こうした "シリアス(真面目)" なニュースを取り上げても "打てど響かず" に終わりそうなことを想定しながら書いている。
現行の社会的な多くの問題の少なからぬ原因は、いつの間にか、人々が "目先の経済的利害" にのみ目が奪われ、それら自体が引き起こされている "社会的背景・矛盾" に無頓着、無関心となっている、そんな空気ではないかと感じている......。
確かに、個々人が "目先の経済的困窮" 状態で引き廻されていたのでは、視野を広げたり、社会の先行きを懸念したりする余裕すら無くなるのは当然なのかもしれない。
しかし、こうした不自然な状況をテコにしつつ、現行のグローバリズム経済は "行方を問うこともなくエンドレスに" 活動を強めて行く......。
そんな中で、下記引用サイト記事/【 引用記事 1 】:ダボス会議、若者の失業に危機感 企業の「育成力」課題/日本経済新聞/2013.01.27 /【 引用記事 2 】:「使い捨て人材育成にノーを」 内田氏講演/佐賀新聞/2013.01.27 は、ナイーブな視点での "正攻法" を貫いて書かれていると思えた。
おそらく、<先進国を中心に深刻化する若者の失業問題>や、その問題に拍車を掛けている<若者は経験が足りないのに、企業が即戦力を求める傾向を強めていること>/<育てるのではなく、ふるいにかける企業姿勢>などが放置されるならば、"立ち枯れる" こととなるのは、決して、若者世代のみならず、企業や社会自体も、また免れられない! と、そう洞察されているのであろう。
各企業の姿勢から "大局的観点" が失われ、"当面のサバイバル" 策のみに目が向けられる経済社会は、目先の "政局" だけに関心がむけられ長期展望を欠いた政治社会とまさに "好一対" を成している......。
【 引用記事 1 】
ダボス会議、若者の失業に危機感 企業の「育成力」課題/日本経済新聞/2013.01.27
【ダボス(スイス東部)=原克彦】開催中の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、先進国を中心に深刻化する若者の失業問題を巡る議論が活発になっている。欧州各国の首脳や国際機関トップらが相次ぎ危機感を示し教育・訓練制度の見直しなどの対策を提唱。欧州債務危機が小康状態にある中、今後のリスク要因として雇用を強く意識し始めたことを浮き彫りにした。人材評価の価値観修正などビジネス界の意識改革を促す意見も出てきた。
「誰か、欧州の若者に希望を与えてくれる人を迎え入れたい」。ドイツのメルケル首相は若者の失業が「欧州経済の重荷」だと語って24日の演説後の対談を締めくくった。2月に総選挙を控えるイタリアのモンティ首相も23日の演説で「失業している若者こそが(改革を怠った)弱い政府の被害者だ」と雇用問題の深刻さを強調した。
金融危機から回復しつつあった世界の雇用情勢は欧州債務危機の影響で再び悪化。国際労働機関(ILO)によると今年の世界の失業者は初めて2億人を超える見通しだ。特に南欧が深刻で、スペイン国家統計局が24日に発表した10~12月期の同国失業率は26%を超えた。ギリシャやスペインでは若者の2人に1人が失業している。 ......
国際機関では国連人口基金のババトゥンデ・オショティメイン事務局長が、若者の失業と世界の人口問題が直結していると主張。人口が急増するアフリカなどでは、働けない若者が生活水準の改善の壁となり、日本など先進国では少子高齢化を加速させる要因にもなる。雇用創出へ「政府と民間企業、市民社会の連携」を呼び掛けた。
民間企業トップからも声が出ている。米人材派遣大手マンパワーのジョナス・プライシング社長は「若者は経験が足りないのに、企業が即戦力を求める傾向を強めていることも問題」と、企業側にも意識改善の余地が大きいと指摘。各企業が自社で若者を育てる力を強化するよう訴えた。
【 引用記事 2 】
「使い捨て人材育成にノーを」 内田氏講演/佐賀新聞/2013.01.27
■内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授 基調講演要旨(佐賀市の教育研究全国集会において)
学校教育を考える上で、社会システムの変容は無視できない。国民国家システムが解体過程にある一方、グローバル資本主義が地球表面を覆っている。両者の摩擦が、学校教育にも影響を与えている。
学校教育は国民国家の中で営まれ、国富を増やすことを目指してきた。これに対し、グローバル資本主義は「無国籍企業」といわれるように、いかに企業の収益を増やすかということが最大の目的で、特定の国家を利することはしない。私財は増やすが、国富を増やすことには関心がない。生産拠点を日本に限定する必要もない。
グローバル資本主義は、時間のスパンが短い。ヒット商品を連発したアップル社が10年後にも存在しているかどうか、誰も言えない。企業は5~10年ぐらいの短いスパンで人材を求める。逆に学校教育は長い時間を見据える。ここに根本的な違いがある。
学力の低い大学生が多く、質保証のため大学の数を減らした方がいいという議論が起こっている。大学を減らせば、確かに大学生の平均学力は上がるだろう。しかし、18歳の平均学力は間違いなく下がる。この問題は見方を変えると、企業は低学歴、低学力の労働者を欲しがっているということ。「国際競争力を高める」という主張のもと、人件費削減は社会的な合意事項になりつつある。
企業がやっているのは個々人の自尊感情を崩壊させること。大量採用、大量離職の背景には、育てるのではなく、ふるいにかける企業姿勢がある。簡単には解雇はできないため、自己啓発、研修、能力開発など「指導」のもと、自己評価を下げさせる。そして自己都合退職に追いやる。
学校現場にも、文部科学省を通じて、「日本のことは知らないよ」というスタンスで経済活動している大企業の要求がどんどん来ている。「社会が要求するならそれに合わせようか」と思ってしまうのが教師の悲しい"さが"。しかし、学校教育が育てているのは産業戦士やグローバル企業の使い捨て人材ではない。これらの干渉には「ノー」と言おう。学校教育は、何十年も続く人生の中で生きる知恵と力を育むこと。短期的な企業の雇用戦略に軽々に応じる必要はない。
人間の基本的な振る舞いである「学び」は、その時々の経済や政治状況で変わるべきものではない。先人から受け取った贈り物としての「知恵」を後人に伝えるという、教える人の「エートス」はこれからも変わらないはずだ。
あらゆるものの "刈り取り" が急かされる "グローバル資本主義" の時代にあっては、 "百年の計" と言われた本来の教育は成り立ち得なくなっているようだ...... (2013.01.29)
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