<「知る」こと> ⇔ <「感じること」> ......→ <「わかること」> ......

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 きっと今夜降り続くらしい降雪は、明日には大雪となっていることだろう。雨にでも変わらない限り、夜間に降り続く雪は溶けようがないだけに予断を許さない。
 今回もまた、クルマには前もってのチェーン装着に余念がなかった。天気予報に耳を傾け、そのまま信じるに足るかどうかを見極めた上で、どうも油断はできないと判断し、今回もまた事前に手当てしておくことにしたのである。
 別に、外出などの当てがあってのことではない。ただただ、何か急用が発生してから凍える冷たさの下であくせくしたくないだけのことなのだ。
 が、ものの見事に大雪になり始めると、 "ホーラ、ネッ" と事前準備をしたことに他愛無く自慢気となるからおかしい。これで、雪道を走らなければならないような用事でも発生しようものなら、ますます "ホーラ、ネッ、言わぬことじゃない" と胸を張ってしまうのであろうか......。
 ただ、今回は雪にこだわるもうひとつのワケがあった。先日の降雪で使用した従来からのチェーンがとうとう破損してしまい、結局新しいものを購入したのであった。その購入の際、当然、今年はまだ雪が降るのかどうかが気になった。が、自分の "勘" は、まだ二、三回、いや場合によっては三、四回は降るようだと結論づけたのだった。まともな根拠が決してあるわけではない。この異常気象環境ではそんなことがありそうだと感じただけの話なのであった。
 ところが、何をどう申し合わせてか、先週に引き続き土日の降雪となってしまった。しかも、ほぼ積雪は疑いようもない状況となったのである。 "ホーラ、ネ" と、言ってしまうわけなのである。もっとも、こんなことでその気になっていてどうするの? という自嘲の声も聞こえてはくる。

 ところで、 "勘" と言えば、もともとがこうしたことには人一倍興味を抱く自分である。知識に基づくロジカルな推論はもちろん重要視するが、ロジックを超えてというか、ロジックを担保するかのような "非ロジカル" な文脈とでもいうものを蔑視できない自分なのである。
 だから、知識、知識とまるで鬼の首を取ったかのように、知識や客観性を誇示し、何ら羞恥心を隠そうとしない人たちや光景には、やや違和感を感じたりもしている。羞恥心はともかく、 "100% 正しいとまではいいませんが......" くらいの謙虚さは示してほしいものだと思ったりするのである。

 <私は、しばらく前から、「知る」ことよりも、「感じること」のほうが大切なのではないか、「感じること」のほうが、裏切らないのではないかという思いを抱いている。世の中には、知っているつもりでいて、そのくせ十分に感じられていないことがたくさんあるのではないか、そんな気がしている>(茂木健一郎『生きて死ぬ私』2006.05.10 ちくま文庫)

 自分が茂木氏に興味を持つのは、最先端の "脳科学者" でありながら、 "クオリア" というテーマのような、近・現代科学の盲点に "正しくこだわっている" その真摯さというか、近・現代科学の喉元に "匕首" を宛がい続けている半端ではない根性に惹かれるからなのかもしれない。
 いや、まあこうした "人種" は、正統派の小説家にはめずらしくなさそうだが、知識や客観性の重視を飯の種にする学者、科学者が臆面なくこうしたテーマについて叙述するのは貴重であり、あの湯川秀樹氏以来ではないかとさえ思っている。

 この現代という時代の不思議さというのは、いろいろとあろうが、そのひとつは「知る」ことを "偏重" している点であろう。通りの良い言い方をすれば、 "知識偏重" ということになりそうだ。
 ちなみに、 "知識偏重" と言うと、その後に "道徳軽視" という言葉をつけたがる輩も多いが、それはいただけない。というのも、 "道徳" というものさえも "知識" のカテゴリーに仕分けられる "固定的観念" なのであって、「感じること」よりもいわば道徳律を「知る」という筋合いの精神活動でしかないはずである。もし、この辺のことを妥当に表現するならば、むしろ "倫理" と言うべきなのかもしれない。こちらには、個々人が生に「感じること」をベースにしようとするまともさがありそうである。
 それはともかく、 "知識偏重" はもはや単なる傾向なぞではなく、もはや一般常識となり切っているようだ。 "知識" に基づかないで発言する者は、 "歩行喫煙" と同様に罰金でも取られそうな風潮だとさえ言えよう。
 この "知識" 重視のすべてが悪だなぞと言うつもりはない。が、往々にしてこの風潮が足元で、「感じること」に対する評価を低めていそうな点が気になるわけなのである。

 また、「知る」ことというものは、「感じること」よりも "簡易処理" が可能である、その点がクセモノなのではないかと推測している。だからこそ、まともな教育ではなく "知識切り売り" という「知る」ことモードの "教育もどき" が一般化するのであろうし、「知る」ことのレイヤー(層)でコミュニケーションがを賄えると妄信するマス・メディアが闊歩しているのであろう。
 ただし、この風潮は、それをマクロに仕掛ける側だけに原因があるのではなく、知識の受け手である「知る」ことを進める個々人側にも問題がありそうだ。こちら側も、 "手抜き" 生活をしているのだと思われる。
 本来、「知る」こと、「感じること」などが何のために発動、起動するのかと考えると、それは差し当たって「わかること」なのではないかと言えるかと思う。図式的に言うならば、
<「知る」こと> ⇔ <「感じること」> ......→ <「わかること」>
と表現できそうだ。<「知る」こと>がきっかけとなり、<「感じること」>が発動、起動して、漸く<「わかること」>に至ったり、あるいは<「感じること」>がきっかけとなり、<「知る」こと>を媒介にして、漸く<「わかること」>に至ったりするというのが雛形なのではなかろうか。
 ところが、<「知る」こと>もそれを苦手とする者にとっては "厄介" なことなのかもしれないが、<「感じること」>やそれをそれとして試行錯誤の末に自覚するという "内的プロセス" は、もっと内的エネルギーを要するプロセスではないかと考えられる。その "内的プロセス" のことを、ひょっとしたら "悩む" と言うのかもしれないが、いずれにしても避けて通ろうとするプロセスであるように思えるのである。
 たとえ、自分なりのいわく言いがたい「感じること」があったとしても、それを<「感じること」>レイヤー(層)で温めることを避けてしまい、<「知る」こと>レイヤー(層)で調達した通りの良い知識で置き換えて、それですました顔をするというのが常識的スタイルであったりするのかもしれない。

 これでは事の真相をすべて素通りさせていることになる。しかし、<「知る」こと> "偏重" の風潮というものは、万事これで "すまし顔" をしているのである。
 これらが、<「感じること」のほうが大切なのではないか、「感じること」のほうが、裏切らないのではないか>という茂木氏の思いに、大いに共感を覚える理由なのである。また、現代という時代環境が背負っている人間間のコミュニケーションに関わる数多くの問題は、その手法がどうのこうのと言うレベルから、一見ナイーブ過ぎると受け取られるかもしれない<「知る」こと>、<「感じること」>と言ったテーマにまで、潔く遡る必然性があるのかもしれない...... (2008.02.09)













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