昨日に引き続き、"消費増税" 論議に注目してみる。いや、いよいよ注目せざるを得ない状況となり始めたと思われる。
何事もそうであろうが、事、政治に関しては "絶対的選択" というものはあり得ないはずだ。現状の状況認識を踏まえて、何が Better、Best の "選択(判断)" なのかを "相対的に" 嗅ぎ分けるのか以外に賢明な対処法はないものだと思える。
そんな中で、 "マズイ対処法" だと思われるものは、現実自体が問うている "選択(判断)" に対してまともに立ち向かわず、何やかやと理屈をつけながら "選択(判断)" をはぐらかしたり、 "先送り" にしたりすることではなかろうか。
事、 "消費増税" 論議にしたところが、こんな今となって持ち出す羽目となる前に、幾分かの余裕があった時期(自公政権期)にまさしく落ち着いて論議されなければならなかったはずである。とっくの昔に、 "国家財政逼迫の傾斜" は確定的だったはずなのであるから。
が、その時々の政権は、責任政党がどうこうと言い張りつつも "ばば抜き" を避けるかのごとく、それを"忌避" して "先送り" することに終始してきたのは周知の事実だ。
また、われわれ有権者国民も国家財政逼迫は自分たちの問題ではないかのように受け止め、誰かが何とかするだろうと、距離を置いて構えてきたのも事実だ。
確かに、税のムダ使いが野放し状態にされたままでの、"消費増税" は "忌避" したいのは実感であるし、 "国家財政逼迫の傾斜" という事実とて分かりやすく知らされてきたとは思えない。メディアにしても、いつもながら何の見識もないがゆえに、あえて "臭いもの" の蓋を開けるという立場上の使命を果たそうとはしてこなかった。
そんなこんなの "不都合" が重なり合って、かなり "耐え難い" かたちの "選択(判断)" 対象が、ごろりとテーブルの上に載せられることになってしまった、というのが現状なのであろう。
菅首相が "イラ菅" さながらに以下のように振舞ったというのも分かる。
< 菅直人首相は2日夜、民主党本部で記者団の質問に答え、消費税引き上げに関する超党派協議の呼び掛けに自民党など野党が応じない姿勢を示していることに関し、「そんな無責任なことでいいのか。あなた方は責任ある態度を取っているのかと、しっかり言っていきたい」と述べ、野党が財政健全化に無責任だと批判し、こうしたことを街頭演説などで訴えていく考えを示した。
首相は財政悪化の理由について「民主党だけの責任でなったわけではなく、今、野党になっている主だった党が政権の時代につくった大きな借金(が主因だ)」と指摘。「(遊説先で)借金は誰がつくったのか。8割、9割は自民党や公明党が(つくった)などと言ったら、『そうだよね』という反応がたくさんあった」と強調した。
選挙戦前半の手応えについては「演説後、(有権者が)握手をなかなか離してくれない。良いときの選挙とそう変わらない」と述べた。>(野党は財政健全化に無責任=「借金つくった8、9割は自公」-首相/時事ドットコム/2010/07/02-22:32)
それにしても、どう考えても分からないのは、以下の面々だと感じている。
その一翼は、雨後のタケノコのような "少数新党" であろう。 "キャスティングボート" という名の "保身策"、"生き残り策" に何一つの美意識も持たずしがみつきながら、もはや "一刻の猶予も与えられていない" プロブレム=財政健全化課題(≒ "消費増税" 論議)に対して、決定的に距離を置いているからである。
彼らは、口を揃えて "ムダ使いの削減が先だ!" という "正論" を優等生さながらに押し出しながら、実はその陰に隠れている。 "正論" というものは、取り巻く環境、つまりグローバル経済が "正論" で粛々と展開している際には言うまでもなく "正解" なのであろう。
しかし、現実の世界は "正論" というものを "小さな正解" でしかあり得ない、そんな異常な世界へと突入してしまっているのである。国家経済をも "餌食" として憚(はばか)らない超異常世界である。
ここでちょいと "詭弁" 的表現をするならば、 "成人病" の主たる原因が "肥満" や "贅肉" にあると指摘され、"ダイエット" が肝要だと喧伝されながら、実のところそれが "永遠の課題" の座をなかなか譲らないのと、 "ムダ使いの削減" とは似ていそうだ。
"ムダ使いの削減" という課題は、言葉で書けばこれだけの文言であろうが、実は、現代官僚機構・組織の立ち振る舞いの一々と密着した "ムダ使い" 、それは中高年の "肥満" や "贅肉" とまったく同じほどに "本体に密着" しているのではなかろうか。だからこそ、"仕分け事業" という手法が鳴り物入りで報じられもしたのであろう。
したがって、 "ムダ使いの削減" への努力は、一定の猶予が許された時期ならばいざ知らず、もはや現状のような "国家財政逼迫" が危険水域に突入している際には、サイドワークとしては奏功しても、決め手にはなりにくい、と覚悟しなければならない。
よって、 "ムダ使いの削減が先だ!" という "正論" を単独でぶち上げる面々は、何か "為にする議論" をしているという感触が拭いきれないのだ。ちょうど、以下のような好例(?)が報じられてもいた......。
< 民主党の小沢一郎前幹事長は4日、参院選公示後初めて本県入りした。後援会幹部の弔問が目的だったが、奥州市水沢区にある岩手選挙区候補者の選挙事務所を急きょ訪問。支持者を前に「無駄を徹底的に削ることが先だ」と消費増税に言及する菅直人首相をあらためて批判した。同日までに11府県を回り、消費税問題などで執行部批判を展開している小沢氏。選挙後の政局をにらんだ「復権」への布石との見方もある。
「無駄を徹底的に削ることが先で、増税は手を尽くしてももう駄目となってからだ。現状ではまだまだそこまでいっていない」
小沢氏は事務所に集まった約40人の支持者にこう訴えかけた。>(消費増税で首相に苦言 小沢氏、公示後初本県入り/岩手日報/2010/07/05)
今、日本が直面している "危機" を額面どおりに受け止めるための必須条件は、何よりもその "危機" を亢進させ、熟させている "変化のスピード" というものを鋭く意識することではなかろうか...... (2010.07.06)
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