知識・情報を頼りにして生活するということが、 "霞を食って生きる" というふうであってはもちろん間違いだろう。 "霞を食って生きる" というのは極端な表現ではあるが、言いたいことは、知識・情報は今や手軽に手に入る時代環境となっているが、それはそれでしかないということだ。 "知識・情報以前" とも言えるかもしれない自身による営為、試行錯誤などが体験的に積み重ねられなければ、何も "手堅いもの" は生まれてくるはずがないような気がしている。
そもそも、こうやって毎日文章を綴っているのも、知識・情報は知識・情報であって、それらと向き合う自身側の "固有性" を確認するがためだとも言える。その "固有性" は当然一般的普遍性を持つとされる知識・情報やその体系との間にズレを持っているはずであろう。そのズレは、往々にして "固有性" の側が遅れをとっていたり、貧弱であったり、はたまた矛盾だらけであったりすることが多かろう。しかし、そんなことは知識・情報側に軍配を上げる理由にはならない。いや、軍配がどうのこうのという筋合いの問題ではないということでもある。
自身が生きて、社会や時代という集合体に参画するということは、一般的普遍性を特徴とする知識・情報の、その体系にどっぷりと浸かり、自身側の "固有性" の隅々までを知識・情報色とやらに染め上げてしまうことではないはずである。両者の間の緊張関係を保持しつつ試行錯誤していく必要が当然あると思われる。
本来、知識・情報というものは、そうした緊張関係において発展するのであろうが、知識・情報が持つ一般的普遍性は時として現行社会の保守勢力と妙な形で結びつくことで、既成概念としての保守性をまとい始めるものであろう。そして、自身の姿を押し付けて、諸々の人々の "固有性" を蔑ろにしていく傾向も秘める。
まして、知識・情報こそが時代の主役なのだと妄信する場合には、人々は、自身の "固有性" を自主規制的に抹殺して、知識・情報のみを追いかける "追っかけ" のスタイルこそがノーマルなのだと妄信することにもなる。
まあ、いつもながらの内容を、いつもながらの抽象的な口調で書いてしまった。
で、今日書こうとしているのは、マス・メディア批判でも、官僚主義的組織批判でもない。もうそんなことを書くのはほとほと飽きが来ている。よほどのバカではない限り、飽きがくるほど同じ事を繰り返すものではなかろう。
もっと "現実的なこと" 、 "実効性のあること" を書くべきだろうと考えている。いわば、時代環境が後生大事にしている知識・情報の体系を活性化させるためには何をすべきか、というような視点の事柄なのである。
と、大上段に構えるとこれから書くことを臆することになるが、要するに、自身の "固有性" を自主規制的に抹殺することを回避できるためにはどうすべきか、というような、言ってみれば平凡なテーマなのである。
そのうちの一つ、これまた平凡な課題なのであるが、 "自身の体験" を原点にする、という点に意を向けたい。こう言うと、 "経験主義" には狭隘な視野という重大な欠陥があると聞こえてきそうだが、それは違う。
この時代にあって最も由々しき問題というのは、視野が狭い、広いというようないわば十分条件的問題ではなく、とかく知識・情報という信頼性もどきに下駄を預けて済ますのが一般的となっているがゆえに、自信、信念、決断、責任といった、人間社会にとって本来的に価値のある次元の事柄が実に空虚なものとなってしまっていることであろう。それがなくては事が成立しないという意味での必要条件的問題そのものが頓挫していること、これが最大最高の問題のはずではなかろうか。( "官僚主義的弊害" の問題なんぞについては、書きたくもなくなったと言ったが、この問題にしても、自信、信念、決断、責任といったものと相即の "個人の顔" が、頓挫している官僚組織だからこそまかり通っているのだと思われる......)
自身の "固有性" というと、誤解されやすいのは "個性" という言葉であり、はたまた "自分探し" というような見当違いの発想であるかもしれない。そうではなく、自身の "固有性" とは、簡単に言えば自身の "固有な体験" ということになる。象徴的に言えば、人生という登山において、命懸けでどんな岩場にどんなふうに "ハーケン" (岩登りの際、安全確保・手がかりのために岩の割れ目に打ち込む釘。頭部の穴にカニビナをかけ、ザイルを通す)を打ち込んで来たのか、ということになりそうか。
こんなふうに考えると、自分自身には、ろくな "ハーケン" 打ち込み経験もなく、 "固有な体験" もなく、だから自身の "固有性" の自覚が希薄なのだと気づかざるを得ない。まあ、 "固有性" のコンテストでもないのだから、中身はともかく、これが原点だという自覚だけは見失わないようにしたいものである...... (2008.02.23)
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