身体の "痛み" というものが、 "脳を介して生じる" ことは知られている。
つまり、仮に、指先に怪我をしてそこが痛む場合、確かに、怪我をした指先から "痛み" 感覚の元になる "痛みの源信号" とでもいうものが "脳" に向かって発信されるようだ。そして、 "脳" がそれを受け取って "精査・受理(?)" してはじめて "指先の痛み" として自覚されるらしい。
要するに、 "痛み" の直接的原因は、指先なら指先の患部にあるには違いないが、どうも "痛み" の感覚の実体は "脳" の方にありそうである。
例えば、怪我をして出血しているために、止血しようと指の根元などを押さえるとする。しかも、度を越して押さえ過ぎて "しびれ" が生じたとすると、当初の "痛み" が和らいでしまったり、消えてしまったりもすることもある。別に怪我が直ったわけではないにもかかわらず "痛み" が頓挫する現象などを思い浮かべると、やはり、 "痛み" というものが "脳を介して生じる" と考えざるを得ないのかもしれない。
また、何度も聞いたことのある現象であるが、事故その他で、手足を失った人が、その失ってしまって現在は無い手足に "痛み" を感じるということがあるという。これなぞは、 "痛みの源信号" を発する箇所が無いにもかかわらず、何らかのメカニズムによって "脳" は "仮想の痛み" を当人に自覚させることになっているわけだ。
したがって、 "痛み" という自覚に "脳" が深く介入している事実は疑いようがなさそうに思われる。
自分の経験でも、何年か以前に患った "脊柱管狭窄症" の際に、問題がありそうな患部が腰の脊柱辺りらしいにもかかわらず、片足の腿やら脹脛(ふくらはぎ)、そして足先まで激しい "痛み" となって現れたことがあった。そして、その痛い部分を撫でたりすることがとても虚しく思えたものだった。
"脊柱" 辺りで神経が圧迫されているため、 "脳" は、圧迫を受けている箇所ではなく、その神経が延びている下肢の方面が痛むという "仮想の痛み" を自覚させていたようなのであった。
さらに、ちょっとした驚きであったのは、医者が言った言葉であった。
「急な "痛み" が来たら、 "頭痛薬" で効くことがある。どんな痛みに対しても、 "頭痛薬" は鎮痛効果がある......」
と真顔で言ったのである。
今思い返すと、 "脳" が "痛み" 感覚の "総本家(?)" であったのだから、ナルホドと頷かざるを得ない。
実は、昨晩のTV番組「頑固なコリの真犯人! "慢性痛" 徹底対策2」(NHK『ためしてガッテン』 http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2009q1/20090304.html )を興味深く観たのである。
ほとんど "老人" の視聴傾向になってしまったようだが、 "痛み" と "脳" との関係にはいささか関心を向けてきたこともあり、 "ガッテン!" しながら観ていた。
詳細は省くとするが、要するに "痛み" 感覚の "総本家(?)" はやはり "脳" であり、なおかつ、 "脳" は "痛み" 感覚を必ずしも合理的に "管理・監督(?)" できてはいないようなのである。
<トリガーポイント>と称された、俗に言う慢性的な "コリ" などがあると、 "脳" は "痛み" の原因箇所を大きく取り違えて別の箇所に "仮想の痛み" を自覚させたりもする、というのである。
この辺りの "脳" の機能というものが、観ていて結構興味深く思えたのであった。
観終わった後で考えたことは、 "脳" のこうした機能は、身体的な "痛み" だけではなく、 "心理的、心的" な "痛み" に対しても同様な "エラー" を仕出かすのかもしれない、という点が一つであった。
もう一つは、次元を変えて人間社会に目を向けても、同種の "エラー" がありそうか、という点であった。つまり、社会問題などの原因を "もっともらしく取り違える" という現象のことである。
とにかく、 "脳" のメカニズムには "汲めども尽きぬ" 奥行きがありそうだ...... (2009.03.05)
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