、歩道のコーナーに、拡声器を交差点に向けてセットし、当人も交差点に向かってマイク片手に何やら叫んでいる。ポスターよりもこうした街頭演説の方がいいのだと言っているようで、どうやらご当人自身が自分のアクションを「奇異に感じている」ような様子であった。スタイルはどうでもいいから、何が言いたい、何がしたいのかという信念をのべなさいね、と言ってやりたかった……。

 まさかさっきの靴の持ち主のシンデレラではあるまいな、と思わず思ってしまった。が若い母親が特殊なベルトで抱いていた子は、ほとんど赤ちゃんであった。最近は、背負うという恰好よりも、母親自身の視野に収まるそのようなスタイルの方がいいのだろうな、と思わされた。
 若い母親は、我が子を身体の前面に密着させて、満足そうに歩いていた。産婦人科にでも通っているのであろうか。そんな姿を見ていたら、母親というのは大変な「事業」をしなければならない存在なのだな、と唐突に感じた。
 男たちの仕事も大変には違いなくとも、まだましではないかと思えた。あれで、いつになったらホッとするのだろうか、早くホッとしたいと母親は願うのだろうか、などと考えさせられたものだ。
 しかし、きっと、大変な「今」は、手が掛からなくなる時を目的とした避けたいブロセスというのではなく、大変な中にも「今」自体が目的でもあるというような充実感があるに違いない、というようなことにも眼を向けた。そうしてみると、自分の子ではなく、小型のペットを飼うことでやり過ごしているかもしれない若い女性たちに較べると、数段、豊かに生きているということになるのだろうか、などと考えることにも及んだ。

 将来の目的のために、「今」を通過してしまおうと見なすのはやはりよくない…… (2007.01.19)


 先日、おふくろがわたしのケータイに電話をしてきた。ケータイの番号は教えてあったので別に不思議はない。意表を突かれたのは、<自分のケータイから>電話をしているという点であった。
「やすお、ケータイから電話してるのよ。みきえに買ってもらったの。」
とおふくろは言うのだった。
「ほんと、そりゃよかったね。何かの時に、あった方がいいかな、と思っていたんだよ。でも、大丈夫? 使えそう?」
と言ったわたしは、何だか急におかしくなってしまい笑ってしまった。
「何、笑ってんのよ。今、みきえから特訓受けてるところだけど、大丈夫みたいね。アタシだってね、やればできるんだからバカにしないでよ。それでね、あたしの番号を教えるからメモしといて。えーとね……」
 すぐ傍に姉が控えているらしく、姉の声も聞こえていた。
「いや、番号はわかってるからいいんだよ」
と言って、わたしは自分のケータイに通知表示されているおふくろの番号を見直した。
「えっ? どうしてわかってんの? じゃあ、言ってごらんよ」
 おふくろは、とても不思議だと言わぬばかりに突っかかってくる。
「掛けてきた人の番号は自動的に表示されるんだよ」
 それでわたしは、
「じゃあ、言うよ」
と言ったものの、表示された番号を読むことと、ケータイを耳に当てることが同時にはできないことを悟り、
「折り返し電話するよ」
と返答することにした。
 そして、その後すぐにコールバックしたのである。
 おふくろは、それで納得したらしく、
「じゃあ、大丈夫だね」
と念を押していた。どっちが「大丈夫」なのかと言いたかったが、とりあえず前向きでケータイを使う気になっているようなので、それはそれでいい事だと思えた。

 以前から、おふくろにはケータイを持ってもらおうかと考えてもいたが、嫌がるに決まっていると、先入観を抱いていたのである。道具類のことなぞ無頓着で、大工道具にしたって何が何だか心得ていない。TVとエアコンのリモコンだけはどうにか操作しているが、それとて時々は間違えたりもしているようだ。
 まして、電話に関しては、こちらがヤキモキするようなことを仕出かしているのである。
 時々、据え置き電話に電話をして話中がえらく長時間継続して掛からないことがある。こちらは心配でならなくなってしまう。何か不測の事態でも起きてしまったのではないかと……。
 それで、業を煮やしてクルマで駆けつけてみると、何と、受話器が外れたままになっていたのである。当人は、ケロッとして、
「どうしたの? 何かあったの?」
という調子であった。これこれしかじかと説明すると、
「ああきっと、猫が駆け上って外したんじゃないの。困ったもんだねぇ」
と言う。困ったのはこちらである。
 そんなことが何回かあった後、またまた駆けつけてみなければならなくなった。
「また、受話器が外れてるようだよ」
と玄関先で声を張り上げると、
「じゃあ、見てくるわ」
と言って、奥へと取って返し、再び玄関先に戻って来て言うのだった。
「大丈夫よ。ちゃんと受話器は乗っかってるから。変ねぇ」
 そう言われると、こちらとしては電話機自体の故障かと思わざるを得ず、それを確かめるために電話機のところまで上がり込んで調べてみた。
 確かに、受話器は、しっかりと所定の位置に乗っかっていたのである。ただし、受話器の耳に当てる部分と話す部分の向きが逆になって乗っかっていたのである。その電話はそういう状態だと外れた状態と同じ結果になるようであった。よくもそんな「独特」な置き方をしたものだと変な感心をしてしまった。そのことを告げると、おふくろは何ともばつの悪そうな顔をしていたものである。

 まあそれらはともかく、おふくろがケータイを持つことで一番安堵できることは、いざという場合に、ひとつの数字ボタンをワンプッシュすることで登録先のわたしのところや、姉のところに発信できるという機能なのである。こればかりは、しっかりとマスターしてもらいどんな場合にでも遂行できるようになってもらいたいと望んでいる…… (2007.01.20)


 もう亡くなってからだいぶ経つ林家正蔵という落語家がいた。その弟子に、今はすでに師匠と呼ばれるようになっているはずだが、林家木久蔵という落語家がいる。TV番組の大喜利でも馬鹿を演じて人気がある。正蔵の独特な、震えるような喋り方を声帯模写するのをひとつの売りとしている。
 その木久蔵の噺(はなし)の中に次のような「落ち」がある。

「師匠、お餅に随分カビが生えておりますけど、お餅ってどうしてカビがはえるんでしょうか」
「バカヤロー、早く喰わねぇからだ」

 昨夜、落語DVDを整理していてこれに出くわした。久しぶりに大笑いをしてしまった。寝る前のひと時であったので、床に入ってからも、この「落ち」のことを楽しげに考えながら眠った。
 「落ち」の可笑しさを詮索するのは野暮であるが、この可笑しさはどこから来るのだろうかと、ウトウトとしながら考えたものである。

 噺の文脈としては、若い頃、正蔵の家で修行中の木久蔵が、神棚に供えたあった鏡餅を、師匠に頼まれて水餅にしようとし、その前にカビを削っていたその時に交わした会話だそうである。
 もちろん、木久蔵は、餅に生えがちなカビというものがどのような科学的原因ではびこるのかに、ふと疑問を持ったわけである。そこで、ひまそうにしていた師匠に、お愛想混じりに何気なく訊ねたのであろう。ひょっとしたら師匠ならば、「そいつぁな、カビってぇやつは、栄養分があって湿気があるところを好んでだな、……」とでも説明してくれるものと期待をしていたに違いない。
 ところが、返って来た返答が、上記のとおりであったわけだ。木久蔵が期待した「解答」とはまるっきり異なるものであった。が、「回答」としてはまったく非の打ち所がない類の返答であったことになる。「師匠、それはヘンじゃないですか?」とは絶対に言えないパーフェクトな「回答」だったと言える。また「バカヤロー」という前置きが、ピシャリと見事に決まってもいたのだ。

 大袈裟に言えば、落語の「落ち」という範疇を越えるかのような広がりのある可笑しさを自分は感じてしまったのである。いや、そもそも落語の「落ち」とか、高度なユーモアというものは、紋切型で硬直してしまった意識にどんでん返しを食らわせ、窮屈な気分を一気に解放してしまうものなのだろう。その意味では、単なるダジャレではない落語の「落ち」の深さ(?)について再認識させられたということかもしれない。
 我流の解釈をするならば、いや、木久蔵の噺の解釈に我流だ、本流だというのも妙であるが、この「落ち」には、現在という時代の重要な問題が潜んでいるかに思われる。またまた大袈裟な表現になってしまうが、科学万能下での「客観至上主義」と、「主体的」経験との関係とでも言うべき問題なのである。
 木久蔵は何気なく「客観至上主義」に寄り添いながら問いを発したと言える。それに対して、江戸っ子気質の昔の人である正蔵師匠は、かつて人々がそうでしかあり得なかった「主体的」経験の立場から「回答」したのであろう。
 ところで、先ほどから「カイトウ」という言葉に二様の漢字を与えて使っている。今では、「カイトウ」といえば、「解答」だと見なされがちとなっていそうな気がする。たぶん、科学万能、知識万能、テスト万歳の下で、「正しい答は常にひとつ」という常識めいた風潮が支配しているからなのであろう。どんな問いにも、答はたったひとつしかない、いや、そうでなければならない、というような暗黙前提が行き渡っているのであろう。先ず今ここでは、本当にそれでいいのだろうか、という疑問だけを言い添えておく。

 「カイトウ」という言葉に与えられる別な漢字は「回答」であるが、これは、結構緩やかな許容範囲が見込まれていそうである。つまり、問われた者、者たちが、思い思いに返答を「回して」いいかのようなニュアンスが含まれている。
 いいかげんだと言ってしまえばそれまでだが、正確にいうならば「主体的」経験に立脚した思いなり考えなりを指し示し、照らしているかのように思われる。
 ところで、今日ほどに、画一的な知識、情報が崇め奉られなかったに違いない時代にあっては、問いに対する答え(応え)とは、一般的に「回答」であることが普通だったのではなかったかと推定する。
 それが、いつの間にか、人々は、どんな問いに対しても、自身のホンネを「主体的」経験に立脚して述べるのではなく、世間一般にメジャーだと見なされていることを知識として借りて表明するようになってしまったのかもしれない。そして、「ピンポーン」と頷かれることを望んでいるかのようである。「そんなローカルなことを言われても理解できませ〜ん」と言われることを極力回避しているかのようでさえある。

 ようやく最近は、発展する科学自体の中からも「解答」が唯一、という判断に疑問を投げかける動向も現れてきたようでもある。科学が発展したからこそ、自身の方法論の不備な部分に気づき出したのかもしれない。あるいは、科学の対象として、捉えどころのない人間の意識がますます広く取り上げられるにおよび、収拾がつかなくなっているのかもしれない。
 いずれにしても、「カイトウ」といえば「解答」と書き、たったひとつでござ〜い、と言っていた時代は過ぎつつあるのかもしれない。科学はともかくとしても、市場経済では消費者の「主体的」経験が「好み」という観点で無視できなくなっていることは否定し難いと言うべきであろう。

 さて、正蔵師匠が自身の「主体的」経験にのっとって、しかも、そんなことわからねぇのか「バカヤロー」と前置きしつつ吼えた「回答」は、旧き良き時代の、自信と誇りを持って生きていた人々の面影を実に彷彿とさせる。
 あるコマーシャルで、「おまえの言うことはツマラン!」と吼えるというのがあるが、おまえは、ちっとも「回答」的セリフを言わないじゃないか、無難な「解答」ばかりを探そうとして……、という意味なのかもしれない。
 そう言えば、時の総理の支持率が下がりっぱなしだそうだが、ひょっとしたらいつも「解答」それも「右」と「太平洋の彼方」とにブレ過ぎたお定まりの「解答」ばかりを口にしているからか? 巷では、「おまえの言うことはツマラン!」との大合唱が響いているのかも…… (2007.01.21)


 昨晩は、TV番組『 NHKスペシャル グーグル革命の衝撃 〜あなたの人生を“検索”が変える〜 』を観た。グーグルについては、当然のごとく以前から関心を持っていたが、グーグル周辺の凄まじい「検索ビジネス」の実態を見せつけられると、正直言って時代環境のある意味での恐さのようなものを感じたりした。
 いや、そんな呑気なことを言っている場合ではなさそうであり、世界を掌握、支配しようとする連中の、そのアグレッシーブな動きは、実に抜け目がない上にもの凄いスピードだと思わざるを得ない。「知的戦略」がビッグビジネスや巨大資金と結びつくならば、あっという間に事態は進行してしまうものだということである。良い悪いという評価的考察よりも、とにかく仕掛けられた現実の方が超スピードで走り出してしまうということである。これぞまさしく、グローバリズムという潮流の申し子だと思われたものだ。

 ネット検索というポイントに焦点を合わせた「知的戦略」システムが、単なるコンピュータ機能を超えて威力を発揮するのは、現代の「現実環境」が、そのシステムに対してきわめて「好意的!」であるという点なのであろう。
 コンピュータはさまざまな処理機能を発揮するが、要するに、入力されたデータに対して、何らかのアルゴリズムを稼動させて、結果としての何らかのデータや動きを出力するものだと言える。そして、この性能が左右されるのは、緻密なアルゴリズムだとは言えるが、コンピュータの処理能力の問題が解消されているならば、想定される適用範囲が広ければ広いほど、つまりテスト・データなり、入力データなりが多ければ多いほど望ましいはずである。一見、例外的だと思われたデータをも対象とできれば、良いに決まっているだろう。
 ただ、これを実現するには、テスト・データなりを確保したり入力したりするという「お膳立て」の手間、工数が膨大なものとなり、そこがネックとなるわけだ。
 だが、もしこの「お膳立て」部分に手間が掛からない、いや、むしろ逆に、次から次へと「自然増的に増えて行く」ものだとするならば、システムにとってはこれほどありがたいことはないだろう。

 グーグルとは、世界中で「自然増的(好意的!)に増えて行く」ものに眼をつけ、それらのデータをとにかく集約することでビジネス的意味を見出し、価値を生み出そうとしたものだと言えそうである。
 なお、グーグルが眼をつけた「自然増的(好意的!)に増えて行く」ものとは、とりあえず二つである。ひとつは、インターネット上に何億と展開され、まだまだ増え続けている諸々のサイトである。そのサイト上に置かれた無数のデータは、ネット上を駆け巡るいわゆる「巡回ロボット」によって自動的に吸い上げられる。これらは、所定のアルゴリズムによってデータ・ベースとして再編されるわけだが、これが片方のひとつの大きなビジネス資産となるわけだ。
 ところが、これだけでも運用次第ではドル箱システムとなるはずだが、グーグルはそれで満足したわけではない。むしろ、次のいわば「自動(好意的!)データ増殖」こそが、より大きなビジネス価値を持つと睨んだのであろう。
 つまり、インターネット利用者たちが、自らの、何らかの探究心、知的欲求(その背後には物的欲求)を持って行う、「検索」という行為である。これは、当人たちにとっては自身が探すサイトなり、情報なりを得るという、まあ切実な欲求(好意的!)行動のはずである。そして、放っておいても「自然増的に増えて行く」はずであろう。
 ところが、これらの行動の痕跡は、当人側に記憶として残るだけではなく、当然システム側に「検索」履歴として残る。いや、残るどころか、これらの集積結果は、まるで「世論調査」のような統計データを積み上げて行くことになるのだ。人々、いや消費者一般、有権者一般などが、どんなキーワードに拘泥しているのかがわかる有力な材料となるはずなのである。
 要するに、人々が自身の欲求に従って行う「検索」という行為は、確かに当人たち個々人にとっては「検索」でしかない。だが、それらを一手に引き受けるシステム側にとっては、「自然増的に増えて行く」データというよりも、もっと積極的(好意的!)に対応してくれる「随時世論調査」を実施しているようなものだと言えそうではないか。そして、消費者動向の掌握という観点をはじめとして、これらの集積データが、販売促進を願う広告主たちにとってより大きな価値を持ち、効果的な広告投資に役立つことは明白であろう。消費者をはじめとするネット検索者たちは、「検索」をすることで知らず知らずのうちに「相手方(システム側、販売側、生産者側……)」に対して「問わず語り」もしくは「内通」情報の提供をしているのだと見なしてもいいのかもしれない……。

 グーグルは、高度な技術力を持っていることは間違いないと思われるが、感心すべきは、その技術力というよりも、実に抜け目のないポジショニングをしたということなのだろうという気がする。「おぬしは役者やの〜」ではなくて、「グーグルは、商人(あきんど)やの〜」と、先ずは言っておくべきか…… (2007.01.22)


 昼過ぎに、おふくろから電話があった。
「今、電話した?」
というものであった。短く鳴って、出ようとするとすぐに切れるというのが、ニ、三回あったとかなのである。
 どうも、さっそく、おふくろのケータイにイタズラ電話が掛かってきたようなのである。というよりも、いわゆる「ワン切り(わんぎり)」(※)という「犯罪行為」なのであろう。

(※) <ワン切り(わんぎり)とは、携帯電話やPHSなどに呼び出しを1〜2回鳴らしてすぐに切り、相手の電話機の着信履歴に自分の電話番号を残すための手法。
 電話機の表示画面には「着信あり」と表示されるため、着信履歴に表示された電話番号に折り返し電話させることを狙って行われる。主に、ツーショットやアダルト系へのサービスへ着信転送させ、高額なサービスの接続に持っていく内容になっているものが多い。 これらはパソコンとアナログモデムさえあれば、非常に簡単なプログラムを作る事で自動化させられるため、1990年代後半に爆発的な流行を見せ、特に不当請求や架空請求(振り込め詐欺)の前駆として知られている。
 NTTの専門用語では「機械的不完了呼」と呼ばれ、短時間に大量に発信が行われる結果、電話網の輻輳の原因ともなっており、規則が改正され、ワン切り発信回線の停止や解約が盛り込まれるようになった。それにより、ワン切りの件数は減っているものの、依然としてワン切りはなくなっていない。>( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 つまらない「犯罪」に巻き込まれてはと思い、おふくろが持たされたケータイの仕様を調べてみると、きわめてシンプルなものであったため、まず「液晶」がない。だから、発信者番号を確かめようがない。
 また、「ワン切り」であったとしたら、敵のねらいは、「着信履歴」を残してコールバックされることにあるわけだが、おふくろのケータイには「着信履歴」保存機能もないのである。
 そこで、「どうすればいいの?」というおふくろに対して、
「すぐに切れる着信ベルならイタズラだと思えばいい。われわれから掛ける場合は、当然しばらくは呼び続けるわけだから、長く鳴っている着信ベルだけを相手にすればいいんじゃないの」
と、至極簡単な対処法を薦めたのであった。
 それにしても、「悪いやつら」は下劣である。おそらくは、どこかで調達した「自動発信システム」か何かを使って、新規加入者番号をターゲットにして発信しているのであろう。それくらいのことはできそうである。
 自分も、ケータイを新たにして番号が改まった際、こうした「ワン切り」発信の洗礼を受けたものだった。

 機能がシンプルな高齢者向けのケータイが利用できるようになり、現代環境も捨てたものではないと思っていた矢先であった。どんな領域にも、現代技術を悪用して憚らない下劣な輩が潜んでいるのかと思うと、情けない気持ちとなったものだ。
 情けないといえば、電話に絡む最も極悪非道な犯罪は、やはり「振り込め詐欺」であろう。相変わらず、被害者数と被害額はうなぎ上りだと聞いている。高齢者であろうが弱者であろうが、奪える者、奪いやすい者ならば誰でも構わないという下心が汚い。いつも、こうした輩たちのことを思うと、一体どうしてくれようかといきり立ってしまうのである。
 感情的な物言いをするならば、そういう輩たちは、ただ単に捕まえて上品な刑に処すというのでは腹の虫が収まらない。イメージ的には、極悪人に対する鬼平流(ダーティ・ハリーでもいい)の対応である、「おめえは、お白州には行けねぇのだ。ここで終わることになる……」
ということかもしれない。とんでもないアナーキーなことではあるが、こんな感情に火をつけないような犯罪抑止体制というものがもっと真剣に追及されるべきなのである…… (2007.01.23)


 昨夕、パトカーの赤色ランプが回転し辺りを物々しく照らす様子が、事務所の窓を通して窺えた。もう暗くなっていたため、赤い光の蠢きが妙に騒々しい感じであった。交通事故の類かと思い、さほど気にもとめずにいたら、それが延々と続くではないか。
 帰宅する時刻となって階下の駐車場に降りてみると、事務所に突き当たる恰好になっている道路、その方向にパトカーが複数台止まっていたのだが、その道路の入口がロープで閉鎖され、脇に警官が立つという緊迫した雰囲気に包まれていた。
 帰宅のため、クルマに乗り込みながら、こいつはちょっと尋常ではないぞ、と思ったりしたものだ。ひょっとしたら「人質」でもとった「立て篭もり」、「篭城」といった「持久戦」の犯罪でも引き起こされたのかな、と取ってつけた想像をした。

 それが、殺人事件であったことがわかったのは、今朝のラジオニュースと、新聞の三面記事からであった。
 新聞記事によれば、事務所と同じ「丁」にある一人暮らしの高齢者が撲殺されたとのことであった。

<……23日午後2時ごろ、市内に住む長男が一人暮らしの加藤さんの携帯電話に電話をしたが、連絡が取れなかった。同5時ごろ、訪問したが応答がなく、警察に通報したという。長男は「22日午後10時半ごろ、父と電話で話した際に異常はなかった」と話している。>(「押し入れに1人暮らしの72歳男性の他殺体 相模原市」 asahi.com 2007.01.24 )

 今日午前中の、事務所の窓から見える当該現場付近の様子はあわただしかった。事務所の前の道路の向かい側にも、TV局の送信用のクルマが電信柱より高いアンテナを立てて駐車していた。
 クルマのボディ側面のネームを見ると、メジャーなTV局ではなく、どうも、いわゆる「下請け」の位置にある業者のようであった。報道業界もこうした「下請け」業者によって賄われるのだなと、昨今の「納豆ダイエット」捏造番組のことなんぞを思い浮かべていた。
 現場付近の各所がブルーシートで覆われ、現場検証とやらが行われているようだった。また、付近には報道関係者と思しき男たちがたむろしている。

 昨日の日誌で、より一層の「犯罪抑止体制」が望まれると書いていただけに、こんなにも身近なところで、しかも、「一人暮らしの高齢者」が惨殺されたというのは、何ともやり切れない気分とさせられる。
 こうした報道がなされると、全国各地で「一人暮らし」をしている高齢者たちがどんなにか不安で心配となることであろうか。日々、迫り来る身体と心の不調でさえ心細く感じているに違いないのに、人の世の善意薄きことに嘆き、人の世の恐ろしさにおののくことになるというのは、とんでもない時代だと言うべきだ。
 それにしても、お年寄りや子どもたちが、相次いで犯罪、事故などの犠牲者となったり、自殺などの不幸に至る、そんな社会や国は、決して「美しい国」なんぞではなかろう。「美しい」という浮ついた言葉を口にする前に、地に足のついた美的感覚、美意識をこそ磨くべきなのであろう。いや、この国に今求められている心構えは、そんな上等なレベルのものではなくて、ひょっとしたら次のような水準であるのかもしれない。
 「殺(あや)めず、犯さず、貧しき者から奪わず」という、『鬼平犯科帳』で懐かしがられる「本物の盗賊」たちの戒めである。理想的なことをほざいて棚上げにされてしまうくらいなら、思い切って妥協に妥協を重ねて、ここまで人の世のルールを引き下げ、その代わりこれを厳守させること! これが、この国の緊急課題なのかもしれぬ。
 まあ、とにかく、「畜生働き」を仕出かす輩と、盗人猛々しい言動に明け暮れる輩が多過ぎる時代なのである…… (2007.01.24)


 世間では今、小学校の「給食費」滞納問題が取り沙汰されている。もちろん、負担能力があってその負担を渋っている大人たちがけしからんことは言うまでもない。これは、NHK受信料問題とは、鋭利な刃で切り分けていい。「給食」サービス関係予算には、今のところ何の問題もないし、受益者たる子どもたちにサービスをストップするというような「非道」なことはすべきではないからである。

 ところで、こうした「公共サービス」の問題が、今日は、にわかに身近な問題となったのであった。
 事務所のトイレ・コーナーの水道が、突然止まってしまったのである。場所が場所だけに、一時はちょっとした騒ぎとなってしまった。調べさせると、戸外にあるメーター部分で、水道局がロックを掛けてしまい、その箇所に置かれた通知書には、その理由として「料金滞納」だと書かれてあった。もちろん、当社が「滞納」した覚えはまったくない。何かの間違いであることは歴然としていた。どうも、同ビルの他のテナント向けの行政措置を誤って、われわれに施したようなのである。
 そこで、水道局やビル管理会社に連絡をとらせ、迅速に給水が回復するように指示をした。

 わたしは、無性に腹が立っていた。理由は二つあったかと思う。
 ひとつは、水道の給水サービスも契約である以上、「滞納」をすればストップということも合理的なのではあろう。だから、もちろん「給食費」と同様に、利用した給水の負担を拒否する根拠はないと言える。当然支払うべきである。
 が、問題は、負担能力がなくなってしまった場合はどうなのか、ということになる。水道水は、生活にとって必需である。強調して言うならば、人の生命維持にとって欠かすことができないものでもあるし、また、考えようによっては、この時期に懸念される出火の場合に対する欠かすことのできない資材でもあろう。
 したがって、「公共サービス」という性格の水道水の給水をストップするということは、簡単にやってもらいたくはないのである。こうした思いがひとつあったために、先ずは、他人事ではあっても憤りが込み上げてきたわけである。
 そして、次には、そうした由々しき措置でありながら、いとも簡単に、ストップするメーターを「間違える」という杜撰さに腹が立ったということになる。もし、当社が、給水を不可欠とするビジネスなりをしていたとして、それが何の通知もなく途絶えたとすれば、相応の損害を受けたはずである。まあ、現実は、トイレ・コーナーの給水ストップだけであったため、社員の排泄が遅延されたに過ぎなかったのではあるが。
 つまり、「公共サービス」というものに携わる者として、その構えに安直さが見てとれることに腹立たしさを覚えたということなのである。

 水道局関係者が駆けつけたが、それはいわゆる「下請け」さんであった。まあ、一通りのクレームは述べたが、この憤りをぶつける相手ではないとも思い、局の課長クラスの方に来てもらえないかと伝えた。
 やがて、水道局の人の良さそうな「課長補佐」がやってきた。
 自分は、一応、腹立たしく思える上記二点を「陳述」した。そんなに目くじらを立てることもなさそうだとは思えたものの、機会がある場合には、公共サービス関係者にはものを言っておく必要がありそうだと思えたのも事実だった。公務員には常々襟を正してもらいたいと思っていたからでもある。構造的に言って、公務員や役所というものは、市民・国民によるチェックや監視が大前提のはずだからある。端的に言うならば、それらは、鰹節の前に座らせた猫に等しいというのが自分の感触なのである。
 いろいろとクレームを述べさせてもらった。その中で、もし、給水ストップされたテナントから出火して、消火のための水道水がなかったために延焼ということが生じた場合の水道局としての行政責任はどうなるのか、という指摘に関してはやや気色を変えていたものであった。まあ、この点は自分のような会社責任者としては、現実的な懸念事項でもあったから言わざるを得なかったわけである。
 が、同「課長補佐」どのは、当該の「滞納者」と再度お話をいたします、という穏便な対応をする旨を述べていたので、こちらも矛を納めたのであった。

 しかし、この国の現状を見る限り、この種の問題、つまり「公共サービス」のあり方を巡る種々のトラブルは、頻発することはあっても減少することはないように思われる。
 こうした予感の背景には次のようなものがある。一方で、財政の逼迫問題の深刻化があり、また他方でサービス受益者たちの困窮が止まらないこと、また、一方で「公共」を食い物にする権力者たちが横行し、他方で「公共」に関する人々の意識が成熟しないというこの国、社会の度し難い恥部が打ち消せない点…… (2007.01.25)


 前夜の「睡眠の質」によって一日の調子は左右される。夜中に目が覚めることが少なかったり、それゆえに深い眠りが確保できた日というのは、実に爽快な気分で一日が過ごせる。
 最近は、昔と違って、就寝時間を6〜7時間としているため、うまく眠れると問題はないが、寝損じてしまうと結構辛い気分になってしまう。

 一昨日であったか、久しぶりに途切れのない良い睡眠を得ることができた。
 その時は、ちょいと工夫をしてみたのが効を奏したようであった。大したことではないのだが、とにかく夕刻あたりから「ゆったりとした気分」になって行くことが良いようである。
 その日は、先ず、仕事を定時で終了して、6時過ぎに帰宅した。これだけでも、気分のクールダウンになるわけだが、日本酒をちびりちびりと飲んでみようかという思いが加わった。唐突に帰りが早かったもので、夕飯の仕度が間に合わなかったこともあった。
 熱燗徳利と猪口で、ゆっくりとほろ酔いかげんになろうとしたわけである。最近はさほど飲まなくなり、夕飯の際に時々缶ビールを一本飲む程度である。
 ところで、ビールというのは、どうも惰性的な感じがしている。ヘンな話だが、当人が「人格」レベルから飲みたいと思うよりも、喉であるとか、食道であるとか、胃袋であるとかが「ローカル」に要求する、その結果であるのかもしれない。
 それに対して、日本酒、熱燗というものへの欲求というのは、「人格」レベルがというのもヘンだが、「心なるもの」が要求するような気がする。まあ、日本酒を飲みたいと思う者すべてがそうだと乱暴なことを言うつもりはないが、自分の場合、なぜか「のんびり志向」が首をもたげると、日本酒ということになるようである。
 だから、ぶらぶらと旅行なぞに出ると、にわかに熱燗一本ということになるのだ。そうすると、「のんびりモード」がしっかりと板につくから不思議なのである。ビールでは今ひとつ板につかないようだ。

 何だかくだらないことを書いているようだ。
 そして、ほどなくほろ酔い加減となり、のんびりモードが定着したのである。これだけでも、良く眠れそうな気はしたが、念には念を入れようと、その晩の入浴は、噂に聞いていた「熱くない湯に長時間」という「方式」を採用してみた。大体が、熱い湯加減を好んできたが、それは就寝前には適切ではないようである。
 ラジオ番組を聴きながら、ダラダラと30分も浸かっていただろうか、「額に〜汗して〜♪」という状態に「蒸し上がった」のである。
 これで、「熟睡コース」の準備はほぼ万全であった。が、さらに、ダメ押し的に、ふたつのことに留意しておいた。
 ひとつは、喫煙をパスしたことである。風呂上りには「一服」というのが定番でありそうだが、就寝前の喫煙は、せっかくクールダウンしている「交感神経」を刺激することになり良くないのだそうである。思うに、「ノンレム」睡眠が「レム」睡眠に移行すると、「交感神経」がざわつくのが普通であり、その際に、「交感神経」がガンコであると、覚醒してしまうようである。自分の場合には、特にその傾向が強いようなのでマークする必要がありそうなのである。
 さて、寝床に就いてからは、「のんびりモード」の仕上げとして、東海林さだおのエッセイ文庫本に目を通していたのであるが、ほとんど一頁も読まないうちに寝入ったようである。そして、その眠りは途切れることなく、夜明けまで続くこととなり、翌朝は実に爽快そのものであった。

 毎日毎日をこんな「のんびりモード」で過ごすわけには行かないものの、時々は、ガンコな「交感神経」をなだめるべく、酒だ、長湯だ、東海林さだおだという「フル・コース」を辿るべきなのかとマジに考えている…… (2007.01.26)


 自分は、人に好かれるような性格でも容貌でもないし、医者のように人からありがたがられるような職業についているわけでもない。そうした諸々のことがあってか、人に喜ばれるという一事に非常に憧れを感じている。

 人に喜ばれることといえば、カメラが趣味らしい趣味であることから、飾ってもらえるような写真を差し上げることくらいかもしれない。大した腕ではなくとも、喜んでいただける人がいたりするからありがたい。
 また、これも趣味の領域の話になるが、かねてからデジタル画像編集への関心があり、最近ではTV番組の録画などをDVD仕立てに仕上げるのがおもしろくて、それをまた人様に差し上げたりもしている。自分が気に入った本を人に薦めたり、差し上げたりすることも考えられるわけだが、本というのは、人によっては煩わしく受けとめる人もいるに違いない。迷惑がられたりすることもあり得る。
 そこへいくと、写真であるとか映像などのビジュアルなものというのは、簡単に見流すこともできるわけだから、よほど劣悪な代物(しろもの)ではないかぎり、概して喜んでいただけそうである。

 今日は、複数の人からお礼の電話をいただいて気分をよくしている。
 そのひとつは、つい先ごろ出産を済ませた姪夫婦に、自家製のTV録画DVDをあげたことである。その番組とは、NHKの科学ドキュメンタリーで生後間もない「赤ちゃん」に秘められた不思議な能力を解説するものである。その中身についてはおくとして、自身でも感動したものであったため、若いパパ、ママには必見だと思えたのである。そこで、自分用に作っておいたDVDを複製して提供したのである。
 電話の向こうでは、二人とも大層喜んでいる様子であり、意が通じたかと思うとこちらも嬉しく思えるのだった。当人たちは、当然、育児や子育てに関していろいろと情報を収集しているはずであろうが、いわゆる育児ハウツーもの以前に、最新科学によって解き明かされつつある「赤ちゃん」の能力(脳力)の不思議を知っておくことは、決して悪くないことだと考えたのであった。しかも、本などとは違って、DVDであれば、夫婦二人がともに鑑賞できて、共通認識を得ることができるのだから好都合のはずである。

 もうひとつは、自家製の写真である。ある方に、以前に撮った富士山の写真にラミネート加工を施し、銭湯の壁絵よろしく浴室にでも貼ってくださいと送ってあげたのである。その写真は、先ごろ家内のお義母さんに差し上げたのであるが「えらく評判がよかった」ため、味を占めた感が無きにしも非ずといったところなのである。

 何が言いたいのかということだが、ひとつは、人に喜ばれるということはとても重要なことだという点である。現在、人は皆、とかく自信を喪失しがちな状況にありそうだ。自分とて同様である。そして、それは当然癒されなければいけない。なぜならば、現在、蔓延している人々の自信喪失という事態は、本来的には根拠薄弱なものなのであり、強いて言うならば、本来あるべき人と人とのつながりがズタズタにされていたり、歪んだ市場経済社会での一方的な価値基準が凌駕しているために、図らずも生じているのに違いないからだ。だから、それは当然癒されなければいけないのであり、かといってそれは腕づくで叶う類のものではないわけだ。
 かろうじて残されている方途は、みずから進んで人に喜んでもらえるようなことをすることなのではなかろうか。その代表的な姿は、言うまでもなく「ボランティア活動」だろうと思う。人(他人)のためという点もさることながら、自身の「心細さ」「自信喪失」という心象を克服することでもあるという隠れた重要な意義があるのだと思われる。
 もうひとつは、人は、人に喜んでもらえる何かを持てたら幸せだという点なのである。もちろん、善意の表明だけでもいいにはいい。人が喜ぶのは、モノの提供とかありありとした行為ばかりではなかろう。苦しい時には、優しい言葉や素振りだけでも十分に喜ばしいはずである。
 が、それもまた難しい気がしないでもない。となると、ヘンな言い方だが、「一般受け」する、人に喜んでもらえる「技」を持つことができれば幸せではなかろうかと思ったりしたのである。

 こんなことを考えてみると、そもそも職業というもの自体が本来は「人によろこんでもらう」という重要な側面が内在していたはずだと気がつくのである。だのに、現在の職業観には、報酬の面と自分サイドの動機ばかりが鋭く立ち上がる環境となっているかのようではなかろうか。だから、「人によろこんでもらいたい」という気分だけが取り残されて彷徨うのかもしれない…… (2007.01.27)


 てっきり今日は天気が崩れると思い込んでいた。天気予報を信じたためである。
 だが、まずまずの晴れであった。明るい陽射しとまでは行かなかったが、家の中でくすぶるには惜しい感じがした。
 そこで、しばらく活用していなかった「最も上等な」デジタルカメラを持ち出して、久しぶりに薬師池公園へ出向いてみた。そのカメラ向けの交換レンズ一式を格納したリュックと三脚ならぬ一脚とをクルマに積み込み出向いたのだった。
 ところで、これは後日談まがいの話となるが、どうも自分は、一月の晴れた日となると毎年のように「最も上等な」デジタルカメラを持ち出し、薬師池に向かっていたようである。ほとんど意識しないのであるが、それを繰り返していたようである。
 このことを再認識したのは、このカメラに装着していた大容量メモリーを今日総点検してみたところ、残された写真の日付が一昨年の一月、そして去年の一月なのであった。要するに、このカメラはどういうものか一月にしか活用していないのだ。寒々しい雪の降った風景とか、木の葉をすっかりと落としてしまった木々とかの、一月の風景ばかりなのである。しかも、薬師池公園での撮影がいずれの年にも含まれていた。
 これらを踏まえて先ず言えることは、「最も上等な」デジタルカメラを大事にし過ぎてさほど愛用してこなかったという点である。実にもったいないことをしていたのだ。
 理由としては、高性能なカメラであるのだけれど、かなりの重量がある点と、他に軽量なそこそこ使い勝手の良い比較的安価なデジカメを保有しているため、「最も上等な」「大御所」の出番がなくなってしまったと言えるのかもしれない。

 こうしたことは、人の起用などにおいても起こっていそうな気がする。映画の配役の起用についても、監督は次のごとく思案しがちなはずであろう。
『このバヤイ、実のところ仲代達也がベスト・キャスティングではある。だがしかし、あの大御所では、重過ぎる……。彼の貫禄は、監督の影を薄くしてしまう懸念がある上に、何よりも出演料が重荷となる。だから、ここは貫禄も迫力もいまいちで、その分、ペイ水準が相談応! であるに違いない○×△□あたりが無難であろう……』
 ひょっとしたら、映画監督のみならず、時の首相でさえ、組閣時には同様のことを考えるのではなかろうか。軽くて使い勝手のよい面子を持って来よう……、と。本来を言えば、課題山積の内閣の組閣にあっては、首相の影が薄くなるほどの「最も上等な」適任者を配置してこそ、その内閣の総責任者たる首相の顔も立つというものであろうが、どこかに安直さや、了見の狭さがあると、使い勝手の良さとコスト安とを優先させてしまうのであろうか。

 横道にそれてしまったが、自分の場合も、高性能ではあるが重くて高いデジカメをどこか敬遠する弱腰があったものと見受けられるのである。そして、それはマズイ、せっかくの高性能・高級なカメラなのだから、モトを取るべく撮り捲らなければいけないぞ、と反省するのが毎年年明けということになるのであろうか。それが、このカメラに日の目を見させるのが、奇妙にも毎年一月になるという理屈なのであろうか。振り返るとありそうな経緯だと思えないこともない。まるで、その季節になると行動を起こす渡り鳥に似ていないでもない……。
 「一月の謎」は、それはそれとして、それではなぜ「薬師池公園」ということになるのかである。ひとつは、こうしたカメラに必須の三脚使用という点において、勝手知ったる同公園なら安心だという点もあるのかもしれない。
 が、何よりも、被写体としての自然光景が豊富であり、特に、野鳥を撮るのに適しているという得難いメリットがあることが、同公園に向かわせることになるのであろう。
 そこは、広い池を中心にした、小さな里山のような環境であるために、有名なカワセミをはじめとして少なくない野鳥が訪れるのである。実際、今日も、ハト、アヒル、マガモはともかく、カワウやヒヨドリ、シジュウカラ、ヤマガラなどの姿を、「最も上等な」デジタルカメラであるがゆえに、まずまずの出来で撮影することができたのである。

 「鳥インフルエンザ」の媒介が野鳥だろうと睨まれてもいるが、最近自分は、ますます野鳥に愛着がわいているようである。野鳥の姿をカメラに収めたからといってPCウイルスのごとく感染するわけではないのだから、今年はひとつ野鳥撮影にはまってみようかと思ったりしている…… (2007.01.28)


 グローバリズムのうねりの中で、中国の経済発展が注目されてきたが、もう一国、インドの追い上げが気になるところであったはずだ。
 ソフト業界では、かねてから、インドのソフト開発技術には熱い視線が向けられてきたものだが、昨夜のTV番組、NHKスペシャル『インドの衝撃 第一回 わき上がる頭脳パワー』は、まさに「衝撃的」であった。
 わが国日本の現状を振り返りながら観ざるを得なかったわけだが、いくつか考えさせられるポイントがあった。

 先ずは、制作側のNHKの解説を引用しておく。
<IT産業を中心に急発展し続けるインド、その武器は大量輩出される優秀な人材です。「ゼロ」の概念を発見するなど数学に強い国民性に加え、独立後のインドは科学技術によって国家の振興を図ろうと超エリート教育のシステムを作り上げました。その象徴となっているのがIIT(インド工科大学)。「IITに落ちたらMIT(マサチューセッツ工科大学)に行く」と言われるほどの難関校で、論理的思考を徹底的に鍛える独自の教育から、ITエリートが量産されています。IITの卒業生の中には世界的なIT企業を起業し、航空機の設計から物流システム、様々なソフトウェアの開発など、ビジネスの世界を席巻する者も現れています。
インドの優秀な人材がどのようにして生まれるのか?シリーズ初回は、急成長するインドのIT企業を支える「頭脳集団」と、その頭脳を生み出す教育現場を克明に取材します。優れた人材を量産する秘密を探るとともに、インドの頭脳が世界にもたらす衝撃を取材します。>(サイト/NHKオンライン より)

 子どもたちや学生たちの勉学意欲、それも理数系分野への燃えるような意欲の姿が驚異的であった。この国、日本ではちょいと見られなくなってしまった光景ではないかと若干寂しい気がしないでもなかった。
 何と表現すればいいのだろうか、団塊世代たちの「受験戦争」の空気を思い起こすべきなのだろうか。いや、自分は、唐突にも日本の「幕末」前後の時代の日本人の熱い勉学意欲を思い浮かべたりしたものであった。内実は別として、吉田松陰やその松下村塾(しょうかそんじゅく)、また福沢諭吉と慶応義塾などを思い浮かべ、そこでのヒートアップしていたであろう学問への情熱なんぞを思い描いた。要するに、この国の、原初的な「キャッチアップ」が始動した頃のことを連想したわけなのである。
 番組でも、子どもたちや若者たちが「勉学一直線」で燃え上がっている背景には、知的立国を目指す国家戦略(独立後のネール首相時代から方向づけられていたとか)と、それを必要としているインド社会の一般的な貧困状況が潜んでいることが伝えられていた。
 「勉学」だけが、自身や家族を貧困から掬い上げる唯一の道であることが、自他ともに了解されている非常に「わかりやすい」状況なのである。
 この「わかりやすさ」に着眼してみた時、そんな状況がこの日本にもあったのは、終戦後と幕末ではなかったかと、そんなふうに考えてしまったのである。

 今の日本を振り返った時、社会状況は混乱とねじれとアナーキーさが渦巻いていそうであるが、特に、若年世代たちの勉学姿勢にしても、今ひとつ煮え切らないところが気になる。少なくとも、「勉学一直線」といった空気に包まれているとは言い難いであろう。理数系志向もかなり萎えているとも言われている。
 これらの状況には、複雑な要素が絡まっていそうであるが、インドにあってこの国にはない明瞭な要素は、やはり貧困とそこからの脱出を是が非でも目指そうとするリアクションの感覚、意識ではないかと推定するのである。
 貧困などによって方向づけられた「一意専心」的な姿勢だけが、知的営為のための苗床ではないとは思うのであるが、やはり、「わかりやすさ」とそのアウトプットという点からいえば、貧困(苦)が駆り立てるパワーは侮れない。
 皮肉っぽく言えば、現在、日本の格差社会で再燃しつつある新たな貧困は、果たしてそこからの脱出のための「勉学一直線」へと人々を誘導するものだろうか、と考えてしまう。端的にかつ実感的に言うならば、「勉学一直線」にあらず、どちらかと言えば「犯罪一直線」という惨めな話になりつつあるのかもしれない。そうは思いたくはないが、格差社会の深まりとともに、あまりにも社会が劣化して、やたらに犯罪が多発しているかに思われるからだ。
 また、同じ貧困を目の前にしても、現在進行中の新たな貧困とは、どうも「這い上がれない」貧困ではないかと囁かれてもいる。そうであれば、破れかぶれや自暴自棄を誘発してしまう危険が潜伏しているとも考えられる。

 こうしたことを考えるならば、一方で、インドのように貧困がそのまま国民を「勉学一直線」へと誘っている国と、新たな貧困が犯罪多発を誘発しているかもしれないこの国の状況との違いは一体何によるものかと考えさせられるのである。
 もちろん、先進国文明へのキャッチアップ「前」の国インドと、キャッチアップ「後」の日本という大きな差異があることは言うまでもない。先進国文明の洗礼を受けてしまうと、国民感情も一筋縄では行かないものに変質することは想像できる。
 しかし、小難しい議論に入ることなく言えることがあるとすれば、格差社会の進行の過程で新たに生じているこの国の新たな貧困は、非常に性質(たち)が悪いものだということではなかろうか。たとえれば、同じ風邪症状であってもノロ・ウイルスのようなウイルス性の性質(たち)が悪い風邪のようなものである。
 いろいろと考えるべき点があるが、要するに「這い上がれない」貧困、ダメ押しされた貧困という性格が、新たに「作り出されて」いるようであるから問題なのである。
 自然発生的(?)な貧困は、環境改善があれば人々を前向きにして「勉学一直線」にも向かわせもする。しかし、構造的に「作り出される」貧困は、人々から勇気と熱意を奪い、諦めと冷笑を植えつける可能性が高いのではなかろうか。
 なお、こうした対照的な差異に拍車を掛けるのは、言うまでもなく、国の政策や政府の制作であることは否定できない。
 結局、インドの人々の知的水準やパワーに脅威を抱くよりも、そうした前向きな姿勢作りを成功させている「有能な」政府と、歪んだ格差社会に手を貸して社会に歪みとやる気なさとが蔓延することを放置している「無能な」政府との違いにこそ着目すべきだと思えるのだが…… (2007.01.29)


 モノが溢れた先進諸国では、モノ(製品)が内在する機能的水準は比較的高度なレベルで平準化していることや、消費者センスの多様化・個性化によって、専らモノ(製品)のデザイン性が重視される傾向が強い。PC分野で言えば、差がつきにくいPC機能に加えて、デザイン性でユーザーを掴んだマッキントッシュの動向が思い起こされる。決してマックの例だけではなく、デザイン性による差別化で消費者の心を掴んでいるモノ(製品)は少なくない。
 こうした傾向が、消費文明が爛熟したいわゆる先進諸国のみでの特徴だと見なされてきたように思うが、必ずしもそうでもなさそうなのである。貧困から猛スピードでテイクオフしているインドにおいても、既にそうした傾向が立ち上がりはじめているのだそうである。これを一体どう理解するべきか、気になった。

 昨日に引き続き、TV番組、NHKスペシャル『インドの衝撃』の第ニ回目『11億の消費パワー』を観ての感想である。

<第二回は地球最後の巨大市場とも呼ばれるインド市場に迫ります。インドでは今、「中間層」と呼ばれる旺盛な購買意欲を持つ人々が急増、その数は実に年間2千5百万人とも言われ、マレーシア1国分の消費パワーが毎年生まれる計算になります。消費の喜びに目覚め、大量の「もの」を買い始めた彼らが巻き起こす「消費革命」。伝統的な個人商店に変わってスーパーチェーンが急速に広がり始め、人々のライフスタイルも様変わりしています。将来性豊かな市場の争奪戦も激化、いち早く現地に適応した商品を開発し先行する韓国企業を、日本企業も追い上げようとしていますが苦戦を強いられています。
猛烈な勢いで出店するスーパーチェーンの開発部隊、日韓企業の市場争奪戦に密着取材、インドの歴史始まって以来の「消費革命」の実態と、インド社会にもたらす影響を探ります。>(サイト/NHKオンライン より)

 冒頭の件は、エアコンの販売戦略において、日本の「日立」の現地法人が、「LG」などの韓国勢力に押され気味となっている現実が紹介される過程で提起されていた事実であった。
 「日立」現地法人は、「日立」らしいといえばそうなのだが、高い技術力を背景にしたまさしく高性能で、ハイ・プライスのエアコンをリリースする戦略を採ってきたようなのだが、今ひとつ伸び悩む現状を迎えている。
 そして、消費者動向をサーチするためにとある中間層の家を訪問して、あることに気付いたそうなのである。つまり、その家の内部は、内装といい、備えられた家電製品や家具など、いずれもがハイセンスなものばかりであり、先進諸国の生活様式やセンスによって設えられた雰囲気と何ら変わらなかったのだ。要するに、高度なデザイン志向、生活センスという点においては、先進諸国の最先端に何ら引けを取らない現実があった、つまり、先進諸国とリアルタイム的であったというのである。
 そこで、「日立」の経営者は、日本の「美」的センスを前面に打ち出しながら高性能エアコンのシェアを伸ばすという戦略に転じたというのである。

 インドのような分厚い貧困層と同居するかたちでの中間層の消費動向といえば、どちらかといえばデザイン性なぞよりも安さ、そして次に機能にこだわるのではないかという推測がされがちであろう。「衣食足りて礼節を知る」の言葉にも共通した推測である。
 それに、日本の終戦後および高度成長期の生活様式の変化、推移は、そうした推理と同様な段階的移行をしてきたのではなかったかという気もする。
 ところが、現在のインドでの消費動向は、その猛スピードで急激な水準上昇という特殊な推移にも原因があろうかとは思われるが、要するに、一気に先進諸国の爛熟した消費文明の特徴に飛び込んでしまっているわけなのである。
 この事実が示すことは次の点だと思わざるを得なかった。すなわち、世界的な広がりでのIT環境の飛躍的な発展とこれと平行したグローバリズム経済のうねりは、人々の生活様式、センスをまで一気に変えてしまい、わずかなタイム・ラグをも生み出さず、先進諸国との「同時」空間に仕立て上げてしまう、ということなのであろう。世界の「フラット」化、「同時性」とはまさにこの事を言うのだと痛感させられた思いであった。
 ここからは、あたかも、伝統文化との軋轢なぞ皆無のようにさえ見えるのだった。物質的貧困が、ハイエンドなモノの溢れによって塗り替えられていくのはわかるとしても、ヒンズー教文化などの伝統文化までが、このようにいとも簡単に押し黙らされてしまうものかと……。
 溢れるモノとそれらへの欲求の喚起と平行して、強力なIT環境における各種メディアが人々の感覚、意識を日々洗脳するならば、文化を文明に置き換えてしまうことも十分にあり得るのだと考えさせられたものだった。

 こうして、グローバリズム経済の猛進撃は、インドのみならず、ブラジル、ロシア、中国("BRIC"="BRAZIL","RUSSIA","INDIA","CHINA")を、米国を凌ぐ21世紀の経済大国へと押し上げていくのだそうである。
 「有力な」予想としてそんなことが想定されるようであるが、ただそれは「有力」であるとしても決して確実であるとは言い切れないのかもしれない。現に、中国経済にもバブル要素や公害などの負の遺産も指摘されているし、インドにおいても、華やかな市場経済の発展の側面とともに、伝統文化の一翼から「ガンジー」再評価の動きも広まりつつあるとかである。
 もし確実な気配という点であれば、"BRIC"の動向はさておいて、ここへ来てさまざまな面で急速に「行き詰まり」傾向を見せている、この日本という国の惨めな将来ではなかろうか。このまま行けば「アメリカの51番目の州」と成り下がったり、そうではなくとも「黄金の国・ジパング」ならぬ「往年の国・ジパング」になるのかも…… (2007.01.30)


 今日の新聞記事に次のようなものがあった。

<若い研究者は世間知らず? 文科省の意識調査

 最近の若い研究者は常識がない?――文部科学省が大学や企業に勤める理系の研究者を中心にアンケートしたところ、若手研究者の3割前後が、社会常識や一般教養に欠けるというイメージで見られていることがわかった。その一方で、専門分野の知識は豊富とみられるという。
 調査は昨年、2000人を対象に実施し、1024人から回答があった。有効回答率は51.2%。
 20代前半〜30代前半の若手研究者の能力15項目について尋ねたところ、高い評価が目立ったのは「専門分野の知識」。「高い」が48.8%、「非常に高い」が6.7%あった。
 しかし、「社会常識」について尋ねたところ、「低い」が26.5%で「非常に低い」が5.6%と、辛口評価が目立った。一方で「非常に高い」「高い」という評価はそれぞれ1.1%、9.1%。
 「一般教養」も評価は低く、やはり「低い」「非常に低い」が23.5%、4.1%あった。「非常に高い」「高い」は0.9%、12.5%だけだった。
 そのほか「課題設定能力」「創造性」「国際性」に対する評価も低かった。……>( asahi.com 2007.01.31 )

 ことさら注目するほどのことではなく、従来から指摘されてきた事柄だとも言える。
 ただ、最近はその程度が極端になってはいないかと感じさせられはする。そして、過度に専門分化する科学のあり方に疑問も投げかけられ、「学際的」研究にも強い関心が向けられている時代にあっては、やはり問題視すべきなのかもしれない。

 ところで、狭い分野の知識を記憶して、これに長(た)けるということ、なおかつ、対人関係が苦手であるという特徴まで加えた時、自分は、従来から「学者、技術者」をイメージしたものであった。たぶん、上記の記事で指摘されている事柄も、概ねそうした人々にありがちな傾向の再確認だと見てよいのであろう。
 ところで、「社会常識」や「一般教養」とは、それらを知らなければ「世間知らず」だと見なされてもあながち見当外れにはならないようである。つまり、「社会常識」や「一般教養」という特殊専門的な分野が存在して、それらの特殊な知識に対して不得手であるというのではなく、要するに、社会や他者との関係を進めるその能力、対人関係能力に問題があると言った方が妥当であるような気がする。

 こんなふうに考えた時、自分はふとあることを思い起こすのである。
 もう20年近く前に、アカデミー賞を受賞した『レインマン』(1988)という映画があった。ダスティン・ホフマンが、驚くべき記憶力を持つ、内気というか自閉症気味の男を好演したのだった。
 そして、これは単なるフィクションではなくて、実在するモデルがいたのであり、この実話についてもノン・フィクション番組が、昨年報じられたものだった。
<NHK『脳の力〜記憶力の天才たち〜』(「地球ドラマチック」 2006年7月26日/原題:THE REAL RAIN MAN/制作::Focus Productions(イギリス・2006年)>
 「記憶」という脳の機能に関心を寄せている自分としては、当然ながら興味深くこのノン・フィクション番組を観て、そしていろいろと考えさせられたものであった。

 鮮明な記憶として残っているのは、「レインマン」のような驚くべき記憶力を持つ人のことを「サヴァン症候群」と呼ぶということ、そして彼らの多くがコミュニケーション能力に支障があり、ある場合には自閉的傾向が強いということ。
 脳科学的検査によれば、映画『レインマン』のモデルの場合は、「脳梁(のうりょう)欠損<左右の大脳半球の皮質を連結する神経の集まりが不足している状態>と情報を選別する前頭葉の働きが関係している」とのことであった。現在研究中の問題のようなので何がどうだと断定的なことは言えないようではある。
 以下は、自分の推理でしかない。
 ひょっとすれば、人の記憶というのは、「レインマン」のような精度があるかどうかは別にしても、実のところかなりの能力があるのではないか。それは別に、驚くべきことではなく、たとえば、オウムやインコが外界の音をまるで録音するかのように記憶してしまうことを考えれば、生物の神経や脳にはそうした機能があっても不思議ではないのかもしれないと思うのだ。また、これはやや眉唾かもしれないが、いわゆる「臨死体験」をした者が、まるで走馬灯のごとく一生の細々した光景の記憶を瞬時に蘇らせた……、という話にも符合するように思われる。

 ではなぜ、通常、そうした記憶機能が発揮されずに、言ってみれば凡庸な記憶、あるいは物覚えの悪さに止まっているのかということになる。もちろん、<前頭葉>や<海馬>自体がハード的に劣悪だからということもないではなかろう。
 それを別問題とすれば、推理できることは、オウムやインコのように反応して写実的に記憶をしてしまうことを抑制したり禁じたりする機能が、人の脳には備わっているということであろうか。
 どうしてそうした写実的記憶を禁じるのかといえば、それは、人が「今現在を生きる」上では、さほど意味がないからであろう。オウムやインコにしたって、敵を惑わすという生物の擬態的行為のほかには役立っているようには思えない。
 いや、むしろそうした写実的記憶で脳というCPUの働きが占有されてしまうならば、人がリアルタイムで直面するさまざまな環境危機に対して迅速に対処できなくなる危険さえ生まれることになる。そこで、記憶作用は、「今現在を生きる」上での最小限に止め、後は意識下に保留にしておくという段取りをすることになったのかもしれない。

 そこでなのだが、人が「今現在を生きる」という切迫した課題の中で最も重要なものは何か、ということである。それは、最も恐ろしい敵、最も強い関心を持たざるを得ない対象への対処ということになるはずである。で、人にとっては、結局、他の人、他者こそが敵でもあり、また強い関心の対象でもあることになるのだろう。他者(社会も含む)との関係こそが、「今現在を生きる」ために脳の力が結集されなければならないメイン・イベントだったのだと推測される。幅広い意味での対人関係、コミュニケーションの行為である。
 こうして推理してくると、「記憶力」と「対人関係、コミュニケーション能力」とが、あたかも「バーター( barter )関係」にでもあるかのように思われてくるのである。
 取って付けたような言い方をすれば、自閉的傾向が強いと見なされている「サヴァン症候群」とは、何らかの脳の支障によって、【「記憶力」>「対人関係、コミュニケーション能力」】という構図を選択させられてしまったことになるのかもしれない。
 そして、これまた取って付けた解釈をするならば、冒頭の新聞記事は、若手研究者たちは、「サヴァン症候群」的な脳内の構図を、意図的にか無意識的にか選択することで、「対人関係、コミュニケーション能力」を低下させ、「世間知らず」になっているのであろうか。狭い専門的知識をオウムやインコのごとく記憶することと引き換えに…… (2007.01.31)