"集客力" をどう高めるかに悩まない経営者はいないだろう。
と考えれば、現時点での "外国人投資家" たちの "ジャパン・パッシング" は大問題であるのかもしれない。
現在の日本株の株価低迷ぶりは誰もが知るところである。そして、アナリストをはじめとして、マス・メディアもこぞって、 "サブプライムローン問題" の余波でそうなっていると解釈しているようだ。
しかし、このところの "外国人投資家" たちによる投資動向を参照してみると、明らかに "売越し" 傾向が強まってしまっており、二、三年続いていた株価高の時期の特徴であった "買越し" の継続がパタリと止んでいる。
"ジャパン・パッシング" という言葉が飛び交う中で、この数字の事実ほど情勢のシビァさを物語るものはないのかもしれない。 "サブプライムローン問題" はいよいよ深刻化と長期化の様相を見せているが、そうした推移の中で、 "またまた" この国の経済は、問題の核心を見失って行く気配が濃厚のようだ。
以下、少し長くなるが、シャープな切れ味の大前研一氏の読みを引用する。
<日本株が下がった本当の理由
それにしても日本人の状況理解の能力の低さは何だろう。
わたしは「日本株が下がった理由は何か」とよく質問される。この答は「日本株が上がった理由」を考えればいい。それは明快だ。外国人投資家が日本株を買ったからではないか。であれば下がった理由も簡単だ。外国人投資家が日本株を売ったからである。彼らは日本株から逃げていっているのだ。
日本株は、日本人だけが市場で売り買いしていたら、9000円から1万2000円の間を推移するだけだと、わたしはことあるごとに言ってきた。しかし、7900円と低迷していた株が、小泉政権となり、改革が本物かも知れないということで外国人投資家が好感を持って買い進めてくれた。だからこそ、急激に伸びた。そこに日本人の買い手がついてきた。
ところがそのことを忘れて、日本だけの力で回復したと信じている人がいる。そしていまは、サブプライムローン問題(すなわち米国発の金融危機)のあおりを受けて日本株まで下がっていると解説している人もいる。それは明らかな間違いだ。
いま世界のお金は、日本から逃げて、ベトナムなどほかのところに流れている。だから、日本株は昔の値段になっているに過ぎない。昨年も、1年を通したら買い越しになっているが、去年の夏以降だけを見れば売り越し状態だ。
特に、経済産業省が閉鎖経済を続けていたら、外国人投資家が舞い戻ってくるはずもない。経済産業省は「ブルドックソースは外国人が買ってはいけない」「鉄は命をかけて守る」「(民営化しておきながら)Jパワーは国家の基幹産業」などと、信じられないような鎖国主義的発言を続けている。
単純なことだが、株は、外国人が来なくなれば下がって当たり前。「上がった理由も外国人、下がった理由も外国人」なのである。それを忘れてはいけない。>( TITLE:世界経済の行方と日本の株価 / SAFETY JAPAN [大前 研一氏] / 日経BP社 DATE:2008/02/08 )
明らかにバブル経済と言わざるを得ない中国そしてインドの状況を見ていたりすると、急速な株価上昇をクールに観る必要も感じる。しかし、株価の "成長" を有力な経済指標とすることを目論んだはずのこの日本経済にとっては、やはりこの間の国による采配に "整合性" を欠くところが多い点に気づかされる。
グローバリズムの是非についてはおくとするが、現実に走っているグローバリズム金融にあっては、 "外国人投資家" たちをどう "集客" するのかに策は尽きるというのが、とりあえず内在的ロジックの流れのはずであろう。なのに、 "顧客" たちの心境を逆撫でしたり、不安がらせたりする気配に敏感でないのは、やはりまずかろう。 "やり方" がまずいという気がしないでもない。
大前氏は、 "信じられないような鎖国主義的発言" と述べているが、まさにそうした "表層レベル" での振る舞いが下手であるようにも思える。もし、国益につながる核心的課題があるならば、もっと実質的なところで "先手" を打っておくべきなのであろう。昨今の "外国人投資家" たちの中には、 "政府系ファンド" の動向も重要視されるようになっているのだから、法規制も含めて "先手先手" で基盤を固めて "お客さん" たちにあらかじめ公明正大に周知徹底させておけば、済む部分は済むはずなのだと思える。
"ドロナワ" 的対応、その際の "はらわた丸出し" 、さらには "ミス・タイミング" というような稚拙さが "お客さん" たちには嫌われる点なのではなかろうか。
"ミス・タイミング" と言えば、同様に深刻な経済問題が、国の施策自体によって引き起こされたとささやかれている。いわゆる "官製不況" (※)のことである。これにしても、実施時期が、サブプライムローン問題や原油高騰問題と "見事に重なる" 形でしか選択できなかったのかと訝しく思えるのである。
まして、建築基準法の全面改正を行った1998年の際には、今回の問題点はどう扱われていたのかが気になるわけだ。どこか、 "官" による "ドロナワ" 的対応と、その結果の "ミス・タイミング" が気になってならないのだ......。
※ <国内の住宅着工数が昨夏から激減している。これがGDP(国内総生産)を押し下げる主要因の一つになっているのだ。この現象の背景には、改正建築基準法の施行に伴う規制強化が関係しているという。官による法運用の厳格化や混乱などが、昨夏以降の建築不況を生み出しているというのだ>( Nikkei BP net 2008/02/5 時代を読む新語辞典 「官製不況」)
政治と官僚機構との関係で、もし後者に期待するものがあるとするならば、 "移ろい易い" 政治動向に対して、 "長期的、専門的" な視点で国策を立案できるという点ではなかろうか。それが官僚機構の存在意義なのだと思われる。が、残念ながら、現状の官僚機構はあまりにも "近視眼" 的であり、かつ "空気の読み損ね" が多過ぎるようだ...... (2008.02.12)
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