ウォーキングで汗をかいたのは久しぶりのことだ。風邪で体調を壊していたり、天候が不順であったりして、春の明るい陽射しの中を歩くのは何日ぶりであろうか。本当に気分が悪い時には、やはり一時間程度のウォーキングでさえも拒絶するような心境になってしまうということだ。
今日あたりは、 "さぁーて、出掛けるか......" といった気負い方に変わり、また、歩いている際にも春めいた光景のひとつひとつに目をやる余裕も生まれていた。
禁煙をすると、呼吸がラクになるというようなことがどこかの本に書いてあったかに覚えているが、まだそうした効果を期待するのは早過ぎるのかもしれない。しかし、二、三ヶ月も続けるならばきっと手応えのある効果が感じられるようになるはずである。それを楽しみに、タバコのことは黙殺するようにしたいと思っている。
一定のコースをウォーキングをしていると、コース周辺の景観の変化にいろいろと気づかされるものだ。これまで畑地であったところが急に "宅地造成" されたりする、というような変化である。
さほど長いコースではないにもかかわらず、何箇所もそうした現場を見てしまうとやや気になるといえば気になる。
というのも、畑地に盛り土をしての宅地造成というのは、よほど地下深くにコンクリートの基礎を打ち込まないと、後々深刻な建築問題を引き起こすと言われているからである。TVドキュメンタリーでも時々、そんな酷い建築の "被害者宅" が紹介されたりもしている。要するに、不規則な地盤沈下が発生して、家屋が信じられないように傾いてしまうのである。
長い間、畑地として使われていた箇所というのは、いくら盛り土をしてブルドーザーなどで整地をしたところで、急には宅地に適した地盤の固さになるものではなかろう。
ところが、結構、短期間に宅地造成と建築がこなされてしまっているような印象を受けるのである。少なくとも、自分がウォーキングの際にたまたま目にすることになった光景は、いずれも "短期間" の出来事のようである。
確かに、 "造成工法" として、コンクリートの長い杭を各所に打ち込みさえすれば、安定した地盤を確保したことになるのではあろう。しかし、それは同時にかなりのコスト高にもなるはずであろう。
造成された土地の状態が観察できる時から付き合った注文住宅であれば、そうした一連の事情も確認できるのであろうが、いわゆる "建て売り住宅" の形態だったりすると、目の前で輝く新築住宅の陰や過去に一体どんな事情が潜んでいたか、わかりようがないと思われる。こうなると、 "偽装" もへったくれもないことになる。
最近、いろいろな商品の "偽装" がマスコミを賑わしている。確かに、その原因の大半は、消費者を欺くたちの悪い業者たちの仕業であるに違いない。
しかし、今ひとつ気になるのは、消費者が簡単に騙されてしまうような、そんな仕組み自体が現存しているということなのではなかろうか。
"味" にせよ、 "毒物" にせよ、製造過程の "工法" にせよ、素人の消費者にはわからないことが多過ぎるのが現代である。そして、そこを代わって精査するのは、 "公的機関" ではないかと、改めて痛感するのである。
とすれば、 "偽装" の多発という風潮は、悪人が増えたというよりも、まともな役人が減ったということにはならないか...... (2008.03.22)
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