まるで騙まし討ちでも食らったような、そんな薄ら寒い天候となっている。自分はどうということもないのだが、一度は春めいた陽気に恵まれたものだから、植物にしても、また動物たちにしても面食らっているのではなかろうか。桜なぞが気の毒である。併せて、花見を当て込んでいた者たちもお気の毒ということになろうか。
今頃は子どもたちも、宿題の心配がない春休みのはずであろう。それに、高速道路料金の変更があり、ガソリン価格もひとまず落ち着いていたりするので、ドライブで遠出をしている家族もありそうだ。なおのこと、春めいた天候であったらみんな久々に癒されたであろうにと思ったりした。
自分はというと、相変わらずの休日出勤をしている。つい先ほどまで、黙々と "地味な作業" に埋没していたところだ。そうした "地味な作業" も、別の目ぼしい仕事の大事な前提となるだけに厭わずにこなしておこなければならない。ただ、こんなことをするために休日出勤をしているのか、と思うと多少いじけ気味とはなる。
今頃は子どもたちも、宿題の心配がない春休みのはずであろう。それに、高速道路料金の変更があり、ガソリン価格もひとまず落ち着いていたりするので、ドライブで遠出をしている家族もありそうだ。なおのこと、春めいた天候であったらみんな久々に癒されたであろうにと思ったりした。
自分はというと、相変わらずの休日出勤をしている。つい先ほどまで、黙々と "地味な作業" に埋没していたところだ。そうした "地味な作業" も、別の目ぼしい仕事の大事な前提となるだけに厭わずにこなしておこなければならない。ただ、こんなことをするために休日出勤をしているのか、と思うと多少いじけ気味とはなる。
今朝は、冷え込んだ朝であったが、いつも通りの時刻に起床し、機械的な雰囲気でウォーキングにも出かけた。この薄ら寒さではあったが、春に向けてひとたび活気づいた川の鯉たちは思いのほか元気な様子であった。撒いてやった餌は、先週同様に見る見るうちに捌けてしまったものだ。
自分は、一週間に二日のウォーキング時に鯉たちへの餌やりを続けているわけだが、どうも、自分と同じようにややまとめて餌やりをしている人はついぞ見かけない。公園の池の場合だと、訪れる家族連れなどがおせんべや菓子のお裾分けをしたりしているが、こうした何の変哲もない川であると惨めなものである。
してみると、川の鯉たちは、もっぱら自然と流れて来る餌とも言えないような浮遊物なんぞを口にして生き延びていそうである。結構、哀れな境遇のようである。
となると、食パンの耳の賽(さい)の目切りなんぞにありつくことは早々忘れ去れることではなかったりするのかも......。 "百年に一度の定額給付金" を、毎週もらうことにたとえられるのかもしれない。これもまたさもしい話ではあるが...... (2009.03.28)
自分は、一週間に二日のウォーキング時に鯉たちへの餌やりを続けているわけだが、どうも、自分と同じようにややまとめて餌やりをしている人はついぞ見かけない。公園の池の場合だと、訪れる家族連れなどがおせんべや菓子のお裾分けをしたりしているが、こうした何の変哲もない川であると惨めなものである。
してみると、川の鯉たちは、もっぱら自然と流れて来る餌とも言えないような浮遊物なんぞを口にして生き延びていそうである。結構、哀れな境遇のようである。
となると、食パンの耳の賽(さい)の目切りなんぞにありつくことは早々忘れ去れることではなかったりするのかも......。 "百年に一度の定額給付金" を、毎週もらうことにたとえられるのかもしれない。これもまたさもしい話ではあるが...... (2009.03.28)
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