何かを思い浮かべた時、 "いやぁーな感触" が訪れるということがしばしばある。
"こいつ" はあまりよい症状(?)ではないと思いつつも、そうした心理・思考状態に陥りがちである。
よく、脳科学者などが言うのは、 "楽しいことだけ、好きなことだけ" を考えなさい......、という正論である。脳活動が正常なフル回転状態となるのは、まさにそうした場合なのだろうと納得はできる。
しかし、一般の生活者にとってこれは至難の業であるに違いない。
"楽しいことだけ、好きなことだけ" に没入していたら、職場であろうが家庭内であろうが、大変な顰蹙(ひんしゅく)を買うに決まっているからだ。
どうしたって、苦楽や好き嫌いに関係なく、 "やるべきこと" を想定し、それに腐心していかなければ生活現場の市民権を失うことにもなりかねない。
そして、言うまでもなく "やるべきこと" というものは、大体が "楽しいこと" ではなく、また "好きなこと" でもない。それだけではなく、通常、 "困難さ" が絡み付いていたりするわけである。すると、どうしたって、 "いやぁーな感触" が巻き起こされたりもして、まともに考える前から "敗戦" 心理状態(?)に追い込まれたりもする。
こうなると、そのネガティブな心理状態を修復することだけで手一杯のようにもなる......。要するに、 "問題先送り" を決め込むという成り行きになるわけだ。
まあ、この時点で、勇気を振り絞ってみてもなかなか脳活動の方がついて行かないから、 "下手な考え休むに似たり" なのであり、 "問題先送り" に落ち着く方が無難な場合もありそうだ。
"こいつ" はあまりよい症状(?)ではないと思いつつも、そうした心理・思考状態に陥りがちである。
よく、脳科学者などが言うのは、 "楽しいことだけ、好きなことだけ" を考えなさい......、という正論である。脳活動が正常なフル回転状態となるのは、まさにそうした場合なのだろうと納得はできる。
しかし、一般の生活者にとってこれは至難の業であるに違いない。
"楽しいことだけ、好きなことだけ" に没入していたら、職場であろうが家庭内であろうが、大変な顰蹙(ひんしゅく)を買うに決まっているからだ。
どうしたって、苦楽や好き嫌いに関係なく、 "やるべきこと" を想定し、それに腐心していかなければ生活現場の市民権を失うことにもなりかねない。
そして、言うまでもなく "やるべきこと" というものは、大体が "楽しいこと" ではなく、また "好きなこと" でもない。それだけではなく、通常、 "困難さ" が絡み付いていたりするわけである。すると、どうしたって、 "いやぁーな感触" が巻き起こされたりもして、まともに考える前から "敗戦" 心理状態(?)に追い込まれたりもする。
こうなると、そのネガティブな心理状態を修復することだけで手一杯のようにもなる......。要するに、 "問題先送り" を決め込むという成り行きになるわけだ。
まあ、この時点で、勇気を振り絞ってみてもなかなか脳活動の方がついて行かないから、 "下手な考え休むに似たり" なのであり、 "問題先送り" に落ち着く方が無難な場合もありそうだ。
しかし、こうしたことを繰り返していると、冒頭のような "よくない症状" が慢性化しそうである。<そのことを思い浮かべる> ⇒ < "いやぁーな感触" が訪れる>という連関が "自動化" しないとも限らないのである。
脳は "繰り返し" によって思考回路を安定させ、処理速度を上げるようにできているわけだから、たとえ "ネガティブな連関" であれ、 "繰り返し" を続けていると、完全に "条件反射" 的な "自動化" へと深い轍を刻んで行くに違いないのだ。
これに似たことはPCでのプログラム処理でも発生する場合がある。エラー操作を繰り返していると、想像以上にゴミとしての "Temp file" を増やし、それが正常な処理を妨げる......、というような現象である。
何をウダウダと書いているのかというと、どうも、 "長引く不況" というようないつ果てるともない "泥沼" 世相(とりわけ "デフレ状況" !)が続いていると、社会も個々人も、何にせよ "考える前" 、"行動する前" から、< "いやぁーな感触" が訪れる>という、そんな "ネガティブな連関" に引き込まれていそうだと感じるのである。そして、益々、 "貧すれば鈍す" の悪循環へと踏み込んでしまう......。
昨今、スポーツなどで推奨される "イメージ・トレーニング" では、 "サクセス・イメージ" を脳と心理に叩き込み、それによって "ポジティブな連関" を起こり易くすることで "サクセス" アクションを発火・起動させようとしている。おそらく、行動科学性の高い、効果的な方法なのだろうと思える。
ところが、まったくこれとは "正反対" の生活を、生活者たるわれわれは延々と繰り返していそうな気がするのだ。
これを "だれ彼" のせいにしてみるのも "あり" ではあるし、実際、社会的レベルでの "構造的なテコ入れ" がなければ変化は乏しいとも見える。
だが、 "卵が先か、鶏が先か" のジレンマではないが、われわれ個々人が前述のような "ネガティブな連関" を抱え込み、いわば "自縄自縛" 的な行動様式を取り続ける限り、この "泥沼" 世相は< "いやぁーな感触" >から自由にはなれないみたいだ...... (2010.02.18)
脳は "繰り返し" によって思考回路を安定させ、処理速度を上げるようにできているわけだから、たとえ "ネガティブな連関" であれ、 "繰り返し" を続けていると、完全に "条件反射" 的な "自動化" へと深い轍を刻んで行くに違いないのだ。
これに似たことはPCでのプログラム処理でも発生する場合がある。エラー操作を繰り返していると、想像以上にゴミとしての "Temp file" を増やし、それが正常な処理を妨げる......、というような現象である。
何をウダウダと書いているのかというと、どうも、 "長引く不況" というようないつ果てるともない "泥沼" 世相(とりわけ "デフレ状況" !)が続いていると、社会も個々人も、何にせよ "考える前" 、"行動する前" から、< "いやぁーな感触" が訪れる>という、そんな "ネガティブな連関" に引き込まれていそうだと感じるのである。そして、益々、 "貧すれば鈍す" の悪循環へと踏み込んでしまう......。
昨今、スポーツなどで推奨される "イメージ・トレーニング" では、 "サクセス・イメージ" を脳と心理に叩き込み、それによって "ポジティブな連関" を起こり易くすることで "サクセス" アクションを発火・起動させようとしている。おそらく、行動科学性の高い、効果的な方法なのだろうと思える。
ところが、まったくこれとは "正反対" の生活を、生活者たるわれわれは延々と繰り返していそうな気がするのだ。
これを "だれ彼" のせいにしてみるのも "あり" ではあるし、実際、社会的レベルでの "構造的なテコ入れ" がなければ変化は乏しいとも見える。
だが、 "卵が先か、鶏が先か" のジレンマではないが、われわれ個々人が前述のような "ネガティブな連関" を抱え込み、いわば "自縄自縛" 的な行動様式を取り続ける限り、この "泥沼" 世相は< "いやぁーな感触" >から自由にはなれないみたいだ...... (2010.02.18)
コメントする