果たして、 "巨大企業" と "マス消費者" という構造や図式は、健全な経済を発展させるのであろうか。
"グローバリズム経済" のうねりの中で、各企業は国際的競争力を高めることを目指し、 "M&A" などによる買収・合併を余儀なくされながら、企業規模の拡大の一途を歩んでいるようだ。
また、インターネット環境は、空間を越えた市場を形成し、やり方次第では、一企業に予想を上回るほどの "スケール・メリット" の追求と獲得とを可能としてもいる。
要するに、現代の経済環境は破格の激しい競争関係によって、少数の「勝ち組」と大多数の「負け組」とを生み出しているわけだ。もう久しく指摘され続けてきた現代経済特有の傾向のことである。
そして、この傾向は、良い悪いと云々しても始まらないほどにリアルな趨勢となってわれわれを追い込んでいるわけだ。
そして、こうした趨勢の中で、巨大企業の収益向上という事実がことさら強調され、景気が回復傾向を辿っていると強調される一方で、 "格差社会" であるとか、 "地方経済の衰退" という悲惨な事実が生まれてしまっていることも、すでに周知の事実となっている。
こうした現状をもたらしている "グローバリズム経済" そのものが "おかしい" と言うこともできるが、しかし、そんなことを表明したところで何も始まりそうにもないのが現状であろう。
また、恐らくは、厳しい環境にさらされているのは、「負け組」と見なされている中・下層の大多数の庶民や、中小規模企業群だけでもなさそうであり、巨大企業とて、明日の命運が読めないような綱渡りを強いられているのだとも見なされている。
が、やはり愁眉の問題は、「負け組」と称されるサイドの人々なり企業群が、どう一矢報いていけるのか、ということであるに違いなかろう。ただ、簡単なことではない。巨大企業とて、そのサバイバルのために窮地に追い込まれているわけなのだから、弱者たちが楽観的に、サバイバルの "ニッチ(隙間)" があると想定することは到底許されていないと見るべきなのかもしれない。
かと言って、政治領域でよく言われるような、時代錯誤的な "ばら撒き" 行政(=公共投資などの復活)を期待したところで、前向きでも建設的でもなかろう。もとより、現状の財政難事情がそれを許すわけもなかろう。
とすれば、「負け組」各位が、サバイバルのための "針の穴" ほどに小さい "ニッチ(隙間)" を、如何に追求するのか、挑戦していくのか、ということ以外に方途はなさそうである。先ずは、 "自力救済" の道しかあり得ない、と "背水の陣" を張ることが必須になりそうである。
今度の首相(福田首相)でさえ、自身の内閣を "背水の陣内閣" だと口にするほどなのだから、時代は誰にとっても最悪だと考えれば、いくらかは悲観主義に陥らずに済むのかもしれない。
ところで、こうした "背水の陣" 的時代環境にあっては、知性も欠かせないが、何よりも "気勢" が必須だろうと思われる。
知性によって、状況認識を精緻なものとし、ロジカルな戦略戦術を構築すべきであろうが、知性は時として既成事実に寄りすがりがちとなり、行動を萎縮させがちともなる。こんな悲観局面の時代にあっては、知性が悲観的色調を帯びがちだということも合わせて踏まえておかなければならないと思われるのだ。だからこそ、 "気勢" を養うことを軽視したくはないのである。
冷静に、我が身を振り返り、周囲を見回す際、とかく目につく点は、どんな理由があるにせよ "気力が萎えている" かのような気配が漂っていることではないかと察する。これが "自滅" への轍を深く刻む第一因子ではないかとさえ思われる。
まあ、今日のところは、 "こんな時代環境だからこそ、気勢を上げるべし" と、ポーズを決めて後日につなげたいと思う…… (2007.10.01)