考えてみると、今月に入り、まともに休日をとっていなかったようだ。それで今日は、それが "まともな休日" になるのかどうかはともかく、とりあえず頭の中の継続中の事柄をすべて "強制休止" とすることにした。ようするに、ボケーッとして過ごした。
身体の方は、幸い、ダルさで参るとかどうこうということはいっさいない。このところ多少、良質な睡眠がとれていないことで、幾分かの疲労感がないではない。しかし、問題は、 "脳や気分の疲れ" だということになりそうである。このまま、 "ON" の状態を続けていると、継続そのものは不可能ではないとしても、気分の磨耗、疲弊がすすみ、それに伴う脳活動の低迷が避けられなくなりそうかと、やや懸念したのだった。
自分は、どちらかと言うと "休息=リフレッシュ" が下手だと思っている。それが上手であれば、もっと生産的で、創造的なことをしてこれたのではないかと悔やむことさえある。
要するに、 "休息=リフレッシュ" の意義をきちんと理解してこなかったのかもしれない。とりわけ、メンタルな面でのその意義については結構乱暴に考えてきたのかもしれない。フィジカルな面での意義とて、バタンと倒れる寸前になって、疲労回復、疲労回復と泥縄的にバタバタする愚かしさだったかもしれない。
フィジカルな面での対応がそんなものだから、メンタルな面での "休息=リフレッシュ" なぞは、 "付録的な位置づけ" でしか考えられず、どちらかと言えば "贅沢品" の範疇だと見なしてきたのかも知れない。
しかし、実際、メンタルな面を司る脳の働きにとっては、 "休息=リフレッシュ" こそはそのパワーの一方での原動力だとされるほどに重要なものであるらしい。
この日誌にも、もう何度も書いてきたようだが、脳の働きというものは、当人が自覚する範囲内だけに限られるものではなさそうである。いや、脳内の観念群のより重要な "管理、整理" という働きなぞは、むしろ当人の自覚範囲の外、あるいは水面下でなされるようでさえある。
ヘンな例えをすれば、ウイスキーなどが人知れない樽の中で熟成するように、脳内の諸々の観念は、当人の自覚的思考が休止する睡眠時や、そして "休息=リフレッシュ" 時にこそ、自由奔放に "交際" し、そして "徒党を組む" ものであるのかも知れない。
それこそ、頭の中にしばらく "寝かせ続ける" 経緯を設定すると、夢の中でヒントを得たとか、何気ない無関係な行動の最中で閃いたというような経験をしたことは誰もがしているはずだ。
ということで、 "休息=リフレッシュ" というのは、単に電源をOFFにしてクーリングを行うだけのことではなさそうなのである。脳内に、カルチェラタンかどうかは別にしてちょっとした "解放区" (何なら "特別区" と言っても良いし、古風にも "出島"、"楽市楽座" と言っても可)を作り出す結果となり、生産的、創造的働きが推進される場合がある(無いこともある)ということになる。
そして、 "レジャー、遊び" という行動などが、こうした性格の "休息=リフレッシュ" の延長線上にあることは容易に了解されよう。さらに、 "芸術鑑賞" なども同じ線上にあるはずだろう。(だから鑑賞中に眠る人もいる?)
とにかく、ストレス症候群的症状にある現代人にとっては、これらは決して "付録的な位置づけ" の "贅沢品" なんかではなく、持続させなければならない日常生活の貴重な "必需品" となっているに違いない。
そして、われわれのストレスの強度が増すにつれて、 "休息=リフレッシュ" として期待されるものは、 "芸術鑑賞" のようなより濃度が濃いもの、相応の運動量が伴うスポーツ、そしてさながらストレス症候群患者の "転地療養" パックの観さえある海外旅行などへと人気が移動していくのであろうか。まあ、人それぞれだから何とも言えないか...... (2008.05.24)
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