もはやまったくと言ってよいほどに株式には関心が薄れてしまっている。どうせろくなことにはなりそうもないとの見切りもある。が、何よりも、この間の "世界的金融危機" を100年に一度とかの教訓とするには、すべからく距離を置く必要が絶対にあると考えるからであろう。
しかし、世の "懲りない面々" は、どうもそうでもなさそうだ。このところ、実体経済とはかけ離れてこけおどし的に上昇を続けている株式市場を見るとはなく見ているとそんなふうに感じる。
"リスクマネー" が再び蠢き出したとの観測もある。一般投資家たちを巻き込むための "バンドワゴン" だと言う人もいる。どちらにしても、しこたま負け込んだ機関投資家どもが、このままで下がるわけには行かないとばかりに、誰かにどこかに、 "ばば" を引かせるべく企み、蠢いているに違いなかろう。
しかし、世の "懲りない面々" は、どうもそうでもなさそうだ。このところ、実体経済とはかけ離れてこけおどし的に上昇を続けている株式市場を見るとはなく見ているとそんなふうに感じる。
"リスクマネー" が再び蠢き出したとの観測もある。一般投資家たちを巻き込むための "バンドワゴン" だと言う人もいる。どちらにしても、しこたま負け込んだ機関投資家どもが、このままで下がるわけには行かないとばかりに、誰かにどこかに、 "ばば" を引かせるべく企み、蠢いているに違いなかろう。
だが、冷静に考えると、そんな悪循環こそはそうした環境にはまり込んだ存在を捉えて放さない原動力ではなかったのかと思う。 "濡れ手で粟" に象徴される "リスクマネー" というものは、一度動き始めたら、外発的に強制的に阻止されるまでは、転がり続けるのが定めだとも言われている。アル中と変わらないようだ。
そりゃそうだろうという気もしないではない。何億、何百億という数字が脳裏に焼きついていたならば、現在のビジネス状況でのチマチマした数字なぞに馴染めるわけがなさそうである。しかも、そうした桁の "損失" で身が疼いているならば、真っ当な世界に新たに踏み出すことよりも、たとえこれまでにないリスキーさではあっても、 "古巣" に舞い戻って勝負とやらをしようとするのであろう。一発逆転を夢想しているのであろうが、そんなことがますます起こりにくくなっているのがこの時代の最大の特徴であろう。
そう考えると、この時代環境には、スーツで身を固めた "ほとんどビョーキ" の人種がうようよと彷徨っているイメージが彷彿と立ち上がってくる。
そして "懲りない面々" たちというものはいつもそうでありそうだが、合法的なリスクに不感症となるにしたがって、やがて "塀" の内と外とが一瞬で決まってしまうような、まさにリスキーな隘路を歩み始めるのであろう。
すでに、この時代の底辺(だけでもなさそうだが......)ではありとあらゆる種類のマネー犯罪が横行していて、 "塀" の内と外との境も不明瞭(ボーダレス?)となった風潮が醸成されていそうだ。
要するに、 "上" を見ても "下" を見ても、マネーに関する "ほとんどビョーキ" の人種が厚い層を形作っているということなのであろうか。言ってみれば、 "豚インフル" の騒ぎ以前に、 "マネー狂いの重篤患者" の "パンデミックフルー" 状態が立ち上がってしまっているわけなのだろう。
しかも、この "パンデミック" には、 "免疫対策" がなさそうなのが恐ろしいところかもしれない。たぶん、 "免疫対策" が奏功してゆくためには、生存を脅かす市場経済万能主義を後退させ、社会福祉体制の確立をじわじわと進める以外に手はなさそうだ。
しかし、時の政府によるそんな方向判断は期待すべくもなかろう。
一方で "桁外れのカネ余り現象" を助長し、他方で "ワーキングプア" を沈殿させて行く、その社会構造自体が、全社会の "犯罪化" を色濃くさせていると考えるのは的外れであろうか...... (2009.06.08)
そりゃそうだろうという気もしないではない。何億、何百億という数字が脳裏に焼きついていたならば、現在のビジネス状況でのチマチマした数字なぞに馴染めるわけがなさそうである。しかも、そうした桁の "損失" で身が疼いているならば、真っ当な世界に新たに踏み出すことよりも、たとえこれまでにないリスキーさではあっても、 "古巣" に舞い戻って勝負とやらをしようとするのであろう。一発逆転を夢想しているのであろうが、そんなことがますます起こりにくくなっているのがこの時代の最大の特徴であろう。
そう考えると、この時代環境には、スーツで身を固めた "ほとんどビョーキ" の人種がうようよと彷徨っているイメージが彷彿と立ち上がってくる。
そして "懲りない面々" たちというものはいつもそうでありそうだが、合法的なリスクに不感症となるにしたがって、やがて "塀" の内と外とが一瞬で決まってしまうような、まさにリスキーな隘路を歩み始めるのであろう。
すでに、この時代の底辺(だけでもなさそうだが......)ではありとあらゆる種類のマネー犯罪が横行していて、 "塀" の内と外との境も不明瞭(ボーダレス?)となった風潮が醸成されていそうだ。
要するに、 "上" を見ても "下" を見ても、マネーに関する "ほとんどビョーキ" の人種が厚い層を形作っているということなのであろうか。言ってみれば、 "豚インフル" の騒ぎ以前に、 "マネー狂いの重篤患者" の "パンデミックフルー" 状態が立ち上がってしまっているわけなのだろう。
しかも、この "パンデミック" には、 "免疫対策" がなさそうなのが恐ろしいところかもしれない。たぶん、 "免疫対策" が奏功してゆくためには、生存を脅かす市場経済万能主義を後退させ、社会福祉体制の確立をじわじわと進める以外に手はなさそうだ。
しかし、時の政府によるそんな方向判断は期待すべくもなかろう。
一方で "桁外れのカネ余り現象" を助長し、他方で "ワーキングプア" を沈殿させて行く、その社会構造自体が、全社会の "犯罪化" を色濃くさせていると考えるのは的外れであろうか...... (2009.06.08)
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