インターネットを通じた、"Google" 検索機能などが普及している時代環境は、やはり "特殊" だと感じざるを得ない。
便利? それは間違いない。自分も昨今では、"Google" 検索サイトを辞書替りに使い、また "度忘れ" 復旧策としても頻繁に使っている。
そして、ふと思うことは、"自分が覚えなくとも、ネットがすべて記憶している" ( "外部の記憶" )というように思う自分、極めて "他人任せ" になっている自分の不甲斐なさであろうか......。
"嘆く(?)" ほどのことではないのかもしれないが、つらつら考えると、ちょっと "怖い" 事実かもしれないと気づくことにもなる。
こうして、 "外部の記憶" に依存し尽くしてしまうと、一体、自分の "記憶" (= 感覚、思考 etc.)に秘められた "特殊性・独自性" はどうなるのだろう? というような点なのである。
忘れかかっているのだから、どうせ大した "特殊性・独自性" ではないことは分かるが、それにしても、自身の記憶として留めた内容とそれに見合う外部に蓄積されたデータ・情報とが等しいとは考えにくい。まあ、"外部の記憶" に接することで、自身の "特殊性・独自性" でしかあり得ない自身の記憶が蘇ると見なすならば疑問はなくなるが......。
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