近所のパン屋で入手した食パンの耳を、ご丁寧に "さいの目状" に細かく刻み、鯉たちがのどに詰まらせないように用意しておいたのである。それら全体は体積にすれば一リットルほどはあっただろう。小袋に入れて携えて行ったのである。
当初、 "量" はやや多すぎるかと懸念したが、どうしてどうして、足りない位であった。というのも、川で見かける鯉たちに "あまねく" 振舞ってやろうとしたら、意外とあっちこっちに棲息していることがわかったからだ。
そいつ等が、餌を撒き始めると四方八方から鼻ッ面を出してくるのである。どうも、餌の匂いでわかるというよりも、同輩たちが餌にありつくために水面でジャバジャバ騒いでいる様子がかなり遠方にまで伝わるらしいのである。だから、匂いが届くはずのない上流の方から勇んで駆けつける、いや泳ぎ込んでくるのである。
そして、水面に浮いているパンくずの下は、黒い鯉たちが芋を洗うようにごった返すありさまとなる。
その上、やがて目敏いカルガモたち数羽も、ナニナニナニという興奮した雰囲気で馳せ参じるのである。
必死で水面のパンくずを吸い込もうと慌てふためいている鯉たちにしてみれば、同輩たちの恥知らずな挙動だけでも苛立つのに、そのカルガモたちによる "横取り行為" まで降って沸くと憤懣やる方ないパニック気分と相成るはずであろう。
まるで災害救出のヘリコプターが現場に集結するごとく、飛んで来ては溺れているものを助けるにあらず、水面の貴重な浮遊物を巧みにさらい尽くそうとするし、鯉たちの顔もどたまもその水かき足でお構いなく蹴散らすのだから、ざけんなー! と叫ぶ声が聞こえてきそうであった。
普通、動物に餌をやるのは多少とも "優雅" な気分とさせられそうなものだが、何だか現状の人間たちのご時世の生存競争のシビァさをまざまざと見せつけられる思いとさせられてしまった。余程、空腹で難儀していたといった雰囲気であった。
中には、そうした激しい競争に疲れ果てたとばかりに、群れから離れて、 "隠遁" 的に一尾、二尾とぽつねんと漂っている鯉も目に入った。そんな鯉を目がけて餌を投げてやったりもしたが、実に反応が鈍くなっていたりする。 "口にできるモノ" なんぞもはや流れてくるはずはない! と諦め切っているかのようで哀れにさえなった。どんなに希望がなくとも、ひょっとしたらいいこともあるかもしれないんだから、自暴自棄となってはいけないよ......、と諭してやりたい心境でもあった。
そんな今日は、事もあろうに、前日の酷い雨で被害を被ってしまったのか、衰弱し切った野鳩がアスファルト遊歩道の片隅で哀れな姿で怯えているのまで目撃してしまった。
連れて帰ろうかとも思ったが、ウォーキング途中で運ぶ道具を何も用意していなかったため、人目につかない植え込みの陰に移動させ、わずかに残っていたパンくずを傍に置いてその場を去ることにした。
都会の野生動物たちは、慎ましい自由と自然の恵みだけを頼りに人知れず生きているわけなのである...... (2008.10.25)
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