空気は冷たいが久々の快晴であり、その点で今日は気持ちの良い一日であったかと思う。いじましいもので、昼休みに外に出た際には、できるだけ日の当たっている側をよって歩くようにしていたものである。
こんな明るい天候だからなのか、野鳥たちの姿も否応なく眼に入ってくる。早咲きの花々もあることと関係してか、野鳥たちにとってのこの時期はうかうかとはしていられない、そこそこ忙しい時季なのだと、そんなことを耳にしたことがある。
人間にとっては、寒さはまだまだこれからということになりそうだが、彼らにとっては春としての活動期がすでに到来しているのであろうか。
鳥たちにもそれはそれで思い煩うことがないわけでもないのだろうが、要するに "ネアカ" な性質なのかもしれない。とにかく "暢気" そうに見える。そしてそうした姿に眼をやっていると、確かに癒されることは癒される。
腹の足しになるような欠片とて何も落ちていない歩道を、それでも二、三羽の鳩たちが餌探しをしている様子であった。人様ならば、そんな絶望的な状況にどうしたってうな垂れながらのボディーアクションとなりそうだが、鳩たちの仕草は、淡々としている。場合によっては "固定給"(?) は保証されているかのような "余裕" さえうかがわせる。大したものだと思わず関心させられてしまう。
"生かされている" もの、 "宿命に身を任せ切っている" ものの "強み" とも言うべき結果なのかと考えさせられたりしたものだ。
先ほどから、一羽のカラスがとあるマンションふうの建物のてっぺんで、一人、いや一羽、大声で鳴き喚いている。といっても、悲壮感なんぞとはまるで無縁であり、カァーカァーと浪々とした響きで鳴いているのだ。眼をやると、背後に太陽の眩しさを背負っての堂々としたカラスであった。
自分を含めて、歩道と交差点にはこの寒さに身体を萎縮させがちな "みっとも良くない" 人間たちが "とぼとぼ" と歩いている。それに対しての浪々たる鳴き声のカラスなのである。その "対比" が何とも滑稽さを誘わずにはおかなかった。
『そうかそうか、もっと元気を出せ、とでも言ってるんだな。日頃、大きな顔をして横柄な振る舞いをしている割には、何があるのか知らんけど、昨今しょぼくれ過ぎていはしないか、とでも言いたいのかね......』
鳴き声だけでなく、眩しさの中で存在感のあるシルエットを誇るかのようなカラスを見上げながら、そんなことを考えざるを得なかった...... (2008.01.17)
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