まあぁ、今日も一日汗だくだくで過ごすことになった。思えば、7月の暑さに身体じゅうで "対抗" したのは何年ぶり、いや何十年ぶりであろうか。
振り返ると、7月、8月という夏場の時季は、長い期間、デスクワークという名のもとに直の暑さを回避し続けてきていたはずだ。だから、ウォーキングなどでかく汗を除けばろくな汗をかかなかった。
まして、全身の筋肉がけだるくなるほどの作業による汗なぞはすっかり忘れてしまっていた。それが今年はどうだ。よんどころない事情があってのこととは言いながら、すでに大汗をかくはめとなっているし、たぶん、この夏中はこんな状況が続きそうな気がしないでもない。
ならばこの波に乗って、この際、なまり切ったこの身体を "鍛えて" もいいのかとも考えたりする。いや、 "鍛える" というのは大袈裟であろう。
ある人に言わせると、相応の歳を過ぎるともはや身体を "鍛える" ということはあり得ず、ムリをすればただただ身体が傷むだけだそうである。だから、ほどほどに "慣らす" というのが正解なのだろう。
確かに、身体にせよ気分にせよ、 "慣らす" という点になると結構いけそうな感じがしている。
振り返ると、7月、8月という夏場の時季は、長い期間、デスクワークという名のもとに直の暑さを回避し続けてきていたはずだ。だから、ウォーキングなどでかく汗を除けばろくな汗をかかなかった。
まして、全身の筋肉がけだるくなるほどの作業による汗なぞはすっかり忘れてしまっていた。それが今年はどうだ。よんどころない事情があってのこととは言いながら、すでに大汗をかくはめとなっているし、たぶん、この夏中はこんな状況が続きそうな気がしないでもない。
ならばこの波に乗って、この際、なまり切ったこの身体を "鍛えて" もいいのかとも考えたりする。いや、 "鍛える" というのは大袈裟であろう。
ある人に言わせると、相応の歳を過ぎるともはや身体を "鍛える" ということはあり得ず、ムリをすればただただ身体が傷むだけだそうである。だから、ほどほどに "慣らす" というのが正解なのだろう。
確かに、身体にせよ気分にせよ、 "慣らす" という点になると結構いけそうな感じがしている。
この間、実感として思うことは、億劫なことも "口火を切って" しまうと後は "慣れ" というものがそこそこ働いて抵抗感が往なされるようだ。
片付け作業というものを長らく億劫だと思い続けてきた自分であるが、その億劫さの "口火を切って" 始めてしまうと、まずまずできるものだ。問題は、億劫さという重い腰をどう上げさせるのか、という一点に掛かっていそうな感じである。
人間の気分や、そしてもちろん身体というものは、それなりに従順であり、そういうものだと自覚させればさほどの抵抗感がなく追随してくるもののようである。
そんな点では、 "意識" の方が意外とガンコだったりするのかもしれない。
ただ、 "意識" についても、冷静な "論理思考" で臨むならば次第に落ち着くところに落ち着くようではある。いわゆる "論理療法" という興味深い "心理療法" はその道理を踏まえているとかだそうだ...... (2009.07.10)
片付け作業というものを長らく億劫だと思い続けてきた自分であるが、その億劫さの "口火を切って" 始めてしまうと、まずまずできるものだ。問題は、億劫さという重い腰をどう上げさせるのか、という一点に掛かっていそうな感じである。
人間の気分や、そしてもちろん身体というものは、それなりに従順であり、そういうものだと自覚させればさほどの抵抗感がなく追随してくるもののようである。
そんな点では、 "意識" の方が意外とガンコだったりするのかもしれない。
ただ、 "意識" についても、冷静な "論理思考" で臨むならば次第に落ち着くところに落ち着くようではある。いわゆる "論理療法" という興味深い "心理療法" はその道理を踏まえているとかだそうだ...... (2009.07.10)
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