今朝、ありありとした夢を見た状態で目が覚めた。
いつも、明け方5時前後に一度目が覚める。 "トイレ休憩" のようなものである。
今朝は、その時に、リアルな夢を見ていたのであった。しかも、大抵の場合、そのように夢を見ているままの状態で目が覚めると、脳の興奮のためかやや頭痛が伴ったりして不快な気分となっているのが常であるが、今朝のその時はきわめて平静な気分であり、へぇー、こんなこともあるんだ、とやや不思議な気がしたものであった。
見ていた夢というのは、もうとっくに亡くなって十年は経つ "祖父" の夢なのであった。その "祖父" と生々しく会話をしていたのである。
仔細は思い出せないが、どうも、何かあることで "祖父" に "抗議" をしているようなのである。
祖父が亡くなってから、親戚の者同士がその遺産相続をめぐって醜い争いが十年ほども続いたものであった。そんなプロセスで、 "祖父" に対しては何かと不満が生まれたりしたこともあった。つまり、遺族たちが見苦しい "泥仕合" なんぞをしないでも済むような段取りをなぜ "祖父" は取り計らっておかなかったのか、というような不満ということになろうか。
したがって、夢の中での "祖父" への "抗議" とは、たぶん、そんな類のことではなかったのかと想像する。
ところで、自分が "抗議" に出向いた "祖父" の家というのが、また奇妙であった。 "祖父" と言えば思い起こす "北品川" のあの古い家でもなければ、そうかといって次男たちと一緒に住むために新築した池上の家でもなかった。
平屋の古い民家であり、日当たりと風通しの良い造りは、今気がついたのだが、 "千倉" の家であったかに思える。その "千倉" の家とは、生前 "祖父" が夏場をよく過ごした別荘代わりに使っていた家なのであり、自分も子供時代には何度か泊まりに行ったことがある。もちろん、 "千倉" の海岸での海水浴を目当てにである。夏になると、 "祖父" がいるということで、親戚の子供たちはよくそこに集まったりしたものであった。
はっきりとはしないのであるが、じゃあ、自分が "祖父" に談判しに行ってくる、という前段があった上で、どうも "祖父" のところに出向くという流れのようであった。
だが、今、素面で考えてみると、前述したような遺産相続のゴタゴタに関して "祖父" に "抗議" するというのもおかしな話だということになりそうだ。というのも、夢の "時制" は、 "祖父" が健在な頃のようだからである。
とすると、 "抗議" の内容というのは、遺族たちが見苦しい "泥仕合" をすることになった "祖父" の段取りの悪さということそれ自体ではなく、とかくそうした曖昧さをもって生きた "祖父" なので、何かそうした部分であったのかもしれない。
それはともかく、いろいろと会話を交わしていたようなのである。で、 "祖父" という人は、自分の思い出ではかなりの "口達者" の人だという印象がある。一筋縄では行かない人だったのである。簡単に、そうかそうか、と折れるようではなかったかに覚えている。
それだからこそ、自分は夢の中でも結構話の組み立てを考えたりして、頭を使っていたのかもしれない。その話の中身が思い出せればよかったのだが、その辺がはっきりとはしないでいる。ただ、目が覚める直前の会話だけが何となく思い起こせる。
確か、じゃあ、お前ならどう言うんだ? と問われたようであり、その時にすかさず、自分ならこう言います! とどこかハッタリめいたことを言いのけていたようであった。と、 "祖父" は、これは一本参った、というような表情をして大笑いをしていたのであった......。で、その時目が覚め、何かすがすがしい気分だったというわけなのである。
ひと(他人)様にはわかりようもない夢の話をくどくどと書くというのもどうかと思えたが、まるで目覚めている時のように会話が進んでいたことがとにかく不思議であったことと、目覚めた時の気分が妙にスッキリとしていたことが珍しいことであったため、あえて書くことにしたのである。
それにしても、日中、あーだこーだと屁理屈をつけて考えるだけでは物足りないらしく、夜な夜な、夢の中でも休むに似た下手な考えをこねくり回しているのだから、脳の方も休むに休めず気の毒なものだと言うべきか...... (2008.01.27)
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