今日は、一応、直近で抱えた作業課題を無事にこなし、ここしばらく皆無であった多少のゆとりみたいなものができた。
だから落ち着いてこの日誌なりを書くことができるかと思いきや、今度は書くことが浮かばない。エアポケットのような状態となり、小一時間ほど無為に過ごしてしまった。
考えてみると、こうした「公開日誌」というものは書く者にしてみれば実に厄介なものなのである。「私」と「公」とでできた天秤をほどほどにバランシングしていかなければならないからだ。はらわたを "曝け出す" 見苦しさを警戒しなければならないとともに、かといって "正直さ" からかけ離れたくもない。その辺の事情で、結構、題材選びが難しいわけだ。
確かに、延々と書き続けてはきた。昨日の分で、 "2930" 回となりもうすぐに "3000" 回にもなろうとする。森光子さんのような偉業とは比べものにならないが、それでも一日も欠かすことのない "日誌" を継続してきたのは、なかなか "できない" というか、 "やらない" ことなのではなかろうか。
だから落ち着いてこの日誌なりを書くことができるかと思いきや、今度は書くことが浮かばない。エアポケットのような状態となり、小一時間ほど無為に過ごしてしまった。
考えてみると、こうした「公開日誌」というものは書く者にしてみれば実に厄介なものなのである。「私」と「公」とでできた天秤をほどほどにバランシングしていかなければならないからだ。はらわたを "曝け出す" 見苦しさを警戒しなければならないとともに、かといって "正直さ" からかけ離れたくもない。その辺の事情で、結構、題材選びが難しいわけだ。
確かに、延々と書き続けてはきた。昨日の分で、 "2930" 回となりもうすぐに "3000" 回にもなろうとする。森光子さんのような偉業とは比べものにならないが、それでも一日も欠かすことのない "日誌" を継続してきたのは、なかなか "できない" というか、 "やらない" ことなのではなかろうか。
振り返れば、この約 "3000日" という期間は、この日本社会が大きく変質させられた時期だったということになろう。これ以前の時代にも目まぐるしい変化はあったはずだが、2001年以降のこの国は、「構造改革」や「グローバリズム」という "不確かな言葉" によって撹乱され続けてきた。そして、その撹乱され続けたこの国であったり世界が到達した地点、それが100年に一度と呼ばれるような金融危機、経済危機だったわけだ。
自分は、正直言って、当初からこの時期を象徴するはずの「構造改革」や「グローバリズム」という言葉には馴染めずに、不信感をあらわにしてきた。まるで、 "犬の遠吠え" よろしく、奏功しないことがわかっている "吠え方" をしていたようだ。
もっとも、そうした "吠え方" というか、憎まれっ子的な姿勢は若い頃から引き摺っていたことは否定できない。
しかし、この時期こそが最も不快感を刺激され続けていたような感触を抱く。もし、こうした "井戸" (「王様の耳はロバの耳!」と叫び込んだ井戸?)がなかったならば、とっくに "憤死" (?)していたのではなかろうかと......。
実際、文章を書くということは、どういうものか人を "なだめてくれる" もののようだ。感情を抑制させ、理性を取り戻させてくれるのであろうか。そこまでの "効き目" があるかどうかは別にしても、 "鎮痛剤" の二、三錠には値したかもしれない。
かつて、あの夏目漱石が小説を書き始めた切実な動機のひとつに、ノイローゼ(?)治療があったと聞いたことがある。確かに、文章を書くという行為には、人間のマインドを癒す働きがありそうだ、とは実感している。
となれば、多分、一生文章を吐き出し続けそうである...... (2009.05.19)
自分は、正直言って、当初からこの時期を象徴するはずの「構造改革」や「グローバリズム」という言葉には馴染めずに、不信感をあらわにしてきた。まるで、 "犬の遠吠え" よろしく、奏功しないことがわかっている "吠え方" をしていたようだ。
もっとも、そうした "吠え方" というか、憎まれっ子的な姿勢は若い頃から引き摺っていたことは否定できない。
しかし、この時期こそが最も不快感を刺激され続けていたような感触を抱く。もし、こうした "井戸" (「王様の耳はロバの耳!」と叫び込んだ井戸?)がなかったならば、とっくに "憤死" (?)していたのではなかろうかと......。
実際、文章を書くということは、どういうものか人を "なだめてくれる" もののようだ。感情を抑制させ、理性を取り戻させてくれるのであろうか。そこまでの "効き目" があるかどうかは別にしても、 "鎮痛剤" の二、三錠には値したかもしれない。
かつて、あの夏目漱石が小説を書き始めた切実な動機のひとつに、ノイローゼ(?)治療があったと聞いたことがある。確かに、文章を書くという行為には、人間のマインドを癒す働きがありそうだ、とは実感している。
となれば、多分、一生文章を吐き出し続けそうである...... (2009.05.19)
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