歳を重ねると身の回りの事柄や、自分の日常的なアクションでさえ "度忘れ" するものだ。最も危ないのは、 "無意識" で行ったアクションだろうと思う。これがとかく "度忘れ" の対象となりがちなようだ。
何か別なことを考えていて、心ここにあらずといったふうに、ちょいと何かをどこかに置いてみたり、仕舞ってみたりしてしまうと、さぁーて、後になってみるとその時の記憶がなかなか起き上がってこない。
どうもこの成り行きは、加齢によるものというよりも脳の働き、記憶の構造に由来するもののようであるが、とは言っても加齢によって程度が亢進することは否定できない。
いつぞやも、つい先ほどのことでありながら、小さなとあるモノをどこに置いてしまったかわからなくなり、さんざん探す始末となり、一時は、 "神隠し" にでもあったのではないかと、馬鹿なことを考えたりもした。
結局、見つけ出した場所は、まったくその前後のアクションとは脈絡のない箇所であり、自分とは別の者が為した仕業のような気がしたものであった。
何か別なことを考えていて、心ここにあらずといったふうに、ちょいと何かをどこかに置いてみたり、仕舞ってみたりしてしまうと、さぁーて、後になってみるとその時の記憶がなかなか起き上がってこない。
どうもこの成り行きは、加齢によるものというよりも脳の働き、記憶の構造に由来するもののようであるが、とは言っても加齢によって程度が亢進することは否定できない。
いつぞやも、つい先ほどのことでありながら、小さなとあるモノをどこに置いてしまったかわからなくなり、さんざん探す始末となり、一時は、 "神隠し" にでもあったのではないかと、馬鹿なことを考えたりもした。
結局、見つけ出した場所は、まったくその前後のアクションとは脈絡のない箇所であり、自分とは別の者が為した仕業のような気がしたものであった。
先日、実家の母親のケアに出かけていた家内から、実に "情けない声" での電話があった。 "指輪" が見当たらなくなり、どこどこに落ちていないか確認してほしい、というものであった。
了解してすぐに探してみたのだが、見当たらなかった。その旨を折り返しの電話で伝えたが、ひどくがっかりしている様子は隠せないようだった。
ひと(他人)のことはいくらでも何とでもいえるわけだが、家内の日常アクションをそれとなく見ていると、 "危ないなぁ......" と感じることが実にしばしばある。それでよく後になってそのアクションが思い出せるものだと思ったりするのである。
今回も、先週に実家から戻って来て、その "指輪" や腕時計をとある箇所、それもいろいろなモノが山積した箇所で、なおかつ置いたモノが転がって落ちる可能性が十分ある箇所に置いたそうなのだ。
そして、その下はというと、内猫たちの餌皿がトレイの上に並んでいる。そこで、その周辺をくまなく探してみたが、見つからなかった。まさか、猫たちといえども、間違ってその "指輪" を食べてしまうことはあり得ない。
自分の推測では、 "そこ" に置いたこと自体が確実なことなのかどうかという疑問が残っていた。実家からの帰路の駅などで、手袋をはずして切符を調達する時などに "紛失" させてしまうという情景が打ち消せないでいた。
が、当人ががっかりして、 "情けない声" を出すのがなんともかわいそうに思え、出来る限りの "探索" はしようという気になっていた。
考えられる限りの箇所を、懐中電灯まで持ち出して探し、さらに、ゴミ箱をひっくり返してゴミも吟味した。そういえば、掃除機が吸い上げてしまう可能性もないではないと思い、掃除機内部の "ゴミ袋" まで切り開く始末であった。しかし、それでも見つからなかった。
そうして家内の引き出しの中やモノ入れなど、普段、手を触れることのない "探索" を、家内が不在中に黙々と進めていたら、何だか "わびしい気分" となったものである。
ひとつは、そういえば、結婚して何十年ともなるのに、大したモノを買って上げられなかったなぁ......、という自分の甲斐性のなさに思い至ったからかもしれない。
今回の "指輪" の件にしても、即座に、じゃあ別のを買って上げるから気にするなよ......、くらいのことが反射的に言えない自分が恨めしく思えた。
もうひとつは、家内の持ち物を紛失物の "探索" とはいえ点検していると、ヘンな話だが、 "遺品" を点検しているかのような連想が生じて尚のこと気分が滅入ってしまったのかもしれない。
ところで、この件の結末は? ということになる。
"思わぬ箇所" で、家内自身が "執念" で見つけ出したのであった。その箇所とは、いつものモノ入れだったのだが、その入れ物には無造作に布切れが敷いてあり、その隙間に挟まっていたのだった。ほとんど、 "無意識" に置いたところ、そんな箇所に隠れてしまったそうなのである。
人騒がせしてしまったことに家内は大いに恐縮していた。が、自分としては、喉に引っかかった魚の小骨が首尾よく取れたような、そんな安堵感を得ることになった...... (2010.01.15)
了解してすぐに探してみたのだが、見当たらなかった。その旨を折り返しの電話で伝えたが、ひどくがっかりしている様子は隠せないようだった。
ひと(他人)のことはいくらでも何とでもいえるわけだが、家内の日常アクションをそれとなく見ていると、 "危ないなぁ......" と感じることが実にしばしばある。それでよく後になってそのアクションが思い出せるものだと思ったりするのである。
今回も、先週に実家から戻って来て、その "指輪" や腕時計をとある箇所、それもいろいろなモノが山積した箇所で、なおかつ置いたモノが転がって落ちる可能性が十分ある箇所に置いたそうなのだ。
そして、その下はというと、内猫たちの餌皿がトレイの上に並んでいる。そこで、その周辺をくまなく探してみたが、見つからなかった。まさか、猫たちといえども、間違ってその "指輪" を食べてしまうことはあり得ない。
自分の推測では、 "そこ" に置いたこと自体が確実なことなのかどうかという疑問が残っていた。実家からの帰路の駅などで、手袋をはずして切符を調達する時などに "紛失" させてしまうという情景が打ち消せないでいた。
が、当人ががっかりして、 "情けない声" を出すのがなんともかわいそうに思え、出来る限りの "探索" はしようという気になっていた。
考えられる限りの箇所を、懐中電灯まで持ち出して探し、さらに、ゴミ箱をひっくり返してゴミも吟味した。そういえば、掃除機が吸い上げてしまう可能性もないではないと思い、掃除機内部の "ゴミ袋" まで切り開く始末であった。しかし、それでも見つからなかった。
そうして家内の引き出しの中やモノ入れなど、普段、手を触れることのない "探索" を、家内が不在中に黙々と進めていたら、何だか "わびしい気分" となったものである。
ひとつは、そういえば、結婚して何十年ともなるのに、大したモノを買って上げられなかったなぁ......、という自分の甲斐性のなさに思い至ったからかもしれない。
今回の "指輪" の件にしても、即座に、じゃあ別のを買って上げるから気にするなよ......、くらいのことが反射的に言えない自分が恨めしく思えた。
もうひとつは、家内の持ち物を紛失物の "探索" とはいえ点検していると、ヘンな話だが、 "遺品" を点検しているかのような連想が生じて尚のこと気分が滅入ってしまったのかもしれない。
ところで、この件の結末は? ということになる。
"思わぬ箇所" で、家内自身が "執念" で見つけ出したのであった。その箇所とは、いつものモノ入れだったのだが、その入れ物には無造作に布切れが敷いてあり、その隙間に挟まっていたのだった。ほとんど、 "無意識" に置いたところ、そんな箇所に隠れてしまったそうなのである。
人騒がせしてしまったことに家内は大いに恐縮していた。が、自分としては、喉に引っかかった魚の小骨が首尾よく取れたような、そんな安堵感を得ることになった...... (2010.01.15)
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