今朝は "まともな起床" ができた。朝に寝過ぎた日の夜は寝付きにくいかと思っていたら、昨夜は案外スムーズに寝込んでしまった。やはり、最近の睡眠時間がやや不足気味だったということなのだろうか。お陰で、今朝はスッキリと目覚め、そして寒さに抗してウォーキングにも出かけた。
この寒さはやはり本格的であるのか、コースの半ばに至るまで身体が温まらなかった。おまけに曇天で陽が差しておらず、目に映る風景はモノトーンであり、生き生きとした実在感がなかった。夢の中で歩いているような気がしないでもなく、心地よくなかったので、ならばこれではどうだとばかりに、最近再び自覚し始めていた五十肩の痛みのある左肩をグイグイと回すことにした。
この五十肩というのも気まぐれであり、昨年は半年間位であっただろうか全く痛みが消えていたのである。こいつはシメタと思いはしたが、どうも完治したという気にはなれなかった。きっとまた出てくるのだろうと悲観的予想をしていたら、案の定、去年の秋口ほどから左肩の方にジワジワと違和感が戻ってきたものである。
ただ、痛みが消えた時期にできるだけ両肩を動かすようにしていたためか、現時点、まあ往なせる程度の痛みの範囲内で済んでいる。
ただ、 "あの半年ほどの天国" とは一体何であったのかという疑問が残っているのである。自分の身体でありながら何がどうなって完治したかのような "天国" が訪れたのかは未だに理解できないでいる。五十肩というのは、加齢によって骨の先端がどうのこうのと言われたりしているが、必ずしも万人が了解し切れるほどに解明されていないような気配である。自分の経験からすれば、そうした "骨の先端が......" という現象も絡んではいるのだろうけれど、やはり一種の "神経痛" なのではなかろうかと感じている。と言ったところで、"神経痛" という現象は、物理的現象よりもむしろ不可解な部分が多いのだから何の気休めにもならない......。
遊歩道の途中に、とある地域の町内会の詰め所(?)があるのだが、今日は賑わいを見せていた。何だろうかと覗いてみると、どうも "餅つき大会" でも催す空気であった。建物の前庭に "臼" も設えられていたし、威勢の良い湯気を放ちながら "もち米" の段取りも進んでいるようだった。
何よりも、その周囲で何となく "そわそわ" とした気分でいる中年の男たち七、八人の様子が、妙な熱気をかもし出し人目を引いていた。昨今、中年の男たちがちょっとした "熱気" が放てるような機会というのがめっきり少なくなった折、 "餅つき" 行事なんぞは "大会" と称して仰々しく行いたい心境なのであろうか。何となくよくわかる気がした。
そう言えば今日は、もうひとつ中年男たちの "熱気" もどきにも遭遇した。
ウォーキングに出掛けようとした時、家内が、これ頼みます、と言って手渡したのが正月の飾り物一式なのであった。つまり、例年どおり近所の広場で "どんど焼き" が執り行なわれるので持って行ってくれ、というのであった。
自分はその広場へと迂回しながら出掛けた。行事は午後から行われるというのでまだ誰もいないのかと思いきや、何と、広場にはこれまた "そわそわ" とした気分が見え見えの中年男性たち数人がいらっしゃったのである。
広場の真ん中にはすでに焚き木の小山が形作られ、寒いことも手伝ってか、皆、一刻も早く "放火"(?) したいかのような顔つきをしていた。
「これ、いいですか?」と言ったら、
「どうぞどうぞ」と手もみしながら返答していた。
しかし考えてみると、昔は、こんな寒い時期には、この寒さに負けじとばかりに、みんなでわっしょいわっしょいと揉み合うような行事なんぞをして気合を入れたものだったようだ。地域ぐるみでの "寒さとの闘い" とでも言ったら大袈裟か。その気合がより高まるように、 "どんど焼き" ではないが "火の手" を上げることも添えたのであろう。
その前に、小さな "火の手" である "焚き火" もあちこちで催されたかの覚えがある。まあ、その "主催者" の多くは、中年、熟年のおっさん連中であったような気がする。庭や道路で行う "焚き火" が誰からも咎められない時代の思い出ではある。
しかし、現在では "寒さとの闘い" は、それぞれ各家庭で個別に暖房器具を購入して好きなようにやってください、という時代となったわけだ。むしろこの方が回り回って "CO2" の余計な排出につながっていはしないかと思える。
そんなこんなで "理不尽" な寒さが身に応えるいやな季節なのである...... (2008.01.13)
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