今さらのように気がついたが、日が長くなったものだ。特に今日は晴れているためか、もうすぐ午後5時になろうとするが、窓の外はまだまだ明るい。
この日誌を書く今頃は大分暗くなっていたような覚えがあったためか、改めて日が長くなってきたのだと気がついたまでのことである。
考えてみると、季節の移り行きは実に "慎ましやか" だ。まあ、TVなどの天気予報番組がうるさく騒いでいるが、それがなければまさに "慎ましやか" そのものであろう。
そうしたものが実に少なくなってしまった。何でもが "過大なインフォメーション" を随伴させて、そのくせ "前触れ倒れ" のような雰囲気でやって来ては、人々を "期待倒れ" の思いに追い込む。
これもまた、市場経済と一体化した情報化時代の環境的特徴なのであろうか。 "インフォメーション(情報)" は、消費者の "購買" を引き出すための "撒き餌(魚をおびき寄せるために撒く餌)" 以外の何物でもなさそうだ。言ってみればそれらは、 "オキアミ(オキアミ目の甲殻類の総称。多くは3センチ内外。海産で外洋浮遊性、海鳥・魚類の餌として重要)" みたいだと言えそうである。
この日誌を書く今頃は大分暗くなっていたような覚えがあったためか、改めて日が長くなってきたのだと気がついたまでのことである。
考えてみると、季節の移り行きは実に "慎ましやか" だ。まあ、TVなどの天気予報番組がうるさく騒いでいるが、それがなければまさに "慎ましやか" そのものであろう。
そうしたものが実に少なくなってしまった。何でもが "過大なインフォメーション" を随伴させて、そのくせ "前触れ倒れ" のような雰囲気でやって来ては、人々を "期待倒れ" の思いに追い込む。
これもまた、市場経済と一体化した情報化時代の環境的特徴なのであろうか。 "インフォメーション(情報)" は、消費者の "購買" を引き出すための "撒き餌(魚をおびき寄せるために撒く餌)" 以外の何物でもなさそうだ。言ってみればそれらは、 "オキアミ(オキアミ目の甲殻類の総称。多くは3センチ内外。海産で外洋浮遊性、海鳥・魚類の餌として重要)" みたいだと言えそうである。
釣りを知らなかった子どもの頃、岩場などで、威勢良く "撒き餌" をしている釣り人を見ては、何と気前のいい人なのだろうと思っていた。バケツに入れた "オキアミ" などを、柄杓で掬っては海面に投げ入れていたからである。
よく、白鳥が飛来する北国で、その白鳥などに向かって手掴みの餌を "気前良く" 撒いているオジサンの姿などをTVで観たりする。ちょうどそれと同じように、岩場の釣り人の行為を、あの人は立派だ、と熱い眼差しで見ていたのかもしれない。
しかし、自身が釣りをするようになって "撒き餌" の意味を知るようになると、何と下劣なことかと思うようになった。確かに、 "撒き餌" によって魚たちは手近な場所に集まって来るため、釣果が上がることはわかる。
それにしても、キタナイ! 心意気がキタナイだけではなく、結構、海を汚すようである。現に、海岸によっては、海水の汚濁を嫌って "撒き餌" を禁じているところもあるくらいだ。
昨今、 "撒き餌" と言えば、誰だって "定額給付金" のことを想起させられるが、そんなことはバカバカしくて書く気にさえなれない。
ここでの関心事は、何事によらず "誇大広告" は当たり前と言わぬばかりのコマーシャリズムで、喧しく事前 "インフォメーション(情報)" が世間を埋め尽くしている状況についてなのである。
ひな祭りその他のシーズンモノは言うに及ばず、なんだかんだのイベント、そしてTVなどの新番組や新製品のリリースなど、そっとしておいてくれまいか、と言いたくなるほどにうるさくて叶わない。
もはや、ここまで来ると、 "インフォメーション(情報)" は完全に "カネ儲け" と "合体!" しているとしか言いようがなくなっている。
だから、言葉が、限りなく軽くなり、同時に "汚染されてしまった" のに違いない。まるで、 "オキアミ" の "撒き餌" で海岸の海水が "汚染される" ように...... (2009.03.11)
よく、白鳥が飛来する北国で、その白鳥などに向かって手掴みの餌を "気前良く" 撒いているオジサンの姿などをTVで観たりする。ちょうどそれと同じように、岩場の釣り人の行為を、あの人は立派だ、と熱い眼差しで見ていたのかもしれない。
しかし、自身が釣りをするようになって "撒き餌" の意味を知るようになると、何と下劣なことかと思うようになった。確かに、 "撒き餌" によって魚たちは手近な場所に集まって来るため、釣果が上がることはわかる。
それにしても、キタナイ! 心意気がキタナイだけではなく、結構、海を汚すようである。現に、海岸によっては、海水の汚濁を嫌って "撒き餌" を禁じているところもあるくらいだ。
昨今、 "撒き餌" と言えば、誰だって "定額給付金" のことを想起させられるが、そんなことはバカバカしくて書く気にさえなれない。
ここでの関心事は、何事によらず "誇大広告" は当たり前と言わぬばかりのコマーシャリズムで、喧しく事前 "インフォメーション(情報)" が世間を埋め尽くしている状況についてなのである。
ひな祭りその他のシーズンモノは言うに及ばず、なんだかんだのイベント、そしてTVなどの新番組や新製品のリリースなど、そっとしておいてくれまいか、と言いたくなるほどにうるさくて叶わない。
もはや、ここまで来ると、 "インフォメーション(情報)" は完全に "カネ儲け" と "合体!" しているとしか言いようがなくなっている。
だから、言葉が、限りなく軽くなり、同時に "汚染されてしまった" のに違いない。まるで、 "オキアミ" の "撒き餌" で海岸の海水が "汚染される" ように...... (2009.03.11)
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