久々の、 "何のために書くのか" という自問 ......

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 よく、 "ビジネス文章" では "要点先出し" というようなことが言われる。それはまさしくそのとおりだろうと思う。忙しいビジネスマンは、できれば文章なんぞを読みたくはないはずである。考えることだってしたくないに違いない。良い結果や豊穣なリターン(利益)を得ることが指し当たっての目的であり、文章を読んだり書いたりすることはその手段でしかないからである。だからこそ、文章というものは "必要悪" と見なされているのかもしれない。無ければ無いに越したことはないと位置づけられているはずだ。
 ただ、無いといろいろな点で困るために書いたり読んだりするのであり、だから "必要悪" という荒っぽい表現をするのである。
 そんな位置づけの "ビジネス文章" であるから、何はさておき、読んでもらいたい人、例えば上司であったり、取引先担当者であったり、はたまた顧客であったりに、 "読んでもらう" こと、できれば "主旨を誤解なくわかってもらう" ことが目的であり、それが文章を書くことのすべてだとさえ言えそうである。
 となれば、 "忙しい" ビジネスマンや "文章を読みたがらない" 者たちに向けて書く文章は、とにかく "簡潔明瞭" でなければならず、その点から言えば "要点先出し" というマナーは当たり前のコンコンチキだということになろう。

 また、現代という忙しい時代、そして多くのコミュニケーション媒体が乱舞する状況の中で、甚だ不利な性格を引き摺っているかもしれない "文章" がわずらわしいメディアとし受けとめられがちな状況にあっては、何も "ビジネス文章" にかぎらず、一般的に文章というものは "簡潔明瞭" でなければならないと見なされているのであろう。
 この趨勢には概ね賛同できる。しかし、ただひとつだけ "こだわる点" がないわけではない。それは、文章(を書く)ということは、必ずしも書く者によって "考えられた結果のアウトプット" とはかぎらない、のではないかという点なのである。
 もちろん、ビジネスは "結果重視" であり、 "責任志向" が前提となっているジャンルであるから、文章・文書もまた "考えられた結果のアウトプット" でなければならないであろう。そこはそういう意味ではなかったのです......、と後で釈明しなければならないような玉虫色の叙述が許されるわけがなかろう。

 しかし、 "文章を書くという行為" は、果たして "ビジネス文章" の要求の範囲内に収まることがらであろうか。もちろん、そうではない。図式的に言えば、 "ビジネス文章" とは、 "文章を書くという行為" のほんの一部分でしかないと思われる。それは、人間のありようがビジネスという行為だけではないのと同様である。
 では、 "ビジネス文章" を書くという限定された行為と、 "文章を書くという行為" とは何がどう異なるのであろうか。
 いろいろとあろうかとは思うが、見逃してならないのは、 "考えられた結果のアウトプット" としてではなく、いわば "考えつつ書く" という "現在進行形" の側面ではないかと感じ取っている。つまり、考えることにおける結果が出てから書くだけではなく、結果が見えなくとも書くことが十分にあり得る、ということなのである。
 これは、成り行き任せという謗りを受けることにもなりそうだが、むしろ、そう謗る人の方が無理難題を言っているように思うのである。やや詭弁に聞こえるかもしれないが、人間はどんなことにおいても結果を明確にして、その後に生活したり生きたりしているのだろうか、ということなのである。そんなわけはなかろう。その "万事、プロセス的" な同じ人間が "文章を書くという行為" を進めているのである。 "プロセス的" な性格が立ち上がらざるを得ないと言うべきではなかろうか。

 文章を書きながら考えたり感じたりしながら、次第に自分が何を頭や心に宿しているのかがわかってくる、という経験は決して特別なことではないはずであろう。それでいいのだと思っている。まして、日誌やエッセイの類はそれで御の字ではなかろうか。まあ、人様の財布から何がしかの銭をいただく "プロ" となれば、やや異なったものがあっても良さそうだが、巷の "ブロガー" の場合は、大いに "万事、プロセス的" という方針を主張して良さそうに思っている。
 じゃあ、 "成り行き任せ" であっていいと強調しているのかと言えば、そういうことではない。ただ強調したいことがあるとすれば、 "要点先出し" というお仕着せの枠に自らはまり込んで、結局は、自分にとっても誰にとってもほとんど意味のない "紋切り型" の言辞を重ねる愚だけは犯したくない、ということかもしれない。
 わかってもらおうとする努力はしたいが、わかってもらえるという結果を望むあまりに、自身の内部に潜在する "グチャグチャ" に決別してはいけないように感じている...... (2008.01.21)













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