"折りたたみ式のスロープ" の一件での淡々とした "共生の光景" ......

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 それは、自分が降りるバス停のひとつ前のバス停での光景であった。
 前方のドアからの乗降客の移動が終わったにもかかわらず、バスは停車したままであった。日頃、あまりバスに乗らない、いや外出さえめっきり減って "巣ごもり=引きこもり" に近い状態である自分は、何事かと首をかしげてしまった。
 すると、中央のドアが開けられ、なおかつ運転手が運転席を立って、前のドアから出てくるや、中央ドアに面して何やら "作業" を始めたのだった。
 ようやく、それが何を意味しているかが合点できた。中央ドアには、 "車椅子" 乗降者のための "折りたたみ式のスロープ" が設置されていたのである。
 運転手は、それを "セッティング" するために運転席を離れたのであった。手際良く、その装置を外の歩道方面に引き出し、あっという間に車内から歩道へのなだらかなスロープを完成させた。
 その後、その運転手は車内に入り、 "車椅子" で乗り込んでいたひとりの女性乗客の車椅子の取っ手を操作して、慎重にその "車椅子" と女性とを歩道側へ移動させた。運転手とその女性の双方が「ありがとうございました」と言っているのが聞こえてきた。
 自分は、ちょっとした "衝撃" を受けたものだった。
 確かに、こうした光景を見るのが初めてだったということもある。しかし、 "理由" はそんなことではなかったのだ。
 バスの中で、所在なく "とある事" を考えていた自分だったのだが、そのたどたどしい考え事に対して、まるで "天啓" のごときシャープな光景が目の当たりに広がったからなのである。
  "人は独りでは生きられない" という事実、そして、そればかりかその裏側の "必然的事実" となるはずのものとして "人は人を支援しつつ生きる" ということ、これがその "天啓" の意味であったわけだ。

 毎年自分は、松の内(元日~七日)の間に "川崎大師" に参詣することを恒例としてきた。今どき、 "神頼み" でもあるまい......、とは百も承知している。しかし、取りやめをして不可解な "祟り" でもあっては......、という非合理な弱気が潜んでいたのであろうか、ここまで続けてきた。
 が、 "初詣" はともかく、もう、 "護摩" を焚いて "御札" を戴くという "思い入れ" には終止符を打とう! ただし、 "とおりゃんせ" の歌詞ではないが、去年の分の "御札" は、「御札を納めに参ります」とするのが礼儀だろうと思ったのだ。
 ところで、昨今はめっきり "出不精" となった自分である。ことによったら今流行りの "巣ごもり=引きこもり" 体質にでもなってしまったのかと懸念するくらいである。
 で、今日は、気乗りしない気分を引き立てて、往復3時間の遠足をしたのだった。気分をなだめるために、イヤホーン・ラジオやサウンド・メディアなどのプライベート・グッズを持参した。

 ところで、人込みの中でイヤホーンなどによって他者たちの存在を "希薄化" させてみると、確かに人込み特有の "うざったらしさ" が相対化される。しかも、今日は防寒のためのあごまで埋まるようなマフラーに、新型インフル感染防止のためのマスクまでしていたので、 "人込み相対化効果" はてきめんであったか......。
 だが、そんなふうな状況に自分を置いてみると、ある事実に気づかざるを得なかった。人込みの中での他者たちの存在の "希薄化" を図っていたのは、決して自分だけではなく、ほぼすべての群集各位が皆同じではないか、という点なのである。
 ヘッドフォーンをしている若い者、ケータイ画面に見入って個人作業に没頭している者、そして車内光景の定番である深い居眠り光景......。要するに、群集各位は "他者たちの存在感" に無関心であるどころか、むしろ極力 "抹消" すべく鋭意努力なさっているかに、見えたものだった。
 これが、大都市の人込みでの個々人の実態なのに違いない、と実感するとともに、そうでなければ "やってゆけない" のが現実なのかもしれない、とも思えた。

 この間、 "時間の観念" に関して、 "〈コンサマトリー〉(現時充足的)" 視点というテーマにこだわってきた。要するに、いろいろな水準はあろうが、 "現時(=今)" を基点としたり、最優先する視点のことである。
 ところが、これとパラレルな形で顕著となっているものがもうひとつあり、それは "現自(自己)充足的" と文字(もじ)ることもできそうである。平たく言えば、 "個人主義" 、 "自己中心主義" とも言えそうだが、内容はかなり強烈となっており、 "他者という存在(感)" を "抹消・超越" しようとする願望......、とでも言えそうか。
 現代環境にあってこれは別に今始まった奇異なことではなかろう。ネットやゲーム世界の環境で当事者たちにもたらされる "全能感" というものは、 "他者という存在(感)" が "抹消・超越" できるように仕掛けられているがゆえであり、こうした "電脳仕掛け" に馴染んでしまうならば、現実の他者たちの存在は、 "無関心・無視・蔑ろ" という従来からの "緩いレベル" を飛び越えて、 "ナッシング" のレベル、位置にまで引き下げられているのかもしれない。
 電車内での "化粧" 作業から "飲食" 行為なぞは、こう考えなければ理解できないはずだろう。そして、 "ナッシング" であるはずの存在が、その姿を現すならば、まるでゲームで "バグ" の痕跡が表示された時のように、 "うざったらしい" ということにもなるのかもしれない......。

 こうしたまるで "出口を失った" かのような "現自(自己)充足的" 現象について、当惑気味に思いを巡らせていたその時だったのである。冒頭で書いた、乗り合わせたバスで "折りたたみ式のスロープ" の一件での淡々とした "共生の光景" を眼にしたのは...... (2010.01.07)












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