ウォーキング・コースとしている川に沿った遊歩道を歩いていると、最近は保育園児たちの行列をしばしば見かける。
2、30人の園児たちが同じ色のキャップをかぶり、二人づつ手を繋いで列を作っている。4人ほどの女性の先生が付き添って、四六時中、注意の言葉を投げかけていたりする。日課とされた "朝の散歩" なのであろうか。
小さな背丈の園児たちがまとまって歩む姿は、まさに "こまい(細い)" という印象、そしてそのいずれもが3、4頭身くらいにしか見えない小さく短い足でチョコチョコと歩む格好は、思わず眼を細めてしまうほどの可愛さだ。
概ね、無表情で歩いて、歩かされている様子だが、中には嬉しそうな表情で何やかやと喋っている子もいるにはいる。
先日、これまた遭遇したのであるが、小学生3、4年生くらいの子たちのにぎやかな雰囲気の行列(校外授業?)とは実に対照的な様相であった。
やはり、教育というよりも "保育" という成長段階だと、みんな揃って歩くということだけで精一杯なのかなぁ、なぞと深い意味もなく考えたりした。
人間がまともに記憶という脳活動を始めるのは4、5才くらいからだそうだから、保育園児たちというのは、 "紀元前" とでも言えそうな成長段階なのかなぁ、とか、先ずは "動物の一個体としての完成" を目指している段階なのか、なんぞとこれまた大した意味があるとは思えないことを考えたりしていた。
とは言うものの、 "幼児教育の重要さ" と叫ばれたりするように、この時期に "黙々" として受容したことが、後に言葉を通じて理解する段階でのありようにも少なからぬ影響を及ぼす、と言われたりもしている。
とすれば、この子たちの "整地段階" の頭脳の底には、今日のこの、薄ら寒い川っ淵の一光景が、どんな印象としてであるかはわからないまでも静かに降り積もっているのだろうか、とも......。
2、30人の園児たちが同じ色のキャップをかぶり、二人づつ手を繋いで列を作っている。4人ほどの女性の先生が付き添って、四六時中、注意の言葉を投げかけていたりする。日課とされた "朝の散歩" なのであろうか。
小さな背丈の園児たちがまとまって歩む姿は、まさに "こまい(細い)" という印象、そしてそのいずれもが3、4頭身くらいにしか見えない小さく短い足でチョコチョコと歩む格好は、思わず眼を細めてしまうほどの可愛さだ。
概ね、無表情で歩いて、歩かされている様子だが、中には嬉しそうな表情で何やかやと喋っている子もいるにはいる。
先日、これまた遭遇したのであるが、小学生3、4年生くらいの子たちのにぎやかな雰囲気の行列(校外授業?)とは実に対照的な様相であった。
やはり、教育というよりも "保育" という成長段階だと、みんな揃って歩くということだけで精一杯なのかなぁ、なぞと深い意味もなく考えたりした。
人間がまともに記憶という脳活動を始めるのは4、5才くらいからだそうだから、保育園児たちというのは、 "紀元前" とでも言えそうな成長段階なのかなぁ、とか、先ずは "動物の一個体としての完成" を目指している段階なのか、なんぞとこれまた大した意味があるとは思えないことを考えたりしていた。
とは言うものの、 "幼児教育の重要さ" と叫ばれたりするように、この時期に "黙々" として受容したことが、後に言葉を通じて理解する段階でのありようにも少なからぬ影響を及ぼす、と言われたりもしている。
とすれば、この子たちの "整地段階" の頭脳の底には、今日のこの、薄ら寒い川っ淵の一光景が、どんな印象としてであるかはわからないまでも静かに降り積もっているのだろうか、とも......。
そうした "紀元前" 的光景をやり過ごすと、前方から "世紀末、終末" 的硬直とでも言えそうな空気を背負った初老の男性が歩いてきた。
普段であればどうということもなかっただろう。だが、瑞々し過ぎる "紀元前" 的光景を目の当たりにした後での、その男性の姿は、どこに着目しても "賞味期限切れ" というラベルしか見当たらない。くすんだ色の野球帽、何色だかわからないようなヨレヨレのジャンパーに同様のズボン。そして何よりも、野球帽のつばから覗けて見える表情が実に硬い。そこまで "への字口" にしなくても、と思えるほどに硬い。人生をここまでやってくるのに、どんなに苦節何十年を過ごしてきたか......、という思いが化石化しているがごとくであり、もし不用意に声を掛けようものなら、
「キミは、ワタシのこの苦労の何十分の一でもわかるというのかね......」
とでも振られそうな気配であった。
が、やがて、こうした印象は "他人事" ではないことに気づかざるを得なくなった。あの男性は、この自分自身をどう見たのだろうか、と思った時にである。
たぶん、ほとんど同様の印象をその男性もこの自分の姿から感じ取っていたのではなかろうか、と思わざるを得なかったからである。
要するに、お互いに、自身の "賞味期限切れ" オヤジの、そこはかとないぶざまさを確認し合ったはずなのであろう。
"紀元前" たちはどこへ行ったかなぁ、と振り返ってみたが、彼らの姿はもう見えなくなっていた。取り付く島のないような気分で自分は歩を進めていた...... (2009.12.10)
普段であればどうということもなかっただろう。だが、瑞々し過ぎる "紀元前" 的光景を目の当たりにした後での、その男性の姿は、どこに着目しても "賞味期限切れ" というラベルしか見当たらない。くすんだ色の野球帽、何色だかわからないようなヨレヨレのジャンパーに同様のズボン。そして何よりも、野球帽のつばから覗けて見える表情が実に硬い。そこまで "への字口" にしなくても、と思えるほどに硬い。人生をここまでやってくるのに、どんなに苦節何十年を過ごしてきたか......、という思いが化石化しているがごとくであり、もし不用意に声を掛けようものなら、
「キミは、ワタシのこの苦労の何十分の一でもわかるというのかね......」
とでも振られそうな気配であった。
が、やがて、こうした印象は "他人事" ではないことに気づかざるを得なくなった。あの男性は、この自分自身をどう見たのだろうか、と思った時にである。
たぶん、ほとんど同様の印象をその男性もこの自分の姿から感じ取っていたのではなかろうか、と思わざるを得なかったからである。
要するに、お互いに、自身の "賞味期限切れ" オヤジの、そこはかとないぶざまさを確認し合ったはずなのであろう。
"紀元前" たちはどこへ行ったかなぁ、と振り返ってみたが、彼らの姿はもう見えなくなっていた。取り付く島のないような気分で自分は歩を進めていた...... (2009.12.10)
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