インターネットを通じた、"Google" 検索機能などが普及している時代環境は、やはり "特殊" だと感じざるを得ない。
便利? それは間違いない。自分も昨今では、"Google" 検索サイトを辞書替りに使い、また "度忘れ" 復旧策としても頻繁に使っている。
そして、ふと思うことは、"自分が覚えなくとも、ネットがすべて記憶している" ( "外部の記憶" )というように思う自分、極めて "他人任せ" になっている自分の不甲斐なさであろうか......。
"嘆く(?)" ほどのことではないのかもしれないが、つらつら考えると、ちょっと "怖い" 事実かもしれないと気づくことにもなる。
こうして、 "外部の記憶" に依存し尽くしてしまうと、一体、自分の "記憶" (= 感覚、思考 etc.)に秘められた "特殊性・独自性" はどうなるのだろう? というような点なのである。
忘れかかっているのだから、どうせ大した "特殊性・独自性" ではないことは分かるが、それにしても、自身の記憶として留めた内容とそれに見合う外部に蓄積されたデータ・情報とが等しいとは考えにくい。まあ、"外部の記憶" に接することで、自身の "特殊性・独自性" でしかあり得ない自身の記憶が蘇ると見なすならば疑問はなくなるが......。
それにしても、益々浸透する検索環境と蓄積される "外部の記憶" が、個々人の、記憶・感覚・思考などの状態に深い影響を及ぼしていることは間違いなかろう。
極端に言えば、"外部の記憶" として蓄積されていないもの、つまり検索してもヒットしないものは、たとえ個々人がそれを問題にしたくとも "黙殺(?)" されかねない......、ということ。"外部の記憶" の一部として "市民権" が得られないもの、それこそが "特殊性・独自性" のあるものに違いないが、そうしたものの "居場所" がなくなるのではないか......、と。
現に、こうした傾向は、検索によってしか陽の目を見ないメディア情報においては生じているように見える。今や、多くの情報発信側が、検索され易い、検索でヒットし易い、つまり "検索可能性" の高い情報を選りすぐっていることは誰しも知るところだからである。検索されにくい "特殊性・独自性" の色濃いマイナーな情報は、どうしても "スポイル" されがちになりそうである。
極めて個人的な場面で、それこそ "特殊性・独自性" が満ちていて当然な場面で、ふと、こんな場合にはどうすべきか "検索で調べ" てみようというような思いが生じるとするならば、まさに検索環境万能の仕業かもしれない。
以上を考えるきっかけとなったニュース記事を以下に引用しておきたい。
―――― <「Google」は人の記憶能力を低下させるか 検索エンジンとネットのおかげで、ほとんどの事実は記憶する必要がなくなった。しかしこのことは同時に、われわれの記憶能力に影響を与えている可能性がある。心理学実験を紹介。検索エンジンとネットのおかげで、ほとんどの事実は記憶する必要がなくなった。キーをいくつか押せば、ほぼ無制限に情報にアクセスできるからだ。しかしこのことは同時に、われわれの記憶等の能力に影響を与えている可能性がある。
7月14日付けの『 Science 』誌」に掲載された論文によると、新しく学んだ事実をコンピューターに記録した場合、その事実を思い出す確率が下がるという。つまり、オンラインでいつでも便利に入手できると思えば、それについて学んで記憶する意欲が下がるのだ。
46人の大学生を対象に行った実験では、学生たちはトリビア的な知識を覚えて、コンピューターにタイプ入力するよう指示された。例えば、「ブルーバードは青い色を見ることができない」「アル・カポネの名刺には、中古家具販売と書かれていた」といった知識だ。
半数の学生には、入力した内容は消去されると伝え、残りの半数には、入力した内容は保存されると告げた。続いて学生たちに、入力した内容を記憶から呼び戻すように求めると、「消去される」と言われたグループの方が、およそ40%よい成績だった。
興味深い現象も見られた。それは、名前や日付が変更されるなど、事実にわずかに手が加えられた場合の識別に関してだ。オンラインに記録されたと考えている場合には、それを識別する能力が低くなったのだ(87%から78%に減少)。これらは悪い兆候のようにも思えるが、この研究の共著者でコロンビア大学の心理学者であるエリザベス・スパロウによれば、これはいわゆる交換記憶(対人交流的記憶:Transactive Memory)のひとつの形態だという。交換記憶とは、集団として作業し、事実や知識を集団全体に伝えられた人たちに見られる記憶方法だ。[交換記憶は、集団で物事を記憶するあり方で、それぞれのメンバーは「誰がその記憶を知っているか」を覚えている。今回の論文の共著者でもあるダニエル・ウェグナー(Daniel M. Wegner)らによる1985年の論文で提唱された概念]
( 「Google」は人の記憶能力を低下させるか/WIRED JAPANESE EDITION/2011年7月15日 )
「われわれは実生活で、ほかの人たちの記憶を利用しているが、この現象はそれに似ている。インターネットは、実際には、たくさんの他者へのインターフェースなのだ」とスパロウ氏は言う。
交換記憶と内部記憶がどのように作用するのかをさらに比較すると、興味深い結果が得られるだろう。記憶は他の思考プロセスに影響を与えている可能性があり、例えば、内部記憶に頼っている人は、記憶を呼び戻すときに、他の記憶と合成しているかもしれない。
スパロウ氏は現在、批判的思考が必要な作業に関して、頭で覚えた事実よりオンラインに記録した事実に頼った場合に、学生らがどのような成果を上げるのかを研究している。>
とにかく、時代が "Google" 検索などの検索システムを益々強く要請するようになるだろうことは想像に難くない。だからこそ、その影響力が気になるわけだ...... (2011.07.24)
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