あらかじめ言っておけば、"ソーシャルメディア or SNS" での "Facebook vs. Google+" の熾烈なバトル! それが、庶民ユーザーのわれわれに如何ほどの関係があるのか?
想像力と洞察力の乏しい自分としては、あんまり関係ないかなぁ......、という思いが禁じえない。
そりゃぁ、米Googleが全世界のデータを益々自らのサーバーに蓄積していったらどういうことになっていくのかという一抹の懸念(杞憂?)を無しとはしない。しかし、正直な感覚で言えば、そうした事態とその影響とを考えることは、実感からはかなり "間接的" ではないかとしか思えないでいる。
だから、"Facebook vs. Google+" の熾烈なバトル! をトレースすることにどんな切実な意味があるのだろうかと、自嘲気味で振り返ったりもしないではない......。
しかし、そこまで言ってしまうと、マスメディアのニュースってぇのは一体何? どんな意味があるのかを一切不問に付して、タラタラ、ダラダラと、ただただ垂れ流しているんじゃないの? ということにもなりかねない......。
またいつか書こうとは思っているが、"情報発信" には "発信者" のプロパーな視点(視座!)があって然るべきではないかと思っている。だから、仮にも "Facebook vs. Google+" の熾烈なバトル! について書こうとするならば、本来を言えば、どんな観点でこの事象が気になるのかを鮮明にさせなければ意味がないのではないか、と。
そこで、一つだけおぼろげながらの関心の観点を披露しておくなら、"検索主義" vs. "文脈主義" の観点、とでも言っておこうか......。
私見では、"検索" とは、自然な "文脈" から便宜的にデータを抽出することであり、そうしたアクションの必要性まで否定するわけではないが、データの "意味" がかなり損なわれるという難点を無視すべきではないと思っている。もちろん、Google 検索は、この "検索" を拠り所にした覇者であろう。
それに対して、"文脈主義" とは、データが展開している場所、意味にこだわるもので、そうであるがゆえに何かと "分脈" をないがしろにはしない観点だ。"ソーシャルメディア or SNS" とはそうした "頑固者" なのではないかと感じている。そして、"Facebook" は、そんな性格のメディアではないか......、と。
そうした直観が、"Facebook vs. Google+"(≒ "文脈主義" vs. "検索主義" )の熾烈なバトル! への関心を促しているのかもしれない。
クラウド: 2011年11月 アーカイブ
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