IT環境を日々の仕事の大前提としていると、有意味な情報というものは常に "外から" やってくるものだという錯覚に陥りがちである。まして、 "ネット検索" という便利なツールに恵まれると、貴重な情報はいつも "ネット上" にあるものだとする錯覚が生じがちなのかもしれない。
かつて、TVが驚異的に普及した当時、誰もが、TVに大きな影響を受けて、そのうち日常生活において意味ある情報の大半はTVから来る、というような錯覚に陥っていたようである。家族や身近な人たちが自身の体験から語る言葉よりも、TVが報じた言葉の方が信頼できるものだと思い込んでしまったのかもしれない。
子どもたちにしても、 "だって、TVで言ってたもん" と口にするようになり、身近なところで無様に失敗も仕出かし続けている信頼性乏しきオヤジの発言よりも、TVが報じる内容をこそ信頼しようとしていたのではなかろうか。きっと、現在でもこの風潮は続いていそうである。
そして、こうしたTVという存在に加えて、今や、インターネットという情報メディアが "孤独な人々" にとって頼れる貴重な情報源となっていそうな気がする。この傾向は、PCかケータかイという違いにこだわらず、またウェブサイトのページかメールによる情報提供かの違いにもこだわらず、広がっているように見える。
それはそれで良いし、こうした便利な環境があるからこそビジネスをはじめとしたあらゆるジャンルにおいて情報伝達工数が圧倒的に合理化されたはずである。そして、そうであるがゆえに、ますます、インターネットというツール環境は "信徒" を増やし続けているのであろう。と同時に、ネット詐欺などの被害者の数も増えこそすれ減る兆しは見えないようであるが。
ところで、もはやインターネットを通じたコミュニケーションは現代生活にとって、とくにビジネスにとっては必要不可欠だと言える。
ちなみに、弊社ではやっと "インターネット電話" を、遠隔地のサテライト・オフィスとの間で活用することにした。もちろん、コスト削減のための活用である。遠隔地との市外通話は、その頻度と使用時間が嵩むと結構な出費となるものである。これが、インターネットを通じての通話となれば、ほとんど "ただ" に近いコストで済むのだから活用しない手はない。必要があれば、USBカメラを添えて、テレビ電話風の仕掛けとすることも十分可能である。
まあ、こうして、コスト圧縮の面でインターネットが果たす威力は想像を絶するものだと思われる。まさに利用しない手はないどころか、却って、利用しなければムダなコスト負担をしているという非合理なことになりそうである。
だが、そうだからといって、インターネット万能主義にまで心を許すべきかどうかは別問題でありそうだ。いや、この点は、インターネット環境にだけ向ける懸念ではなく、いわゆる便利なツール全体に対して向けるべき問題であるのかもしれない。
今、マス・メディアを騒がせている自衛隊の艦船が民間船と衝突してそれを沈めてしまった事故にしても、便利さこの上ない "自動操舵での航行" システムが、完全に裏目に出てしまったが故だと言えそうである。便利なツールというものは、決して全ての用途に対して効果があるように開発されたものではない。用途を絞込み限定して、科学的成果を最大限に生かし、加えてコスト的にも無難なものとして実用化して提供されているはずなのであろう。これは、当然のことであるのだけれど、これを、ややもすれば "万能視" してしまうユーザ側の "怠惰" が大きな問題となるわけなのではなかろうか。
インターネット環境にしても、この種の問題が十分に潜んでいるとみなければならない。とくに、事務作業やコスト削減という視点で見ると威力を発揮するインターネット環境も、人間の "創造性" の問題に着眼した際には、かなり由々しき問題を秘めているような予感がしないではない。
この点については、後日に回すことにしたい...... (2008.02.25)
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