風邪気味で、相変わらずベスト・コンディションとは言えない状態だ。身体の方にさしたる変調はないが、風邪薬を飲んでいるせいか、やたらに眠気が伴い、気分がすっきりとしない。
それでも、今朝はウォーキングには出掛けた。それが身体にだるさがないことの良い証拠だと思われる。
今朝は、陽射しのある天候だったせいか、遊歩道で中高年のアマチュア・カメラマンを二人目にした。いずれも、300 mm 程度の嵩張った超望遠レンズをたどたどしく扱っていた。そいつは、例えるなら家庭にある魔法瓶程度の嵩であり、重量も同じくらいであろうか。何十万円もする高価なレンズなのである。
観光地などでも時々そうしたアマ・カメ(?)に遭遇する。概して中高年の世代のようである。そして、概して、その "高価で嵩張る道具" に振り回されている観があったりするのだ。
自分は所有していないが、さほど欲しいと考えたことはない。高価であることもさることながら、その性能や、それを使うことで得られる効果をそれほどに評価しないからであり、むしろ、そんなものを携えると扱い勝手に困ってしまいそうだと常々考えてしまうのである。
プロのスポーツ・カメラマンのように、スタジアムの報道関係者の席に陣取り、重く頑丈な三脚の上に大砲よろしく設えて、シャッターチャンスを窺うというのであれば話はわかる。また、池に飛来し、所定の枝などに止まることが周知の事実となっているそんなカワセミでも撮ろうと待ち構える野鳥カメラマンのケースも納得できる。
しかし、 "魔法瓶程度の嵩" のある望遠レンズをカメラに装着して、散策しながら野鳥などを狙おうというのは、如何にもムリがあり過ぎると思えた。買ってはみたものの、大事にし過ぎて、ほとんど活用せず、それでは気が済まないと思い、今日のような強い陽射しの休日に、比較的安全だと思える近所の遊歩道に持ち出してみた......、というような雰囲気がマル見えのように感じたのであった。
そこまで言っては失礼も度が過ぎるかもしれないが、だからねっ、そんなものを買うんじゃないの、と囁きたくもなるのである。
まあ、今朝のウォーキングの場合は、風邪気味ということもあり、いくら陽射しがつよかろうがカメラまで持ち出そうとはしなかった自分ではある。しかし、仮にそうしたとしても、自分なら散策しながらのショットの場合はできるだけ軽量のレンズを持参することになろう。超望遠の場合でも、筒の長いものは敬遠し、比較的軽くて扱い易い "反射鏡レンズ" の500 mm を携えるはずだ。野鳥などを撮る場合は、レンズの性能より何よりも、自身のアクションのスピィーディさが肝要であり、大砲のようなレンズに振り回されていたのでは、野鳥から "バーカ" と詰られるのが関の山となろう。
でもまあ、今朝のような春めいた陽射しとなると、人はみな、何でもできてしまいそうな、超望遠ならぬ超楽観的になってしまうのかもしれない。
二人の中高年の方々に、傲慢にもいろいろとアドバイスをして差し上げたい気持ちもないではなかったが、何となく鬱陶しい気分でもあった。なんせ、風邪気味で身体はしゃんとしていても、気分の方は今一、今二であったものだから...... (2008.03.01)
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