ちょいと気分転換にと思って、 "ジャンク(無保証、ガラクタ)" のPCを仕立て上げようとして、とんだ目にあってしまった。
気分に余裕がある際には、こうしたことに手を染めるのは、パズルでも解くように結構楽しめるものだ。だが、今日は月次の〆日でもあり気持ちも急いていたし、さほど愉快な気分でいたわけでもなかった。だからこそ、短時間でやつけるならばちょいとした気分転換にでもなろうかと思い着手した。
ところが、さにあらず次から次へと厄介なことに遭遇して、すっかり苦労をして、しっかりと気分を害してしまった。PCパーツの "ドライバー" にしても、メーカのサイトにでも行けば簡単に入手できるはずだったが、それも予想に反していたし、そのサイトを探している最中にも、中国系の "悪相サイト" に遭遇して、結果的には引き回されるような羽目に陥り、十分に苛立ちを刺激されてしまった。
また、何とかなるだろうと高を括っていたことがらについても、 "配線図" などを正確に入手していなかったこともあり、結局、部品をひとつ壊してしまい、その件に関しては目をつぶることにしてしまった。
思うに、 "ちょいと気分転換に" というイージーな発想で事を処すのは、結構、危険なことのようである。要するに、中途半端な姿勢で臨むということだが、それは、下準備も疎かなままにただただラッキーな成り行きだけを期待するようなものだから、往々にして失敗やトラブルに突っ込みやすい、ということなのであろう。そして、手を染める動機が、欲張りにも期待することが小さくなかったりするだけに、思うようにならないとやたらに腹立たしい気分にさせられてしまう。仮に首尾良く行ったとしてもさほどの感激があるわけでもないのだから、どっちに転んでも後味は決して良いとは言えない。
ただ、こうした経緯を白々と振り返ってみると、日常生活の過程では、意外とこんな調子の行動パターンが少なくないようにも思えてくる。
じっくりと腰を据えて準備をして、おもむろに刈り取り作業をするといった正攻法で事に処すよりも、万事、成り行きと運に任せてフワフワとした心境で事に当たってしまいがちなのが、日常の実態ではなかろうかと思える。
こうしたイージーさは、一見、肩肘を張らないがゆえにエネルギー消費の少ない、実にスマートな行動様式のように見えなくもない。いや、できればこんなスマートさで、人生を勝ち続けられれば言うことはなかろう。それは、映画やドラマに出てくるカッコイイ主人公たちのスマートさだとも言えようか。ところが実際は、そうしようとしながらそうは行かないでギクシャクするために、却ってストレスを貯めてしまうのが実情のような気がする。
実際、現実というのは、そんなにスマートなレベルで済むものではなさそうだ。たとえ、傍目から見てそう思われるような場合も、実は、当事者は人目のつかないところで水面下のあくせくした努力を重ねていたりしているようである。まさに、水鳥たちが、涼しげに浮遊するかのような姿の足元、いや水面下で、忙しく水をかいているのと同じであるのかもしれない。スマートに事を進めているかに見える、一流のプロや仕事師ほど、水面下での努力の量やこだわりが人一倍だというのは時々知らされることではある。
要するに、結果だけをスマートに刈り取ろう、刈り取れるとする現代の風潮にあっては、実のところ、物事の正確な因果関係が了解されていない、と言うべきなのかもしれない。まあ、そのことに気づいたとしても、スピード感が著しい時代環境の中で、尋常には対処し難いという側面もありそうではある。
しかし、どうも皆が、そして自分が、 "前につんのめる" ような姿で、進む方向をも問題視せずにただただ急いているのは何とかしたいものだ...... (2008.02.20)
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