この時季になると、スズメたちが騒がしい "子育て" 活動に入るようだ。
今日も朝から、事務所の近辺ではチュン、チュンと働き回っている様子である。そして、例によって、事務所入口の一角に "巣作り" をしているようで、その近辺を親鳥たちがあわただしく飛び交い、そして時々、その巣の奥の方から餌をねだるかわいいヒナの鳴き声が聞こえてきたりする。
昼食時のパンを一つまみ、その巣の近くの棚に置いてやった。先ほど、ちょいと覗きに行ってみると、気持ちよいほどきれいさっぱりと平らげていた。ヒナたちに与えたのか、それとも甲斐甲斐しく飛び回ってすっかりエネルギーを使い果たしているに違いない親鳥たちが空腹を満たしたのか、それはわからない。
確か、去年もおととしも同じような出来事があったかと記憶していた。振り返ってみると、以下のように書いていた。今年の親スズメたちが、去年、おととしと同一のスズメたちなのか、あるいはその子どもたちなのかはわからない。ちなみに、スズメたちの寿命は、普通は一年、長くても二、三年であるらしい。したがって、 "微妙なところ" だと思われる。
去年書いた分を読み直してみると、現時点の思いとまったく同様なので驚いている。したがって、 "再掲載" して意を深めることにした。
< 事務所の玄関を出入りするたびに、チュン、チュン、チュンとスズメの鳴声に気づく。以前にも書いた覚えがあるが、例によって、壁際の隙間に巣づくりをしているスズメたちの鳴声なのである。
人が玄関から表に出ると、巣の近辺から離れて、隣の家の庇へと身を隠す。しかし、気になると見えて遠くへと逃げるわけではなく、程近いところですましている。人間を警戒しつつも、ひな鳥も心配だというジレンマがあるのだろう。まるで巣のある箇所と当のスズメとが見えない糸で繋がっているかのような印象でさえある。
そんな印象も含めて、子育てに一生懸命である様子がひしひしと伝わってくるのだ。本能だと言ってしまえばそれまでのことであるが、その一生懸命さには微塵とも揺らぎがないかのようで、何か、自然が秘めた荘厳ささえ垣間見させる感じである。
どうも、二羽ほどが飛び交っているようで、父鳥、母鳥というところなのかもしれない。野鳥たちにもいろいろとあって、母鳥だけが育児に専念するものから、その逆もあるようで、スズメの場合はどうなのかわからないが、両親でひな鳥たちの餌の世話をしているのかもしれない。
スズメたちが、その巣に飛び込むところを未だ目撃できてはいない。何せ、彼らは精一杯に巣のある箇所を隠し通しているつもりだからである。だが、ひな鳥への餌を咥えてきていることはほぼ明白だと思われる。
巣を作っている箇所は、よくもそんな適切な箇所を探したものだと感心するような場所である。壁と、鉄製階段取り付け部分の空隙であり、やっとスズメたちがすり抜けられる狭さである。もちろん、猫の頭はもちろんのこと、熊手のような手首さえ思うようには入らないかもしれない。カラスとてちょっかいを出すのは無理であろう。それゆえに、天敵からの守りという点では非の打ち所がないわけである。
ところが、それだけかと言えばそうでもなさそうなのである。
ふと、親スズメたちはどんな「野戦場」からひな鳥たちへの餌を収集してくるのだろうかと想像してみたことがある。すると、自分なんぞが考える前に、命懸けのスズメたちはすでにしっかりと計画を練っていたふしがあるのだ。
事務所のすぐ隣には、民家のちょいと広い庭があり、そこには植木やら草花が植わっていて、当然、いわゆる虫たちも生息している様子なのである。それがひな鳥たちへの絶好の餌となることは言うまでもない。そのことに気がついて、なるほど、と思ったものであった。
スズメたちは、餌の捕獲場所と巣づくりの箇所との距離を考えたふしがありそうなのである。「職住近接」条件というか、「恵まれた子育て環境」というか、スズメたちはスズメたちなりに事前に検討したかのようである。
ちなみに、そうしてみると、あの玄関を出入りする人間たちは巣を取り払うような薄情者ではなさそうだという読みまでしていたのであろうか。そうだとしたならば、大した存在だということになる。>(2007.05.31)
こうして、同じことが延々と繰り返されていくのが、生き物たちの "命の連鎖" ということなのであろう。小ざかしさでその意味を問うよりも、何となく心和む気分に浸るだけで十分だという気がした...... (2008.06.19)
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