今日も "休日返上" での出社だ。今日は仕事に関する来客のためやむを得ない事情だったと言える。天候が春めいていたこともあり、まあいいかという感触である。
昨今、ふと感じることは、自分だけでなく世の中のほとんどの人たちがいよいよ "不機嫌" になっていそうだということである。
逆に言えば、現在のような時代風潮の中で、ご機嫌だったり、明るく朗らかに振舞っている人がいるのかしら......、と思うくらいである。もちろん、営業的立場、職業的立場でそうせざるを得ないケースは除くことになる。
そうすると、誰も彼もが、 "針ねずみ" のような刺々しい雰囲気で他者と接しているのだろうか......、と想像してしまうのだ。
確か、こんなことは数年以上前の、小泉政権が欺瞞的に構造改革やグローバリズムの旗印を掲げ始めた頃にも書いた覚えがある。あの時以来、世相はメキメキと悪化し、人々は "過剰競争意識"、"言い知れぬ不安感"、"自己中心主義" などを強め、 "針ねずみ" へと姿を変えて行ったのではなかったかと振り返る。
昨今、ふと感じることは、自分だけでなく世の中のほとんどの人たちがいよいよ "不機嫌" になっていそうだということである。
逆に言えば、現在のような時代風潮の中で、ご機嫌だったり、明るく朗らかに振舞っている人がいるのかしら......、と思うくらいである。もちろん、営業的立場、職業的立場でそうせざるを得ないケースは除くことになる。
そうすると、誰も彼もが、 "針ねずみ" のような刺々しい雰囲気で他者と接しているのだろうか......、と想像してしまうのだ。
確か、こんなことは数年以上前の、小泉政権が欺瞞的に構造改革やグローバリズムの旗印を掲げ始めた頃にも書いた覚えがある。あの時以来、世相はメキメキと悪化し、人々は "過剰競争意識"、"言い知れぬ不安感"、"自己中心主義" などを強め、 "針ねずみ" へと姿を変えて行ったのではなかったかと振り返る。
こうした雰囲気を味わうのはそんなに難しいことではなかろう。ちょいとマイカーで都心部をドライブしてみればすぐさま実感できることだ。ドライバーたちのマナーはその片鱗も見えなくなってしまったようだ。
一頃、若いドライバーたちのスピード狂的アブナサが指摘されたりもした。依然とそれは変わらないと思えるが、昨今、目につくのは "白髪混じり" のドライバーが意外と猛スピードを出したり、交差点での信号の変わり目でムリな走行をしたりしている点なのである。この間、気にして観察してみるとそんな感想を持つことになった。
ヘンな推測をするならば、弱肉強食、倫理崩壊という現時点の "社会のメルトダウン的傾向" からもっとも直截な影響を被っているのは、誰あろう年配者なのではないかと感じさせられたりするのである。 "老人の暴走" という言葉が生まれたりもするご時世である。あながち、当てずっぽうではないのであろうか......。
表現を代えれば、現状の世相の "荒み" で計り知れないストレスを受けているのは、年配者なのかもしれない、ということになる。若い世代が受けるストレスも、これまた小さくはなかろうが、ひょっとしたら彼らには "免疫性" が備わっているのやも知れない。どうせ人の世なんてこんなものさ、という感覚を嫌という程に埋め込まれてきたのかも知れないと想像するわけだ。
それに対して、年配者たちは、ある意味ではこの国の一昔前の安定状態で、人の世のルールとか、人の情けとか、要するに規範意識やその感覚を埋め込まれてきたはずである。ところが、そうして埋め込んできた社会の現時点での状況は、あたかも "反転" してしまったか、あるいは "雲散霧消" してしまったかのような様相を呈している。
もともとが人間の "規範意識やその感覚" というものは、何らかの支えがなくて成り立つものとは思えない。社会全体なり、世間なりの現実自体がそれらを支えてこそ根付き続けるものとも言える。
ここに来て、まるでまともな社会というものが "全面的に溶解" してしまったかのような危機的な状態は、ひょっとしたらある部分の年配者たちの "規範意識やその感覚" を揺さぶり続けているのではないかという気がしてならない......。
"見放された" かのような年配者たちのうちの不幸な人々は、 "キレル" 言動に及ぶのかもしれないが、そうでなくとも "過剰ストレス" を抱えて生きた心地がしていないのかも知れない。そうした状況を冷静に社会変革へと導く社会的うねりが必須だと思われる...... (2009.03.07)
一頃、若いドライバーたちのスピード狂的アブナサが指摘されたりもした。依然とそれは変わらないと思えるが、昨今、目につくのは "白髪混じり" のドライバーが意外と猛スピードを出したり、交差点での信号の変わり目でムリな走行をしたりしている点なのである。この間、気にして観察してみるとそんな感想を持つことになった。
ヘンな推測をするならば、弱肉強食、倫理崩壊という現時点の "社会のメルトダウン的傾向" からもっとも直截な影響を被っているのは、誰あろう年配者なのではないかと感じさせられたりするのである。 "老人の暴走" という言葉が生まれたりもするご時世である。あながち、当てずっぽうではないのであろうか......。
表現を代えれば、現状の世相の "荒み" で計り知れないストレスを受けているのは、年配者なのかもしれない、ということになる。若い世代が受けるストレスも、これまた小さくはなかろうが、ひょっとしたら彼らには "免疫性" が備わっているのやも知れない。どうせ人の世なんてこんなものさ、という感覚を嫌という程に埋め込まれてきたのかも知れないと想像するわけだ。
それに対して、年配者たちは、ある意味ではこの国の一昔前の安定状態で、人の世のルールとか、人の情けとか、要するに規範意識やその感覚を埋め込まれてきたはずである。ところが、そうして埋め込んできた社会の現時点での状況は、あたかも "反転" してしまったか、あるいは "雲散霧消" してしまったかのような様相を呈している。
もともとが人間の "規範意識やその感覚" というものは、何らかの支えがなくて成り立つものとは思えない。社会全体なり、世間なりの現実自体がそれらを支えてこそ根付き続けるものとも言える。
ここに来て、まるでまともな社会というものが "全面的に溶解" してしまったかのような危機的な状態は、ひょっとしたらある部分の年配者たちの "規範意識やその感覚" を揺さぶり続けているのではないかという気がしてならない......。
"見放された" かのような年配者たちのうちの不幸な人々は、 "キレル" 言動に及ぶのかもしれないが、そうでなくとも "過剰ストレス" を抱えて生きた心地がしていないのかも知れない。そうした状況を冷静に社会変革へと導く社会的うねりが必須だと思われる...... (2009.03.07)
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