今のようなご時世だと、みんな "カリカリ" としているのかもしれない。自身を振り返っても、そんな想像は容易にできそうだ。
金持ち喧嘩せず、と言われるが、現状はまったくその逆であろう。それぞれが、足元の経済的事情であくせくとさせられ、どっかりと将来の不安も背負わされているのかもしれない。その上、マス・メディアは、連日のように社会的不正や悲惨な犯罪事件を容赦なく報じる。庶民は、気持ちの休まる間がなく、荒む一方のようである。
今日も、事務所の近辺のとある水商売の店でモメゴトが起こったようである。事務所の窓から見える飲み屋のようで、何があったのか警察まで出動していた。社員が知らせにきたので、ブラインダーの隙間から覗いてみると、その店の近辺は何やら過熱した雰囲気に包まれていた。
どうも、営業中の出来事ではなく、店の二階で身内の者たちの集いの最中に争い事が起こってしまったようだ。喪服姿の何人かが店の前に出ていたところをみると、法事でもあったのかもしれない。
他人事ながら余計な推測に及んでしまった。
経済的事情が悪化させられてみなが "カリカリ" としているような昨今では、親戚同士の集まりとは言え、和気あいあいということにはならないのかもしれぬ。赤の他人ではないだけに、甘えであるとか、気兼ねであるとかの感情が支配し、逆に中途半端な人間関係をかもし出すのかもしれない。そして、ちょっとした言葉の行き違いが思わぬ修羅場を作ってしまうのだろうか。
どんな業種でも、現在の零細経営は苦しい状況だと思われるが、とりわけ水商売はきついのではなかろうか。景気が良い時、さらに言えばバブルのような時期ならば、客側もカネ遣いには鷹揚であり、社用の接待費にからむおこぼれも少なくなかったはずである。過剰流動するカネが、小さな飲み屋にも気前良く流れ込んでいたのかもしれないわけだ。
ところが今はまったく寂しい客入りなのであろう。しかも、現在では、クルマで飲み屋に通うのは厳しいご法度となって、恐らく客数は激減していると思われる。
事務所の前の道路の両側には、結構、水商売の店が並んでいて、一頃はそんな店に夜な夜な訪れる客のクルマの縦列駐車がはた迷惑なものであった。それに、そうした者たちが当然のごとく酒酔い運転で帰宅するのであろうことを想像したらぞっとさせられたものであった。
しかし、一頃からそうした光景がめっきりと減った。そして、そのスッキリとした光景は、いや応なく飲み屋の売上の激減をも想像させずにはおかない。
店の経営者の心境としては、やり切れないものが充満していそうである。そうした重っ苦しい空気が、ちょっとした事が警察沙汰に発展してしまうという成り行きを助長してしまうのであろうか……。
こんなことを書くのも、昨今、新聞の社会面をにぎわす庶民の事件が、どうもこうした経済的苦境に関係しているように思われるし、また人々の平常心がまるで "一触即発" 的なアブナイ状態となってもいそうな気配もするからなのである。
何とか、庶民がささやかな希望の持てるような社会環境とはならないものであろうか。いや、そうした社会環境に "するんだ!" という意志を持つことが大前提であるに違いない…… (2007.11.01)