夕刻、ベランダの方で騒がしい野鳥の声がした。多分、シャラの樹の実を啄ばみに来た野鳥だろうと思い、そっと窓を開けて覗いてみた。シャラの樹は、ベランダのすぐ脇で大きく、4~5メートルほどにまで伸びている。無数の白い小さな花を咲かせた後、同じく無数の実をつけるのである。
だから、こんな冬場には、野鳥たちにとっては、まるで "食い放題バイキング" の穴場のようなものなのであろう。さまざまな野鳥たちが入れ替り立ち替りで飛来する。
そっと窓から窺ってみると、やや大きな鳥一羽と、スズメほどの鳥三羽ほどが、 "ワーイワーイ" と騒ぎながらシャラの実を啄ばんでいた。
"やや大きな鳥" は、 "ヒヨドリ" であり、その鳴き声は「ピーヨ、ピーィ、ピィーピョロロ」というかなり騒がしい鳴き声であり、ヒヨドリの名もここからきたと言われている。
小さな鳥の方は、 "シジュウカラ" であり、「ツッツッ、チー、ツリリ」と細く高い声で鳴いている。この鳥の特徴は、まるでネクタイをしているかのように、のどから下腹にかけての腹の中央部分に黒い線が走っているのである。腹の両側は白いため、ワイシャツにネクタイといった格好に見えるのである。
彼らはみな、無数に散在する木の実に熱中しているようで、こちらの接近には気がついていないらしい。そこで、やや明るさが不足している様子ではあったが、すかさず望遠が効くデジカメを用意した。
せっかく "穴場" でのお食事を楽しんでいるのに、脅かして退散させてはかわいそうである。そこで、十分な距離を置いてスナップ・ショットすることにした。しかし、残念ながら薄暮の空が背景となってしまい、明らかに逆光状態であった。シャラの樹や鳥たちの姿がシルエット風の潰れた画像になっているのがわかりながらのショットである。後で、PCによる補正作業を加えようとしていたが、補正でカバーできる範囲を超えていそうな感触もあった。結局、何とかものになりそうなのは一枚だけという不首尾となった。
ところで、冬場に残された餌としての木の実を啄ばみに来る野鳥たちといい、 "外猫" として飼っている猫たちといい、自然の容赦ない変化の中で精一杯生き延びている。しかし、その辛さを悲痛さとして訴えるという様子もなく、ただ淡々と生きているといった逞しさにはすがすがしいものを感じたりする。
このところの朝晩の冷え込みは尋常ではなくなっている。一応、例年のことながら、 "猫小屋" には "湯たんぽ" の差し入れなんぞをしてやってはいるものの、さぞかし応えているに違いなかろう。
だが、猫たちもしっかりと知恵を働かせているようである。今朝も、彼らは安全そうな高所の "陽だまり" でしっかりと暖を取っている光景を目にした。一匹の方のクロは、まさに真っ黒な出で立ちのため、きっと熱吸収が良いに違いないと感心した。
また、生き延びる猫たちの "用心深さ" というものにも感心してしまう。彼らの多くの仲間たちがいつの間にか姿を消した推移には、非情な人間に気を許した甘さがあったと彼ら自身は意識しているわけでもないのだろうが、現実はほぼそのとおりだったようなのである。
そこへ行くと、生き延びている "外猫" たちの "用心深さ" は、今どきの甘い人間たちが少しは見習ったら良さそうな気さえする。 "用心深い" 彼らは、毎日餌をやったり湯たんぽの手配までしてやる自分にさえ、 "用心" を怠らないのだ。あくまでも自身の身は自身が守るという "野生のど根性" が脈々と生きているかのようなのである。
見方によれば、その振る舞いは、臆病にも見えるし、人間不信の塊にも見える。がしかし、それを悪く貶すべきではなかろう。要するに "リアルで聡明" なのだとして、相応に評価してやりたいと感じている...... (2008.01.04)
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