いろいろな事で忙殺されている合い間をみながら、相変わらず "過去に制作したHP" を "XHTMLとCSS" という今風の手法での書き直しをしている。そうしていると、下手な解説書を精読するよりもはるかに実践的に力が付くような気がしている。
"SEO" に関心を向けて、 "ビジネスブログ" 制作に精通しようとして始めた一連の作業であった。しかし、元より "ブログ" 形式のシステムは、 "XHTMLとCSS" という方式を踏まえて構築されているわけである。だから、 "XHTMLとCSS" の手法を十分に使いこなすことが先決問題だと了解したのだが、同時にこの辺の知識や技量の習得というのはやっていて実におもしろい。
"SEO" に関心を向けて、 "ビジネスブログ" 制作に精通しようとして始めた一連の作業であった。しかし、元より "ブログ" 形式のシステムは、 "XHTMLとCSS" という方式を踏まえて構築されているわけである。だから、 "XHTMLとCSS" の手法を十分に使いこなすことが先決問題だと了解したのだが、同時にこの辺の知識や技量の習得というのはやっていて実におもしろい。
かつて、 "SGML,XML" という "データ記述言語" に首を突っ込んだことがあり、その時にもその規格というかルールが極めて厳格であることに驚きつつ、だから逆に曖昧さや誤解の余地なく "データ" を正確に活用できる、そんなシステムに感動したものであった。
"データや情報" というものは、自然に転がっているものではなく、人為的に妥当な形で定義してこそ意味のある "データや情報" となる。
人が限られた小さなコミュニティで生活し、そこで使用され続けてきた自然言語で大体のことは通じるような時代環境は、懐かしいけれどももはや現代には通用しない。
インターネット環境を梃子にしたグローバリゼーションがリアルな環境となってしまった現在にあっては、自然言語の差異を超えて世界中の人間が意思疎通できなければならなくなったわけだ。
こうした現代的要請に沿うかのごとく、いろいろな分野で "世界共通語" とでもいうような媒体が追求されてきたのであろう。まあ、現在では事実上 "イングリッシュ" がそれを担っているのかもしれないが、やはり自然言語である以上誤解の余地を払拭することはできない。
特に、意思疎通というジャンルに参画してくる者が、決して人間だけとは限られなくなったのが現代という時代の大きな特徴であろう。つまり、コンピュータという情報処理機器が今や重大な参画者となっているからだ。
したがって、人間同士の間で発生する誤解に配慮するだけでなく、コンピュータによる認識力をも考慮しなければならないわけだ。その巨大な処理能力のことを想定するならば、むしろこの分野こそ細心に配慮しなければならないはずであろう。
端折った言い方をするならば、こうした現代的な事情から "XML" という "データ記述言語" が考案されたのだと理解している。
そして、この "XML" の発想がウェブシステム上で展開されたのが "XHTML" というウェブのスクリプト言語だということになる。この言語の大きな特徴は、物事の "要素" とそれらによって構成される "構造" というものを明確にすることにありそうだ。
とかく、物事には "飾り、体裁" というようなものが付着して、場合によってはそれらが実態としての "要素" や "構造" の姿を曇らせてしまいがちである。
そこで、文章記述に関わるさまざまな "飾り、体裁" と、文章自体の "要素" や "構造" とを可能な限り分けて取り扱い、前者については "CSS(Cascading Style Sheets)という手法を使って別個に行い、後者については "XHTML" という形で表現するという、そんな対処法が一般化し始めたということになる。
こう書いても、特にウェブ関係に携わっていない一般の人にとっては、その重要度どころか、その意義さえよくわからないというのが実情だろうとは思う。
ただ、生活感覚的には、現代のように "飾り、体裁" ばかりが一人歩きして、 "曖昧さ" と "ごまかし" の世相を生み出している時、この発想法が妙に新鮮に思えるのである...... (2009.05.27)
"データや情報" というものは、自然に転がっているものではなく、人為的に妥当な形で定義してこそ意味のある "データや情報" となる。
人が限られた小さなコミュニティで生活し、そこで使用され続けてきた自然言語で大体のことは通じるような時代環境は、懐かしいけれどももはや現代には通用しない。
インターネット環境を梃子にしたグローバリゼーションがリアルな環境となってしまった現在にあっては、自然言語の差異を超えて世界中の人間が意思疎通できなければならなくなったわけだ。
こうした現代的要請に沿うかのごとく、いろいろな分野で "世界共通語" とでもいうような媒体が追求されてきたのであろう。まあ、現在では事実上 "イングリッシュ" がそれを担っているのかもしれないが、やはり自然言語である以上誤解の余地を払拭することはできない。
特に、意思疎通というジャンルに参画してくる者が、決して人間だけとは限られなくなったのが現代という時代の大きな特徴であろう。つまり、コンピュータという情報処理機器が今や重大な参画者となっているからだ。
したがって、人間同士の間で発生する誤解に配慮するだけでなく、コンピュータによる認識力をも考慮しなければならないわけだ。その巨大な処理能力のことを想定するならば、むしろこの分野こそ細心に配慮しなければならないはずであろう。
端折った言い方をするならば、こうした現代的な事情から "XML" という "データ記述言語" が考案されたのだと理解している。
そして、この "XML" の発想がウェブシステム上で展開されたのが "XHTML" というウェブのスクリプト言語だということになる。この言語の大きな特徴は、物事の "要素" とそれらによって構成される "構造" というものを明確にすることにありそうだ。
とかく、物事には "飾り、体裁" というようなものが付着して、場合によってはそれらが実態としての "要素" や "構造" の姿を曇らせてしまいがちである。
そこで、文章記述に関わるさまざまな "飾り、体裁" と、文章自体の "要素" や "構造" とを可能な限り分けて取り扱い、前者については "CSS(Cascading Style Sheets)という手法を使って別個に行い、後者については "XHTML" という形で表現するという、そんな対処法が一般化し始めたということになる。
こう書いても、特にウェブ関係に携わっていない一般の人にとっては、その重要度どころか、その意義さえよくわからないというのが実情だろうとは思う。
ただ、生活感覚的には、現代のように "飾り、体裁" ばかりが一人歩きして、 "曖昧さ" と "ごまかし" の世相を生み出している時、この発想法が妙に新鮮に思えるのである...... (2009.05.27)
コメントする