今に始まったことではないが、毎日のニュース報道で悲惨な事件が絶えない。どんな事情があるのか推し量ることはできないにしても、どうして "もう一度やり直す" という選択ができなかったのかと悔やまれてならない。
たぶん、この "もう一度やり直す" という選択を困難にさせている事情こそが最大の "下手人" なのであろう。
"この事情" は、個人側の内面と社会環境側との両面にいつしか "蔓延る" ことになった現代特有なものなのであろうか。
いや、どちらかと言えば、この時代の社会環境側の "非寛容さ" にまず目が向けられてよいのかもしれない。しかる後に、あまりにも "折れ易く" なってしまった個人側の内面の事情が問題視されるという、そんな順序が妥当なように思える。
たぶん、この "もう一度やり直す" という選択を困難にさせている事情こそが最大の "下手人" なのであろう。
"この事情" は、個人側の内面と社会環境側との両面にいつしか "蔓延る" ことになった現代特有なものなのであろうか。
いや、どちらかと言えば、この時代の社会環境側の "非寛容さ" にまず目が向けられてよいのかもしれない。しかる後に、あまりにも "折れ易く" なってしまった個人側の内面の事情が問題視されるという、そんな順序が妥当なように思える。
"セーフティネット" がどうのこうのと話題に上ったこともあった。だが、先進国における生存権という基本的概念や、社会福祉というこれまた第一義的な概念がまともな市民権を得ないような野蛮国ならではの話題のされ方ではなかったか。
そう言えば、先日の国会での "党首討論" 時に、麻生首相が社会福祉を口にしつつも、それよりも財源問題が優先されるべきとの発言をしていた。鳩山民主党代表は、人の命よりも財源問題を重視する水準の姿勢をすかさず衝いていたものだ。鳩山氏が引き合いに出したように、この先進国日本では、一日100人以上の自殺者が生じ、これが10年も続くという国際的にも "恥ずべき緊急事態" なのだ。
もしもである、時の政府が本当に財源問題を重視するのであれば、もっと視野を広げ、大きなパースペクティブでものを考えるべきであろう。目先の社会福祉処遇をお粗末なままにしておくならば、必ず近い将来に財政出費が嵩むだけだという、そんな道理に気づけないのが情けなくてならない。
現在、生活保護世帯数もうなぎ上りになっていると聞く。たぶん、この対策費用は、弱肉強食経済によって勤労世帯が貧困層へと下降してゆく傾向を食い止める事前策を講じる費用と比べれば、比較にならないほどに財政圧迫を招いているはずである。
話は変わるが、先頃唐突感さえあるほどに "メタボリック症候群" 退治を政府側が躍起になって推進してきた。これは、要するに "成人病" 人口が増えるならば、今後の医療財政がさらに逼迫するであろうから、その "事前対策" をコスト安で始めている "道理" だと見なせる。これはこれで "正解" のはずである。
だったら、押しなべてこの "道理" を徹底すべきなのである。将来負担の増大を避けるべく、相対的コスト安の事前対策を "賢く" 打つクールさこそを、 "責任政党" を自称する政府ならば目指さなければいけない。当面の財源難だけに拘泥する発想というものは、要するに国家国民のことを本当には考えてはいない証拠だと言ってみたい。
だから、弱肉強食の経済を加速させるに過ぎない "構造改革" 風潮を往なすべきだったのであって、派遣法を改悪して不安定な雇用の派遣を増産するような舵取りなぞはすべきではなかったのである。まあ、 "後ろ盾" の大企業から、 "国際競争力強化" のために、安い人件費の労働力確保を応援してくれと言われたら応じてしまうのが、時の政府の "道理" だったのかもしれないが......。
政治を司る者たちは、自分たちの党派だけが "もう一度やり直す" チャンスを得ようとしてあくせくするのはみっともないことこの上ない。まして、いつまでもタナボタの "敵失" 発生を待ち望み、往生際の悪さを曝け出していたのでは、国民は立つ瀬がないと言うべきだ。
残念ながら今の政府にとって、国民に生き抜く勇気を与えられる唯一の選択があるとすれば、もはやたったひとつしか残っていないことを率直に認めるべきであろう...... (2009.06.21)
そう言えば、先日の国会での "党首討論" 時に、麻生首相が社会福祉を口にしつつも、それよりも財源問題が優先されるべきとの発言をしていた。鳩山民主党代表は、人の命よりも財源問題を重視する水準の姿勢をすかさず衝いていたものだ。鳩山氏が引き合いに出したように、この先進国日本では、一日100人以上の自殺者が生じ、これが10年も続くという国際的にも "恥ずべき緊急事態" なのだ。
もしもである、時の政府が本当に財源問題を重視するのであれば、もっと視野を広げ、大きなパースペクティブでものを考えるべきであろう。目先の社会福祉処遇をお粗末なままにしておくならば、必ず近い将来に財政出費が嵩むだけだという、そんな道理に気づけないのが情けなくてならない。
現在、生活保護世帯数もうなぎ上りになっていると聞く。たぶん、この対策費用は、弱肉強食経済によって勤労世帯が貧困層へと下降してゆく傾向を食い止める事前策を講じる費用と比べれば、比較にならないほどに財政圧迫を招いているはずである。
話は変わるが、先頃唐突感さえあるほどに "メタボリック症候群" 退治を政府側が躍起になって推進してきた。これは、要するに "成人病" 人口が増えるならば、今後の医療財政がさらに逼迫するであろうから、その "事前対策" をコスト安で始めている "道理" だと見なせる。これはこれで "正解" のはずである。
だったら、押しなべてこの "道理" を徹底すべきなのである。将来負担の増大を避けるべく、相対的コスト安の事前対策を "賢く" 打つクールさこそを、 "責任政党" を自称する政府ならば目指さなければいけない。当面の財源難だけに拘泥する発想というものは、要するに国家国民のことを本当には考えてはいない証拠だと言ってみたい。
だから、弱肉強食の経済を加速させるに過ぎない "構造改革" 風潮を往なすべきだったのであって、派遣法を改悪して不安定な雇用の派遣を増産するような舵取りなぞはすべきではなかったのである。まあ、 "後ろ盾" の大企業から、 "国際競争力強化" のために、安い人件費の労働力確保を応援してくれと言われたら応じてしまうのが、時の政府の "道理" だったのかもしれないが......。
政治を司る者たちは、自分たちの党派だけが "もう一度やり直す" チャンスを得ようとしてあくせくするのはみっともないことこの上ない。まして、いつまでもタナボタの "敵失" 発生を待ち望み、往生際の悪さを曝け出していたのでは、国民は立つ瀬がないと言うべきだ。
残念ながら今の政府にとって、国民に生き抜く勇気を与えられる唯一の選択があるとすれば、もはやたったひとつしか残っていないことを率直に認めるべきであろう...... (2009.06.21)
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