昨晩は台風の影響で涼しかったせいか、 "深い睡眠" がとれた。やはり、睡眠は時間の長さよりも "深さ" だと改めて思い知らされた。今日は、概して気分が良く、すっきりとした頭で、仕事の方の進み具合も悪くはなかった。
睡眠といえば、相変わらずよく夢を見ている。このところ、刺々しい内容からは離れて、どちらかというと楽しい夢、しかも "ハイテンション" となって嬉々としているような夢を見ている。
残念ながら、それがどういう脈絡で "ハイテンション" となっていたのかが思い出せないでいる。何でも、複数の誰かと歓談したり会話をしていたようなのだが、誰だったかが限定できない。
いつも書くように、夢というのは "はじめに感情ありき" の産物のようであり、決して事柄としての因果関係の推移ではなさそうだ。楽しいというちょっとした感情が先行して生じると、その後に取って付けたような論理での事柄イメージの連鎖が形成されるような感触である。
よく言われるように、突如物音聞こえてきた場合とか、膝を立てて寝ていてその膝が急に倒れたりした際、そうした感覚が感情の起伏を促し、まさにそれらを意味づけるかのような事柄のストーリーを夢として描き出す......、という仕組みのようである。
睡眠といえば、相変わらずよく夢を見ている。このところ、刺々しい内容からは離れて、どちらかというと楽しい夢、しかも "ハイテンション" となって嬉々としているような夢を見ている。
残念ながら、それがどういう脈絡で "ハイテンション" となっていたのかが思い出せないでいる。何でも、複数の誰かと歓談したり会話をしていたようなのだが、誰だったかが限定できない。
いつも書くように、夢というのは "はじめに感情ありき" の産物のようであり、決して事柄としての因果関係の推移ではなさそうだ。楽しいというちょっとした感情が先行して生じると、その後に取って付けたような論理での事柄イメージの連鎖が形成されるような感触である。
よく言われるように、突如物音聞こえてきた場合とか、膝を立てて寝ていてその膝が急に倒れたりした際、そうした感覚が感情の起伏を促し、まさにそれらを意味づけるかのような事柄のストーリーを夢として描き出す......、という仕組みのようである。
こうした夢の仕組みは、何だか人間の脳の基本的働きの "プロトタイプ(原型)" のような気がしないでもない。
性格が感情的なタイプだからということよりも、概して、人間の思考と行動は "はじめに感情ありき" というパターンとなりがちなのかもしれない。感情がひと足先に走り出し、そして思考が "屁理屈" をつけ、行動が促される。場合によっては、 "屁理屈" さえ省略してわけのわけのわからない感情的行動が炸裂することもありそうだ。
人間が理性的に対処しなければならないことは言うまでもなく重要なことだ。と言うのも、逆に言えば、人間という存在が "感情的トリガー(引き金)" によって動かされやすい存在であることを裏打ちしている、とも考えられる。
そして、理性的次元の言辞がとかく "言い訳" や "屁理屈" というワナへと嵌まりがちだということでもありそうだ。
思い切り皮肉っぽく、情報化時代というのは "言い訳" と "屁理屈" の時代なのだと醒めた目で見つめても、あながち的外れではないのかも...... (2009.09.01)
性格が感情的なタイプだからということよりも、概して、人間の思考と行動は "はじめに感情ありき" というパターンとなりがちなのかもしれない。感情がひと足先に走り出し、そして思考が "屁理屈" をつけ、行動が促される。場合によっては、 "屁理屈" さえ省略してわけのわけのわからない感情的行動が炸裂することもありそうだ。
人間が理性的に対処しなければならないことは言うまでもなく重要なことだ。と言うのも、逆に言えば、人間という存在が "感情的トリガー(引き金)" によって動かされやすい存在であることを裏打ちしている、とも考えられる。
そして、理性的次元の言辞がとかく "言い訳" や "屁理屈" というワナへと嵌まりがちだということでもありそうだ。
思い切り皮肉っぽく、情報化時代というのは "言い訳" と "屁理屈" の時代なのだと醒めた目で見つめても、あながち的外れではないのかも...... (2009.09.01)
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