今、社内にあるPCなどのIT機器類の入れ替え作業を進めている。IT機器類は、かなりのハイエンドのものでも随分と低価格化が進んできた。この間、そうした新鋭機器類をそこそこ導入することができた。ということで、それらを導入すると、性能が低い機器類は、 "気の毒な感じ" ではあるのだが、嵩張って場所を占めるだけで、正直言って邪魔者扱いとならざるを得ない。
いや、そればかりか、廃棄するにもコストが掛かるご時世であるため、条件が揃った時には潔く処分してしまうしかないわけなのだ。
それにしても、いざ廃棄しようとなるとその物量の大きさに眼を見張ってしまう。
あっと言う間に性能が陳腐化してしまったPC本体や、ブラウン管方式のモニターなどがそれぞれ10台以上も廃棄対象となってしまったのである。
もともと、仕事柄、NECの98シリーズも活用したり、キープしておかなければならない状況があったこともひとつの理由で、そうした "化石" と化したような機器類も少なからず潜んでいたのである。
現に、しばらく前までは、顧客にリリースしたシステムの関係で、PCメーカがすでにサポートを打ち切った古い機器類を "ストック" しておかなければならない事情も存在していた。中古でもいいから、これこれのPCは手に入らないか、というような顧客からの切実な要望が存在したのであった。おそらくは、今後とて、同様の要望が無いとは言えなかろう。まして、経済情勢が下降気味のこんな環境であってみれば、顧客側とて、新システムの発注でコストが嵩む選択はしにくいであろう。現行システムを補修してでも、低コストで賄いたいと想像するのが順当かもしれないからである。
しかし、そうした要望に応えて行きたくはないと言うのではないが、それを引き受けて行くのは当方側としてもかなりリスキーであろう。また、顧客側にとっても、決してビジネス的に安定した選択とは言えないように思われる。
仮に、たまたまストックしてあった機器を提供させていただいたとしても、その機器がどこまで耐久性を持ち続けるのかは定かではない。しかも、メーカがサポートを打ち切った機器類は、その部品を入手することとてままならない状態となっている。時間とともに劣化が避けられない、いわば消耗品としてのPCの類は、その "代替製品" が無くなる状況というのを最大限警戒しなければならず、場合によっては致命的だと見なす必要もありそうではなかろうか。
ところで、当社社内に、古い世代の機器類がそこそこあり続けた原因は、そうした仕事の都合という点も確かにあったのだが、それに加えて、わたし自身の "性分" も大いに関係していたかもしれない。モノを大事にすると言えば聞こえはいいが、要するに、 "モノにこだわる" という "悪癖" が災いしていたのであろうか。モノ不足やモノの有り難さを感じて育ってきた団塊世代の特徴でもありそうか。
特に、PCショップ経営なんぞという経緯を持ったこともひとつの根拠となっているのかもしれない。PCのハードに馴染んだり、PCパーツにこだわる "オタク" たちと接したりしてきたりしたことで、一般の人よりもPCのハードに対する思い入れが強化されてしまったようなのである。
モノを大事に使って、さらに、不具合が生じたなら自らあれこれと工夫をして修理してしまうこと、これは今なお悪いことだとは考えられないでいる。むしろ、いろいろな意味で "資源枯渇" が叫ばれる折、こうした観点は保持されて然るべきではないかとさえ思っている。
しかし、それとは裏腹に痛感することは、やはり "コスト問題" なのである。手間を掛けて、古い世代の製品に愛着を持つことが、現状の経済状況にあっては、逆に "コスト高" となってしまうような傾向が無きにしもあらずである。そんな傾向を生み出して、 "資源のムダ使い" をしてどうなる! と叫んだところで、さほどの "有効性" があるとは思えないのが現状のようである。
まあ、釈然としない気分が渦巻いたままではあるが、来週には大量の古い機器類を、処分することになる。ウエットな表現をするならば、 "姥捨て山" へと向かわざるを得ない農夫の心境とでもいうことになりそうである...... (2008.02.08)
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