先ほど "サンルーム" の屋根に激しく夕立の雨が降り注いだ。特殊樹脂素材の屋根のため、小太鼓でも打つようなもの凄い音を立てていた。
夕立が上がると、また蝉が騒ぎはじめた。気温も夕立のせいで幾分下がったようだ。近所の広場では町内の恒例盆踊りが行われているようで、民謡が良く響いて来る。
こうして "サンルーム" を "第二書斎" として利用していると、これまでになく戸外の音がリアルに鳴り響いてくるし、見回すとささやかな庭の緑が目に映え、確かに気分が変わる。
これまで庭の植木にしても、まるで通りすがりのように眺めるでしかなかった。が、こうして作業の合間に目をやり、手入れが行き届かない植木たちの様子が目に入ると、手を掛けてやらなければいけないな、と思うようにもなる。そうした思いの生じること自体が気分転換の内実になっていくのかもしれない。
夕立が上がると、また蝉が騒ぎはじめた。気温も夕立のせいで幾分下がったようだ。近所の広場では町内の恒例盆踊りが行われているようで、民謡が良く響いて来る。
こうして "サンルーム" を "第二書斎" として利用していると、これまでになく戸外の音がリアルに鳴り響いてくるし、見回すとささやかな庭の緑が目に映え、確かに気分が変わる。
これまで庭の植木にしても、まるで通りすがりのように眺めるでしかなかった。が、こうして作業の合間に目をやり、手入れが行き届かない植木たちの様子が目に入ると、手を掛けてやらなければいけないな、と思うようにもなる。そうした思いの生じること自体が気分転換の内実になっていくのかもしれない。
ところで昨日の七日は "立秋" の日であった。猛暑が続いているため全然、実感にそぐわない。また、この間は汗にまた汗という日々を過ごしてきたこともあって、夏はまだまだこれからという印象さえ抱いている。
が、それでも刻一刻と季節は夏から秋への流れへと移り進んでいるわけだ。そういえば、ウォーキングの際にすでにトンボが飛んでいる光景に何度か出会っている。
聞くところでは、東北地方にあっては未だ "梅雨明け宣言" が出されていないらしいが、異常気象の時代となると季節の移り行きについても一筋縄では自覚できないのだろうか......。もっとも、人々は季節の移り行きなんぞはどうでもよく、傘の心配、自然災害の不安だけが天気模様に関心を寄せる理由だったりして......。
今さら......、というテーマでもあるが、都市生活者にとっての季節の移り行きというものは、もはや生活の "伴奏" というものではなくなっていそうだ。メディアが報じるお定まりの季節情報だけが虚ろに行き交うかのようだ。
この時季で言えば、海山の事故情報であり、盆休みの帰省ラッシュの光景ということになろうか。
そんな中で、盆踊り大会にしがみつき続ける町内会の動きは "果敢に" 時代動向と闘い続けている、いや皮肉っぽく言えば "やけくそ" 的と見えないわけでもないが......。
まあ、季節の移り行きに関して額面どおりに面しているのは、子どもたちだけなのかもしれない。帰省するということで、田舎のおじいちゃんに "クワガタ" を捕まえといてとあらかじめ頼んでいる子がいるという。おじいちゃんは、そんな孫からの頼みに心を躍らせているとか......。
季節の移り行きが人々にとっての生活の "伴奏" であった時代が何となつかしいことか...... (2009.08.08)
が、それでも刻一刻と季節は夏から秋への流れへと移り進んでいるわけだ。そういえば、ウォーキングの際にすでにトンボが飛んでいる光景に何度か出会っている。
聞くところでは、東北地方にあっては未だ "梅雨明け宣言" が出されていないらしいが、異常気象の時代となると季節の移り行きについても一筋縄では自覚できないのだろうか......。もっとも、人々は季節の移り行きなんぞはどうでもよく、傘の心配、自然災害の不安だけが天気模様に関心を寄せる理由だったりして......。
今さら......、というテーマでもあるが、都市生活者にとっての季節の移り行きというものは、もはや生活の "伴奏" というものではなくなっていそうだ。メディアが報じるお定まりの季節情報だけが虚ろに行き交うかのようだ。
この時季で言えば、海山の事故情報であり、盆休みの帰省ラッシュの光景ということになろうか。
そんな中で、盆踊り大会にしがみつき続ける町内会の動きは "果敢に" 時代動向と闘い続けている、いや皮肉っぽく言えば "やけくそ" 的と見えないわけでもないが......。
まあ、季節の移り行きに関して額面どおりに面しているのは、子どもたちだけなのかもしれない。帰省するということで、田舎のおじいちゃんに "クワガタ" を捕まえといてとあらかじめ頼んでいる子がいるという。おじいちゃんは、そんな孫からの頼みに心を躍らせているとか......。
季節の移り行きが人々にとっての生活の "伴奏" であった時代が何となつかしいことか...... (2009.08.08)
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