かなりの冷え込みではあったものの、明るい陽射しの穏やかな正月元旦を迎えた。今年最初のウォーキングでも、あちこちの畑には "霜柱" が目立ち、中には何本もの畝が白い霜柱で被われ切っている光景も目にした。風もないためか、歩いている際に寒いという感触はなく、これで日本海側は大雪なんだから関東地方は恵まれていると思ったりする。
この冷え込んだ空気の中、野鳥たちはすこぶる元気なようだった。特に人懐っこい "セキレイ(ハクセキレイ)" は、歩く自分の前に何度も舞い降りて愛くるしい仕草を見せていた。やや丸目のスタイルの "ムクドリ" の姿も目に入った。
正月元旦の朝は、道路のクルマの往来もめっぽう少なく、澄み渡った青空の下で町全体が未だウトウトとしているような気配であった。
わが家の元旦のお祝いは、毎年変わらない。近くに別居しているおふくろを迎えに行き、11時頃からようやく始まる。今年は、年末に家内が腰を痛めてしまいこの行事も危ぶまれたのだったが、何とか形を漕ぎ着けることができた。
おふくろも特に体調を崩すこともなく、迎えに行くといつものほがらかな顔をしていた。われわれみんなに "年賀" のプレゼントを用意してくれるのが例年のことであり、今年も、二つの紙袋にそれらを入れて用意していた。ちなみに、自分には靴下のセット、家内にはちょっとしたデザインの手提げ袋、息子には厚手の生地のシャツがそれぞれ手渡された。ひょっとしたら、年末に町田駅方面に足を向けたその時に買ったものなのかもしれないと察した。
おふくろの住まいにも一匹の猫が飼われているが、わが家に来ると表に二匹の外猫がいて、居間には二匹の内猫がいるため、どうしても猫の話が話題となりがちとなる。内猫たちも、元来が人見知りをしない方であり、特に傍若無人な一匹、ルルなどはお構いなしにおふくろのところへと寄り添って行くものだから、おふくろも悪い気がしないらしい。
そうして、お祝いのおせち料理をいただいている間中、猫の話に花が咲くこととなったのである。さしずめ、曾孫でもいればそこに話題が集中したところなのであろうが。
食事が済むと、誰言うとなくトランプの "セブンブリッジ" に興じることとなる。これもまた長年の慣わしのようになってしまっていた。
「幾つまでできるかねぇ。九十まで大丈夫かねぇ」
とおふくろが言う。
「お母さんは眼もいいから大丈夫ですよ」
と家内が真顔で言う。
実際、子供たち、そして姉のところへ行くと孫たちと渡り合っても、そこそこいい勝負ができるし、現に、今日は初盤戦ではレンチャンの勝ち方をするほどである。賭け事などは一切やらないおふくろであるが、この "セブンブリッジ" ばかりは、みなに振舞うつもりで小銭を賭けたりする。だから、そのためにわざわざ小銭を袋に入れて持って来たりするのだ。
この "セブンブリッジ" も結構気分を盛り上げるのであるが、それよりも、とにかくおふくろが来ると家の中が "朗らかになる" 事はみんなが認めている。
昔、万歳(まんざい。新年を祝って、歌にあわせてする舞。えぼし姿で、つづみを打ちながら舞う)が正月気分の "宅配" (?)を行う慣わしがあったとか聞くが、さしずめ、おふくろは "賑やかな正月" を "宅配" して回る使者(?)のようだとも言うべきか。
おふくろの正月は、この後、3日に姉の家に呼ばれて孫夫婦や曾孫3人と一緒に賑やかに過ごすこととなっているという。
夕食後、風呂に入ってもらい湯冷めをしないうちにクルマで自宅まで送った。荷物を持つのを手伝って玄関の戸を開けると、おふくろが飼っている猫が出てきてミャーミャーと鳴いていた。お正月だというのに一人ぼっちにさせてどこへ行ってたのよ、と不平を言っているようにも聞こえた。おふくろは手が掛かってしょうがないとぼやくのが常であるが、しかし、そうやって猫でも待っていてくれる存在があるのとないのでは、相当異なるのが独り住まいのはずなのだと思えた...... (2008.01.01)
コメントする