"タバコを止めて" ほぼ二ヶ月が経過しようとしている。 "禁煙" をして......と書こうとしたが、もう二ヶ月も経とうとしているのに "禁煙" でもなかろう、と思えた。
とは言うものの、 "禁断症状" こそは表れないものの、いつ再び吸い始めても不思議ではない妙な "喫煙渇望" は十分に残存していそうである。その意味では、未だに "禁煙" という言葉を使うのが妥当なのかもしれない。
ところで、 "タバコを止めて"みると、今ひとつ良い結果が実っているようでもある。大したことではないが、小銭の減り方、財布の中のカネの減り方が、やはり変わったという印象を持つ。今までならば、一日最低600円(300円×2箱)が "浪費" されていた。大した額ではないと言えばそうも言えるが、ふと気づいたことは、小銭入れの硬貨の減り方がこれまでとはやはり違う、という点だったのである。確かに、100円玉6個に相当する硬貨が "自動的に" 無くなるのとそうでないのとでは、やはり相応に異なるということになろう。
シビァに考えれば、一日当たり600円あれば、ゼイタクを言わないならばランチが賄えてしまうはずであろう。そう考えると、生活必需品でもなければ、健康に良いわけでもなく、ただ単に "税金の塊" でしかないものに自ら進んで "献金" するというのは何と愚かしいことかということなのである。
先日、風邪のために向かった病院の耳鼻科の医者も言っていたものである。その医者は、何でも周囲の人々に "禁煙" 運動を呼びかけているとのことであったが、身体に計り知れない害があるものを、政府が販売を認めて、税金を取っているのはいかにもヘンな話ではないかと、まくし立てていたものだった。
まあ、こうして "タバコを止めて" 、健康の敵から自由になり始めているわけだが、もう一つ、理解に苦しむ "税の支払い" からも自由になれたという思いについては、もっとしっかりと前向きで自覚してよいかと考えている。そうすれば、ますますもってタバコと、それに傾く傾向を残す自分とを蔑むことができそうだからである。
ところで、この辺の "実績" を踏まえて、 "禁煙" ならぬ "禁車" についても始めてみてはどうかと考えている。 "ガソリン税暫定税率" 問題で、わけのわからない行政対応が知らされてみると、 "わかった! じゃあ、ガソリンから金輪際、縁を切ろうじゃないか!" と啖呵を切ってもやりたくなるわけだ。政府と、そしてはた迷惑なことに精を出す先物原油ファンドの連中に対して...... (2008.04.29)
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