正月の二日、徒然に考えること ......

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 正月の二日というのは落ち着いて "ものを考える" には適している。
 元日は、大晦日に引き続き、新年の祝いというお仕着せ的な雰囲気が濃厚なはずだ。何はともかく、皆でご挨拶といった調子である。
 が、正月三箇日とはいうものの、二日となると "めでたさの威力" が色あせるとともに、正月としての何がしかの "拘束力" も薄らぐ。
 もっとも、もうだいぶ以前から日本の正月は概して "めでたさの威力" も "拘束力" も失われているのかもしれない。正月という年中行事自体の特別さがかなり相対化されてしまっているわけだ。地方の地域ではどうだか知らないが、都市部では元日でさえ各店舗が営業をする時代でもある。
 というようなことで、二日となると "正月でありながら正月でなし" という "エア・ポケット" のような気分になったりする。元日気分を引きずるでもなく、かと言って仕事気分に立ち戻るでもなく、まさに "エア・ポケット" にはまり込むような気分である。
 で、こんな時にこそ、徒然(つれづれ)にものを考えられそうだし、そうして良さそうな気もするのである。

 最近、しばしば考えおよぶことのひとつに、現代という時代は、ますます人と人との "意思疎通" を苦手とし始めているのではなかろうか、という問題がある。情報化時代だと言われているにもかかわらず、逆にその進展が歩みを加速化させるほどに人間間の "意思疎通" は難航を極めているのではないかとさえ感じるのである。
 情報化時代の環境は、さまざまな方法によって情報の流れを円滑にするとしながら、実のところ人間間の "意思疎通" というものを困難にさせたり、阻害したりしてはいないか、というような逆説的な疑問を抱いてしまうのだ。
 もしそうだとするならば、一体、何がどう問題なのだろうか、という次なる疑問も生じてくるわけなのである。情報化時代が推し進める環境のどこかに小さからぬ不具合が潜んでいるのか、あるいは、情報化時代が提供する道具立てを含めた環境を、現時点での人々が上手く生かし切れないでいるのか、そうだとすればやがて人々の習熟度が高まれば問題は氷解されていくものなのだろうか......と。
 あるいは、情報化時代というような、より科学や技術に焦点を合わせた視角から見える現象に問題があるのではなくて、事実上これを推進している過度の市場主義的経済構造自体に問題の根源が潜んでいるのだろうか。これらが、地球規模の次元で、しかもボーダーレスに繰り広げられている現状だからこそ事態をこじらせているのだろうか......と。

 まあ、いくら "徒然にものを考える" と言っても、そこまで風呂敷を広げたのでは収拾がつかなくなることは目に見えている。もっと視界を絞って考えるべきなのであろう。
 しかし、直感としては、現状の身の回りの出来事でさえ、主たる原因はその周囲にあるというよりも、地球の反対側出来事に由来したり、地球規模レベル(グローバリズム!)に依拠していたりするという、そんな "奇想天外な現状の仕組み" こそが無視できない現実なのではなかろうか。
 例えて言えば、この国のある家庭で、生活難ゆえに夫婦間でのいざこざが絶えず、まさに夫婦間の "意思疎通" が悪かったとして、その原因をたどるならば、当然、現状の経済情勢に目が向けられてよいと思われる。
 まして今年は、家計の収入問題に加えて、さまざまな諸物価の値上がりが迫っているとも聞く。この "諸物価の値上がり" にしたところが、原因は世界的な "石油(原油)の高騰" に根源が潜んでいるはずであろう。そして、さらにその原因をたどるならば、世界金融の投機筋が原油株へとマネーを集中させたこと以外には考えられないわけである。つまり、一家庭の夫婦間の "意思疎通" 不全の小さからぬ原因が、マネーゲームに現を抜かすグローバル金融の原油ファンドにあったりするのが事実なのである......。

 年末、大掃除をしている際、ラジオをかけながら作業をしていた。視聴者からの便りを紹介するような番組であったようである。その時、キャスターの口からしばしば聞いた言葉が、 "暴走する老人たち" だったのである。どうも番組ではひとつのサブテーマとして取り上げていた雰囲気があった。
 既に自分はこの日誌でも、<一部高齢者たちの "八つ当たり" 的事件 ......>( 2007.12.27 )と題してちょっとした感想を書いていた。そんなこともあり、この種の現象は決して偶発的なことではなく、時代の底流に棹差す何か象徴的な現象なのかもしれないぞ、という思いを強めたのであった。
 その時にもいろいろと書いたのだが、今日ひとつ付け加えて書きたいと思ったのが、さきほどから書いている "意思疎通" 不全ともいえる問題なのである。
 一時期、 "キレル" 青少年という話題が注目を集めたことがあったかに思う。そしてその際には "食生活" のあり方がどうのこうのと解釈されたのではなかっただろうか。そうしたホルモン物質などの問題もあるかもしれないが、要するに他者との言葉による "意思疎通" 不全の破綻的表現が "キレル" という形となるのではないかと考えられる。青少年の問題も決して決着がついているわけではなさそうだが、とりあえず今それはおく。

 老人たちにもし "暴走" ( "キレル" )という行動がもし起こるとするならば、やはり大筋では "意思疎通" 不全の破綻的表現という点では変わりはないのではなかろうか。
 ただし、老人たちの場合は、青少年たちのように他者との "意思疎通" 方法や能力があまりにも未熟だからということではなくて、もはや修正が効かないほどに凝り固まった主観と外界との間に埋めようのない "乖離" が自覚されることによってではないかと推測する。
 もちろんそんな "乖離" は、いつの時代の老人たちも悲哀とともに感じたことではあろう。ただ、現状でのそれは、ことによったらドラスティックであり過ぎたのかもしれないと思う。ある種の老人たちにとっては、内面の "根扱ぎ" 状態を促すほどに過激な事態として受けとめられたのかもしれない。
 多分、この十年間における時代環境の激変と、それらの影響を緩和させるどころか "火事場泥棒" 的無責任さで対処してきた権力層の動きは、老人たちの内面の粘膜に塩をまぶして逆撫でするような惨さではなかったかと感じないわけでもない......。
 信念にせよ、価値観にせよ、はたまた思い込みやこだわりにせよ、それが "無用" であるかのように扱われた者たちが、切なさの陰に牙を剥いた憤りを宿したとしても、それはそれでひとつの成り行きだとしか言いようがなかろう。

 ところで、問題は老人たちの "暴走" 現象なのではなくて、時代環境の "病状" がここまで高じてしまっているという点なのだと思われる。昨年の "一字" = "偽" に込められた意味をも併せて考慮するならば、壊滅的に破壊されようとしているのは、地球の自然環境とともに人間間の "意思疎通" のあり方でもあると言うべきなのかもしれない...... (2008.01.02)













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