それこそ、もはや "いい若い者" ではなくなってはいても、痛いの痒いの、なんぞと言ってご容赦いただけるご時世ではなくなっている時代環境である。だから、身体だけは万全でありたいと思っているところに、身体のどこかに妙な痛みを感じざるを得なかったりすると、がんばろうとする姿勢の足元を崩されるようで気にしてしまう。
今朝ほど、そんな妙な痛みを覚えていた。左下腹部に妙な鈍痛があり、何か異常があったら厄介なことだな、と心配させられた。案の定、そんなものを抱えながら仕事をしていたら、今一、気分が集中できずに幾分困ったことだ、と思っていた。
結局は、ほどなくその痛みは消えてしまったので安心したが、何がどうだったのかはわからない。以前に、 "尿管結石" を患ったことがあり、そういえばその時の痛みに似ていないこともなかったため、心して水を多く飲んだのが良かったのかもしれない。勝手な判断ではあったが......。
しかし、この時期は、事実、「どこが痛いのとかへそが痒いなんぞと言ってんじゃねぇ」と自分に言い聞かせてでも "死力を尽くす" 必要があると考えているだけに、 "身体の故障" だけは勘弁してもらいたいのである。
何年か前に、 "脊柱管狭窄症" とかの痛みで七転八倒したことがあり、運良くその痛みから解放された時、しみじみと思ったものであった。何の痛みもなく生活ができて、時間が過ごせるということはこれ以上の幸せはない、と......。
歳をとると、何らかの "身体の故障" と無縁でいられることはあり得ないのだから、そんなことに見舞われる前の "自由時間帯" こそを大いに活用すべきだ、と気づかされたのであった。
ただ、人間は "喉もと過ぎれば熱さ忘れる" ような愚かな存在でもある。どうかすれば、身体に何の痛みもないことを当然と感じ、そして、その幸運な状態を無為、自堕落な生活に当てて平気でいたりする。
今日あたり、ようやく "根を詰める" 作業スタンスが回復してきたような気配を感じていた。それというのも、遭遇する環境のシビァさをいよいよ実感で感じ始めているからなのかもしれない。確かに、日毎に "緊張感" が高まり、気分が引き締められている。
ただ、ストレスや "緊張感" というものは、あればあっただけよしというものではなく、それらがマイナス作用ばかりを増大させることも往々にしてある。現に、これまでは、いや今でもその傾向を無しとはしないのだが、沈鬱な気分に支配されがちであった。
だが、大げさに言えば、ようやく "臨戦態勢" とでもいうような心意気が立ち上がりつつありそうなのである。
冒頭の "暴言" 、「いい若い者が、どこが痛いのとかへそが痒いなんぞと言ってんじゃねぇ」の「いい若い者」に、少しづつ回帰しようとしているとまで言えば言い過ぎになってしまうが...... (2009.01.20)
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