"技術的" な作業といっても大したことでもないのだが、ただ長時間に渡って集中できたことがとりあえず好ましく思えたのである。
このところ、時代環境や周囲の環境がざわつき、とかく気分さえも浮き足立った雰囲気に追い込まれがちであった。また、もとより加齢のためか集中力以前に根気が続かない状態になってしまったのではないかとの、多少の弱気も気にならないわけではなかった。
環境が浮き足立っている時にこそ、散漫となりがちな気分を引き締めて、できれば "一心不乱" で事に当たることがベストだと考えてきた。中途半端な力量しかない者が、いろいろな意味で "危機" だと称される状況にあって、まともに闘えるとするならば、集中力と粘りという攻め口しかないはずであろう。
だが、とかく現状のような環境は、人をして "浮き足立った" 姿勢へと押し流し、その挙句に "右往左往" としか言いようのない判断や行動を誘う。
こんな時代環境下にあっての自己防衛策としては、広く情報を求めるというありがちな方策よりも、やや語弊があるかもしれないが、 "深く沈潜、埋没し切ること" の方が良策なのではないかと感じている。
情報化時代ゆえに、こんな混乱時にはとりわけ無数の情報が飛び交い、情報は人々に正しい判断を促すというよりも、その何倍もの不安や疑心暗鬼の心境を誘発させているかのようである。
それというのも、この時期、情報を発信する側も "浮き足立って" "右往左往" しつつ情報らしきものを垂れ流しているように見えるからである。受け手側における不安などの心理的悪環境を見据えた上で、通常の状態に輪を掛けた粗製濫造した情報を振りまいてその場をしのいでいるのかもしれない。
しかも、人の心理の趨勢では、まともな判断材料としての情報をタテマエでは求めつつも、より不安を増大させるだけの情報により強く反応してしまう、という傾向もありそうである。週刊誌の類は、そうした大衆心理に付け込んで再生産されているのだと思われる。
そんなことで、混乱期にあっては、必ずしも旺盛な情報収集が功を奏するとは言い難いのではないかと思える。むしろ、自身の持てる力を遺憾なく発揮するために、自身のコンディションを万全にしておくことこそが重視されて然るべきなのではなかろうか。
そして、そのためには、先ずは散漫となりがちな意識を "集中" させたり、できれば "一意専心" 、 "一心不乱" となれるような対象を確保すること、そしてそこに "深く沈潜、埋没し切って" 、力を充実させることこそが良策ではないのかと思うのである。
この点は、混乱期だけにかかわらずどんな状況であっても妥当することでもあろうし、また個人の処世訓のみならず組織運営においても十分に当てはまることなのではなかろうか...... (2009.01.12)
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