朝一で電話が入り、近くまで来ているので寄らせてもらっていいか、ということなのであった。自分としては、良くないわけがなかった。
その方とは、一番最初に勤めた会社で一緒であり、その後、二つ目の会社でも縁がありお付き合いさせていただいたものだった。そして、非常に "誠実な方" であったので、現在の会社を設立した際には、 "監査役" としてのご協力までしていただいた。
名義上とはいうものの、他人の会社の役員になるということは、やはりリスキーなことであろう。それなのに、自分を信用してくれて快く応じていただいたのであった。
こちらとて、これまた名義上とはいうものの、人柄が知れない人に自社の役員となってもらうのは気が進まないが、彼はまさに "裏表" のない "誠実な方" であったため、安心してお願いしたのであった。
今のご時世では、警戒すべきいろいろなタイプの人がいるものだ。そして、最も多いのが、一見まともそうでありながら、実のところ "裏表" だらけでとても信用できたものではないタイプであるのかもしれない。
自分も、これまでに仕事関係でいろいろな人とお付き合いしてきたものだが、その中には、思い出すだに不快となるような食わせ者も存在した。最悪のケースは、数十万円の用立てを踏み倒された相手たちであろうか。振り返ってみれば、似たような被害をもたらした者が二人もいたことになるから、自分も随分と甘い人間だったと後悔する。
しかも、両者ともに、お付き合いしていた当時には、表面上は実に紳士的な印象を売り物にするタイプだったのである。要するに、人というものは "窮地に追い込まれた時" こそが問題なのであり、その時が分岐点となり真価を発揮したり、あるいは正体を現し馬脚を見せるものであるのかもしれない。まさしく、 "裏表" があるとかないとかというのは、そんな時にどうなのかという評価であるに違いなかろう。
前述の "誠実" な彼は、その点、当方側が困っている時の依頼に対して、快く応じてくれた点において "裏表" のないお人柄だと実証されたわけであるが、それ以前からも、実に "透明感" のある言動をされていた。見方によれば、そのあっけらかんとした "透明感" ある言動を悪く言う人もいないではなかったが、それは、良く効くクスリが持つわずかな副作用に不平を言うようなものであり、当を得た評価だとは思えない。
世の中には、本体の "毒素" を、相当に厚い "糖衣" で包んでカモフラージュしながら他者に多大な被害を及ぼす、といったとんでもない人間が多々いるし、次第に増加してもいそうである。
今日、自分は、その "裏表" のない彼とかなりの長時間にわたって旧交を温め、昼食をご一緒して、再会を期したのであった。彼は、とんだ長時間を潰させてしまったと詫びていたが、全然そんなことはなく、久々に心を許せる人と談笑できたことが正直、満足だったのである...... (2009.01.13)
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