最近は、 "持続する......" という視点や切り口を耳にすることが多くなったように思う。最も頻度が高い言葉は、 "持続する経済(成長)" ということになるのだろうか。
ちなみに、この "持続する" という言葉をキーワードにしてGoogleのネット検索をしてみると、以下のようなサイト情報が飛び出してくる。
<持続するガム><持続する企業成長の秘密><"満腹感"を長く持続する素材><持続する急成長の秘密><吸引力が持続する紙パック式掃除機><熱が出る - 熱が持続する 主な症状から探す 家庭の医学><「持続する成長力」に向けて><楽しく持続する「ダイエットの技術」><セクシーな夫婦関係を持続するには><最大36時間効果が持続する※※治療薬><持続する未来を目指して><持続する循環社会><通商白書2006 『持続する成長力』に向けて>......
このまま、<持続する の検索結果 約 1,190,000 >を追いかけるほどヒマではないからやめよう。
言うまでもなく、 "持続する" が省みられたり、注目されたりするのは、そもそも "持続しにくい" 時代環境の広がりが跋扈(ばっこ)してきたからなのかもしれない。あるいは、もともと "持続する" べくもない事柄があって、そこに現代における人々の過剰な期待感や欲望だけが増大して意識させられている場合もあろうか。
やはり、現代のわれわれに最も強い印象を与えているのは、<持続する循環社会>ではないが、 "持続する(はずの)自然環境" が危機に瀕しているという緊急事態なのかもしれない。ここから、人々の意識に、 "持続する......" という視点や切り口が悲観的に刻印されているのかもしれない。
また、 "持続してきた経済成長" が破綻し、その影響で、企業経営が行き詰まったり、(終身)雇用慣行が破綻したりする痛々しい状況が、 "持続する......" という状態への切望感、渇望を掻き立てているとも言えそうだ。現代の社会経済は、 "持続" よりも "変化" をこそ選び取った観がありそうだ。
しかし、考えてみると、これだけサイエンスやITが飛躍的発展を遂げている現代において、こうした "持続する......" という状態への願望が、まるで歴史の過去における人々が生命の永続としての "不老長寿" に憧れたように、切なく意識されるというのもヘンと言えばヘンな話なのかもしれない。過去の時代に比べれば、現代のわれわれは、はるかに多くの "持続する" モノ群に取り囲まれて生活しているに違いないからである。
もっとも、苦痛さえもが "持続する" ような仕組みも発生させてしまい、それから逃避するかのようにみずから死を選ぶという人々の存在も視界に入ってくるご時世でもあるが......。
きっと、何が "持続する" べきであるのか、何を "持続させる" べきであるのか、その対象を選び損ねたのだろうと思われる。 "持続するもの" の象徴であり、お手本でもあったに違いない "自然環境" を、人為的に改造し過ぎたことが、 "持続する......" という視点に、今、われわれが囚われている原因なのかもしれない...... (2008.05.13)
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