このところの寒さにはやや参っている。どうも北極方面から広がる "寒気団" が、時期を早めて日本列島を被っているのが原因のようである。
専門家の見解だと、この時期に "寒気団" に被われていると、一月、二月という今後には日本列島から "ズレる" 傾向になりやすく、今後の寒さは和らぐ可能性が高いとかである。そうであってほしいものだ。
ところで、今日は "冬至" であり、一年中で最も日が短い日だ。ということは、これからは徐々に日が長くなっていくことになる。つまり、日が短い現象の、その "底" に辿り着いたということだ。言うならば "底打ち" である。
この "底打ち" ばかりは、人間界の事象のそれとは違い、決して "二番底" を懸念しなくてもよいだけに、 "安心(?)" して受けとめられるというものであろう。
もっとも、自然現象全体の影響に基づく "気温" は、これで "V字回復" を始めるわけではない。それどころか、これからの寒さの方がむしろ厳しく、これからが寒さの "本番" を迎える時季だというのが例年の推移だ。
ただし、冒頭で書いたように、今年特別だと見られる "寒気団" の動きのこともある。客観的事実である "日の長さ" が増していくというこの推移が、 "寒気団" の後退という現象で "叱咤激励(?)" されつつ、例年よりも幾分過ごしやすい "気温" を早目に用意し始めないとは限らない......。
専門家の見解だと、この時期に "寒気団" に被われていると、一月、二月という今後には日本列島から "ズレる" 傾向になりやすく、今後の寒さは和らぐ可能性が高いとかである。そうであってほしいものだ。
ところで、今日は "冬至" であり、一年中で最も日が短い日だ。ということは、これからは徐々に日が長くなっていくことになる。つまり、日が短い現象の、その "底" に辿り着いたということだ。言うならば "底打ち" である。
この "底打ち" ばかりは、人間界の事象のそれとは違い、決して "二番底" を懸念しなくてもよいだけに、 "安心(?)" して受けとめられるというものであろう。
もっとも、自然現象全体の影響に基づく "気温" は、これで "V字回復" を始めるわけではない。それどころか、これからの寒さの方がむしろ厳しく、これからが寒さの "本番" を迎える時季だというのが例年の推移だ。
ただし、冒頭で書いたように、今年特別だと見られる "寒気団" の動きのこともある。客観的事実である "日の長さ" が増していくというこの推移が、 "寒気団" の後退という現象で "叱咤激励(?)" されつつ、例年よりも幾分過ごしやすい "気温" を早目に用意し始めないとは限らない......。
天候の話なぞ、何を能天気なことを書いているのかと思われそうだ。ただ、アホクサイことを言うようだが、翻って注意を向けてみると、 "冬至" というような天体現象ほど "信頼" を裏切らない事実は希少価値を持つようになったのではないか。
もはや、人間界の事象で人間が文句なく "信頼" できるような事象は何一つとして残されていないと言わざるを得ない。それが、 "不確かさ" で埋め尽くされた現代という時代環境のはずだろう。
別に、好んで "ニヒリズム(虚無主義)" に浸ろうとしているわけでもない。できれば、この現代という同時代に生きる人間たちが、 "安心" して依拠できるような "何か" が見出せたなら、どんなにか時代のありようが一変するかと思ったりする......。
自分は、以前から "日の出時刻" や "日の入り時刻" にそれとはなく関心をもっている。要するに、昼の時間が次第に短くなっていくと何やら "心細く" なってみたり、逆に次第に長くなる時季には、何ということもなく "元気" づけられる気分となったりする......。単純この上ない話であるが、この気分を支えているものをあえて口にすれば、天体現象が秘めた "不可逆性" や、 "不変性(普遍性)" という性格にありそうな気がしないでもない。どんなに人間界が愚かしく、移ろい易く推移しようとも、そうした些末さに眼もくれないで淡々としている壮大な天体現象が、やはり "見上げたもんだよ、屋根屋の......" と感じ入っているのかもしれない...... (2009.12.22)
もはや、人間界の事象で人間が文句なく "信頼" できるような事象は何一つとして残されていないと言わざるを得ない。それが、 "不確かさ" で埋め尽くされた現代という時代環境のはずだろう。
別に、好んで "ニヒリズム(虚無主義)" に浸ろうとしているわけでもない。できれば、この現代という同時代に生きる人間たちが、 "安心" して依拠できるような "何か" が見出せたなら、どんなにか時代のありようが一変するかと思ったりする......。
自分は、以前から "日の出時刻" や "日の入り時刻" にそれとはなく関心をもっている。要するに、昼の時間が次第に短くなっていくと何やら "心細く" なってみたり、逆に次第に長くなる時季には、何ということもなく "元気" づけられる気分となったりする......。単純この上ない話であるが、この気分を支えているものをあえて口にすれば、天体現象が秘めた "不可逆性" や、 "不変性(普遍性)" という性格にありそうな気がしないでもない。どんなに人間界が愚かしく、移ろい易く推移しようとも、そうした些末さに眼もくれないで淡々としている壮大な天体現象が、やはり "見上げたもんだよ、屋根屋の......" と感じ入っているのかもしれない...... (2009.12.22)
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