現在、"言語力"の低下問題が、人気スポーツのサッカー・トレーニングでも注目され、 "戦力強化" のために<言語力の育成>が課題視され始めていることを、一昨日書いた。
TVの報道関連番組、<「"言語力"が危ない~衰える 話す書く力~」/NHK『クローズアップ現代』NO.2822/2009.11.25>が興味深く伝えていたのである。扱われたテーマは、蔑(ないがし)ろにできない重要な課題だと思えるので、再度、取り上げておこうかと思う。
もとより、この問題は、スポーツのジャンル以前に、現在のわれわれの日常生活上の広範囲の分野で懸念されている問題だと思われる。
上記番組はなかなか良くできていたので思い出せるかぎり振り返ってみると、つぎのようになろうか。
TVの報道関連番組、<「"言語力"が危ない~衰える 話す書く力~」/NHK『クローズアップ現代』NO.2822/2009.11.25>が興味深く伝えていたのである。扱われたテーマは、蔑(ないがし)ろにできない重要な課題だと思えるので、再度、取り上げておこうかと思う。
もとより、この問題は、スポーツのジャンル以前に、現在のわれわれの日常生活上の広範囲の分野で懸念されている問題だと思われる。
上記番組はなかなか良くできていたので思い出せるかぎり振り返ってみると、つぎのようになろうか。
<"言語力"とは、口の道具と言われる言葉を操り論理的に考えてそれを第三者に伝える力だ。欧米各国では学力を測る物差しとされてもいる。しかし、現在の日本では、言語力が低下し面接で話ができない、きちんと作文が書けないという事態が起きている。>
<模擬面接では、あらかじめ準備したことは話せても、 "想定外の質問" をされると答えられないようだ。>
<関係団体へのアンケート調査の結果から見える「若手社員の問題」
1位 読書や考える力 53% 報告書が書けない!
2位 主体性 51%
3位 コミュニケーション能力 46% >
<企業がコミュニケーション力を重視するようになってきた中で、大学生たちの言語力の低下は著しい。>
<言語力が低下している背景、なぜ自分の考えを整理して論理的に伝えられないのか>
<子どもたちは、言いたいことを断片的にしか言葉にできない。例えば、のどが渇いてジュースが飲みたいときにも、「ジュース!」としか言わない。「どうして?」と聞いてやるべき。
子供の時に交わした会話の量が少な過ぎるのか......。
会話で質問に答える経験を重ねることで、10歳ごろから子供は筋道を立てて考えを整理できるようになるものだ。>
<全般的に、今、社会では会話する機会が減ってきている。
・毎日そろって夕食をとる家族30年間で 30%減少(厚生労働省 1976年比)
・朝食を一人で食べる中学生 42%(文部科学省 2005年度)
そして、多くの若者たちが会話の経験に乏しく、それが言語力の低下につながっている。会話が少ないと、自分の思いを伝える練習の機会に恵まれない。情報を集めて整理して、的確に言葉にすることができなくなる。>
<別の問題として、国語の授業で、最近進学してくる新入生の中に、作文が正しく書けない生徒が目立つという問題も浮上している。
[例 1]
「僕がこの本を選んだのは、目次です。」
※ 本来は、「僕がこの本を選んだ理由は、目次を見て面白そうだと思ったからです。」であり、理由を説明する部分が欠落している。
[例 2]
「僕が一番に思ったのは、西洋のクリスマスというのは、僕がクリスマスを特別に考えている方ではないし、日本人のほとんどがそうだと思います。」
※ 論理を練りあげず言いたいことを思いつくままに並べている。話言葉がどんどん文章の中に入り込んでくる傾向がある。単語で返事をしたら全部気持ちが通じあうという生活世界があって、それと同じ感覚で文章を書いても伝わるという考え方なのか。
これに拍車をかけているのが、「携帯メールの普及」だと見る専門家もいる。(メールでは、)部分を作るときにも非常に短い文になり、文章を作るときも細切れの文を重ねることになる。文と文の関係がどうなっているのか意識的に考えて推こうするところが省略される、などからではないか......。>
<(こうした問題への「新たな試み」として、)
○ サッカー選手たちの "自分の考えを論理立てて説明する訓練=選手たちの意識改革" の例。( c.f. 当日誌 2009.11.27)
○ ある小学校での、 "サークルタイム(毎回テーマを決めて自分の意見を発表)" という授業。先に結論を言いその後に「なぜなら」をつけて理由を述べることを子供たちは教えられる。「なぜなら」の訓練→「考えの整理」→「文章化」という段階的教育。>
<(では、どうすればよいのか)
小さい子供が自分の考えを述べる場が不足していることが問題。
小学生たちの言葉によるいじめにしても、人間関係が言葉を使って構築されるということを子供たちが知らないでいるからであり、小学校では言葉を通じた実体験を是非とも豊かに進める必要あり。
親が子どもたちの言語力を育んでいく上では、親自身が言葉を大切にする姿を見せる、子供の話をよく聞く、子供によく話させる、自分の言いたいことを言わせる努力を。
子どもたちが論理的に考えると、理屈っぽいと言われがちな傾向も問題。むしろ、ほめるべき。
親や教師は、子供達を一人の人間として対等に扱うこと。
どうしても正解を求める傾向が強いことも問題。間違っていても、自分の考えを言って聞いてもらえるという環境が話す意欲を生むことになる。話す意欲が持てないでいるのは大人の責任。
大人達の訓練、意識すべきこととしては、言わなくても分かってもらえるという従来の状況から、グローバリズムの中でいろいろな違う人たちが一緒に暮らすという環境に大きく変わったことを認識し、人に丁寧に説明することを意識的にやっていくこと。初めに言葉ありき。
言葉を軽んじる傾向、言葉をスキル・技術だと考える浅い認識傾向を改め、言葉は人間そのもの、人間の思想の根幹だと見なすべき。>
要点のみを端折って書き上げてみたが、自分が日頃気にかけていた事柄と重なる部分が少なくなかった、のが実感であった。
この日本社会は、 "デフレ・スパイラル" 傾向といった悲惨な経済情勢も抱えてまさに抜き差しならない状況である。が、深刻なのは、経済問題だけではなく、 "文化問題" にしても、かなりの憂慮すべき事態に至っているのかもしれない...... (2009.11.29)
<模擬面接では、あらかじめ準備したことは話せても、 "想定外の質問" をされると答えられないようだ。>
<関係団体へのアンケート調査の結果から見える「若手社員の問題」
1位 読書や考える力 53% 報告書が書けない!
2位 主体性 51%
3位 コミュニケーション能力 46% >
<企業がコミュニケーション力を重視するようになってきた中で、大学生たちの言語力の低下は著しい。>
<言語力が低下している背景、なぜ自分の考えを整理して論理的に伝えられないのか>
<子どもたちは、言いたいことを断片的にしか言葉にできない。例えば、のどが渇いてジュースが飲みたいときにも、「ジュース!」としか言わない。「どうして?」と聞いてやるべき。
子供の時に交わした会話の量が少な過ぎるのか......。
会話で質問に答える経験を重ねることで、10歳ごろから子供は筋道を立てて考えを整理できるようになるものだ。>
<全般的に、今、社会では会話する機会が減ってきている。
・毎日そろって夕食をとる家族30年間で 30%減少(厚生労働省 1976年比)
・朝食を一人で食べる中学生 42%(文部科学省 2005年度)
そして、多くの若者たちが会話の経験に乏しく、それが言語力の低下につながっている。会話が少ないと、自分の思いを伝える練習の機会に恵まれない。情報を集めて整理して、的確に言葉にすることができなくなる。>
<別の問題として、国語の授業で、最近進学してくる新入生の中に、作文が正しく書けない生徒が目立つという問題も浮上している。
[例 1]
「僕がこの本を選んだのは、目次です。」
※ 本来は、「僕がこの本を選んだ理由は、目次を見て面白そうだと思ったからです。」であり、理由を説明する部分が欠落している。
[例 2]
「僕が一番に思ったのは、西洋のクリスマスというのは、僕がクリスマスを特別に考えている方ではないし、日本人のほとんどがそうだと思います。」
※ 論理を練りあげず言いたいことを思いつくままに並べている。話言葉がどんどん文章の中に入り込んでくる傾向がある。単語で返事をしたら全部気持ちが通じあうという生活世界があって、それと同じ感覚で文章を書いても伝わるという考え方なのか。
これに拍車をかけているのが、「携帯メールの普及」だと見る専門家もいる。(メールでは、)部分を作るときにも非常に短い文になり、文章を作るときも細切れの文を重ねることになる。文と文の関係がどうなっているのか意識的に考えて推こうするところが省略される、などからではないか......。>
<(こうした問題への「新たな試み」として、)
○ サッカー選手たちの "自分の考えを論理立てて説明する訓練=選手たちの意識改革" の例。( c.f. 当日誌 2009.11.27)
○ ある小学校での、 "サークルタイム(毎回テーマを決めて自分の意見を発表)" という授業。先に結論を言いその後に「なぜなら」をつけて理由を述べることを子供たちは教えられる。「なぜなら」の訓練→「考えの整理」→「文章化」という段階的教育。>
<(では、どうすればよいのか)
小さい子供が自分の考えを述べる場が不足していることが問題。
小学生たちの言葉によるいじめにしても、人間関係が言葉を使って構築されるということを子供たちが知らないでいるからであり、小学校では言葉を通じた実体験を是非とも豊かに進める必要あり。
親が子どもたちの言語力を育んでいく上では、親自身が言葉を大切にする姿を見せる、子供の話をよく聞く、子供によく話させる、自分の言いたいことを言わせる努力を。
子どもたちが論理的に考えると、理屈っぽいと言われがちな傾向も問題。むしろ、ほめるべき。
親や教師は、子供達を一人の人間として対等に扱うこと。
どうしても正解を求める傾向が強いことも問題。間違っていても、自分の考えを言って聞いてもらえるという環境が話す意欲を生むことになる。話す意欲が持てないでいるのは大人の責任。
大人達の訓練、意識すべきこととしては、言わなくても分かってもらえるという従来の状況から、グローバリズムの中でいろいろな違う人たちが一緒に暮らすという環境に大きく変わったことを認識し、人に丁寧に説明することを意識的にやっていくこと。初めに言葉ありき。
言葉を軽んじる傾向、言葉をスキル・技術だと考える浅い認識傾向を改め、言葉は人間そのもの、人間の思想の根幹だと見なすべき。>
要点のみを端折って書き上げてみたが、自分が日頃気にかけていた事柄と重なる部分が少なくなかった、のが実感であった。
この日本社会は、 "デフレ・スパイラル" 傾向といった悲惨な経済情勢も抱えてまさに抜き差しならない状況である。が、深刻なのは、経済問題だけではなく、 "文化問題" にしても、かなりの憂慮すべき事態に至っているのかもしれない...... (2009.11.29)
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